- Amazon.co.jp ・本 (403ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334754006
感想・レビュー・書評
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アレクサンドル・デュマによる怪奇ロマン中編。
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27歳の作家アレクサンドル・デュマは、狩猟のためにフォントネを訪れていた。
狩りも一段落ついたところでデュマは血塗れの男を目撃する。
男は石切夫のジャックマンと名乗り、市長の家の玄関先で告白する。「俺は自分の女房を殺した。捕まえてくれ」
市長のルドリュは警察官たちと共に現場検証に向かうが、ジャックマンは現場に戻ることを激しく拒絶する。
どうにか現場であるジャックマンの自宅についた一行は、血塗れの地下室で首を切られた女房の遺体を見る。
ただでさえ凄惨な事件だが、殺人犯ジャックマンはさらに恐るべきことを告げる。「斬り落とした女房の首が俺に向かって喋りかけてきたんだ!」
翌日。
デュマは証人としてルドリュ市長の自宅に呼ばれる。その場に集まったのは、警視のクザン、現実主義の医師のロベール、自称不死者の文人エッテイラ、神秘主義者司祭のムール、博物館創始者のルノワール子爵、青白い顔をした美女グレゴリスカ夫人。
彼らの話題はジャックマンの証言のことに。切り落とされた首にはまだ意識があるのか?死んだ人間の意思がこの世に留まることがあるのか?
彼らは一人ひとり、自分が見聞きした不可思議な経験を語ってゆく。
ルドリュ市長
若い頃身を焦がした恋とその悲痛な終わり、しかし死んだ恋人の意思としか思えない不思議な出来事を語る。
ロベール医師
殺人犯に有罪宣告をした判事が、死者が戻ってきたとしか思われない経験をして衰弱していく姿。
ルノワール子爵
フランス革命で暴かれた国王たちの墓。だが王の遺体を侮辱した男はは不思議な人影に招かれて…。
ムール神父
人間には善良な性と邪悪な性がある。死ぬときに人の意識に残るのが前者なら天国に行くし、後者なら地獄に落ちるだろう。ムール神父が、あるならず者の魂を救おうとしてとった行為とは。ならず者の善意は勝ったのか。
エッテイラ
亡夫の遺言を果たすため、その意思に導かれた未亡人の話。
グレゴリスカ夫人
ポーランド出身のグレゴリスカ夫人の家族はロシアからの独立の戦士だった。一族の城に敵が迫り、修道院に匿われに旅に出た彼女は、モルタヴィア領で領主の息子に囚われる。独立、戦争、王家、吸血鬼伝説…。
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物語の背景は、フランス革命も終わったものの、人々の記憶にはまだ新しいという時代だ。登場人物たちの間に、恐怖の時代を共に生き延びたという共有感がある。
処刑方法としてのギロチンについて、一瞬で命を奪うから人道的という理由もある反面、斬られた首が動いたり喋ったりしたという目撃談もたくさんあったらしい。この処刑方法については、作者デュマの熱意を感じるのだが、彼の時代にも議論が交わされていたのだろう。
あとがきに書かれた作者アレクサンドル・デュマの経歴がなんというか…作品よりもドラマチックというか人騒がせというか(苦笑)、やはり面白いものを残す人は本人も強烈なんだなあと思う。
…女性問題も財産問題も色々やらかしてるのに、庶子達が面倒みてくれたって、よくできた子供たちだとも思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とある事件に関わったデュマが、滞在することになった市長の屋敷にいた人たちから、かって体験した不思議な話を次々と聞いてゆく物語です。 デュマの語り口の上手さもあって、どの事件にも引き込まれる魅力がありました。
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殺人の場に偶然居合わせた著者が、出会った市長宅に招かれ、
集った人々から奇怪な体験談を聞くことになる。
短編を枠物語の形式で綴っていく幻想怪奇譚。
年表有り。
「この人殺し!」生首がしゃべったことが発端。
死とは?死体が動くことはありうるのか?
当時の科学の論議から始まり、集った人々が語っていく。
市長ルドリュー・・・ギロチンの犠牲者の怒りと悲しみ。
医師ロベール・・・判事のもとに訪れるのは呪いの産物か?
ルノワール士爵・・・サン=ドニの王墓の事件と亡霊たち。
ムール神父・・・死刑となった盗賊との約束は果たされるのか。
アリエット氏・・・商人の妻が遭遇する不可思議な出来事の数々。
グレゴリスカ夫人・・・敵対する兄弟。弟の死。毎夜訪れる者とは?
デュマ版「百物語」という感じ。
実在の人物や歴史に架空の人物も混ざり、幻想的な印象です。
生首はしゃべり、憤怒し、口づけする。
死体はメダルを守るために抵抗し、呪い、悪しきものに憑依され、
或いは吸血鬼となり邪な想いで夜な夜な訪れる。
と、なかなか怖い話が揃っています。
その時代の歴史的背景(フランス革命や王政復古)、
地理的条件(モルダヴィア等)に思い巡らしながら読むのも、一興。
余談ですが、実在の人物でサン=ドニの王墓の話を語る
アレクサンドル・ルノワールに興味を持ってしまいました。 -
こちら本邦初訳だそうで、古典新訳文庫のありがたみ。デュマ自身が若かりし日に体験した出来事を語る体裁、なおかつ枠物語になっているので(だからタイトルが千夜一夜のパロディ風)短編集としても読めます。
フランス革命を経験した人がまだ存命中の1831年、狩りの途中でフォントネ=オ=ローズ市へ出向いたデュマは、偶然にも殺人を犯した石切り職人の自首の現場に遭遇する。男は妻の首をばっさり切り落とし殺害したが、その妻の首が喋ったという。現場調査に立ち会ったデュマは、そこで市長ルドリュと親しくなり食事に招待される。このルドリュ邸での食事会にて主人と招待客が「死体が生きていた」系の体験談を披露していく。
まずは元医師の市長ルドリュ。「シャルロット・コルデーの頬打ち」で、フランス革命のさなか、マラーを暗殺してギロチンにかけられたシャルロット・コルデーの首が処刑人に頬を打たれて怒りと羞恥で赤く染まったという話を語り、「ソランジュ」「アルベール」では、やはり革命後、身を隠していた貴族の娘ソランジュとのラブストーリーかと思いきや、やっぱり斬首死体の首が・・・という話に。
客の中で唯一、死体の首が喋るなどという妄言は信じない派の医師ロベールが語るのが「猫、執達吏、そして骸骨」死刑囚に死の間際呪いをかけられた裁判官が、他の人間には見えない猫、執達吏、そして骸骨に苦しめられ・・・。語り手のロベール自身はこれをプレッシャーによる幻覚と捉えている。
士爵ルノワール(※アレクサンドル・ルノワール、実在の人物らしい)が語る「サン=ドニの王墓」は、墓を暴かれた王の遺体を侮辱した男が呪われる話。
ムール神父が語る「ラルティファイユ」は、神父のおかげで改心した盗賊ラルティファイユの死体から聖母マリアのメダルを奪おうとした男が死体に逆襲される話なのだけど、宗教がらみながらラストはちょっと感動的な良い話。
自称275才のうさんくさい文士アリエット(別名エッテイラ)が語るのは「髪の腕輪」。死んだ夫の「髪で腕輪を作って身に付けてくれ」という遺言を守るため墓を暴く妻の話し。
ラストを飾るのは謎の青白い美女グレゴリスカ夫人の体験談。ポーランド人貴族の娘だった彼女はロシアとの戦火を逃れるためカルパチア山脈を越え修道院を目指すが、途中のモルダヴィアで山賊の襲撃に合う。助けに入った貴公子はブランコヴェアヌ家の長男グレゴリスカで、山賊の首領はその種違いの弟。城へ連れ帰られた彼女は、弟の執拗な求愛を退け、兄のグレゴリスカと愛を育むが・・・。ラストでまさかの吸血鬼もの!これがいちばんロマンチックで好きでした。
※目次
フォントネ=オ=ローズ市、ディアヌ通り/セルジャン小路/調書/スカロンの家/シャルロット・コルデーの頬打ち/ソランジュ/アルベール/猫、執達吏、そして骸骨/サン=ドニの王墓/ラルティファイユ/髪の腕輪/カルパチア山脈/ブランコヴェアヌの城/ふたりの兄弟/ハンゴー修道院 -
こないだまで見てたドラマで主役のルシファーが「今までさぞひどいことを地獄で行ってきたんだろう恐ろしい!」みたいな一方的な罵りを浴びることがあって「違うよー。本人の罪悪感がリアルになるだけだよー。だからどんな悪人でも罪の意識がない人にとっては地獄は全然恐くないよー」と優しく解りやすく解説する。生きてるうちに罪悪感でびくびくし、現実ではない出来事に対して怖がる。お化け、幽霊、妖怪、そういったものはいると思う人には重要だし、信じない人には存在しないもんで。要するにさ、何が悪魔か、何が悪かを決めるのは自分なんだ。
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1850年頃の連載物。
死がこんなにも身近なものであるその空気感、
時代的な思想や背景描写、宗教観、
うまく出している、見事な訳出でした。
ゾクゾクする怪奇話の連続なはずが、
神父の章ではこころをぐいと掴まれました。
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デュマが偶然居合わせた殺人怪奇事件から物語が発展していく。
物語は事件の解決がテーマではなく、偶然集まった人々が体験したそれぞれの怪奇現象がテーマ。
フランスの時代背景もよくわかり、それぞれの幽霊話も描写が鮮明でどんどん物語に引き込まれ、あっという間に読み終わった。
解説部分もアレクサンドルデュマをもっと知れて興味深かった。 -
デュマが偶然巻き込まれた切断された首が話したと犯人が語る事件が切っ掛けで市長宅に集まった人々がそれぞれ体験した死者の不可解な物語を語る枠物語。
登場人物がそれぞれの語り口で繰り広げる死者たちの物語は幻想的でありつつリアルでもあり、とても魅力的でした。
解説でデュマの放蕩や作品に協力者がおり揉めたこと等々を知り、作品は何作か読みましたが作者自身を知らなかったのだなと思いました。