「私」を生きるための言葉 日本語と個人主義

著者 :
  • 研究社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784327378158

作品紹介・あらすじ

すべての人間は透明な言葉を生むようにできている-。気鋭の精神科医が豊富な臨床経験をもとに、日本語に潜む神経症性を徹底分析。言語の作用や日本語の特性に目を向ける作業から始めて、そこから炙り出されてくる近代以後の日本人の姿を問い直し、近代的な輸入概念である「個人」「社会」「個人主義」といったものについても、精神性の根幹において本当に受容していると言えるかどうか、あらためて考える。

感想・レビュー・書評

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  • 一言でいうと
    【自分を取り戻す手法と取り戻した人を知れる本】

    私は、泉谷閑示先生の本に随分傾倒して4冊目として手に取りました。変わらず抜群によかった。

    泉谷閑示先生の、日本語というより、日本で使われる言葉が如何に「察する」「同調主義」「ムラ特有」の垢が纏わりついているか鋭い指摘が爆発します。

    日本で、個人主義は厳しい状況(村八分)に会う可能性が高い。そんな状況をわかった上で進んできた方の言葉が胸に刺さります。

    金子光晴(詩人)
    白洲次郎(政治家)
    茨木のり子(詩人)
    イチロー(野球選手)
    中田英寿(サッカー選手)
    村上春樹(小説家)など

    私の中で、単的に個人主義を凝縮した言葉は、イチローさんの

    「決して、人が求める理想を求めない。人が笑ってほしいときに笑わない。自分が笑いたいから笑う」
    ※本書にはない

    「僕は、意図を、明確に伝えます。だから、もめごとも多いんです。その時は、もちろん、険悪になります。でも長いスパンで考えてください。」
    ※本書で抜粋されている

  • 日本で生きていく上での生きづらさを「世間・日本語」というものから紐解く名著。

    日本語が備える曖昧さや日本社会における未熟的0人称による“世間”というものの構造を解き明かした上で、1人称で生きていくこと、さらに、超越的0人称になる行程を深い考察で書いています

    本書を書くにあたっての作者の苦労は本当に脱帽です

    年功序列からジョブ型雇用へと移行する企業が最近よくニュースになっていますが、それも“世間”というものの崩壊が始まったものだと理解されます

    いかに自分がぬるま湯的世界観をもって生きていたかが克明に判明すると同時に、これからのグローバル化、インターネット社会に必読すべき書物だと思います

  • 決して読みやすい本ではない。
    でも副題にる「日本語」と「個人主義」について非常に腑に落ちる解説をしている。
    日本人のもつ特性が見事に表現されていて
    「みんなが言うから」「私はいいんだけど」と 都合よく自己を消し去ってゆく人々に 恐ろしさを感じてしまう。

    ちょうど同時期に読んだ重松清氏の「きみの友だち」とも 妙に符合して
    イジメの背景にある社会性や
    みんなから外れることを極端に怖がる人たちのことが
    実感させられる。

    後半では日本における数少ない「一人称を生きる人」の言葉が紹介される。茨木のり子さんの詩も紹介される。

    これを読み、日本に生まれても志をもち生きることで「0人称」から脱却することはできると感じた。

  • さすが泉谷閑示先生

  • もともと印欧語にも主語はなかった。
    出来事や場に重点を置いていた言語(「ある」言語)が、次第に行為者である人間に重点を置いたもの(「する」言語)に移り変わったり、人間が行為者として「主体」になってきた歴史と密接につながっている。

    1877年(明治10年)頃にsocietyの訳語として社会、1884年頃individualの訳語として個人という言葉が定着、つまりそれ以前には日本には社会という言葉も個人という言葉もなかったのである。

    この「自己本位」というものを各人が掘り当てる作業をガイドすることが精神療法。

    このようにして得られる自信や安心は、ぬるま湯的「世間」内の安心とは全く次元の違うもの。「私」を生きるということは、この境地に抜けること、自分の鉱脈を掘り当てることから始まるのです。しかし、途中には避けがたい煩悶があり、これを他人に肩代わりしてもらうことはできません。しかし、この煩悶の大いなる意義を知ってさえいれば、きっとどうにか持ちこたえて歩みを進めて行けるはずです。この煩悶は決して自分を潰すために訪れたわけではないのですから。

    人間、仕事をして良きにつけ悪しきにつけ、”認められぬ”ほど疲れが抜けぬことはない。それは不思議な鬱積となって人の中に残る。人の苦労を受ける側は、どうしても認める努力を怠ってはならない。

    愛とは、相手(対象)が相手らしく幸せになることを喜ぶ気持ちである。
    欲望とは、相手(対象)がこちらの思い通りになることを強要する気持ちである。

  • 日本人と欧米人の違いを、言葉の使い方から知ることができる本。個人と社会というのは、日本古来の言葉でなく、翻訳された言葉というのが驚きだったが、なるほどと思えた。

    [private]
    以下注目点
    ・もともと乳児の時から母親とは別室に寝かされ、親子といえども別の人間であるということを痛いほどすり込まれて育ってくるヨーロッパ人 P.5

    ・印欧語(インド・ヨーロッパ語族)も7世紀頃までは、今の日本語や東アジアの言語と同じように「主語」というものはなかった。P. 13

    ・現代の欧米の言語が依って立つ世界観が、「神の視点」であるのに対し、日本語の世界観は「虫の視点」である。P.16

    ・当時の教会では快楽は罪とされており、特に信者の性生活について微に入り細にわたり神父に告解することが義務付けられていました。これが逆に、人々の性への意識を強め、欲望を増大させ、個人意識やプライバシーの概念をも生み出したのだというのです。P.25

    ・明治十年(1877)頃にsocietyの訳語として社会という言葉がつくられた。そして同十七年頃にindividualの訳語として個人という言葉が定着した。P.27

    ・ヨーロッパの個人は十二世紀に生まれた p.29

    ・乳児と乳母の関係→「察する文化」 P.35

    ・「世間」内では、個人が責任を負うことが可能な限り回避される傾向がある。p.43

    ・「世間」の価値観は、刹那的で感情的な色彩が強く、一貫性に乏しい浮動的なもの p.44

    ・情報化の進展により、一昔前まで「常識」と呼んでいたような大きな共通理解や価値観の画一性は、もはや成り立ち得ません。「世間」というものは、もはや、あるバランスをもった行動規範を提供するようなものではなくなり、今日では、ひたるすら悪癖を露呈する壊れた装置になり下がってしまったのです。P.53

    ・真に「聴く」ためにはその人間が一人称的存在でなければならないということです。P.64

    ・「孤独」を避けた人間同士に生ずる親密な関係は「依存」なのであって、「愛」とは別物です。P.93

    ・「主語」を立て、論知的に自己主張する。p.115
    1. 「人の話を良く聴きましょう」
    2. 「察しの悪い大人(親)になりましょう」
    3. 「一人称主語を入れましょう」
    4. 「『みんな』に埋もれず『私』を持ちましょう。
    5. 子どもの『どうして?』『なぜ?』を屁理屈と片付けずに、きちんと答えましょう」
    6. 「『それでどうだった?』『〜はどうする?』といいった曖昧な質問はやめましょう」
    7. 「答えを『〜とか』のようにボカすのはやめましょう」
    8. 「きちんとかみあった問答をしましょう」

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  • 主語がなくても伝わる日本語、を改めて見直すことが出来た本。世間に対して順応することを正常という世の中で...自分を見失わずに、自他の区別をつけることを目的として、超越的0人称に向けて邁進していく。他言語との違いを認識しながら、察すること、察して欲しがる文化を客観的に検証する。人生観を固定するのに役立った本。何度も読み返したい。

  • 人が思考する上で欠かせない「言語」について、表面からかなりアカデミックな方向へ進めた本。一般向けではないように感じた。著者が好きなので読みました。

  • うーん
    難しかった、、

  • 日本人が自分というものを確立させがたい社会をつくり、そこに生きていることを、日本語の主語のなさや世間・みんなとの同質を基本としたコミュニケーション、察しと聴き手責任など、言葉から明らかにする。
    個人として立ち、そうしたコミュニティに違和感を感じること、しかしまともに対立するのではなく、同調しないこと。
    個人主義同士の対話、違いの受容と互いの進化、その先にある根源的同一性の気づき。
    無意識を意識化してくれる。
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著者プロフィール

泉谷 閑示(いずみや・かんじ)
精神科医、思想家、作曲家、演出家。
1962年秋田県生まれ。東北大学医学部卒業。パリ・エコールノルマル音楽院留学。同時にパリ日本人学校教育相談員を務めた。現在、精神療法を専門とする泉谷クリニック(東京/広尾)院長。
大学・企業・学会・地方自治体・カルチャーセンター等での講義、講演のほか、国内外のTV・ラジオやインターネットメディアにも多数出演。また、舞台演出や作曲家としての活動も行ない、CD「忘れられし歌 Ariettes Oubliées」(KING RECORDS)、横手市民歌等の作品がある。
著著としては、『「普通」がいいという病』『反教育論 ~猿の思考から超猿の思考へ』(講談社現代新書)、『あなたの人生が変わる対話術』(講談社+α文庫)、『仕事なんか生きがいにするな ~生きる意味を再び考える』『「うつ」の効用 ~生まれ直しの哲学』(幻冬舎新書)、『「私」を生きるための言葉 ~日本語と個人主義』(研究社)、『「心=身体」の声を聴く』(青灯社)、『思考力を磨くための音楽学』(yamaha music media)などがある。

「2022年 『なぜ生きる意味が感じられないのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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