幸福について (光文社古典新訳文庫 Bシ 1-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (425ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334753696

感想・レビュー・書評

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  • この本は、「どうすれば幸せに生きられるのか?」について考察された本です。
    「その人は何者であるか!」ということが最も大事なことであり、本人の感じ方、内面こそが幸不幸を決めるものですよー❕と書かれています。
    スッと頭に入ってきて、古さを感じないで読めるので、とてもすごい本だと思います。
    ぜひぜひ読んでみて下さい。

  • 考え方が圧倒的に古い。あまりに偉そうなおじいちゃんで最後まで読めなかった。

    「あらゆる人間の中で最も群れたがるのは黒人だと言われるが、かれらは知的な面で断然、劣っている。〜黒人はお互いのだんご鼻の黒い顔をいくら眺めても見飽きない…」

    「食事は空腹な人にのみ、ワインは丈夫な人にのみ、〜、女は若者にのみ役立つ」

    いやいやいやいや…

  •  私たちが何を幸福とし、何を享受するのかということにとって、主観は、客観とは比べものにならないほど重要である。これは、空腹のときは何を食べても美味しいとか、若者が女神のごとく崇める美女が眼前にいても、老人は何とも思わないとかいうことから、天才や聖者の生き方にいたるまで、事々に確証される。(p.19)

     才知あふれる人物はまったく独りぼっちでも、みずからの施策や想像ですばらしく楽しめるが、鈍物は車高や芝居、遠出やダンスパーティーと絶え間なく気分転換しても、地獄の責め苦のごとき退屈をはねのけることができない。(p.20)

     幸福と享楽のあらゆる外的源泉は、その性質上、きわめて不確かであてにならず、はかなく、偶然に左右され、どんなに有利な状況にあっても、たちまち滞ることがある。それどころか、これらの外的資源が常に手元にあるのでないかぎり、こうした事態は避けがたい。(p.48)

     そもそも人間が他者の思惑に価値を置くということ自体、実に不適切かつむ分別である。だから「どんな心の喜びも朗らかさも、自分自身を高く評価できるような比較の相手がいることを基盤にしている」(『市民論』1の5)というホッブズの言葉は、たしかに痛烈ではあるが、適切かもしれない。(p.176)

     孤独は、知的水準の高い人にとって二重の利点がある。第一の利点は、自分自身の身を相手にしていること、第二の利点は、他人と一緒にいないことだ。およそ交際というものがどれほど多くの義務や苦労、危険までも伴うのかを考慮すれば、この第二の利点は高く評価されることだろう。(p.230)

     文体や世帯における新手の愚行を非難するどころか称賛する者は、それを真似する。だからドイツではどんな愚行もたちまち広まる。ドイツ人はたいそう寛容で、これには定評がある。「これくらいの勝手は許してもらって、同じく他人にも許してあげよう」がドイツ人のモットーだ。(p.302)

     知性の優越という特性は、その人物をたいそう孤立させる。知性の優越は嫌われ、憎まれる。その人物にさまざまな血tんをなすりつけ、その口実にする。女性の間では美貌がこれと同じ作用をもたらす。(p.311)

     人生は青少年の立場からすると、果てしなく長い未来に思えるが、老人の立場からすると、たちまち過ぎ去ったように思える。そのため人生とは、最初のオペラグラスの対物レンズを目に当てたときの事物のように見えるが、最後には接眼レンズを目に当てたときのように見える。年をとり、長生きしてようやく、人生がいかに短いかを悟る。ー若いことは、時そのものがたいそうゆっくりと歩むので、人生のはじめの4分の1は、もっとも幸福であるばかりでなく、もっともゆったりと時間の流れる時期でもある。そのために、たくさんの思い出が残る。思い出話をするとなれば、だれもがこの時期について、次の第二・第三の時期を合わせた分よりも多くを語ることができるだろう。そのうえさらに、1年の春と同じように人生の春も、日が長く、ついには手持ち無沙汰となほどだ。1年の秋、人生の秋には、日が短くなるが、澄んだ穏やかな日になる。(pp.359-360)

     年をとればとるほど、それだけ自覚なく生きる。物事は何の印象も残さず、足早に過ぎ去る。ちょうど千回も見た芸術作品が何の感銘も与えないように。しなければならないことはしても、それをしたかどうか、後になると覚えていない。こうして完全に自覚なき状態へと突き進むにつれて、生きるということは、ますます意識にのぼらなくなるため、時の歩みも速度を増す。幼年期にはどんな対象、どんな出来事も目新しくて、何もかも意識にのぼるため、1日がはてしなく長い。これと同じことは旅行中も生じる。だから旅行中の一ヶ月は自宅で過ごす四ヶ月よりも長く思われる。(p.367)

    10歳:水星が支配。抜け目なく雄弁な髪の支配下で多くのことを楽々と学ぶ。
    20歳:金星、すなわち恋の女神ヴィーナスが支配。恋と女性のとりこになる。
    30歳:火星、すなわち軍神マルスが支配。人間は激しく強く大胆で戦闘的で反抗的。
    40歳:4つの小惑星が支配。人間の生き方に幅が出る。
    50歳:木製、すなわち主神ジュピターが支配。若い世代よりも自分の方が優れていると感じている。自分の能力を十分に享受でき、経験や知識も豊かだ。
    60歳:土星が支配。鉛独特の重さ、遅さ、しぶとさが現れる。
    最後:天皇制、すなわち天空の神ウラノスがくる。その名の通り、このとき人は天にいる。
    (pp.384-386)

    • 大野弘紀さん
      素晴らしい。
      とても豊かで、本を読み、何を感じ、何を考え、そして、何を未来に持っていくのか、一冊の本に出会い、気づくプロセスが、ここに。
      ...
      素晴らしい。
      とても豊かで、本を読み、何を感じ、何を考え、そして、何を未来に持っていくのか、一冊の本に出会い、気づくプロセスが、ここに。
      とても純度の高い、豊かな感想文。
      2018/03/27
  • すごく読みやすくて面白かった
    読書が好きな人は共感する部分が多いのではと思う

    人生の質は経験の数ではなく精神的充足の密度で決まると思っているけど、その根底を言語化してくれていて頭の中がスッキリした感覚
    自分含め、皆が周りでなく自分自身を変えることに意識が向けば、少なくとも今より精神的に豊かな世界になるんじゃないかな

    ✏人が直接的に関わり合うのは、みずからが抱く観念や感情や意志活動だけであって、外的な事柄は、そうした観念や感情や意志活動のきっかけをつくることで、その人に影響をおよぼすにすぎないからである。

    ✏現在と現実の客観的半面は運命の手に握られており、それゆえ変化しうる。いっぽう主観的半面はほかならぬ私たち自身であり、それゆえ本質的に変わらない。したがって、ひとりひとりが送る生涯は、外界からいかなる変化が訪れようとも、終始一貫して同じ特色をもち、同一主題をめぐる一連の変奏曲にもたとえられる。

    ✏教育ですら、こうした領分を広げるのに、いくばくかは貢献できても、総じてたいして役に立たない。なぜなら、たとえ青年期に思い違いをすることがあっても、最も高尚で多様性に富み、最も長続きする喜びは、精神的喜びであり、これは主としてもって生まれた力に左右されるからである。

    ✏私たちが何を幸福とし、何を享受するのかということにとって、主観は、客観とは比べものにならないほど重要である。

    ✏空疎な内面、精彩を欠く意識、貧しい知性がかれらを社交へと駆り立てるけれども、類は友を呼ぶため、同類が集まる。みなで一緒に退屈しのぎの歓楽を追い求める。

    ✏なぜなら個性は四六時中、どこまでも彼に寄り添うものであり、彼が体験するすべては個性の色調を帯びるからだ。あらゆる点で、何事につけても、彼はなによりもまず彼自身を享受する。

    ✏だから英語で〈to enjoy oneself〉というのは、きわめて適切な表現だ。たとえば〈He enjoys himself at Paris.〉、つまり「彼はパリを堪能する」のではなく、「彼はパリにいる自分自身を堪能する」のである。

    ✏だから良き事も、悪しき事も、大きな災禍はともかく、人生において何に遭遇し、何がその身にふりかかったのかよりも、本人がそれをどう感じたのかが問題であり、何事も感受力の質と程度が問題となる。

    ✏したがって私たちの幸福にとって、気高い性格、有能な頭脳、楽天的な気質、心根が明るいこと、健康そのものの丈夫な体のような個人的特性にまつわる財宝、つまり「健全なる身体に宿る健全なる精神」が、第一の、最も重要な財宝である。それゆえ私たちは外的財宝や外的名誉よりも、こちらの財宝の維持増進をこころがけるべきだろう。

    ✏ これらすべての中で最も直接的に私たちを幸福にしてくれるのは、心根が明るいことである。

    ✏「客観的に現実にいかなる事態なのか」ではなく、「私たちにとって、いかなる事態なのか、私たちが事態をどう把握したのか」が、私たちを幸福にしたり不幸にしたりするのである。エピクテートスの「事態が人間を不安にするのではなく、事態に対する見解が人間を不安にする」という言葉は、まさにこれを言い表している。

    ✏気質や気分の究極の原因は、明らかに身体の根源的な、それゆえ不変の性質にあり、しかもたいていは多かれ少なかれ、刺激に対する感受力と再生力が正常なバランスを保っているかどうかにある。感受力が異常に大きいと、気分にむらがあり、周期的に過度の陽気さがあらわれたり、憂鬱が基調になったりする。

    ✏美という個人的な長所は、そもそも私たちの幸福に直接的に貢献するわけではなく、単に他人に与える印象を通して間接的に役立つだけなのに、男性においてもたいそう重要性をもつ。

    ✏精神の富が卓越性の域に近づけば近づくほど、退屈が入り込む余地がないからである。

    ✏したがって全体としてみれば、精神が貧弱で、総じて卑俗であればあるほど、群れたがることがわかる。

    ✏だからアリストテレスの「幸福は、自分に満足する人のもの」という言葉は、まことに正しい。

    ✏その人自身が常にそなえているものこそ、年齢の如何にかかわらず、幸福の真の源泉、唯一の永続的な源泉であり続ける。

  • 途中まで。

    小気味よく言い切るなあと思う反面、ちょっと決めつけすぎでは?と思うところも。
    黒人への言及や性的名誉など、当時の社会や文化の影響が色濃く、やはり歴史に残る哲学者と言え、そのようなものからの影響は免れないんだな、と感じた。

  • 俗な幸福論ではない。
    「人は幸福になるために生きている」というのはまやかしだという。
    幸福はむしろ人を弱くする側面もあるという。
    自分だけをよりどころに自分を育て、孤独に耐え、孤独を愛し、不幸の少ない人生を送れ、との主張を、ときにシニカルな(=現実を見据えた)筆致で綴っている。

    女性、人種、ユダヤ人、現代で言う「認知症」などへの考え方が時代錯誤なところはある。しかし、名声、名誉、過度に一般化された国民性、決闘、戦争、保険料、青年期と老年期の役割の違いなどへの言及は今も色あせない鋭さをもっている。

    日記が大事だとさらりと書かれている。

    巻末の解説が素晴らしく、理性を重視したヘーゲル哲学を乗り越えたショーペンハウアー哲学の卓越性について触れられている。

  • こんな物事の表面しか見えない頭の悪い人の書いた本を読む気が全然しなくなって、途中で読むのをやめちゃった。

  • 死ぬよりマシな状態ならいいんだって考えはすごく気を楽にしてくれた。
    周りに与えられた幸せのものさしでなく、自分のものさしで計ること。実はそれでしか本当に自分を幸せにする境地には行けないことをはっきり意識した。

  • 昔の哲学者が書いた、幸福についてのエッセイ。
    なかなか為になる人生訓が述べられている。
    文章が面白く、説得力があった。
    読んだら幸福について考え方が変わる、かも。

  • 幸福について、ショーペンハウワーの切れ味鋭い視点から述べた一冊。訳が読みやすいのと、堅苦しく感じる哲学っぽさは全くない。加えて、物事の本質を突いた内容であり、大変勉強になる。

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