- Amazon.co.jp ・本 (316ページ)
- / ISBN・EAN: 9784326750498
作品紹介・あらすじ
1980年代パキスタン。自然科学も「イスラーム的科学」として宗教的原理に基づいて解釈される。理論物理学者フッドボーイは危機感から筆を執った。イスラーム圏にとどまらないグローバルなテーマを考える。
感想・レビュー・書評
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イスラム圏の物理学者によるイスラムの精神的特徴と科学性の相剋の告発書。特にイスラム的科学という名の、宗教枠組みに沿ったイデオロギー的解釈の描写は、シニカルな筆致と相まって問題の深さを浮き彫りにする。
ただしここで注意すべきは、こうした科学性をねじ曲げる解釈が、何もイスラム圏に特有のものではないことだ。原子力技術が、推進有きで安全性を顧慮することなく開発されたように、こうした科学性の僭称は日本においても同様の課題であろう。
また筆者が、科学と一線を画する宗教(それこそがイスラム的思考のフレームである)の役割を徳性の改善とする点もまた興味深い。つまり客観的なデータによって一定の法則を解明すべき科学(研究また学問双方)においては、道徳といったテーマは全く無関係であるべきだし、科学教育においてもそれは同様である(イスラームとヒンドゥーの対比としてのパキスタンとインドの研究教育規模の対照は歴然としている)。そこで我々は教育・学問の日本における有り様を再び見つめ直すべきであろう。安易な刷り込みによる歴史教育、道徳意識、果ては愛国心の浸透が、一方で諸科学を学ぶ生徒に対して無造作に行われることの危険性は決して小さくない。アメリカにおけるバーネット判決で示されたように、刷り込みによる愛国心等は、結局のところ薄っぺらく、傷つきやすいものでしかない。国を愛するということは人に強制される筋合いのものではなく、自ら感得すべきものである。本書のいうイスラム的教育の問題性を自覚的に受容したならば、我々は日本を美しい国と称する以前に、日本を美しくする努力を行うべきであろう。(主権者として社会に対するコミットを放棄しておきながら)現実としての政治の無能さを嘆く一方で、精神的紐帯としての”あるべき日本”を強調することで充足を得ようとする安易な言説が流布される現状に一抹の不安を覚える。
国家、社会、組織、共同体への愛を調達するために、それらの尊さを強要されるのでは本末転倒である。この点、イスラム社会の有り様を巡って、自然科学を専門とする筆者にそれ以上の問題の解明を望むことは酷であろう。しかし、その先にはまだ語られるべき鉱脈があるように思われてならない。