父の生きる (光文社文庫 い 48-2)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334773069

感想・レビュー・書評

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  • なんとも辛くて切ない内容です。私は59歳、母は83歳、熊本で二人暮らしです。読んでいると現状の自分にリンクする部分が多々あります。思わず頷く部分、反省してしまう部分、涙する部分がありました。作者はカリフォルニアと熊本での生活、本当に頭が下がる思いです。でも、結局は、その二重生活を解消するのは、この結末しかないのだなあと感じます。その事実が人をひとつ成長させるのだと思います。辛いですね。

  • みとったひとにしかわからないだろうと思う。自分と父とが重なって切なかった。人ひとりを送り出すということの重み、死にゆく人の世話をさせてもらえて幸運だったとおもえる、親が子にさいごに与えてくれたもの。

  • 人がひとり死ねずにいる。
    生きていたと言えるのではないか。
    ストレートさがいい

  • 自分のときと照らし合わせて、辛かった。私はここまでできなかった。色んなことがあったけど、自分はこの人が可愛がってくれた娘なんだってことを思い出すことができてとても良かった

  • 89歳で亡くなった父の最後の数年間、仮ふぉりにあから熊本の遠距離介護。進行中はバトルアリーナそのもの。で、終わった後の心象は、これまでの親子の形で決まるのかもしれない。おそらく悔いだらけだろうが、親は、きっと、全部まとめて許してくれてるんじゃないかと思う。

  • (2017/3/17文庫本を買ってまた読む)
    (2018/1/13文庫本を再読)

  • 出会いはたしか、小林聡美『読まされ図書室』 (宝島社文庫)、吉本ばななのおすすめ本として登場して、読んでみたくなって探した。
    …と思っていたら、それは佐野洋子『死ぬ気まんまん』(これも光文社文庫)のほうで、伊藤比呂美の本は「scripta」2016年秋号に載っていた荻原魚雷連載「中年の本棚・15」で触れられていて、読みたくなったのだった。

    日記風文学というのはどうしてこうもおもしろいのだろう。…と、武田百合子『富士日記』なども思い出しながらおもう。
    母を見送り父を遠距離で介護するあわただしい日々の由無し事、さばさばとした筆致で自分のおろおろや周囲へのむかつきなどもつづられている中に、ときどき詩のような宝石のような思いが垣間見えて、はっとさせられる。

    こども心には頼もしく大きな存在だった親が、心身が弱っていくさまをつかず離れず見守る心境、仕事や自分の家族を抱えつつもたもたして手がかかるようになっていく老親に付き合うしんどさ、相手の状況を察しあえる大人同士だからこそのせつなさややりきれなさ…遠からず我が身も体験することになるのだろうと思いながら読んだ。こういうのを読んでから向き合うか、知らずに向き合うかで、気の持ちようはまったく違うと思う。

  • 女性詩人が、実家熊本の父をカリフォルニアから行き来しながら看護する日記。作者の父を思う気持ち、その実行力、介護におけるどうしようもない気持ちが率直に表れていて共感する。老いの衰えはどうしようもなく、人生の最後はやはり大変で、それを支えてくれる人がいる人は幸せである。後書きの作者の言葉と最後の詩にはしみじみとする。

  • 今日は父の誕生日で、夕方には父がやってくる・・・
    その直前に図書館からこの本が届いた。
    このタイミング!

    「いつか死ぬ。それまで生きる」

    P68そんなとき、人にすすめられて父との会話を書きとめはじめました。電話を首にはさんで、父の言葉を聞きとるそばから、紙に書きなぐっていく。そしてそれをwordに起こす。父の愚痴を書きとめて字に起こしてみると、愚痴は、ただのもがきでした。私に対する攻撃でもなんでもなかったんです。父の寂しさが父の孤独が私にひしひしと寄り添ってきました。

    P123「聞いてよ、おとうさんがこんなこと言うんんだよ」とサラ子に言いつけたら、「両方とも相手の気持ちはわかっているんだから、おじいちゃんはそう言い続けるしかないし、おかあさんは、言わないでおこうよと言い続けるしかない」と言われた。たぶんその通りだ。
    こういう状態を回避するには、若いうちから死をシミュレーションして、死ぬときは一人だと考えておかねばならない、てなことを善導(ぜんどう)も一遍(いっぺん)も言っている。高齢者が一人で死んで発見されるたびに、メディアが「孤独死」だなんだと騒ぎ立てるのをやめないと、なかなか死ぬときは一人だという考えを持つようにはなれない。

    ~~「おれには看取ってくれるものがいない、誰もいない」「それは聞くのがつらいから、言うのをやめようよ」~~から

    P134ほんとうはそこのところをもっと突っ込んでもらいたいのではないか、でないと家族って気がしないのではないかとなんとなく感じている。

    P135衰えたりといえども父だから、ときどき心配させてやったり、ものをねだったりするのも必要だなと考えた。

    P148「だんしがしんだ」を一つ覚えのように繰り返した。感慨深かったのは、回文の妙というより、死についてだと思う。

    P165ある日父と気持ちのいい会話ができて、ああやっぱりおとうさんだなぁと思うとする。私もよくやってる、おとうさんをちゃんと支えてあげてるのかもと思えるとする。しかしその次の日には電話すると、父は前の日の勢いはどこにもなくなり、あーとかうーとかしか言えない年寄りに老い果てていて、娘のことなんかどうでもよくなっていて、自分が死んでいるのか生きているのかもわからないようすになっている・・・ときが、ままある。なんにも、なんにも、常なるものはないということだ。

    P186受話器を持つのもリハビリになるから、ハンズフリーにしない方がいいですよ


    「仕事がないから終わんないんだ。つまんないよ。ほんとうに。な^にもやることない。なんかやればと思うだろうけど、やる気が出ない。いつまでつづくのかなあ」
    「だけど退屈だよ。ほんとうに退屈だ。これで死んだら、死因は『退屈』なんて書かれちゃう」
    「退屈で退屈でしょうがねえよ、まったく。頭の中は食べものでいっぱいだ」

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著者プロフィール

伊藤比呂美
1955年、東京都生まれ。詩人。78年に現代詩手帖賞を受賞してデビュー。80年代の女性詩人ブームをリードし、『良いおっぱい 悪いおっぱい』にはじまる一連のシリーズで「育児エッセイ」という分野を開拓。「女の生」に寄り添い、独自の文学に昇華する創作姿勢が共感を呼び、人生相談の回答者としても長年の支持を得る。米国・カリフォルニアと熊本を往復しながら活動を続け、介護や老い、死を見つめた『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(萩原朔太郎賞、紫式部文学賞受賞)『犬心』『閉経記』『父の生きる』、お経の現代語訳に取り組んだ『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』を刊行。2018年より熊本に拠点を移す。その他の著書に『切腹考』『たそがれてゆく子さん』『道行きや』などがある。

「2022年 『伊藤ふきげん製作所』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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