萩原朔太郎詩集 (読んでおきたい日本の名作)

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  • 教育出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784316800301

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  • 詩の味わい方には二つあるのではないかと思われる。それは、外向的な詩と内向的な詩という表現をすると少し意味がずれてしまうかもしれないけれど、詩には、「自分が感じたことをありありと表現してくれているもの」と、「自分を別世界へと連れて行ってくれるもの」とがあると思われる。無論、これはあくまで読者の視点であって詩人の視点ではない。詩人は自ら見たものを取り出すのだから。無論、見たものを内から取り出すのであり、見たもの、といっても意識的に見ているとは限らないし、あるいは心が見ているだけ、あるいは見えないものを見ているのかもしれず、この見るという言葉を単純に視覚的な見る、で解されては困るのだけれども、ともかく、読者の視点からすればこの二つが主だった分類になるのではなかろうか。そして、どちらのタイプにひかれるのかは人それぞれによるだろう。内向的な人はなんとはなしに普段普段から自分で自分を見つめることによって詩の断片となりそうな材料を既に自ら持っているのだろうから、前者のほうが響くのかもしれないし、外向的な人はむしろ外部情報として詩の言葉の列なりをもらい、それを許に不思議な詩人の世界へと導かれていくのではなかろうか。そうして、得てして前者はほの暗く、後者は明るい世界となることがあるだろうと思われる。なぜならば、前者は鬱屈した感情の発露であろうし、後者は逆に非日常性、あるいは日常に紛れる非日常的な驚きを充足させてくれるものなのだろうから、という個人的な詩の分類を徒然とつづる。

    無論、今いった分類は詩人毎に明白に分けられるものでもないだろうし、両方の特性を持っている詩人が大多数だろうと思われる。要するにこれは受け取り手の問題なのである。そして、個人的には萩原朔太郎という人は、前者に分類される。朔太郎の詩は決して明るくなどない。むしろ悲観的である。しかし、詩作というものは悲観的な行為ではない。朔太郎はありのまま自分が感じたことをともかく言葉としてつづっていくことで彼自身の悲観を乗り越えようとしていたのだろうと感じられる。そしてその詩群はときに憂愁が漂い、ときに不気味にうごめき、ときに朔太郎の世界へと昇華している。楽観的に日々を生きている人からすると、不思議なセンチメンタルな世界へと朔太郎は誘ってくれるだろうし、むしろ思索に耽り自分を観察し悲観的な生活を送っているひとからすると、朔太郎はむしろ自分の分身や代弁者のようにすら感じられるに違いない。しかし、朔太郎の言葉や醸し出される世界観はどうにも物寂しいのだけれど、その反面奇妙な温かさもある。それは不安を抱き自己を絶えず不安定な状態においていた彼の、ある種の自己愛なのかもしれないし、しかしその自己愛は決して悪いものではなくてそれ即ち彼が生きている理由になる。そういう意味で彼の「利根川」という作品は非情に印象的だ。死のうと思って利根川にやってくるけれど、川の流れがあまりにも早すぎて距離感を感じてしまう、結局死ねずにまた川へとやってくるのだけれど、自分が生きていることが嬉しくてたまらなくなる。彼はその後自殺についても書いている。「自殺の怖ろしさ」という作品では彼は自殺者は飛び降りて完全に手遅れになった段で初めて生の意義を知るのである。逆に言うと生の意義を知るためには完全に手遅れな状態を知らなければならない。そうなって初めて生を知る、と朔太郎は直観的に悟っている、だからこそ彼は恐怖して自殺ができないというのである。そこに彼が自殺しない理由があるのだろうし、それが結果として彼を生かしている。決してプラスとは言えないかもしれないが、そこに生きるという行為の本質があるような気もする。誰も彼もがプラスな理由や気持ちで生きることを説いているけれど、むしろ、人が生きているのは死への恐怖からなのではないか?と感じられるのである。その他の、人生の意義や目的は恐怖から目を背けるための方便のようなものなのかもしれないなと思われてならない。少なくとも、朔太郎の詩に触れて正直に感じたものがそれである。


    詩集では、朔太郎の凄まじさが表出しているのは、『月に吼える』、『宿命』だと思われる。『青猫』も捨てがたいが、月に吼える比べると勢いが弱まっている気がする。月に吼える、は純粋な感情の訴えなのだが、青猫になるとそれが物寂しさへと完全にシフトしてしまっている気がする。月に吼えるは朔太郎の素朴なまでの訴えが凝集されており、それが「地面の底の病気の顔」のようにときにはグロテスクさまで湛えている。また、感傷の手や危険な散歩、愛憐、恋に恋する人などバラエティにも富んでいる。他方で宿命は散文詩と言われるジャンルらしいが、半分エッセィのようなものになってしまっている。無論言葉は研ぎ澄まされたエッセィである。死なない蛸、自殺の恐ろしさ、虚無の歌のように鬼気迫る勢いでつづられたものもあれば、物体や物質の感情のようにさらりと抉るような数文で構成されているものもあり、それがどうにも真理のような鋭い輝きを放っている。また、ラストに参考資料として載せられている三編はそれぞれが面白い。金属種子は現代的な科学的倫理観などを孕んでいて非情に先鋭的であるし、軍隊は軍隊が醸し出す異様な雰囲気とそれを眺める自分との距離感、疎外感、圧迫感などがおどろおどろしく表現されている。ただ、ラストの南京陥落の日はどうにも読んでいて気持ちが悪くなり、朔太郎に対して興ざめしかけたのだけれど、解説によれば朔太郎も頼まれて嫌々書いたものであったようで、溜飲が下がりました。

  • 萩原朔太郎
    →北原白秋に師事。高村光太郎と共に「口語自由詩の確立者」とされる。
    http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0665.html

  • びっくり!ロックだった!!
    めたくそかっちょいいぞ、朔太郎。
    07.01.18

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著者プロフィール

萩原朔太郎
1886(明治19)年11月1日群馬県前橋市生まれ。父は開業医。旧制前橋中学時代より短歌で活躍。旧制第五、第六高等学校いずれも中退。上京し慶応大学予科に入学するが半年で退学。マンドリン、ギターを愛好し音楽家を志ざす。挫折し前橋に帰郷した1913年、北原白秋主宰の詩歌誌『朱欒』で詩壇デビュー。同誌の新進詩人・室生犀星と生涯にわたる親交を結ぶ。山村暮鳥を加え人魚詩社を結成、機関誌『卓上噴水』を発行。1916年、犀星と詩誌『感情』を創刊。1917年第1詩集『月に吠える』を刊行し、詩壇における地位を確立する。1925年上京し、東京に定住。詩作のみならずアフォリズム、詩論、古典詩歌論、エッセイ、文明評論、小説など多方面で活躍し、詩人批評家の先駆者となった。1942年5月11日没。

「2022年 『詩人はすべて宿命である』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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