魚は痛みを感じるか?

  • 紀伊國屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314010931

作品紹介・あらすじ

痛みとは何か?そしてそれを感じるとはどういうことか?魚の「意識」というやっかいな領域に踏み込み、この難問に結論を下した著者は、漁業や釣り、観賞魚などにおける人間の魚への対し方-「魚の福祉」という難題を読者に問いかける。魚類学者のニュートラルな視点による、問題提起の書。

感想・レビュー・書評

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  • <「魚の福祉」を科学する>

    「魚の福祉」などと言ってしまうと、いささかアグレッシブに過ぎる動物愛護活動家が思い浮かんでしまうが、本書の筆致は冷静である。
    著者は活動家ではなく、魚類の行動を研究する科学者なのだ。
    個人的にはあまり考えたことがなかったが、「魚は痛みを感じるのか、もし感じるのであれば、家畜と同様、魚もまた『人道的』に扱うべきなのではないか」という問題提起は、2000年代初頭からなされていたのだという。
    ただ一方で、それには「科学的」な裏付けが必要だという意見もあり、それに取り組んだのが著者らのグループである。
    レトリカルな議論でも哲学的な議論でもない。科学的に真っ向から挑んだ研究である。

    表紙の折り返しにいきなり「パンドラの箱を開ける!」とある。
    大げさな、と思ったが、いやいや、読み進めていくとあながち大げさではない。
    これはなかなか困難な議論だ。
    文字通り、「魚の痛み」について考えるにもおもしろいのだが、それに加えて、よくわかっていない事象・いままであまり人が取り組んだことがない事柄に対して科学的に研究する際に、白紙状態からどのように仮説を組み立て、何を実証していけばよいのかを模索した記録とも読める。
    本書の主題の場合、「痛みを感じる」ということは具体的にどういうことなのかを考察することから始まる。それは私たち(=人)が「痛み」を感じるということはどういうことかの考察でもある。
    著者らは具体的には「痛み」を以下のように分け、それぞれを実証していく。
    ・侵害受容(nociception)(=痛覚)をコントロールする受容体と神経線維が存在するかどうか
    ・損傷を受けた場合に上記が活動状態になるかどうか
    ・魚の行動が痛みの経験の影響を受けるかどうか。

    「痛み」は、それを知覚することとそれによって苦しむ情動の部分に分けられる。後者の情動に関しては科学的な実証は困難である。ただ、著者は、これまでの研究結果から、魚が侵害受容の反応を示すことはほぼ確実であり、哺乳類や鳥類に与えられている福祉を魚に当てはめない論理的な根拠はないと主張している。
    この場合の魚の福祉とは、「魚を食べるな」ということではなく、漁獲の際に苦痛を与えないようにすべきであるとか、養殖時の環境を整えるといったことである。鶏を屠殺する際に、簡単だからといって多数をまとめて池に放り込んだりはしないだろう。魚を水揚げする際も同様の配慮が必要ではないか、というわけだ。

    意欲的で真摯な著作であるが、一方で、この問題は科学でない部分の議論がどうしても伴ってしまうのだろうという感想も持った。
    著者は科学的に取り組んではいるが、基本、「魚の福祉」を考えるべきだというところから出発している。そうでなければそもそもこの研究はしなかっただろうとも思える。
    パズルのピースを慎重に慎重にはめ込みつつも、境界がぼんやりしている部分をそっと押し入れた感はある。

    魚の福祉を考えることは、人にとってマイナスになるわけではなく、どちらにとっても喜ばしいウィン-ウィンの結果をもたらすことは可能であるという。
    共存共栄。その道を探るのに、科学的な議論と倫理的な議論、また経済的な議論が、バランスよく進んでいくのが一番望ましいのだろう。


    *著者らの研究は2003年に大きな話題を呼び、イアン・マキューアンの『土曜日』にも取り上げられたんだそうだ。

    *魚に関するさまざまな研究も挙げられていて興味深い。ハタとウツボは種を越えて協同作業をして餌を採るんだそうである。へぇぇぇ。

    *本文では簡単にしか触れられていないが、乱獲の問題について、訳者あとがきで触れられている。以前読んだ『銀むつクライシス』をちょっと思い出した。

    *じゃあ甲殻類はどうなんだ、エビやイカは・・・?という線引きの問題もあったり。

  •  今まで、魚が痛みを感じるなんて思ったこともなかった。この本を見たとき「エッ」と思い読んでみた。日本の魚なら「ギョギョッ」とでも叫ぶのかな。あとがきで訳者が書いているように「make a fish face 仏頂面」というイディオムがあるくらい、魚のイメージといえば、無表情だ。

     著者は、生物学魚類専攻の学者で、実験に当たってマスを実験台にした。蜂の毒素と酢を使ってマスが痛みを感じるかどうか試した。その結果として次の4つのことが分かった。

     マスは痛みを検知する侵害受容体を持っている。
     それは細胞組織へのダメージを検知する。
     それが刺激されると、その情報が三叉神経に伝達される。
     それによって魚の行動が変化する。

     この研究成果を発表したのは、2003年であった。さまざまなテレビ局やラジオ局が取り上げた。こんな変わった研究には、マスコミの食いつきがいいからなあ。

     驚いたのが、一部の環境保護団体が釣りについて、魚に良くない主旨のキャンペーンを展開していることだ。魚とは関係ないが、数年前アメリカで「エコテロリズム」が起きたというニュースを見て頭がくらくらしてきたのを覚えている。環境を保護するために環境を破壊する矛盾に納得がいかなかったからだ。著者は、魚を食べると述べているし、極端な環境保護運動にも賛同していないが、魚の扱いに関して考える必要があるとは指摘している。何とか原理主義者は、どうして頭が固いのか。頭に血液や酸素が循環していないからなのか。頭のマッサージをしてもやわらかくなりそうにもないな。

     数十年後には「魚の痛みの分かる人になりなさい」という時代になるのかな。それにしても、いろいろなことを考えている人がいるものだ。地球上に60数億人住んでいるだけのことはある。
     

  • 犬や猫などに対しては当然のように意識している
    「痛み」を、魚も持つかどうかを意識したことがなかったためとても新鮮な内容だった。

  • うーん

  • やはり魚だって痛いのだ。
    当然、生物の生存本能にもとづけば痛みを感じ、自分が生き延びる努力が必要になる。
    だからといって魚を食べるのを諦めるのはさみしいし、ヴィーガンになったところで、じゃあ、植物は痛みを感じないのかと言われるとそこも問題である。
    たとえばタマネギを切ると目がしみるのはタマネギの抵抗と言う説もある。
    所詮、他者をいただいて生きるのであれば
    科学を持って福祉を考え、かんしゃをもって、たべさせていただきたい。
    ネイティブ・アメリカンのすべてのものに精霊は宿るので、常に感謝して暮らす思想が正しい。
    食べ物は粗末にしない。日本のいいつたえもおなじこと。
    おごれる人類は、まだまだ学びが足りない。

  • 【所蔵館】
    りんくう図書室

    大阪府立大学図書館OPACへ↓
    https://opac.osakafu-u.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=2000940395

  • 魚が痛みを感じるのか及び魚の福祉について述べた本。

    魚が痛みを感じる事に対し、3つのレベルで階層分けして、まず検証している。

    また、魚が痛みを不快に思うか、つまり意識を持つのかどうかについても同様に3つの達成すべき項目を作ってレビューしている。

    しかし、これらが達成されてなぜ痛みを意識すると言えるのか、という説明がよく分からなかった。学会でもこのような基準が標準であるっぽいので間違ってはいないのだろうけど、噛み砕いた説明が欲しい。

  • Amazon、¥1222.

  • 犬や猫が痛みを感じないと思う人はいないだろう。
    だが、例えばトカゲが尻尾を自切するとき、昆虫の手足が外れるとき。生物によって痛みの表現だけでなく、その感性にも差があるのではないかと考えるのは当然の疑問だ。

    本書においてその探索は"表現"と"感性"の両面からされるのだが、これがどうにもお粗末にすぎる。
    例えば実験の一つとして、「刺激を与えた魚は未知の物体を恐れなくなる」ことを痛みによって注意をそらされたせいだと結論づけるが、逆に「刺激を与えた魚は未知の物質を恐れる」ような結果だったとしても、痛みの恐怖によって反応が過敏になったせいだと言えてしまうのではないだろうか。
    さらに噴飯ものなのは、魚に意識がある証拠として、ウツボとハタが"複雑"で"効果的"な協業をすることのみを挙げているが、これではせいぜい言えるのが"魚"ではなく"ウツボ"と"ハタ"にのみ意識があるということだし、なんならミツバチと花、イソギンチャクとエビにだって痛みを感じられる意識が生じていることになる。
    他には"四分の一"のヤドカリが電撃を加えられて殻を脱ぎ捨てたことをもって痛みの証拠としてみたり、挙句の果てには他者の本を引用して「魚に言及されることは一度もなかった」と記した部分を、訳者に「実際には、わずかながら言及がみられる」と訂正されるあまり。

    こんなに材料が雑だと、その先に本当に考えるべき食の哲学について考えを及ばせることは出来ない。
    筆者は至らない本を読まされた読者の痛みを感じないのだろうか?
    結論ありきの地点から抜け出せない研究者は、他の人間とは"表現"にも"感性"にも違いがあるのかもしれない。

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