アンチェルの蝶 (光文社文庫 と 22-1)

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  • / ISBN・EAN: 9784334766825

感想・レビュー・書評

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  •  う~ん。ウ~ン。
     小説は本当に起こりそうなことを書くフィクションだというけれど、この小説に出てくる、“酒”“暴力”“ギャンブル”に溺れ、子供を子供とも思わない最低な親は世の中に沢山いるかもしれないが、いずみちゃんほどひどい目に合い続ける子は本当にいるのだろうか。そう思う時点で、私は葉山和美弁護士のように世間知らずなのかもしれない。
     舞台は大阪の南のほう。暖簾も壁も何年も掃除していない油ギトギトの場末の居酒屋<まつ>。店主は足を引きずり、客は堅気かどうか分からないような最低の客ばっかり。店主であり主人公の藤太は「どうせこんな店」「自分はいつ死んでもいい」と思いながら、生きるために、ずっと店をやり続けている。
     そんなある日、店を閉めてからひと目で“負け”を感じてしまうような、小ぎれいな男が小5くらいの女の子を連れて訪ねて来た。「藤太、久し振りやな。」という。よく見るとそれは、かつて親友であったが25年間一度も会わなかった秋雄であった。
     25年前に何かがあって一度も会わなくなったということは、彼らは60歳くらいなのかと思った。だけど「中学卒業以来一度も会っていない」という。そして、連れていた女の子は同じく彼らの同級生で25年間会っていない“いずみ”の子供の“ほずみ”だという。今や少年犯罪の件で有名な弁護士となっていた秋雄は何故かほずみの保護者となっており、「今俺は危ないことに巻き込まれているから、ほずみを預かってくれ」と言ってきた。
     たった15歳の時に彼らに何があって25年間も会えなくなったのか。そして、それでも仲間の子供を預かるほどの彼らの絆って何だったのか?
     そしてもう一つ謎だったのが、このような店でちょっと場違いに思われるような(失礼)、ドヴォルザークの「新世界より」……それもカレル・アンチェル指揮、チェコ・フィルのが彼らの拠り所になっていて、特に「家族全員がナチの収容所のガス室で虐殺された」というアンチェルの人生がキーワードになっていて、ますます訳が分からなくなった。
     舞台は彼らが小5の時に飛び、藤太、秋雄、いずみの父親は麻雀仲間で酒とギャンブルに溺れ、子供に暴力をふるう飛んでもない親たちだった。その共通項で寄り添いあった彼ら三人は親友というより恋人というより家族のような絆で結ばれていた。
     彼らとドヴォルザーク交響曲「新世界より」の出会いは、小学校の時の音楽のリコーダーのテストだった。一緒に「遠き山に日は落ちて」(「新世界より」第二楽章)を練習していた彼らは
    「“遠き山に”って大阪には山なんかあらへんし、分からへんやん。」
    「天保山があるやんか。」
    「やっぱり本物聞かな分からんのちゃうかと思て、お母さんのレコード持ってきたわ。」
    といずみの持ってきたレコードを秋雄の家のステレオで三人で聴いたのが、カレル・アンチェル指揮、チェコ・フィルのドヴォルザーク交響曲 第9番「新世界より」。
    聴きながら、いずみは解説に載っているアンチェルの経歴を読んだ。ユダヤ人であったため、家族全員をナチの収容所で殺されたが、戦後チェコ・フィルの音楽監督となり………。
    「すごいな。こんなつらい目に合ってもこんな素晴らしい演奏ができるんやね。」
    「俺は、決めた。俺は新世界に行く。あんな親父に<まつ>を任せられへん。おれは、もっと料理を勉強して、店をきれいにして、<まつ>を一流の料亭にするんだ。」
    「私も、一緒にやる。」といずみ。
    アンチェルの「新世界より」は彼らにとって希望の音楽だった。
    でも、まさかそれが彼らを一生苦しめる音楽になるとは…。

    ちょっと書きすぎました。
    貧しさ、苦しさ、悪い大人、純粋な子供、友情、愛、絆、希望、絶望…そんな色んな要素が“アンチェル”と“蝶”に反映されてうまく盛り込まれていたと思います。けれど、“盛り込まれすぎ”感もありました。あと登場する大人たちがどうしてこうも劣悪非道な者たちばかりなのかという点とその子供たちが良い子過ぎることと、小説を盛り上げるために、登場する子供たちを不幸にし過ぎている感に違和感を感じてしまいました。

    • たださん
      Macomi55さん
      『やっと羽を広げて飛べた蝶』の、絵が浮かぶような素晴らしい表現に、そうだったと詳細に思い出すものもあり、込み上げてくる...
      Macomi55さん
      『やっと羽を広げて飛べた蝶』の、絵が浮かぶような素晴らしい表現に、そうだったと詳細に思い出すものもあり、込み上げてくるものを感じました。
      アンチェルの人生を知っている、Macomi55さんだからこそ、できる表現だと思いました。
      本当に、色々な人間がいますよね・・

      『恵まれて育ったかもしれません』とは、また違った根拠からのような気もしますが、私の場合、戦争に関する本の感想を書くとき、いつも躊躇いを感じます。私のような、戦争を体験もしていない人間が、さも分かったような事を書いて、投稿していいのだろうか? みたいなことですが・・意味不明に感じられたら、ごめんなさい。
      2022/08/16
    • Macomi55さん
      たださん
      分かりますよ。
      私は両親が小学生のころ戦争を体験し、よくその頃の話をしていました。家族が戦死したり、空襲に合ったりというような体験...
      たださん
      分かりますよ。
      私は両親が小学生のころ戦争を体験し、よくその頃の話をしていました。家族が戦死したり、空襲に合ったりというような体験ではなかったらしいですが、疎開に行ったり、夜中に空襲警報が鳴ったり、食べ物がなかったりして大変だったという話。「また、その話か」と思うこともありましたが、もう、その頃を実際に知っている人が80代以上の人ばかりになってきた今、本当に体験を話せる人がいなくなったら、日本はまた戦争をしてしまうのではないかと恐れています。
      戦争は体験しないに限りますが、戦争に関する本を読んだりして、分からなくても、その場にいた人のことを一生懸命想像することはとても大事なことだと思います。
      2022/08/16
    • たださん
      Macomi55さん
      確かにそう思います。人は完璧な存在でないだけに、何をきっかけにそうした行為に走るのか、恐いですね。

      私も、実際に戦争...
      Macomi55さん
      確かにそう思います。人は完璧な存在でないだけに、何をきっかけにそうした行為に走るのか、恐いですね。

      私も、実際に戦争を体験された方が少なくなっている事は、他の本で知りまして、そのお話を聞くことが、如何に貴重で大切なことなのか、痛感しております。

      そして、人は一生懸命に想像したり、相手のことを慮ったりすることができるのですものね。

      様々な本が世の中に存在することの意味を考えて、これからも戦争に関する本を読んでいきたいと思います。
      ありがとうございます(^_^)
      2022/08/17
  • はっきり言ってこれは、読むのがかなりつらい話でした。
    つらいというのは、内容が悲惨だということで、小説としての完成度は星5です。

    一人で、居酒屋「まつ」を大阪で営む藤太のところへ、中学校の同級生だった40歳になった佐伯秋雄が25年ぶりに訪ねてきます、
    秋雄は小学校4年生の女の子、森下ほづみを連れています。
    「この子はいづみの子なんや」といいしばらく預かってくれと、置手紙と500万円を残していかれ、藤太はとまどいながらほづみの面倒を見始めます。

    藤太、秋雄、いづみは中学の同級生で、三人の親たちは賭け麻雀をする仲間で、三人は親たちに虐げられていました。
    でも三人は、三人でいるときだけは明るく、リコーダーの練習をしたり、「まつ」に集まってポーランド人のカレル・アンチェル指揮の「遠き山に日は落ちて」の元曲である「新世界」の楽曲を聴きながら、将来の話をして、心を通わせていました。

    しかし、親たちの虐待が酷く、いづみの父は麻雀の負けたかたに、いづみを三人の男たちに差し出します。
    それを知った藤太と秋雄は、いづみに知られれずにいづみの敵討ちをとんでもない方法でします。
    その事件のあと、三人の交流は途絶えます。

    25年後、秋雄の連れてきたほづみは秋雄の子供ではありませんでした。
    弁護士になっていた秋雄は、担当していた少年犯罪に巻き込まれて行方不明になります。
    いづみの行方も全くわかりません。
    そして藤太のところにほづみの父親を名乗る人物が現れますが、何ともいけ好かない人物で、藤太は強い不信感を覚えます。

    藤太、秋雄、いづみの置かれた中学のときの家庭環境は考えられない劣悪な状況だったと思います。
    特にいづみの環境は悲惨すぎるものでした。
    藤太と秋雄の起こした犯罪は同情を禁じ得ないと思います。
    そして、最後の秋雄の告白も読んでいてつらかったです。でも秋雄を責めることもできないと思いました。
    藤太も死ぬほどつらかったと思いますが、ほづみと一緒に生きていってほしい。それしか言えません。
    いづみの残した最後の、藤太との密やかな笑顔を向けているツーショット写真。ほづみはそれを選んだのですから。

  • 再読。カレル・アンチェルとチェコ・フィルの9番を聴いた後で、改めて読みたくなったのだが、前回読んだときとは、また異なる思いを抱くことになりました。

    藤太、秋雄、いづみ、この三人の人生は再読でも、とても痛々しく、思わず目を覆いたくなるような、筆舌に尽くしがたい悲しみに加えて、その要因が、それぞれの親なのだから、余計にやるせない。

    しかし、それでも私は、アンチェルのあの出来事と、彼らの悲しみを比較するのは違うと思うし、それは、どちらがより辛いとかの概念ではなく、そもそも比べる事ができるような、そんな単純で軽いものじゃないでしょ、人生って。

    ただ、それを生きる為の希望と感じられる事も、本書から読み取れて、おそらく、彼らの青春時代は、アンチェルの音楽(ドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》)で表現された、まさに『新世界』を夢見ていて、今はどれだけ悲惨な思いをしていても、いつかきっと、そんな世界に辿り着けると思っていたことでしょう。

    前回の感想で、私は、藤太の最後の場面について、「僅かな晴れ間がのぞいたのだろう」と書いたのですが、今回の再読はそうではなく、実は誰よりも、潔く覚悟を決めていたのではないかと感じました。

    そこにあるのは、その行為が、どれだけ人生に影響を与えるのかということで、それは、『どこにも行けず、袋小路を虚しくさまようだけの人生になる』と、藤太自身感じているように、そんな思いを、ほづみにだけは絶対にさせてはいけない、ここに、これまで逃げてきた彼の、償いを為さんとする、剥き出しの覚悟が窺えた気がしました。

    新世界は、藤太たちにとって、『あの頃の俺たちのすべて』だったのが、次第に苦痛へと変わっていき、終いには『たどりつけない世界』へと感じられたのかもしれない。

    しかし、私は、タイトルの「アンチェルの蝶」には、『新世界へと旅立つ蝶』の意味があると感じており、無事そこに辿り着けるのかは分からないけれど、それでも最後の蝶の旅立ちには、藤太、秋雄、いづみ、それぞれの夢がやっと動き出してくれた、そんな風に感じられたことが、本書を読んで、最も嬉しかったことでした。

  • 読んでて苦しくて哀しくて怒りに震えました。
    子供達がこれ程までに苦しめられなければいけないのか…。
    親になんてなっちゃいけない人達の子供として産まれただけなのに
    苦しかっただろうなぁ。
    頑張ってたんだろうなぁ。
    だから、三人とも強いって思った。
    三人の結びつきがとんでもなく強い!

    秋雄は生きているだろうと思っていましたが、
    秋雄の告白にはとてもとても驚きました。
    どれ程努力を重ねて弁護士となっても自分の犯した過去からずっと苦しめられていたんだね。
    あんなに大切に大切に思っていたいずみをどうして…どうして…。
    最初藤太は亡くなるんじゃないかって思った。
    でも、何度も何度も読むうちにいや希望を描いているのでは…。
    とっても気になります。

  • 父親が営む居酒屋「まつ」を継ぎ、客とはほとんど口をきかない藤太と、幼なじみで弁護士の秋雄の二人がずっと想いを寄せていた、いづみ。
    中学を卒業以来、音信不通だった秋雄が、小学生の少女を連れて現れた。
    その少女は、ほづみ。いづみの娘だった。

    時代や環境もそうだが、やっぱり子は親を選べない。
    いづみは、藤太との淡い思い出だけを大切に辛い環境を生きてきたのかと思うとやりきれなくなる。
    ほづみが来てから、まつの常連客も、店の中も何より全てに壁を作ってきた藤太が、少しずつ変わっていくのが良かった。
    数年後は、小綺麗になったまつで、忙しく手を動かす藤太と、ハンチングや常連客に、バレエの話を聞かせているほづみが居て欲しい。

  • 大阪で居酒屋を経営する藤太のもとに、中学の同級生である秋雄が少女をつれてきた。その少女の母親は藤太と秋雄の同級生・いづみ。秋雄はいづみを藤太に預けて姿を消す。しかたなくいづみと共同生活をはじめる藤太だが、彼にはいづみに関する哀しい過去があった。
    「多くを望むわけではない。ただ、まともに仕事をしてほしい。酔って子どもを殴らないでほしい。ギャンブルで借金をつくらないでほしい。暴れて傘を折らないでほしい。望むのはそれだけだ。それだけ、ただそれだけでいいのに、そんな望みが叶わない。」

    さびしい話だった。
    結末も、少しだけ光はあるけれどやっぱりさびしい。。。
    あらすじに、「絶望と希望の間で懸命に生きる人間を描く」とある。ほんとその通りといった感じ。登場人物がみんなさびしくて、つらい境遇にあるけれど、それでも一生懸命生きている。

    居酒屋を経営するくたびれた大人になってしまった現在の藤太のパートに、過酷な環境にいるけれどそばには秋雄といづみがいる幼い頃の藤太のパートが挟まれている。
    藤太と秋雄といづみの思い出は、つらいんだけど、それでもキラキラしていて。読んでいて胸がザラザラ(?)、落ち着かない感じがした。
    大人に人生を狂わされてしまった子どもたちの話はつらいし、いろいろ思うところがある。


    「どこかへ逃げることは簡単だ。だが、それは親父が酒に逃げるのと同じだ。なにもかもから逃げて、逃げたことが恥ずかしくて、それをごまかすために俺を殴るのと同じだ。なら、俺は逃げずにここにいてやる。この川の町を新しい世界にしてやる。」

  • 暗い、最初からどことなく暗い。
    なんでこうなるか、救いがない。

    でも止まらなかった。
    先が気になるもんで、なんだかんだで読み続けて、一気に近い感じで終わりました。
    面白いか、面白くないかで言えば面白いんだけど、そうはいえない内容の苦しさ。
    心がじんわりする場面もあるんだよねぇ。

    でも、これは読まんと分からんよねぇ。

  • 予備知識も無く、何となくタイトルに惹かれて手にした本書であるが、哀しみに満ち溢れた何とも言えない余韻を残す、素晴らしいノワール小説であった。

    大阪で鄙びた居酒屋を営む主人公の藤太の元に25年間交流の無かった中学の同級生・秋雄が訪れる。秋雄に同行して来たのは少女・ほづみ…25年間封印してきた少しづつ事実が明らかになり…

    かつて北方謙三の初期のハードボイルド小説、馳星周のノワール小説、或いは天童荒太の小説にも雰囲気が似ている。女性作家だと海野碧が同じような作風の小説を書いているが、海野碧の文体がドライなら、遠田潤子の文体はウェットである。行間から滲み出す絶望と哀しみ、僅かな光が少しづつ物語を盛り上げていく。

    解説によると、この作品は遠田潤子の長編二作目であり、第一作はファンタジー小説だったようである。

  • ここのところ、本を手にとってみてもあまり盛り上がらず挫折していたが、
    久々にヒットだった。

    遠田先生は好みの作風だが、これはなかなか良かった(*^-^*)
    雪の鉄樹ほどではないが、何も分からない状況から物語が始まり、
    次第に全貌が明らかになってくる手法は、そうだと分かっていても期待感が増してくる。

    居酒屋「まつ」を経営する藤太の元へ、中学時代の同級生 秋雄 が少女 ほずみ を連れてくるところから物語が始まっていく。

    秋雄とは誰なのか?何者なのか?ほずみとはどういう子供なのか?
    全く分からないところから物語は少しずつ進んでいく。
    過去の回想、現代、次第に解き明かされていく事実。
    絶望の中でも、希望を見出していく少年。

    痛い描写が苦手な私には、かなり厳しいところもあったが、全体通して飽きることなく読み進められたので★★★★(*^-^*)

    暫く読書スランプだったが、また読みだしてみようかという気にさせてくれた。

  • 藤太とほづみで居酒屋を営んでいく暮らし部分が危なっかしくも微笑ましい。ガラの悪い居酒屋の客たちも ほんとはみんな人生の切なさも哀しさも知っているココロ温かい人たち。
    藤太たちのそれぞれの親や 麻雀仲間の坊主。
    卑劣な消防士とその息子のストーカー。
    ほんとにうんざり。吐きそうになる。
    衝撃の連続だったけど 一番の衝撃は 秋雄の告白かも。愛してた分 深く傷ついて 怒りが衝動的な結果に結びついたのかなぁ。
    いづみはたくさんのひどい目にあったけど 藤太にも秋雄にも深く長く愛され続けた。読むまで気がつかなかったけど 弁護士が言うようにある意味シアワセなのかも。
    藤太を無くしたほづみのこれからを思うと明るい気持ちでは終われない。せめて ほづみを心から大切に思ってくれる人と出会ってほしい。

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著者プロフィール

遠田潤子
1966年大阪府生まれ。2009年「月桃夜」で第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。16年『雪の鉄樹』が「本の雑誌が選ぶ2016年度文庫ベスト10」第1位、2017年『オブリヴィオン』が「本の雑誌が選ぶ2017年度ベスト10」第1位、『冬雷』が第1回未来屋小説大賞を受賞。著書に『銀花の蔵』『人でなしの櫻』など。

「2022年 『イオカステの揺籃』 で使われていた紹介文から引用しています。」

遠田潤子の作品

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