知の越境法 「質問力」を磨く (光文社新書)

著者 :
  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334043599

感想・レビュー・書評

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  • なんとなくタイトルに惹かれて購入。
    池上さんの本はいくつか読んだことがあるので、
    同じような内容も散見された。

    が、

    最後にきて、びっくり。
    不本意な仕事を任された時の心構え。
    「越境」したと思って、がんばる。
    まさに、今の私の状況ではありませんか。

    そうか、読むべくして読んだ本だったのか。
    きっと、この先も「越境」は続く。
    その時に、人間の真価が現れる。
    頑張れ、私。

  • 池上さんが、自らのキャリアを振り返り、いろいろな分野で能動的に知識を身に着け、経験を積んできたことが役に立ったとアドバイスされている一冊。確かに、会社で意にそぐわない仕事をすることになっても、前向きに取り組んでいけば、あとで必ず何かの役に立つ。また、いろんな人とつきあったり、さまざまな分野の本も読むことは、自然と自分ができることの幅を広げてくれる。
    池上さんがおっしゃる越境というのは、好奇心と勇気がベースに必要となるものと思いますが、それらは年をとってくると、徐々に失いがちなものでもありますね。人生100年といわれますが、いつまでも好奇心と勇気を持って、越境していきたいものです。

  • この1冊だけで、幅広い話題にふれることができ、これもまた「知の越境」の1つかもしれないと思う。
    印象に残ったエッセンスは以下。
    ・アウトプットを意識したインプット
    ・日本は1つのことをやり通すことがいいという思想があるが、それが選択肢を狭めている可能性がある
    ・すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなる
    ・質問を抑え込むのは、本人の成長の機会ばかりでなく、周りの人も賢くなる機会を奪う
    ・人をだしに使う質問法
    ・越境の醍醐味(無知の知、未知を知り停滞を破る、共通点を見出す、多数の視点を持つ/自分を相対化)
    特に越境の醍醐味に関して、分野の狭間に橋を架ける発想や、トヨタとメルセデスの話で信頼関係の重要性と売りたいものの周りを演出するという視点は、ぜひ取り入れていきたい。
    直接的に「質問力を磨く」ハウツー本ではないが、質問力を磨くためのマインドは少しわかった気がする。また、何より今の自分のおかれた環境からすると、励まされたのでよかった。

  • 池上さんはNHKに入社してからたくさん受け身の異動してきたそうです。
    その都度必死の独学で乗り越えてきました。

    人生では、さまざまな場面で高い壁に行く手を拒まれることがありますが、真正面の壁を超えるのではなく、真横に移動することで、壁のない道が見つかることもあり、池上さんはそれを「越境」と名付けました。

    また人生の越境ばかりではく、「知の越境」というのもあるはずで、専門分野に閉じこもることなく、さまざまなジャンルにとびこんでいき、いわゆる「専門家」ではない視点から、新しい発見も生まれるはずです、と池上さん。

    個人的には「越境のための質問力を磨く」がすごく良くて、また改めて読みたいです。

  • <目次>
    はじめに
    第1章  「越境する人間」の時代
    第2章  私はこうして越境してきた
    第3章  リベラルアーツは越境を誘う
    第4章  異境へ、未知の人へ
    第5章  「越境」の醍醐味
    第6章  越境のために質問力を磨く
    終章   越境=左遷論

    <内容>
    専門分野のプロは多くいるが、ちょっと越境すると「私は専門外」となってしまう。しかし池上氏は、NHKの記者からキャスター、「こどもニュース」と必然的に越境してきたが、そのたびに自らに課題を課して、自らを磨いてきた結果、現在のような活躍に繋がっている。その過程の話と、「リベラルアーツ」=「越境者」の観点から、スペシャリストよりもゼネラリストをめざせ、と説く。役に立つフレーズが多くちりばめられている、役に立つ本である。

  • 880

    池上彰
    フリージャーナリスト。名城大学教授。1950年、長野県松本市生まれ。慶應義塾大学卒業後、’73年にNHK入局。松江放送局、呉通信部で自治体・警察・裁判所・日銀支店を担当し、地方において国家・社会の縮図を見る。’79年より東京に移り、社会部で警視庁・気象庁・文部省・宮内庁を担当。’94年より、「週刊こどもニュース」のキャスター(お父さん役)として国民的人気を得る。2005年よりフリーに。名城大学のほかに、東京工業大学、立教大学、愛知学院大学、信州大学、日本大学、順天堂大学で教鞭を執る


    日本では何か一つのことに一生を捧げたとか、脇目も振らずに一つのことに 邁進 した人とかを高く評価する傾向があります。その一方、あちこちと手を出した人間は、浮気性の人間、腰の軽い人間として冷たくあしらわれ、なにかと肩身が狭い。

    彼には特派員、軍人、国会議員、首相、演説家、画家、作家などの経歴があります。首相退任後はノーベル文学賞を受賞しています。まさしく〝越境〟に生きた人といえます。彼の活動の〝エネルギー保存の法則〟はふるっていて、「座れるときは決して立ってはいけない。横になれるときは決して座ってはいけない」と語っています。人を食った彼の一面がよく表れています。

    弱点と思われたことが実は強みだった、ということはよくあることで、私はその専門性のなさ=幅広く何でも知っている、というのが他人と違うところではないか、と気がつきました。

    その間、突然に「NHK特集」(現在のNHKスペシャル)でエイズ問題を取材したり、教育問題を担当したり。それがきっかけとなって、文部省(現在の文部科学省)の記者クラブに配属となり、いじめ問題や教育改革、大学入試制度改革などを取材しました。さらに昭和の終わりには宮内庁も担当しました。私の仕事の歴史は、さながら越境の歴史です。

    私のトランプ観は次のようなものです。私はトランプの自伝やワシントンポスト取材班によるトランプについての本などを読み、2016年に行われたアメリカでの予備選挙の取材も重ねながら、「ディール(交渉、取引)の人」だという印象を強くしました。交渉、取引を中心に考えるビジネスマンが大統領職に就いた、という判断です。

    私はいまアメリカを題材にテレビなどで解説することも多くなりました。そこには、『そうだったのか! アメリカ』を執筆した経験が生きています。こちらの主要参考文献のリストは146冊です。  多様なアメリカをどう一冊の本にまとめるか。次々に読んでいくと、アメリカの宗教大国の一面が見えてきます。アメリカはキリスト教徒が建国しました。その歴史が、いまのアメリカの性格を規定しています。  アメリカで頻発する銃の乱射事件。銃規制がなぜ進まないのか。これも歴史を見ることで、アメリカが「銃を持つ自由」を大切にしてきたことが分かります。

    ここでも膨大な書籍と格闘しました。そこで知ったこと。それは、どの分野にも「 種本」の存在があるということです。同じテーマを扱った本を読んでいると、どの本にも必ずと言っていいほど引用される文献があることに気づきます。たいていの本はそれを参考に書かれているのです。それをピンポイントで見つけられるようになると、狙ったテーマに迫るスピードが格段に早くなります。後年、立花隆氏の本を読んでいたら、同じことが書かれていて、嬉しくなったのを覚えています。

    企業コンサルタントも仕事の依頼があると、関連本を読み漁るそうです。彼らには流通、金融、不動産、製造業、とさまざまな業種の会社から相談が持ち込まれます。その業界で何が起きていて、問題は何で、これからどういう方向性が考えられるか、数冊の本を買い込んできて、下準備をしたうえで相手とのミーティングに向かうそうです。短期間で課題を見つけるには、やはり定番の本に当たるのが近道だと言います。

    書く本のテーマの切り口に思い至らず、書店の中をブラブラ歩いていると、向こうから本が呼びかけてくることがあります(思わぬ越境です)。数多い本の中で、そこだけ光っているのです。手に取ってみれば、次に私が取り組むべきテーマであることが分かります。こうした幸運の巡り合わせを「セレンディピティ」と言います。私にすればありがたい現象です。向こうからテーマが飛び込んでくるのですから。

    さまざまな参考文献を読み解いても、自分の身につくかどうかは別問題です。そこで気づいたノウハウとは、「アウトプットを意識したインプット」でした。

    他人に説明できるまでに「理解できた」と言えるようになるためには、自分が学んだり見聞きしたりした内容をどう相手に伝えるかを常に意識することが重要です。

    たとえば、北朝鮮の国名は「朝鮮民主主義人民共和国」です。実に悪い冗談です。「民主主義」でも「人民」のものでも「共和国」でもないというのが実態だからです。  もしその国が民主主義の国であれば、わざわざ「民主主義」と名乗るでしょうか。民主主義の国ではないからこそ、「我が国は民主主義の国です」とアピールしたいのでしょう。「共和国」とは、人々の選挙で選ばれた人が政治をする体制のこと。王政ではない、という意味です。でも、北朝鮮のトップは 金正日 にしても 金 正 恩 にしても世襲です。

    おかしな話ですが、「共和国」と名乗っている以上、「リーダーは選挙で選ばれた」という形式が必要になります。そこで、北朝鮮でも「選挙」はあるのです。

    この国では、共産党から指名された人が全国人民代表大会に出席し、共産党の方針に賛成する、という形をとっています。「共産党は全人民から支持されている」という虚構があるからです。

    「知の越境」の醍醐味は、自分の知らないことに出合うことですが、こちらに「核」のようなものがあったほうが、一層、越境は面白くなります。自分にとっての新しい世界に接したときの化学反応がより大きくなるからです。  その核とは私の場合、経済学と現代史だろうと思います。経済は大学での専攻だったことと、その後に勉強した蓄積もあって、自分の拠り所の一つになっている気がします。

     私がマスコミの世界に魅せられたのは、小学6年生のときでした。一冊の本との出合いがきっかけです。『地方記者〈続〉』(朝日新聞)というタイトルの本でした。家の近くには小さな地元書店が2店あり、読書好きだった私は、その両方にしょっちゅう顔を出していました。その1店で見つけたのが、この本でした。当初は『地方記者』が出版され、評判が良かったので続編が出たのでしょうが、私が手に取ったのは続編のほうでした。後に『地方記者』も手に入れて読みましたが、続編のほうがはるかに面白かったのです。不思議なものですね。

     NHKでの初任地は松江放送局でした。この配属を「左遷」と受け止めている人がいるようですが、大きな誤解です。NHKに入ると、全員が地方の放送局に配属になるからです。所帯の小さな放送局で、ありとあらゆることを体験することで成長させる。こうした方針だからです。これは全国紙も同じこと。全国各地の支局に配属されます。新聞社の支局ですと、支局長以下数人しか記者がいないというところが多いのです。

     NHKに入ったばかりのころに読んだ本が、自分の目標を定めることになりました。扇谷正造氏の『諸君!名刺で仕事をするな』という本でした。扇谷氏は朝日新聞時代、『週刊朝日』を100万部の大台にのせた名編集者です。会社に入って名刺を持つと、その肩書でいろんな人に会えるようになる。しかし、それは、お前が評価されているからではない。相手はお前が所属する会社の名前に敬意を払っているのだ、というわけです。

     松江も呉ものんびりしたところ。殺人事件など滅多に起きません。起きても喧嘩が原因だったりして、容疑者はすぐに逮捕。捜査本部ができるようなことはありません。ところが、警視庁管内は違います。捜査本部がいくつもあり、一つの事件が解決しても、また次の事件が起きるという繰り返しです。

     次に、私が長澤さんに提案したのが現代史の本です。「週刊こどもニュース」を担当したところ、第二次世界大戦後の現代史をいかに多くの人が知らないかを痛感することになります。日本の高校では、日本史も世界史も、第二次世界大戦あたりで時間切れ。大学入試でも出ないので、多くの受験生は勉強する必要がありません。  ところが、日々の世界のニュースでは、現代史の知識が必須です。それを身に染みて知ったのは、1996年の台湾総統選挙のときです。第1章で触れたように李登輝総統が、それまで間接選挙だった総統の選出を住民投票で行うと決めたところ、これが「台湾独立」につながるのではないかと恐れた中国が露骨な脅し戦略を取り、台湾周辺でミサイル発射訓練や上陸演習を開始します。これがニュースになったところ、「こどもニュース」のスタッフの一人が、「なんで中国と台湾は仲が悪いんですか」と聞くではありませんか。  愕然としたまさにそのころ、朝日新聞のベテラン記者が、「若い記者から中国と台湾はなぜ仲が悪いのかと聞かれて驚いた」というコラムを書いていました。  そうか、NHKも朝日新聞も同じなのか。ここにニーズがある。視聴者も読者も、勉強してこなかった現代史のことを知りたいのだ、と確信しました。

     その後、『そうだったのか!日本現代史』『そうだったのか!現代史パート2』と続きます。パート2を書くときには、夏休みを利用して自腹でベトナム、ラオスに取材に行きました。  シリーズは現代史に限らず、『そうだったのか!アメリカ』『そうだったのか!中国』と国別版に発展します。中国・北京で日本人留学生たちに会ったときに、全員が『そうだったのか!中国』を持っていたのには感激しました。この一連の書籍は集英社文庫となって、いまも版を重ねています。

     また、私が特に注目したのがウクライナでした。旧ソ連からウクライナが独立したことで、クリミア半島はウクライナのものになりますが、クリミア半島にあったソ連の海軍基地は、ロシア海軍基地とウクライナ海軍基地に分割されます。ロシアが、これで満足するはずはない。いずれロシアとウクライナの間で紛争に発展する。そう睨んで、クリミア半島にも出かけました。

     さらにアメリカではオフのとき、いつもとは違う筋肉を使うことが奨励されるそうです。つまり野球選手であれば、それ以外のテニスや水泳などをやるわけです。日本ではオフに自主トレに入っても、相変わらず野球の練習をしています。  オフでの筋肉の使い方とリタイア後の人生選択に、同じ思想を感じます。どちらも考え方が柔軟で自在なのです。別項でも触れましたが、日本には一つのことをやり通すことがいい、という牢固とした思想があります。それがスポーツであろうと、人生という長いスパンであろうと、われわれの選択肢を狭めている可能性があります。この本のテーマで言えば、日本はいろいろな意味で越境のしにくい国だということです。

     リベラルアーツという言葉を聞いたことがあると思います。これは専門の世界に入る前に、いろいろなことを横断的に(越境的に!)身につける学問のあり方を言います。東京工業大学で同僚だった上田紀行教授(現在は東工大リベラルアーツ研究教育院長)は、「リベラルアーツは人を自由(リベラル)にする」と言っています。また、リベラルアーツはいろいろな知を 相 渉 る、という意味でも、越境です。

     文科省の通知に反発したのは学者たちばかりではありませんでした。経団連も9月になって、「国立大学改革に関する考え方」を発表しました。以下のように述べています。 〈今回の通知は即戦力を有する人材を求める産業界の意向を受けたものであるとの見方があるが、産業界の求める人材像は、その対極にある。かねてより経団連は、数次にわたる提言において、理系・文系を問わず、基礎的な体力、公徳心に加え、幅広い教養、課題発見・解決力、外国語によるコミュニケーション能力、自らの考えや意見を論理的に発信する力などは欠くことができないと訴えている。(中略)理工系専攻であっても、人文社会科学を含む幅広い分野の科目を学ぶことや、人文社会科学系専攻であっても、先端技術に深い関心を持ち、理数系の基礎的知識を身につけることも必要である〉

     小澤正直教授は、実は東工大出身。東工大で情報科学を学びながらも哲学に惹かれ、東工大の哲学の吉田夏彦先生の研究室に入り浸って、哲学を学んだそうです。それが、彼の着想を豊かなものにしました。量子力学を研究する上で哲学的思考が大いに役立ったというのです。  一見、すぐには役に立たないかに見える哲学が、やがて量子力学を発展させることに役立つ。「すぐに役に立たない」ことは、「いずれ役に立つ」のです。  第二次世界大戦後、湯川秀樹博士が中間子論でノーベル物理学賞をとったのは、基礎に中国古典、漢文の素養があったからではないかと外山滋比古氏は指摘します。湯川博士の弟の 環 樹 氏は中国文学の大家でした。

    何かの役に立つと思って研究をしていたわけではない、ともおっしゃっています。画期的な学問とは、そういう中から生まれてくるもので、目的や成果に縛られて出てくるものではない、科学の真理を追究していただけだ、と言います。

     文科省から研究予算をもらうには、その目的や成果をうたう必要があります。そういう短期目標の学問や研究ばかりしていると、世界を変えるような大きなことはできない、というのが大隅先生のおっしゃりたいことだと思います。

     大隅先生の危機感が深いのは、彼の発見は何十年も前になされたものだからです。言ってみれば、過去の遺産が生んだ業績ということができます。その後、日本は科学研究の発展のために十分な資金を出していないではないか、という憤りが大隅氏にはあります。  いま研究者に多額の研究費を出しているのは中国です。だから、あと 20 年後、 30 年後は毎年ノーベル賞を取るのは中国人ばかりになるかもしれない、と言われています。  なんと大隅先生は、今回のノーベル賞の賞金1億円をそのまま東工大に寄付しています。東工大の若手研究者で、生活的に苦しい人に奨学金を出そうという狙いです。窮余の策という感じがします。

     あまりに革新的な研究は、年数が経たないと真価が分かりません。過去に、これはすごい成果だということで賞をあげたところ、間違いだったことが分かったというケースがあるので、審査するほうは慎重になります。だいたい純粋理論のようなものは、現実に証明されないかぎり、本物かどうか分かりません。

     同じ理屈で、名古屋大学の研究グループが、エジプトのピラミッドを通過するミュー粒子を観測し、ピラミッドの中に未知の空間があることを突き止めました。  何の役にも立ちません、と思って研究していたら、ほかのどこかで役に立ってしまった、というわけです。科学の世界にはこういうことがよくあります。  まったく新しいがん治療薬として脚光を浴びているオプジーボの開発者 本 庶 佑 氏も、同趣旨のことをおっしゃっています。専門分野においては研究の目標すら見えなくなりがちだし、ブレークスルーは狙ってできるものではないと言います。「特に生命科学では、ある分野で分かったことが考えもしなかった分野とつながって重要な意味を持ってくる」とも。まるで越境論です。

     ところが意外なことに、アメリカの有名大学になると、日本では排除されつつあるリベラルアーツが大変重視されていることに気づきます。

     ところが、今度は学生を受け入れる企業側が文句を言い出しました。教養や常識のない新入社員が増えた、というのです。ちょうどオウム真理教に大勢の理工系の学生や卒業生が入信していたことも分かったころのことです。しっかりした教養があればそういうこともなかったのではという反省もあって、文部省の中央教育審議会が2002年、教養教育重視を再び掲げました。  それがまたここに来て、一般教養批判が文科省から出されたわけです。教育は国家百年の計と言います。こうネコの目のように方針が変わるようでは、いい人材など育ちようがありません。

     2014年、東工大の同僚だった上田紀行教授と一緒にアメリカのハーバード大学、MIT(マサチューセッツ工科大学)、ウェルズリー大学を視察したときのことです。  MITは世界トップレベルの理工系大学。ところが意外にも音楽教育が充実していて、ピアノのある音楽教室がずらっと並んでいました。MITには音楽のできる学生が多いと言います。  前述したリベラルアーツの七科に「音楽」が入っていたことを覚えておられると思います。音楽は数学的な構造を持つものだと言われます。理系の学生と相性がいいのも、何となく分かる気がします。

     ボストンにあるエリート女子大のウェルズリー大学は、ヒラリー・クリントン、マデレーン・オルブライト(クリントン政権時の国務長官)などが輩出した名門のリベラルアーツの大学です。ここでは経済学は学ぶものの、経営学は教えないそうです。理由は「役に立ちすぎるから」。  これには驚きました。経済学は人間を知るためには大事な学問ですが、経営学は役に立つ分、すぐに陳腐化する。そうした実学は「ビジネススクールで学べばいい」という考え方なのだそうです。

     フランスの大学入学資格試験には「哲学」が出題されます。たとえば「不可能を望むことは不条理であるか?」といった試験問題に4時間もかけて答えるのです。  フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、こうした試験を通ってきたのです。およそ哲学のことなど考えたこともなさそうな日本の政治家たち。議論で太刀打ちできるのでしょうか。

     リベラルアーツを学ぶ意味は、短期的な成果を追わず、人間としての成長を目指すということです。すぐには専門を学ばず、さまざまな学問を越境して学ぶということです。皮肉にも、そのためのゆとりをもたらそうと始まった「ゆとり教育」は、見当違いの批判を受けてしぼんでしまいました。 「ゆとり教育批判」が始まったのは、OECD(経済協力開発機構)が3年おきに実施しているPISA(学習到達度調査)の順位が下がったことがきっかけでした。  PISAには世界各国から 15 歳の生徒が参加し、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーのそれぞれについて、出された問題への解答結果から達成度を測ります。PISAは詰め込みの知識を問うのではなく、「義務教育修了段階の 15 歳児の生徒が持っている知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかを評価」するものです。  日本が参加した2000年には日本の成績は世界トップレベルでしたが、2003年、2006年と、日本の生徒の成績が下がったことから、PISAショックとも言うべきものが日本の教育界に走りました。「ゆとり教育のせいで学力が下がった」と言われたのです。  その後、2009年、2012年と日本の成績は向上。「ゆとり教育を止めた成果だ」と評されました。  本当にそうでしょうか。  実は2003年、2006年と順位が下がった主な理由は、参加国が増えたからです。2000年に日本の成績が良かったときに参加していなかったシンガポールや香港が新たに参加したことで順位が下がったのです。点数を見ると、日本はこれまでと比べて特に下がったわけではありません。順位だけを見て、「学力が下がった」とマスコミが騒いだのです。その報道を受けて政治家たちも、「ゆとり教育は間違いだった」と言い出しました。  しかし、「ゆとり教育」とPISAの成績の因果関係を見ると、事態は逆…

     実に皮肉なことですが、「ゆとり教育」を受けたこどもたちが、最近の高順位を獲得しているのです。  さらに、このところスポーツや音楽など世界で活躍するようになった若者たちは、いわゆる「ゆとり世代」です。学校教育のカリキュラムに余裕が生まれ、さまざまな活動ができるようになった成果が花開いているとも考えられます。  ちなみに「ゆとり教育」で一番大きな誤解は、円周率を3・14ではなく、切りのいい3で教えるようになった、というものです。  実際は、ゆとり教育になっても円周率3・14はそのまま教えられていたのです。ただし、小数点の計算を習う前に円の面積や円周の計算をするときは3で計算していい、となっただけです。3・14はあとで教えることになったのです。  ある学習塾がここに目をつけ、「3・14が3になる」「さよなら台形君」という一大キャンペーンを打ちました。そこには、公立中学に行くと3・14を教えなくなりますよ、ちゃんと受験勉強して私立に行きましょう、というメッセージをほのめかすことで塾生を獲得する狙いがあったのです。

     いまいる場所から旅に出る。まさに別の場所への越境です。越境してこそ見えてくるものがあります。フリーランスになって以降、世界各地に足を運び、ニュースの現場、現代史の現場に立つことで見えてきたものがあります。新たな着想を得たこともありました。そんな物理的な越境から見えてくる世界の様子を考えてみましょう。

     いま世界では、難民および国内避難民をあわせると約6500万人いると言われています。難民とは、国外に出た人で、家を追われながらも国内に留まっている人が国内避難民です。シリアの難民は490万人、国内避難民が660万人で、シリア国民の2人に1人は住む家を追われています。  難民の現状を知ってもらうには、どこがいいか。そこで注目したのがハンガリーの右派政権の対応です。大量の難民を受け入れたくないということで高い壁を作ったのです(どこかの大統領のことを思い出す人もいるでしょう)。

    現地でまず気づくのは、難民キャンプにいるのは女性やこどもたちだということです。男たちは難民キャンプに近寄らず、市街地にいます。難民キャンプに入ると、セルビアで難民申請をしたことになるからです。セルビアで難民認定を受けると、セルビアに定住することになりますが、難民たちは、貧しいセルビアではなく、豊かなドイツに行きたいのです。  家族で逃げてきた難民たちは、妻やこどもたちを難民キャンプに入れ、自分たちは単身でもドイツ入りを目指す。ドイツで難民として認定されたら定住でき、それから家族を呼び寄せる、というわけです。  だから、男たちはホームレスのように公園に 屯 しています。こうした事情は現地に行ってみないと分かりません。

    旧ユーゴスラビア連邦は第二次大戦後、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国が集まってできました。それぞれの共和国は民族別に形成されましたが、ボスニア・ヘルツェゴビナだけは、多様な民族が暮らしていたのです。

     取材の仕方には、ざっくり分けて「帰納法」と「演繹法」があると思います。帰納法とは、調査・研究対象を数多く調べることで、ある特徴を見つけ出す手法です。演繹法は、あらかじめ立てた仮説が正しいかどうかを検証する方法です。  これを取材にあてはめると、帰納法は、とりあえず現地に行って、徹底的に調べることで、自分なりのテーマやストーリーを見つけ出す手法です。行きあたりばったりのところがあるので、幸運の女神がほほえめば実りの大きい取材になりますが、そうでないと、まとまりのないものになりかねません。テレビの取材で放送局に戻り、撮影してきた映像を見た上司が、「何が言いたいんだ」と怒り出すようなものになってしまう危険があります。

     この〝ゆるやかな演繹法〟というのは、実は応用範囲が広いのです。狙いは定めておくものの、そこで発生する偶然の果実は取りこぼさない。事前にものを調べておくというのは、仕事のいろはです。しかし、ただ思い描いた通りのものを持って帰ってくるだけでは、発展がありません。見知らぬ何か、予想もしなかった何かを掴んでこそ、事前準備は生きたことになるのです。  当然、知の越境の場合も、〝ゆるやかな演繹法〟というのは不可欠な方法論です。旅に出る前に念入りに調べ、それをそっくり現地でなぞって帰ってきても、旅とは言えません。未知のものに触れていないからです。  しかしながら、無計画で出かけても、収穫はおぼつかない。こう書くと難しく感じるかもしれませんが、経験を積んでくると、 たがのゆるめ方が分かってきます。そのためにも、常に心を自由に、外に開いておくことが大事になってきます。

    越境して見知らぬ土地に行くと、目に入るものすべてが新鮮に映ります。初めての土地は新しい発見ばかりです。  しかし驚くことに、異境の地で、時にデジャヴュに襲われることがあります。デジャヴュとは「既視感」。「どこかで見たぞ」という感覚です。異境で日本を、あるいはふるさとを見るのです。これも越境の一つの楽しみなのです。

     かくしてゲオルギウスは、見事に竜を倒します。これをきっかけに、村人たちはキリスト教に改宗したというのです。  あれっ、これって、どこかで聞いた話ではないか。そうです、日本の 八岐大蛇 の神話とそっくりなのです。退治したあと、大蛇の腹から出てきたのが草薙の剣。それが天皇家の三種の神器の一つです。  キリスト教圏では、「ゲオルギウスの竜退治」をモチーフにした絵画やレリーフをよく見かけます。馬に 跨った騎士が槍で竜を刺し殺している構図です。この騎士が聖ゲオルギウスなのです。ここからゲオルギウスの国というので、ロシア語読みしてグルジアになったというわけです。  異国の地へ行こうと調べ物をしていて、そこに「日本」の神話を見る。これもまたはるかな越境です。

     それぞれの時代に「知の巨人」と呼ばれる人がいます。かつては 南方熊楠 がいました。慶応年間から昭和にかけて生きた南方熊楠の肩書を何とするか迷ってしまいます。博物学者ということでしょうか。生物学者としては粘菌の研究で知られる一方、人類学・考古学・宗教学まで手を伸ばし、とりわけ民俗学では 嚆矢 となる研究を進めました。  世界各国の言葉を学んだばかりでなく、漢文の素養も備えていました。まさに彼こそ「越境」の人でしょう。

     私の学生時代から社会人の駆け出しのころは、立花隆氏が私にとっての「知の巨人」でした。立花氏は「田中角栄研究」で田中角栄首相の退陣のきっかけを作ったことで知られていますが、興味・関心のテーマは驚くべき広さです。扱ったテーマを挙げていくだけでも、その〝越境力〟の強さに目が 眩んできます。田中角栄、エントロピー、医療、生物学、共産党、新左翼、臨死体験、神秘体験、宇宙、農協、東大、読書論などです。『アメリカ性革命報告』というものまであります。

     そして、いまの私にとっては、それは佐藤優氏ということになります。神学とマルクスとインテリジェンスと外交経験に裏打ちされた論考には、いつも引き込まれます。

     彼は埼玉県の浦和高校のときにマルクスに惹かれ、無神論を究めたいと考えつきます。いろいろな大学の神学部に問い合わせたそうですが、相手にされません。それは当然ですね。キリスト教の神学部がわざわざキリスト教を否定しに来る人間を受け入れることはないでしょう。  しかし、同志社大学の神学部だけは面白いと言ってくれたそうです。そこで彼はクリスチャンになります。無神論を探求しようとしてキリスト教徒になったのです。この個人の遍歴からして面白いのですが、とりわけ彼の読書量を圧倒的なものにしたのは、「国策捜査」で東京地検特捜部に逮捕され、東京拘置所に入っていた経験です。さまざまな分野の古典をノートを取りながら学習したことが、彼の学識の基礎となっています。  彼にとっては不幸な経験でしたが、それがいまの彼を養成したのですから、人生は分からないものです。

     私が若いころ、むさぼり読んだのがNHKの先輩にあたる柳田邦男氏の著作です。最近は東日本大震災の原発事故関連の本を出しています。福島第一原発の政府事故調査委員会の委員も務めました。

     いま歴史が大流行と言っていい状況です。地味な「応仁の乱」を扱った同題の本がベストセラーになりました。先行現象としては、山川出版社の『もういちど読む山川世界史』の大ヒットがあります。

     私は雑誌の連載インタビューで、読書家の経営者に会っていましたが、日本生命のOBは大変な読書量の方ばかりです。地方勤務では、土日はひたすら本を読んでいたと言います。出口さんもそういう環境で歴史研究の研鑚を積んだということでしょう。  先に、読者は歴史と現代を結びつけて読んでいるのではないか、と書きましたが、その火付け役は 塩 野 七生 氏ではないでしょうか。

    あとは、スタンが付く国名シリーズがあります。カザフスタン、トルクメニスタン……どうしてスタンなのだろうと調べると、ペルシャ語で何々人の土地とか何々人の国とかいう意味だということが分かります。ウズベキスタンはウズベク人の国、アフガニスタンはアフガン人の国、トルクメニスタンはトルクメン人の国ということです。では、パキスタンはパキ人の国かというと、これはそうではないのが面白いところです。  イギリスの支配下にあったインドとイギリス領インドが独立を果たすときに、イスラム教徒だけの国をつくったのがパキスタンで、国名はパキスタン・イスラム共和国と言います。  国名を決めるのに一般募集したところ、パンジャブ州のP、アフガンのA、カシミールのKにスタンを付けて、パキスタンになりました。パキスタンは現地語で清浄なる国という意味にもなるので、これはいい、というわけです。  パキスタンが独立するとき、インドの西部と東部にイスラム教徒が多かったので、西側を西パキスタン、東側のベンガル地方を東パキスタンとして、インドを挟んで離れた土地がパキスタンとして一緒になりました。  ただし、国名にベンガルは反映されませんでした。やがて東パキスタンの独立運動が起き、バングラデシュとなります。これは「ベンガル人の国」という意味です。建国当初から西パキスタン主導だったことが分かります。国名に「ベンガル」を入れる配慮があれば、その後の歴史は変わったかもしれません。

     自民党はこの施策を応用し、次は持ち家対策を進めます。国民がマイホームを持てるように、住宅ローンなどを組みやすくする。長期のローンを組んだ人は、いまの体制が続いてくれないと困ります。そういうことで、マイホームを持った人たちは自民党支持に変わっていきます。  持ちものが増えれば保守化するというのは、南スーダンの平和構築と似ています。

    『共産党宣言』に、労働者は自分を縛り付ける鉄鎖以外に失うものがない、と書かれています。まさにこういう存在は強い。しかし、その空っぽの手に、いろいろと握らせると、次第におとなしくなっていくというわけです。

    たとえば、先の保守化の問題を「責任」の問題として読み替えることも可能です。保守化することで、事を荒立てないようにしよう、社会的な問題を見て見ぬふりをしようという心理が働きます。つまり、「社会的な責任」の意識が低くなっていきます。  交通事故を目撃したときの対処法を考えてみます。誰かが車にはねられて怪我をしたとします。とっさに駆けつけると、周りにも人が集まってきます。あなたがただ「誰か110番して!」と叫んでも、人は動きません。ほかの誰かがやるだろうと思ってしまうからです。

     しかし現実には、ビジネスパーソンにとって「自発の越境」と「受け身の越境」のどちらが多いかというと、圧倒的に後者ではないかと思うのです。その最たるものが「左遷」ではないでしょうか。本人の意思に反して、別の場所に置かれるわけです。  そこで、「左遷」などと受け止めないで、「越境」だと考えたらどうか、と提案したいのです。会社から越境させてもらった、とポジティブに考えてはどうか、と思うのです。左遷されなければ絶対に経験できなかったところに行けるわけです。そこで思いも寄らないことを経験することにより、自分が成長できて、業績を残せば、またもとに、あるいは本流に戻れる可能性が出てくるのです。

    『それでも社長になりました』(日本経済新聞社編、日経ビジネス人文庫)という本には、会社で挫折を味わった人ばかりが登場します。自分は会社に必要とされていないのではないかと落ち込んだ人、 40 歳の働き盛りに窓際に追いやられた人、同僚に比べて格段に遅い出世を強いられた人、会社に行きたくないと思い悩んだ人――これがみんな一流企業の社長さんたちなのです。

     人事というのは、他人がよく見ているものです。本人が「左遷」だと思い込んで腐ってしまうと、「その程度の人間なのだ」と判断されてしまいます。先がなくなります。  一方、めげることなく新しい仕事に取り組むと、再評価され、本社に復帰というのも、よくあるパターンです。  人生では、さまざまな場面で高い壁に行く手を阻まれることがあります。そんなとき、真正面の壁を越えるのではなく、真横に移動することで、壁のない道が見つかることもあります。これを私は「越境」と名付けました。

  • S図書館
    切り口を「越境」に変えているが「伝える力」とかぶっている
    内容はほぼ自伝だ
    越境という言葉は、出版社と考えたと、あとがきにあった

    《流れ、抜粋》
    池上氏はNHKでの担当が、県警、検察庁、裁判所、日銀、社会部、週刊こどもニュースを経て、わかりやすく伝えるという技術を身につけた
    解説委員の夢があったが、専門性がないと指摘され、54才でNHKを退社しフリージャーナリストになった

    22 その人の話す意味を翻訳できる、いい質問ができるという経験が増えるほどに自信がついていきます
    それは越境の自信です
    26 同じテーマを扱った本を読んでいると、どの本にも必ずと言っていいほど引用される文献があることに気づく
    26書く本のテーマの切り口に思い至らず、書店の中を歩いていると、向こうから本が呼びかけてくることがあります
    こうした幸運の巡り合わせをセレンディピティと言います
    「思考の整理学」の大ベストセラーを持つ外山滋比古氏は セレンディピティを思いがけないことを発見する能力と説明しています

    一人で仕事をしていくのにアジア情勢と金融論が弱いと感じた
    社会人向け夜間コース、拓殖大、慶応で受講
    自費でウクライナに行った
    クリミア半島にあったソ連の海軍基地は、ロシア海軍基地とウクライナ海軍基地に分割される
    ロシアがこれで満足するはずがない
    紛争に発展すると睨んでクリミア半島にも出かけた
    2008年集英社の「大衝突」にまとまった
    2014年紛争

  • 知の越境法~「質問力」を磨く~ (光文社新書) 2018/6/20

    知らないことを知って、停滞を破る
    2018年12月14日記述

    池上彰氏による著作。
    2018年6月20日初版1刷発行。
    帯に左遷云々と書かれている。
    しかし池上氏の経歴を見る限り左遷とは思えないが・・・
    その辺りは方便のように感じた。
    組織人である以上、何らかの人事異動は誰にとっても
    発生するものに違いない。
    はじめにに書かれているのだが、
    「自分にとって異なる文化と接すること。
    自分が所属している組織に異質な存在を送り込むこと。
    それによって多様性を生み出すこと。
    自分を、そして組織を活性化するには、それが必要なのではないでしょうか。
    越境の意味はそこにあると考えます。」

    本書の大半は池上氏の半生、職業人生の棚卸しとも言える。
    内容的に「記者になりたい」と一部かぶる。

    印象に残った部分を紹介してみたい

    専門家と渡り合えるところまで来たなと自分で思えるのはどういうときか?
    →専門用語を使って説明する専門家の言葉を瞬時に小学生にも分かる言葉に翻訳して説明できることです。

    他人に説明できるまでに理解できたと言えるようになる為には自分が学んだり見聞きしたりした内容をどう相手に伝えるかを常に意識することが重要です。

    そうだったのか現代史の参考図書は131冊に及んだ。
    そうだったのかアメリカの主要参考文献は146冊。
    (今、自称通史として売り出している百田尚樹氏の日本国紀には参考文献の記載がまるで無い。Wikipediaからの引用も多いと判明。百田尚樹氏には池上彰氏の姿勢を見習って欲しいものだ)

    質問をする為には何が分からないか分かっていないと駄目なのです。

    越境の醍醐味

    1知らないということを知る。
    「無知の知」(こどもの視点)

    2知らないことを知って、停滞を破る
    (未知の人や土地に越境する)

    3離れているものどうしに共通点を見出す
    (イランの聖者廟(びょう)

    4知らないことを知ることで多数の視点を持つ。自分を相対化する

    こういう多角的な視点を持つことは、本来は非常に大事なことなのですが、いまは多くの人が、その面倒くさい作業に耐えられなくなりつつあります。
    自分のいままでの意見は変えたくない。世界が複雑化し、物事の白黒が簡単にはつけられなくなってきているだけに、人は複雑なことを考えたくなくなっています。

    フェイクニュースに惑わさらないためには、面倒臭く、地味で、長い時間がかかっても、意見を突き合わせ、つまり越境して自分の視点を鍛えるしかありません。
    そのときに役立つのは、信頼性のある新聞などのメディアだろうと思います。

    個人がやっている、聞いたこともないようなウェブサイトは、注意が必要です。
    裏を取る、つまり確認をとることを知らない人たちが、大勢ネットに関わっているからです。
    もう一つ、記事以外にアーカイブがしっかりしているかどうか、というのもサイトを判断する基準になります。
    そのサイトに、過去の記事が検証できる形で掲載されているか、ということです。
    過去の記事を検索すれば、とんでもないことを主張していたりしないか、見通しを間違えていたりしなかったか検証できます。
    検証できなければ、検証に耐えられない文章ばかりを書いてきたのではないかと疑ってかかることです。
    過去の予測が外れたことを率直に認める記事を掲載していた場合は、信頼度が高まります。
    予測が外れた記事をこっそり削除する。
    こういう態度を取っていては、信頼できません。

    ↑の池上氏の指摘は大変重要だと思う。
    本書で一番重要な点だと思う。
    今でも、いや昔以上にネット上で胡散臭いニュースが増加したように思う。
    皮肉にも大手メディアがなぜ大切なのかを示していると思う。
    自分もNHKオンラインをまず確認するし。

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50108247

  • 左遷は越境だと、いう考えが新鮮でした!

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著者プロフィール

池上彰(いけがみ・あきら):1950年長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、73年にNHK入局。記者やキャスターを歴任する。2005年にNHKを退職して以降、フリージャーナリストとしてテレビ、新聞、雑誌、書籍、YouTubeなど幅広いメディアで活躍中。名城大学教授、東京工業大学特命教授を務め、現在9つの大学で教鞭を執る。著書に『池上彰の憲法入門』『「見えざる手」が経済を動かす』『お金で世界が見えてくる』『池上彰と現代の名著を読む』(以上、筑摩書房)、『世界を変えた10冊の本』『池上彰の「世界そこからですか!?」』(以上、文藝春秋)ほか、多数。

「2023年 『世界を動かした名演説』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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