- Amazon.co.jp ・本 (388ページ)
- / ISBN・EAN: 9784326351725
作品紹介・あらすじ
福島第一原発事故から7年が経とうとしている。この間、戦後の電力・エネルギー政策、とりわけ原子力政策の何が明らかになったのか? そして事故後、事態はどう動いていったのか? なぜ電力自由化の改革は急速に進み、脱原発は後退したのか? とは言えなぜ自民党は原発再稼動を思うように進められないのか?
政治学であざやかに読み解く!
感想・レビュー・書評
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日本の原子力政策史。正力・中曽根時代から詳しく書かれており、とても面白い。
「原子力ムラ」は強大になったが、それでも経産省、電力会社、政治家それぞれの思惑が時々顔を出して必ずしも一枚岩でないところが興味深い。
中でも、安倍政権の思い通りに再稼働が進まないのは、本人の関心がそれほどない以上に、民主党が進めた電力自由化を成長戦略として受け入れたためであることが面白い。また、自民党が設置を進めた三条委員会としての原子力規制委員会がきちんと仕事をしていることも大きい。設置の中心人物であった塩崎恭久が、後に委員会のあり方を批判しているのが笑える。
気になるのは、原発に慎重な自治体首長が次々に刺されるところ。本書出版後も米山新潟県知事がやられた。三反園鹿児島県知事の変節の裏に何があったのか。闇だ。
筆者は、歴史的経緯が現代の政策決定を拘束していると主張する。本書のここまでの分析結果から分らんではない。
が、再稼働はともかく、無駄で危険な核燃料サイクルの対応がこのまま先送りでいいはずがない。筆者の言う「タイミング」を逃さず、政策転換しなければ・・・ -
政官財の戦後史を新進政治学者がうまく電力会社という視点で切り取っている。これまでは、大蔵省の話や通産省の貿易政策の話があったが、東京電力を中心とする電力会社が地元に根を張り、資金力動員力を持って政治力を積み上げる、通産省は当初は政治家と東京電力の間であまり力を発揮できなかったが、福島第一原発の事故を機に、電力自由化・東電改革を進めようとする。
そこに戦後の原子力政策とその技術的紆余曲折、関係地域の利害が重なって、自民党が政権を奪取したのちも基本的に先送り政策しか取れなくなってくる。核燃料サイクルは技術的経済的回らなくなるが、中間処理場所である六ケ所村、処理先であるフランス、イギリス及び核拡散の関係でアメリカとのプルトニウムの処理に絡むアメリカとの約束により、続けざるを得ない状況にあり、核のゴミの最終処理の見通しは立っていない。原発所在の地域も交付金縛りにあい、地元賛成、距離を置いたところ反対、広域(新潟県とか)マダラ、みたいな決められない状況。それに司法も最高裁は政治時をいつにしているように見えるが、それ以下はまだ不透明。 -
東京電力陰謀史観。なのかな。
そんなに東京電力や電事連に力があったなら、こんなことにはなってないんじゃないだろうか。
丁寧に様々な事実を拾っているという努力は、分かるし、その部分は興味深いけど、分析評価に関しては、ありがちバイアスがかかりすぎているように感じられ、興ざめかな。 -
電力と政治(上・下) 上川龍之進著 構造的な閉鎖性の起源探る
2018/5/12付日本経済新聞 朝刊
東京電力福島第1原子力発電所の深刻な事故が、なぜ起こってしまったのか。この問いには、従来さまざまな答えが与えられてきた。
その多くはジャーナリストや科学技術の専門家によるものであり、事故が引き起こされたメカニズムや、政府・東電・現場などの対応について、比較的短い時間軸を設定して検討してきたように思われる。
本書はそれに対して、戦後日本の原子力政策をその起源にまでさかのぼり、長い時間軸の中に原発事故と事故後の対応を位置づける。丁寧な註記(ちゅうき)を確認するまでもなく、著者が読み込んだ資料や先行研究は膨大な量に及ぶことは明らかで、「日本の原子力政策 全史」という副題にふさわしい力作である。
一貫しているのは、原発事故を偶発的な出来事として捉えるのではなく、原子力政策という一つの政策領域と、そこでの政策決定が全般的に有する傾向あるいは構造から把握しようとする著者の姿勢である。
事故が起こった直後から「原子力ムラ」などの揶揄(やゆ)的表現とともに、原子力政策の閉鎖性はたびたび指摘されてきた。本書もそれを見出(みいだ)すという点では共通するが、丹念な論述により、単に電力業界や一部の専門家のみならず、政治家や官僚、労働組合、地方自治体を含む多くの人々や組織が、長い期間をかけて閉鎖性を生み出したことが示される。
マスメディアや一般市民も、当初は原子力の平和利用を好意的に受け入れ、その後は間欠的にしか関心を払わないことで、閉鎖性の形成と維持を間接的に手助けしてきた。
現在も、事故を起こした責任に向き合わない東電や、電力業界の姿勢に納得できない人は少なくないだろう。しかし本書から浮かび上がるのは、東電の改革はむしろ「トカゲの尻尾切り」に近く、原子力政策が持つ構造的な閉鎖性をどう変革するかが、真の課題であるということだ。
その課題に取り組むために、本書を入り口として、「ムラ」の外側にいる多くの人々が原子力政策に日々関心と注意を払うことの意味は大きい。全篇(ぜんぺん)を通して「暗躍」といった価値判断の強すぎる表現が散見されるのが惜しまれるが、原発再稼働など個別の政策判断への賛否を超えて読まれるべき著作である。
《評》京都大学教授 待鳥聡史
(勁草書房・各3500円)
かみかわ・りゅうのしん 76年生まれ。大阪大准教授。京大院博士後期課程修了。専門は政治過程論。著書に『日本銀行と政治』『小泉改革の政治学』など。 -
東2法経図・6F開架 539A/Ka37d/1/K