戦争と平和6 (光文社古典新訳文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (568ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334754501

感想・レビュー・書評

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  • 2023年に読みたい本としてブックリストにあげていた「戦争と平和」年末から読み始め、年はまたいだが、やっと読了できた。気になったことなどを書きたいとおもいます。


    他の訳を読んでいないので、比較できないが、かなり読みやすいのではとおもう。
    主要登場人物紹介 (系図)のしおり付きらしいのだが、図書館で借りたのでついてなかった。メモしながら読んだが、1巻の読書ガイドで、主要な登場人物について整理されているのでありがたかった。全巻に読書ガイドがあり、これが親切でありがたい。

    読んでいて一番引っかかったのは、登場人物に一貫性がないように感じられたことだった。ピエールやナターシャ、ニコライ、アンドレイの人物像が掴みにくく読み取れていないのではと不安になった。途中からは、あまり気にせず物語に入って読むことにしたのだが。
    読書ガイドに、ピエールについて「外界に対して開かれた感性の共振型の主人公」との説明があり、これを読んで、なるほどとおもった。そう考えると、右往左往して道を模索する人物像として受け入れられるのか。
    そもそもトルストイが、「人物の思想的一貫性という発想は、この作品にはそぐわない」と書き残しているとのこと。
    個人的には、ボルコンスキー老公爵とデニーソフが活き活きと描かれているように感じられた。

    あと気になったところは、ナターシャとマリヤが深い絆で結ばれた一方で、ソーニャやブリエンヌ(ともに孤児)については、なんだかなと。それぞれの幸せがあり、落ち着くところに落ち着いたということなのか。ソーニャについては、作中でナターシャが自己愛がないのではと言っている。
    そして、アナトールとエレーヌの兄妹。3巻では、めっちゃ恐ろしかった!あの2人だが、あっけなく死んでしまった…

    一番印象に残っているのは、戦況の把握の困難さだろうか。圧倒的な差がない場合の勝敗というのも明確ではなく。味方同士が足を引っ張り合うような混沌としたなかで、そもそも指令など役に立たなかったり。戦場でのピエールの滑稽さも。

    トルストイの歴史観については、正直、読むのがしんどかった。偶然はないし、天才はいない。ナポレオンもアレクサンドルも英雄ではない。それまでの「歴史の虚偽を明かす」トルストイの姿勢というのは、理解できたかなと。宿命論的に受け止めないような注意が必要かなとも。

    「英雄はいない」の逆を、今の現実に照らし合わせて考えてみると、あの人やあの組織さえなければ平和になるのにというふうにはならないというようなことを考えたりもした。

  • 長かった・・。でも、6巻読みきれた。噂通り登場人物が多くて認知症気味の身には苦労させられたが、各巻末にある読書ガイドのお陰で各巻を復習しつつ読み進めることが出来た。感謝。しかし、エピローグの第2編はだらだらとした理屈が繰り返され正直読むのが苦痛だった。

  • 長かった物語もようやく終わりを迎えた。フランス軍は敗北し、生き残ったピエール、ナターシャ、ニコライ、マリヤの結末については読んで確かめてみてください。しかし個人的に印象に残ったのは実は物語の本筋よりも、途中で著者が戦争について、というか戦争にとどまらず歴史論だとか、あげくの果てには宇宙論なんかまで自説をとうとうと述べているところだ。第4巻あたりから徐々にこの形で描かれていたけど、最終巻に至っては分量的に恐らく半分以上、エピローグの第2編に至っては丸々この形式だったので、さすがにこれって小説って呼べるの?と疑問を抱いてしまった。まあ当時としては斬新だったのかもしれないけど、こういうのは物語とは分けて別の作品でやって欲しかったかなあ。
    まあ、なんだかんだ言いつつも、読み応えのあるいい作品だったことは間違いないと思う。いずれ『アンナ・カレーニナ』も読みたいけど、さすがに海外の古典作品はお腹いっぱいだし、当分先になるかなあ。

  • 文学と歴史の板挟みにあった人間がどう手探りしたか,を知る上では参考になる作品だと思う。当時のロシアの貴族社会,フランスとの距離感,ナポレオン戦争の詳細など。

  • 全て読み終えて、自分が読んだ小説の中でほぼ一番となるほど面白かった。
    以下二点がこの物語の印象だ。

    一つは、この対ナポレオン戦争がロシアを防衛する戦闘的な意味での愛国戦争というだけでなく、当時ヨーロッパの文明や文化に支配されつつあった伝統的ロシア自体を取り戻すという象徴的な役割を持った出来事であり、ピエールがその移りゆく様を体現する役割であったということ。
    ロシア的な都市であるモスクワからナポレオンが追われる様子や、エピローグでピエールの語る結社が、この物語の後のロシアの反動的運動へと繋がる。

    もう一つは作者自身の歴史観だ。
    従来の歴史学が扱ってきた一人の意志が歴史を動かすという英雄的歴史観を否定し、より俯瞰的に見れば出来事は長い流れの中で必然であり個人の自由意志ではないと主張する。
    特に、人の行為は自由意志と必然の組み合わせだという記述では、他人であるトルストイと自分の考えとがあまりにぴたりと重なることに驚かされた。
    今は英雄的歴史観で語られる歴史も、更に長い時を経れば個人意志が見えづらくなり必然として語られる、という主張も真実だと思う。

    この巻で、歴史的に英雄視されるナポレオンに対して、歴史的評価の低いクトゥーゾフ将軍をトルストイが称賛しているのは、まさに上記二点によるところだろう。
    ナポレオンが英雄であるという通念を捨てさえすれば、ただ一人でロシア軍の保持という信念を貫いたクトゥーゾフ将軍の一貫性が際立つ、と言う記述は、この戦争の総括に相応しいと感じた。

    構成として、エピローグの後半、小説たる本編の終わったあとで、延々と論文のような作者の主張が続いたのにはやや唖然とした。
    その主張を小説本編を通じて読者に染み込ませるのが、作家の仕事なのでは?とも思う。
    本編の外で直接的な言葉で主張を盛り込んでくる手法に、良くも悪くもトルストイのロシア的な一面を見せられた気分だ。
    手法の洗練よりも本質を伝えることに重きを置き、率直でてらいがない。

    自分としては、お気に入りのキャラクターであるデニーソフが最後まで登場したことに嬉しく感じた。
    思い返せば彼は、全編を通じてことあるごとに役割を与えられてきた。
    最初に登場したときは、洗練された貴族将校の中にあって彼は、方言でラ行が正しく発音できないがそれを気にも留めていないという、明るく豪快なキャラクターで描かれた。
    その後、飢える自部隊の補給のために上司の命令を無視して他部隊から奪い取るという、部下への思慮と権力への反発という人間性を見せ、恩赦を願い出でればアレクサンドル皇帝に「法は世よりも強い」の言葉を言わしめ(現代的な社会制度を重んじたリベラル派の皇帝を象徴するシーンだ)、ナターシャにプロポーズする最初の人物となってその後の物語の伏線を敷き、ニコライを死臭漂う病院へと誘って戦地の病院の窮状を読者に知らしめ、戦争終盤ではパルチザンを率いて戦い、若いペーチャの死を目撃して嗚咽する。
    脇役ながら要所で登場したこのデニーソフという人物が、最後まで人間味あふれる場面を演じるために駆り出されたことも、この物語らしいと感じた。

    最後に。
    この作品を周囲の数人に勧めてみたところ、誰からもその膨大さゆえに着手できない、と言われた(自分もそうだったのでよくわかる)。
    そのような理由で読者を失っていることがあまりに勿体ないため、苦肉の策として、或いはもし今読むことを躊躇っている人の背中を押すためには、私としてはこの光文社版の第6巻を読むだけでもいいのではないかと思う。
    アンドレイとナターシャの物語は、アンドレイが「汝の敵を愛せ」に行き当たるシーンで宗教的美を見ることができたが、それでもなおこの「戦争と平和」の構成には必須でないと感じる。
    また、ナポレオンとアレクサンドル皇帝及びクトゥーゾフ将軍が対戦するこの戦争については勿論必読であるのだが、これは史実であるため、最悪の場合、この作品意外でも知ることができる。
    そうなれば、ピエールの経験を通したロシアのヨーロッパ化から反動に至る展開や、作者の歴史観は、この光文社第6巻に集約されている。
    あとがきによれば、トルストイ自身も、「この作品は個々の部分ごとに出版されても面白みを失わない」と言っているので、有限な時間と精神力の都合上この第6巻だけ読むことは、必ずしも作者への不敬に当たらないだろう。
    人に本を贈るのが好きだが、この「戦争と平和」第6巻も、誰かに贈ってみたくなった。

  • 戦争の愚かさや平和の大切さではなく、私たちが「歴史」と呼んでいるものの正体を暴いて断罪することが目的だったように思える
    宗教に嫌われるのも分かる。科学を盲信してるわけではないけど

  • 最終巻。第4部第3~4編とエピローグ第1~2編を収録。フランス軍との決着、生き残った主人公たちのその後。

    立場が逆転し、逃げるフランス軍と追うロシア軍。戦場ではそれぞれが過酷な状況のなかで、人間の醜さが露呈し、親しい人たちが死んでいく。捕虜に対しての「やっぱし、おんなじ人間なんだな」という言葉が印象深い。

    捕虜生活を通してピエールが得た境地。「話す人」から「聞く人」へ、「誰もがそれぞれの考え方や感じ方やものの見方をする可能性を認め、言葉で人の信念を覆すことの不可能性を認める態度」、「まずやむくもに人々を愛しては、後から愛するに足る疑う余地のない理由を見つけていたという現象」といった変化は、無条件の愛に到達した『悟り』のひとつなのだろう。

    エピローグの1で主人公たちの物語は未来への予感を残して終わる。ここでは恋愛、結婚、家庭といった問題が取り沙汰され、ドラマチックな展開や良妻賢母たちを通して、作者独特の考えが語られ非常に読み応えがある。もっとこの家族たちを見ていたい……名残惜しいラストだった。

    エピローグの2は、トルストイの歴史観が存分に語られる小論。歴史学から「権力とは何か」という考察に移り、自由意志の問題――『自由』か『必然』か――という流れ。小難しい話になってくるので、作中随所で語られるナポレオンへの評価や19世紀初頭のヨーロッパ史を含めて、歴史に関心の高い層でなければややつらいところかも。そこは正直消化不良になりがちだが、全体としてはこれだけの長大な作品にもかかわらず、いずれもう一度読みたいと思わせてくれる傑作だった。

  • 2022/01/26

  • 読了した。思ったよりずっと早く読めたのは、物語が興味深く展開したのと、翻訳が良かったおかげだと思う。大きな達成感を得られた。
    「(正規戦ではない戦い)以前の戦争のいかなる伝統にもそぐわない戦争が始まった。町や村を焼き、幾度か戦っては後退し、ボロジノで打撃を受けてまた後退し、モスクワを放棄して火事を起こし、略奪兵を捕獲し、輸送車を分捕り、パルチザン戦を仕掛け、といったことはすべて、ルールからの逸脱であった」p16
    「人間が幸福でかつ完全に自由であるという状態が存在しない以上、人間が不幸でかつ不自由であるという状態もまた存在しない」p86
    「慣れた道から放り出されると、われわれはもうおしまいだと思いがちですが、そんなときこそようやく新しい、より良いことが始まるんですよ」p231
    「(君主として必要だったこと)正義感、ヨーロッパの出来事への関心、それもつまらぬ利害に目を曇らされていない、距離を置いた関心である。同僚となる当時の君主たちのレベルを超えた、高度な徳を備えていることである。慎み深い魅力的な人格である。ナポレオンへの個人的な恨みである。そしてそのすべてをアレキサンドル一世は備えていた」p277
    「人間の自由をいかに限定しようとも、われわれがその自由の法則に従わない力だと認めた途端に、法則は存在不能になってしまう」p471

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著者プロフィール

一八二八年生まれ。一九一〇年没。一九世紀ロシア文学を代表する作家。「戦争と平和」「アンナ=カレーニナ」等の長編小説を発表。道徳的人道主義を説き、日本文学にも武者小路実らを通して多大な影響を与える。

「2004年 『新版 人生論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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