源氏物語 中 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集05)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (704ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309728759

作品紹介・あらすじ

栄華を極める光源氏への女三の宮の降嫁から、
運命が急変する――
恋と苦悩、密通の因果応報を描く、最高傑作の巻!

この中巻の「若菜(上・下)」のために源氏物語があると言っていい。
――池澤夏樹

感情の描きかたの複雑さとリアリティ、その比喩の巧みさに私は何度も息をのんだ。
そして気づいたのである。この作者は、負の感情、弱さや迷いや悲しみを書くときに、
筆がずば抜けて生き生きしている。 ――角田光代

感想・レビュー・書評

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  • ☆ さあ、あなたも「源氏物語」を”原文”で読んでみましょう!

    ✧٩( 'ᴗ' )و ✧オォー

    では、早速

    どぉぞ〜(。˃ ᵕ ˂ )◞♡⃛

    “年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔を、つゆ忘れたまはず、心々なる人のありさまどもを、見たまひ重ぬるにつけても、「あらましかば」と、あはれに口惜しくのみ思し出づ”

    ( ・o˙ )( ・o˙ )( ・o˙ )ポカーン

    む、難しい…。い、意味不明…。

    _| ̄|○ ガクッ

    シェークスピアの「ロミオとジュリエット」を原文で読みたい!と思っても、”英語だヨォ!”と、高いハードルが待ち受けています。では、日本語なら大丈夫かというと、古典文学には”時の流れ”という別の高いハードルが待ち受けています。”あらましかば”なんて文章がいきなり登場しても

    (´-`).。oO意味わかんね

    と読む気が失せてもしまいます。とはいえ、そんな簡単にめげているようでは今の世の中、社会人は務まりません。

    ( 。•̀_•́。)キリッ

    ここは、

    (๑•̀ㅂ•́)وがんばる!!!

    と前向きな、ひたすらに前向きな心のままにやってみましょう!

    そう♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~だよ

    まずは、提示された”原文”のよくわからない言葉を一つずつ”インターネット様”のお力をお借りして意味を調べていきましょう。

    ・隔たり → 経過する
    ・ぬれど → 〜けれど
    ・飽く → あきる
    ・ざりし → 〜なかった
    ・つゆ → ほんのわずか
    ・たまはず → 〜くれない
    ・心々→ 各自の思い思いの心
    ・ありさま → ようす
    ・見たまひ → 拝見する
    ・重ぬる → 繰り返す
    ・つけても → 関連しても
    ・あらましかば → あったとしても
    ・あはれ → しみじみとした思い
    ・口惜しく → 残念だ
    ・のみ → ばかり
    ・思し出づ → 思い出しなさる

    (-_-)ウーム

    ここまででどのくらいの時間がかかったでしょうか?これはもう大変な作業です。古文・古典の授業が大っ嫌いだった私には既に苦行でしかない世界です。でも、せっかく苦労して調べたのでこれらをくっつけてみましょう!

    (´。-ω(-ω-。`)ぎゅ~♡

    → 年月が経過するけれど、あきることのない夕顔を、ほんのわずかも忘れられない、各自の思い思いの心を持つ人のようすを、拝見することを繰り返しても、「あったとしても」と、しみじみとした思いに、残念だとばかり思い出しなさる。

    (*´・д・)ン?

    それぞれの訳を単純に繋げてみても全くもって意味不明な文章ができあがりました。そう簡単にはいかないようです。でもどことなく言わんとするところはわかるような気もします。では、この意味不明な文章に”心”を入れてみましょう!

    チチンプイプイ(∩。・o・)⊃━☆゚.*・。

    さて、心を入れてみました 。

    → 年月が経過しても、ほんのいっときも忘れられない夕顔。思い思いの考え方を持つ人たちと会うことを重ねてはきたものの、「あの人が生きていれば」と、しみじみと残念な思いにふけられている。

    ( •̀∀•́ )ドヤッ

    少しはそれっぽくなりましたね。これでどことなく意味がわかるような気もしてきました。ただ古文・古典の試験の回答だとまだまだ”赤点”の領域かもしれません。古典を訳すというのも改めて大変なことだと思います。ところで、実際に「源氏物語」を訳してみるとこの文章ってどこにも主語がないことがわかります。まさしく”ザ・日本語”の文学がここにあります。これをさらに主語が必須な英語に訳してみろと言われるとまさしく地獄の苦しみを味わいそうです。

    コワイヨ(꒪⌑꒪.)‎!!!

    さて、いきなり古文・古典の復習のような内容から始まった本日のレビュー。平安の世を文章に記した紫式部さんの「源氏物語」を直木賞作家の角田光代さんが現代語に訳してくださった立派な装丁の訳本に挑む第二弾です。そう、上巻に続く第二弾であるこの中巻。上記の通り少し長々と触れた”原文”は、第二十二帖〈玉鬘(たまかずら)〉の冒頭の一文です。上記では頑張って原文を訳すことにチャレンジしましたが、たったこれだけの文章を訳すのに四苦八苦な さてさては、やはり角田さんのお力にお縋りしたいと早々に思いました。

    (⁎•ᴗ‹。)イイネ♡*˚

    そんな角田さんは、上記の原文を次のように訳されています。

    『ずいぶんと長い年月がたっているが、この上なく愛していた夕顔を、光君はひとときも忘れたことがない。それぞれに性格の違う女君たちと次々と知り合ってきたが、やはりあの人が生きていたらと、いつまでも悲しく無念に思う』。

    流石の直木賞作家・角田さんです。これだけ読むと現代小説を読む感じで読めそうに思いませんか?しかも『光君は』と原文には存在しない主語もしっかりと補足してくださる心遣いを見せてくださいます。

    ( ͡° ͜ʖ ͡°)✧キラッ

    ということで、上巻に続き、今回も長い長〜い、気合い入りまくりの「源氏物語」中巻のレビューです。最後まで末永くお付き合いのほどよろしくお願いいたします!

    ٩( 'ω' )و ガンバルぞい

    ではまず、いつもの さてさて流で中巻の冒頭を飾る第二十二帖〈玉鬘〉の内容をご紹介しましょう。

    『ずいぶんと長い年月がたっているが、この上なく愛していた夕顔』のことを『ひとときも忘れたことがない』というのは主人公の光源氏。そんな源氏は『あの人が生きていたら』と『それぞれに性格の違う女君たち』と知り合う中でも夕顔のことを思い続けています。そして、『かつて夕顔に仕えていた右近という侍女』を『夕顔の形見だと思って』目を掛けて夕顔の死後もそばに仕えさせる源氏。その一方で、西の京に残してきた夕顔と内大臣(頭中将)との幼い姫君(玉鬘)がその後どうなったかを掴めないでいます。場面は変わり、『乳母とともに筑紫』に暮らす玉鬘は、『不吉に思えるほどうつくし』く育って十歳ほどになっていました。『だれの子どもであるか』を隠し、『少弐の孫で、たいせつに扱わなければならない事情があるとだけ』話す乳母ですが、その少弐も亡くなり、『ひたすら京へと旅立とう』と考えます。そんな間にも『姫君は立派に成長し』、『母君よりなお見目麗し』く、『気品があって愛らし』い姿となりました。そんな玉鬘に『好色な田舎者たちが思いを寄せて、恋文めいたものがどんどん送られてくる』状況に乳母たちは恐ろしさを感じます。ついに二十歳ほどになった玉鬘に、『大夫監という』三十歳ほどの男が強く迫ってきました。身内も丸め込み進んでしまう縁談に『監の妻になるくらいならいっそ死のう』と思い詰める玉鬘を見て、ついに『覚悟を決めて計画を立て』乳母は玉鬘を連れ『夜に逃げ出して』京へと船に乗ります。しかし、京に着くも『なかなか落ち着くことができない』中、祈願のために初瀬へと赴く中に運命の出会いが待っていました。そこで再会したのは『夕顔をずっと忘れることなく恋い慕っている女房の右近』でした。『夢のような気持ちです』と再開に喜ぶ面々。そして、京へと戻った右近は『夕顔の露にゆかりのあるお方を、見つけたのでございます』と源氏に報告をします。話を聞いた源氏は、早々に玉鬘を六条院へと引き取り、『気立てのいい人』と思っている花散里に託します。その夜、さっそく玉鬘のところへと赴いた源氏は、ほのかな灯火の中に『あまりにもうつくしくておそろしく思えるほど』に見える玉鬘に『この灯の感じは恋人にふさわしいね』と声をかけます。そんな言葉に『無闇に恥ずかしくなって』『横を向いてしまう』玉鬘に『気に掛からない時はないほどいつも心配していた』と語り続ける源氏。そして、その夜は早々に退出した源氏ですが、玉鬘の成長を『紫の上にも話して聞かせ』ます。またいつもの癖が…と思う紫の上は、複雑な思いを抱きます。そして、そんな玉鬘のその後を描く”玉鬘十帖”の物語が始まりました。

    中巻は第二十二帖〈玉鬘〉から第四十一帖〈幻〉までの二十の帖から構成された連作短編の形式をとっていますが、その半分の帖を占めるのが、頭中将と夕顔の娘である玉鬘を大きく扱っていく展開です。上巻第四帖〈夕顔〉での夕顔との出会いが忘れられない源氏。そんな源氏が彼女の忘れ形見である玉鬘のことを『夢を見ているような心地で、過ぎ去ったかつてのこともあれこれ思い出されてたまらない、もう何も言えない』と思いをかける先に展開していく物語。今までの源氏の物語であれば、欲しいもの全てをなんなくものにしていく源氏の姿が最終的にそこにありましたが、この玉鬘については、この後の第二十三帖〈初音〉以降、そこには源氏が玉鬘相手に苦戦する展開を見せます。親代わりとして『とくべつだいじに世話』をする一方で、『父親に徹することのできない気持ち』と葛藤する源氏。そんな源氏の心の内を知って困惑を深める玉鬘…と続くこの十帖は、”玉鬘十帖”とも呼ばれているようです。この中巻には全編で252もの短歌が含まれ、そんな二人の思いのすれ違いも歌として登場します。第二十七帖〈篝火(かがりび)〉の中のワンシーン、なんと『琴を枕にして』玉鬘と添い寝をするという源氏が篝火の『ほどよい明かりに照らされる』玉鬘の『みごとなうつくしさ』を見ながら歌を詠みます。

    『篝火にたちそふ恋の煙こそ世には絶えせぬ炎なりけれ
    → 篝火とともに立ち上る煙こそは、いつまでも消えることのない私の恋の炎だ』

    〈篝火〉を見る中に、『いつまで待てというのか』と自らの満たされない思いを詠む源氏に対して、玉鬘は次のように返します。

    『行方なき空に消ちてよ篝火のたよりにたぐふ煙とならば
    → その恋は果てしない空に消してしまってください、篝火とともに立ち上る煙とおっしゃるならば』

    二人の奇妙な関係に困惑する思いを歌に詠む玉鬘。天下を上りつめ、怖いもの無しの源氏が、今までのように欲しいと思ったものを簡単に手にすることのできない、そんな玉鬘との関係が描かれていきます。そこには、人である限り誰にも避けられない”老い”が迫りつつあることを感じさせるそこはかとない感覚も漂います。上巻の”イケイケどんどん”な物語から、少し雰囲気を異にし出す中巻の物語に一気に入っていける非常に読み応えのある物語、それが”玉鬘十帖”でした。

    ということで、そんな”玉鬘十帖”から始まる二十の短編(帖)を、上巻とはまた異なった三つの視点から見ていきたいと思います。まず一つ目は物語が書かれた当時の身近な動物に関する描写です。さて、あなたは「源氏物語」の舞台となる平安絵巻の人々の身近に登場する動物と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?それは『猫』です。中巻の三分の一に近い分量が割かれ、「源氏物語」の全五十四帖中の最高傑作とも言われる〈若菜 上〉と〈若菜 下〉では、源氏の人生の頂点とも言える栄華に浸る日々が描かれていますが、そこに衛門督(えもんのかみ)の君(柏木)という人物が登場します。この督の君と、『猫』との関係がこんな風に描かれます。姫宮のことが気になる督の君は、『やり場のない気持ちをなぐさめようと』、唐『猫を招き寄せて抱きあげ』ます。『猫には薫物のよい香りが移っていて、腕の中でかわいい声で鳴く』という光景。そんな『猫』を『思わず恋しい人と思いなぞらえてしまう』という督の君のことを『ちょっといやらしい』とツッコミを入れる紫式部。そんな督の君は『唐猫を手に入れて、夜も自分のそばに寝かせ』、『やさしく撫でてはたいせつに飼』います。『すり寄ってきてはごろりと寝転がって甘えるのを、なんとかわいいのかと』思う督の君。『ねうねう』とかわいく鳴く『猫』を『撫でまわし、「寝む寝む」と鳴くなんて、やけに積極的なやつだ、と顔がほころぶ』督の君はこんな歌まで詠みます。

    『恋ひわぶる人のかたみと手ならせばなれよ何とて鳴く音なるらむ
    → 恋してもどうにもならない人の形見だと思って手なずけた猫よ、おまえはどういうつもりでそんな声で鳴くのかな』

    そんな『猫』の顔をのぞきこんで『おまえとも前世からの縁があるのかもしれないね』と話しかける督の君は、『ますますかわいい声で鳴く』『猫』を『懐に抱いてぼんやりもの思いに耽』るというこのシーン。猫好きな人には時代を超えて督の君に感情移入してしまうかもしれないこれらの表現。平安の世から『猫』というものが人の生活の場でとても大切に愛でられていたことがよくわかる描写だと思いました。

    次に二つ目は、『手紙』に関する表現です。当然のことながら、インターネットもなければ電話もない平安の世。恐らくは今よりも気軽に人と人が会うこともできなかった時代なのだと思います。そんな中で人が人と繋がる手段が『手紙』です。この中巻には幾箇所かにこの時代の『手紙』がどんなものであったかを伺わせる記述が出てきます。第二十二帖〈玉鬘〉において、大夫監という男が、玉鬘に熱心に言い寄ってくるというシーンがありますが、そんな大夫監の出す恋文をこんな風に表現します。『筆跡はそうひどくもなく、唐の色紙をかおり高い香で薫きしめ、みごとに書けたと自分では思っているが、言葉遣いはひどい訛りようである』。筆跡、内容というのは分かりますが、『かおり高い香で薫きしめ』という記述、『唐の色紙』という記述が目を引きます。同じく〈玉鬘〉で、末摘花が源氏に出した手紙は『香を薫きしめた陸奥国紙の、少々年を経て黄ばんでしまった厚いもの』で『筆跡は、格段に古風』と描写されます。ここでも『香を薫きしめた陸奥国紙』とやはり紙質、香の記述が入ります。そして、第三十四帖〈若菜 上〉で、明石の入道が女御に出した手紙は『じつに堅苦しく無愛想だが、陸奥国紙の、年数がたっているので黄ばんで厚ぼったい五、六枚、さすがに深く香を薫きしめてあるものに書いてある』というものです。末摘花が源氏宛に出した手紙同様に『陸奥国紙』が使われています。当時、上質の和紙として重宝されたという『陸奥国紙』。しかし、明石の入道が出したそれは『厚ぼったい』と差をつけています。他の通信手段がなかったからこそ、思いを込める『手紙』、そこには紙質にこだわり、相手が読む時の嗅覚に訴える香の力をもってその繋がりを確かなものにしようとする当時の人たちのこだわりを強く感じさせる表現だと思いました。

    そして、三つ目は往時の人々の生活ぶりをさりげなく表す表現です。第二十二帖〈玉鬘〉で京都から初瀬参りに赴く玉鬘の一行を『弓矢を持った家来二人、そのほか下男や童が三、四人、女たちは三人で、みな壺装束(外出着)に身を包み、樋洗(排泄物の処理係)らしい者と高齢の下女が二人ばかりお供している』と表現します。『ひっそりと目立たない』という一行ですが、『樋洗(排泄物の処理係)』という記載がえっ?と時代の違いを感じさせます。一方で、第三十四帖〈若菜 上〉では、『椿餅や梨、みかんといった食べものが、箱の蓋にいろいろと無造作に置かれているのを、若い人々ははしゃぎながら取って食べている』という食の風景の描写があります。羊羹で有名な”虎屋”のWebサイトに”光源氏も食したお菓子”として詳述もされている和菓子の『椿餅』の他、『梨、みかん』といった果物を『はしゃぎながら』食べる往時の人たち。そして、『適当な干物を肴にして、酒の席となる』という今の世であっても決して違和感のないその食の風景の描写を見ると、人の世の基本的な部分は何も変わっていないのかな、そんなことも感じさせてくれました。

    ところで、さてさての「源氏物語 上」のレビューでは、訳によって物語がどんな風に違って見えるのかを第一帖〈桐壺〉の中から『桐壺更衣が帝の愛を独り占めしている』と『ほかの女たちの恨みと憎しみを一身に受ける』ことになった状況について触れたシーンの一文で比較してみました。一方で「源氏物語」は、世界の20言語以上もの外国語に翻訳され世界で愛されている作品でもあります。ということで、この中巻のレビューでは、英語に翻訳された「源氏物語」に少し触れてみたいと思います。中巻のレビューではありますが、日本語の現代語訳と比較してみるのがわかりやすいと思いますので、上巻のレビューと全く同じ箇所を英語訳の該当箇所から抜き出してみたいと思います。次の一文が上巻で抜き出した箇所および角田さんの該当訳になります。

    ・原文: いとまばゆき、人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事ことの起りにこそ、世も乱れあしかりけれ

    → 角田光代訳: 唐土でもこんなことから世の中が乱れ、たいへんな事態になったと言い合っている

    英語訳については、なんと今から140年も前の明治時代に、第四次伊藤博文内閣で内務大臣まで務められた末松兼澄さんの翻訳が初めてのものとされています。ロンドンへ外交官として赴任、ケンブリッジ大学に学んだ末松さんの訳がこちらです。

    → 末松兼澄(政治家・1882): There had been instances in China in which favoritism such as this had caused national disturbance and disaster; and thus the matter became a subject of public animadversion

    私には時代による英語の文法の変遷に対する知識は全くありませんが、140年前の英文と言ってもそんなに違和感はないような気がします。一方で、「源氏物語」をよく知る日本人ではなく、外国人の方が訳されるとどうなるでしょうか?三人の方の翻訳で同じ箇所を抜き出してみました。

    → Edward Seidensticker(翻訳家・1976): In China just such an unreasoning passion had been the undoing of an emperor and had spread turmoil through the land.

    → Dennis Washburn(ダートマン大学教授・2015): They were fully aware that a similarly ill-fated romance had thrown the Chinese state into chaos. Concern and consternation gradually spread through the court, since it appeared that nothing could be done.

    → Arthur Waley(大英博物館館員・1925): From this sad spectacle the senior nobles and privy gentlemen could only avert their eyes. Such things had led to disorder and ruin even in China.

    さて、みなさんには末松さんの訳を含め一番しっくりくるのはどの英訳になるでしょうか?刊行が2015年と新しいこともあってDennisさんの訳が個人的にはかっちりと分かりやすい、その一方で古典でなくなってしまうような?そんな印象も受けました。一方で、この中で有名なのがArthur Waleyさんによるもののようで、この1925年という時代の訳が西洋世界に「源氏物語」を紹介するのに一役買ったとされています。そして、この訳については、これを元に日本語に訳す、つまり逆輸入!したような本が存在しています。俳人の毬矢まりえさんと詩人の森山恵さんという姉妹が訳されたものです。該当箇所を抜き出してみます。

    → 毬矢まりえ・森山恵再訳: 海の向こうの国での政変や暴動もはじまりは、こんなことからだったなどとひそひそ囁き合うのでした。

    Arthur Waleyさんの訳と比較いただければと思いますが、これをこう訳すのか!という大胆な日本語訳になっているのがわかります。角田さんの訳と比べてみるとさらに驚きです。原文で”唐土”、Arthur Waleyの英訳でも”in China”と記述されているにもかかわらず、毬矢・森山訳では該当箇所を”海の向こうの国”と訳す意訳ですが、なんだかリアルさが薄れておとぎ話を感じさせもします。他の箇所まで細かく見たわけではありませんが、文章も自然でとてもわかりやすい印象を受けました。”原文→英訳→日本語訳”という不思議な流れを辿るこのお二人の訳本。英訳を間に挟むことで、英語に特徴的な主語が必ず入ってくることもあって、内容がそこで整理される分、分かりにくい部分がはっきりする効果がこの逆輸入版にはあるように感じます。レビューを書くための調査の中で偶然にその存在を知ったこの訳本、是非読んでみたいと思いました。

    さて、少し中巻の内容から離れてしまいましたが、そんな「源氏物語」のこの中巻では、上巻で三十五歳までが描かれた源氏のその後の姿が描かれています。『輝くようなうつくしさはたとえようもなく』とこの世に誕生した源氏は、上巻で苦渋も飲まされますが、中巻では安定した権勢を誇り、地位を上りつめていきます。第二十二帖〈玉鬘〉で太政大臣の地位だった時でさえ、『何にしてもゆったりと落ち着いた日々を過ごしている』という源氏は、『光君を頼りにしている女君たちはそれぞれにふさわしく、みな思い通りに身の上も定まって、なんの不安もなく申し分のない日々を送っている』と、周囲にも良い影響を与えます。そんな源氏のことを身近にいる女房がこんな風に評しています。

    『まことに彼は並外れたとくべつな人だ。今はまたあの頃以上に立派になって、「光る」というのはまさにこの人のことを言うのだと思うようなうつくしさが、ますます際立っている』。

    もうベタ褒めというところですが、そんな源氏の魅力を次の言葉はさらに適切に評していると思います。

    『礼儀正しく公の政務に携わっている時は、威厳に満ちてぱっと目立って、まぶしいくらいだ。一方、くつろいで冗談などを言ってたのしんでいる時は、またとないほどの魅力があって、すっと引きこまれるようなやさしい感じがするところなど、だれとも比べられない』。

    上巻を読んでいて、源氏のことがどこかただの色男といった印象を受けていたのが、中巻に入って、この表現がとてもしっくりくると感じている自分に気付きました。源氏の『またとないほどの魅力』。圧倒的な権勢が鼻につくという感覚が消え、『世にもまれなる人』という表現が的を得ている、この歴史的な書物である「源氏物語」は彼の存在無くしては語れない。そんな”ザ・主人公”的存在、それが光源氏なのだと思いました。そんなこの中巻では、上巻のレビューに書いた続きの物語、つまり、

    ④ 攘夷した天皇とほとんど同じ地位である准太上天皇へと上り詰め、栄華を極める。

    ⑤ 『ほんの少しでもこの人に死に後れるのはたまらないと思』っていた紫の上に先立たれ傷心し、出家を決意する。

    という物語が二十帖に渡って描かれていきます。そして、ここでポイントとなるのが”老いる”ということです。中巻最後の第四十一帖〈幻〉では、52歳となった源氏。今の高齢化社会であれば52歳という年齢はまだまだ現役もいいところの年齢だと思いますが、平均寿命が30歳と言われる平安の世にあっては老人ではないとしても歳を重ねた人という年齢ではあるのだと思います。紫式部さんは、そんな年齢のことを作品中で煽ります。第二十二帖〈玉鬘〉のある場面で、寝る前に、足を揉ませるために右近を呼んだ源氏は、こんなことを語ります。

    『若い女房は疲れると言って嫌がるようだ。やはり年寄り同士、気が合って仲よくなりやすいものだね』。

    第二十二帖〈玉鬘〉なので源氏はまだ35歳です。35歳で『年寄り同士』という表現は冗談込みだと思いますが36歳の第二十六帖〈常夏〉でも、

    『うちの奥方も年寄り同士で仲よくしすぎたら、やはりご機嫌斜めになるだろうかね』。

    とまた『年寄り同士』という言葉を用います。その先でも『年寄りはぐずぐず言わないほうがいい』、『こんな年寄りの私でも』、そして『年寄りのおせっかいだが…』、さらには『どれほど嫌な爺さんだと、うっとうしくて厄介だとますますお思いでしょうね』と、畳み掛けるように年齢を意識させる表現が登場すると、読者としてはどうしても源氏の年齢、老いを意識せざるをえません。中巻は上巻以上に、というより、源氏の圧倒的な栄華が描かれています。しかし、同時に人としての翳り、老いを感じさせる表現が、物語にどこか夕方へと向かう一日の終わりの感覚を感じさせます。この感覚を角田光代さんはこんな風に語られます。

    “生まれたときから持っていたものは、いかに彼が並々ならぬ人とはいえ、手放していかざるを得ないのである”

    人が年を取るということの意味を極めて適切に表現する中で、角田さんはそれが、

    “類まれなるうつくしさ、そして、なんでも吸収してしまう、のびしろだけでできているような、素質、才能、若さ、未来”

    だと続けられます。『逆さまには流れないのが年月』という時間の流れを人として次第に感じ出す源氏。”人は年を取ると丸くなる”と言った言い方をされることがあります。上巻でどこか嫌な奴感もあった源氏がさらに天下に上りつめていっているのに、上記した通り、人としての魅力が逆に増しているように感じられるのは、一方で人としての”老い”の定めを自覚しだしたことが多分に影響しているのかもしれない、そんな風に感じました。

    権勢を誇り、栄華を極め、この世を我がものと思うという歴史に残る平安の世を謳歌した藤原道長を思わせるかのように煌びやかな人生を生きた源氏。そんな源氏にも避けて通ることのできない”老い”というものの足音をそこかしこに感じさせるこの中巻では、一方で血が通う一人の人間・源氏の姿をそこに見ることができたように思います。そんな源氏が『長年連れ添った紫の上に先立たれ』てしまったその先に、

    『朝日がたいそう明るく差し昇ってきて、野辺の露も隠れる隈なく照らし出される。人の命もこの露と同じだと思うと、ますます世の中が厭わしくつらく思えて、こうして生き残ったとしてもあとどれほど生きられようか』。

    こんな風に、人の命を露に喩えるような心持ちへと変わっていく源氏。そして、そこには、

    『すべて胸を打つ感動も、教養も、おもしろいことも、すべて広くにわたってあの人との思い出が重なっているから、悲しみをいっそう深くする』。

    と、思い出の中に生きる源氏の姿がありました。中巻の物語は、そんな弱っていく、光を失っていく源氏の姿、ついには出家を考える源氏の姿を垣間見せる中に終わりを告げます。そして、源氏の死を暗示する〈雲隠〉という、本文のない巻名だけの帖で幕を下ろした中巻の源氏の物語。

    平安の世であっても生きとし生けるものものの定めでもある人の世の儚さは、千年を経た今の世と何も変わらないことを教えてくれる物語。長編小説の名手でもある角田さんが『読みやすさをまず優先』してまとめられた筆致の元、そんな今の世を生きる私たちの心が、平安の世を生きた人たちの心と何も変わっていないことに気付かされる物語。千年も後の世の人間の心を動かす物語を書いた紫式部さんの凄さに改めて驚くとともに、そんな物語を私たちの元に分かりやすく届けてくれた角田さんには、改めてお礼を申し上げたいと思います。

    上巻に引き続き、素晴らしい物語がここにはありました。多くの方に是非この作品を手にしていただきたい。「源氏物語」の世界にハードルを感じないでその世界を是非覗いていただきたい。改めてそう感じた日本文学の傑作だと思いました。


    では、いよいよ最後の下巻へと読み進めていきたいと思います!

    • 淳水堂さん
      さてさてさん
      いつも素晴らしいレビューをありがとうございます。
      「源氏物語」全編はまだ手を指す勇気がないのですが、もし読むときにはさてさ...
      さてさてさん
      いつも素晴らしいレビューをありがとうございます。
      「源氏物語」全編はまだ手を指す勇気がないのですが、もし読むときにはさてさてさんのレビューを思いながら読みます。
      長編も遊び心を持って楽しく取り組めそうです。
      2022/08/21
    • さてさてさん
      清水堂さん、こんにちは!
      いえいえ、こちらこそありがとうございます。
      「源氏物語」は物量もそうですが、やはり踏破するにはなかなかの力が必...
      清水堂さん、こんにちは!
      いえいえ、こちらこそありがとうございます。
      「源氏物語」は物量もそうですが、やはり踏破するにはなかなかの力が必要だと思います。私が選んだ角田光代さんの現代語訳では角田さんの小説の一つという思いに囚われる位、分かりやすく物語が提示されていると感じています。清水堂さんからいただいたコメントにもある”遊び心を持って”という点がとても大切だと感じてもいます。紫式部、「源氏物語」と聞くとそれだけで、”高尚な読み物”といった線引きをされる方もいらっしゃいますが、角田さんの訳本を読んでいて、「源氏物語」といったって、数多出版される恋愛小説と描かれていることは変わらない、そんな風に感じています。光源氏なんて、ただの”スケベ”な”女ったらし”の”エロジジイ”に過ぎない(失礼しました)わけで、だからこそ、現代の小説を読むのと同じように”遊び心を持って”読んでいければいいなと感じます。私のレビューはその点をかなり意識させていただきました。
      清水堂さんの起点の一つとなれれば幸いです。
      今後ともよろしくお願いいたします!

      P.S.脱線いたしますが、清水堂さんの「ハイジ」のレビュー、生き生きとした雰囲気がとても伝わってきました。楽しい読書の第一歩、ありがとうございます。
      2022/08/21
  • 『源氏物語』は、こちらの角田光代訳⇒谷崎潤一郎訳⇒ウェイリーが英訳したものを再度和訳した版、で順々に読んでいます。

    角田光代版感想 上
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/430972874X

    谷崎潤一郎版感想 一巻
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4122018250

    ウェイリー版 一巻
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4865281630

    なお、私は高校の時に王朝文学好きの友達に勧められて田辺聖子『私本源氏物語』を読みました。ここの語り手は光源氏のシモを処理するお付きの従者で、近衛大将だった光源氏のことを「ウチの大将」って呼んでいます。そこから友人たちの間でも光源氏のことを「ウチの大将」と呼んでいるんですよ。そこで、この先レビューでも光君のことは「ウチの大将」と書かせていただきますm(__)m
    そしてウチの大将の義兄でもある「頭中将」は「中ちゃん」と書かせていただきます。(私は読んでいないのですが「いいね!光源氏くん」での呼び名らしい)
    ※この巻ではすでにウチの大将は「大臣」、中ちゃんは「左大臣」に昇格しているのですが、「大将/中将」で通します!

    こちらの中編は『玉鬘』から『幻』まで。
    巻ごとの粗筋を辿っていきます。

    『玉鬘』
     ウチの大将は怨霊に取り殺された夕顔さんと中ちゃんとの間に娘である玉鬘ちゃんを引き取った。
     玉桂ちゃんの実父は中ちゃんなんだが、なんの仲介もないので名乗り出られない。ウチの大将は「世間並みに結婚して一人前になってから対面しよう」という。身分や社会地位の考え方がちょっと見えた。

    『初音』
     この時点でウチの大将は「大臣」で、中ちゃんは「内大臣(うちのおとど)」。
     年明のご挨拶の様子から、上級貴族のしきたりが見える。ウチの大将も女性たちも「年をとった」ことが感じられる。白髪が増えたな、とか。
     六条の屋敷(ウチの大将のお祖母様の屋敷あと)に住んでいるのはウチの大将が大切にしている女性。紫ちゃん、花散里さんと玉鬘ちゃん、秋好中宮(六条さんの遺した姫)里帰り用の部屋、そして明石さん。
     二条の屋敷にはそれほどじゃないけど面倒を見ている女性。末摘花さんと出家した空蝉さん。ウチの大将は出家後の空蝉さんの面倒もみていたのか!こういうところがウチの大将のいいところ。

    『胡蝶』
     玉鬘ちゃんは20歳くらいでたいへんな美人さん。求婚者がたくさん。ウチの大将は「自分の娘です」と言いながらも「実は中ちゃんの娘」と公表して自分のものにしたいなあという気持ちが抑えられなくなっている。「父親代わりなんだからいいじゃん」と御簾の中に入ってくるし共寝するし。ウチの大将も36歳、相変わらず「美しい/気品がある」と褒め称えられるが、内面は恥も外聞なくなってきている。
     ウチの大将もなにかと「自分は歳をとったから」と謙遜するし、玉鬘ちゃんにも力づくでモノにすることもないし、もしそうしたとしても「中ちゃんから婿扱いされるのも世間体が悪いよなあ」なんて考えて今ひとつ煮えきらない。

    『蛍』
     玉鬘ちゃんの求婚者のなかでも特に熱心なのは、ウチの大将の異母弟である兵部卿宮(蛍宮)と、鬚黒大将。ウチの大将は玉鬘ちゃんに言い寄りながら「婿にするなら弟の兵部卿宮かな、でもまずは内侍(女官)として宮廷に挙げようかな」などと、どうすれば自分が一番に都合が良いかを考えている。

    『常夏』
     夏の暑い日々にやってきた賑やか娘の話。
     ウチの大将が美女の隠し子を引き取ったと聞いた中ちゃんも、自分の隠し子を探したら見つかったのが「近江の君」という元気娘。やる気ありすぎて父や異母兄姉たちをドン引きさせている、んだがまったく気が付かず「私を宮中でお勤めさせて!」などやる気満々。夕霧くんに恋文出してあっさり袖にされて恥かいたりもする。

    『篝火』
     夕霧くんが友人たちと演奏したり歌を詠んで楽しんでいるところにウチの大将も交じる。

    『野分』
     秋の嵐の情景。
     夕霧くんが紫の上の姿をたまたま見ちゃって「うちの父ちゃん、あんな美女隠してるんだ!」などと思う。
     夕霧くんは、お祖母様(中ちゃんと葵さんの母宮)のお見舞いも欠かさない。

    『行幸』
     ウチの大将は、中ちゃんに「玉鬘ちゃんは実はキミの娘なんだ☆」と告げる。
    さて玉鬘ちゃんの身の振り方をどうするか?
    ①兵部卿宮を婿にする。②鬚黒大将を婿にする。③冷泉帝に尚侍(内侍司の長官)として宮中に入れる。

    『藤袴』
     ウチの大将は、玉鬘ちゃんを③にすることにした。

    『真木柱』
     あれれ?一つ話を飛ばしていないか???
     玉鬘ちゃんは鬚黒大将の妻になっている。どうやら尚侍に出仕する直前に髭黒に実力行使されてしまったようだ。
     ウチの大将も仕方なく婿として認める。

    『梅枝(うめがえ)』
     夕霧くんは宰相の中将に昇格。
     明石姫ちゃんが入内することになったので、ウチの大将は入念に準備を進める。特にお香の調合は、ウチの大将縁の女性たちがここぞと提出してくる。
    私は普段貴族の女性たちって何しているんだろう?と思っていたんだが、このような「教養」を習っていたんですね。

    『藤裏葉(ふじのうらば)』
     明石姫ちゃんが東宮に入内することになった。離れ離れになっていた明石さんとも目通りが叶い、宮中への付き添いも勤めることになった。紫ちゃんと明石さんもこの時に初対面となる。お互い相手のことを素晴らしい女性だなあと思い合う。…これ、見かけは穏やかな対面だけど、二人共気合い入れて身支度準備していたでしょ。ある意味女の戦いだよね。

     夕霧くんと雲居雁ちゃんは一緒に育ち、ずっと想いあっていたのだが、中ちゃんに怒られて引き離されていた。しかし世間では雲居雁ちゃんは夕霧くんのものと見なされていたので、中ちゃんも今更別の所へはやれないし、夕霧くんはどんどん立派になるし「改めて申し込んでくれたら喜んで婿に迎えるんだけどなあ…」と困っていた。さすがにいつまでも意地を張っていてもしょうがないと、夕霧くんをお屋敷に招く。
    これだけで「結婚認めるからさっさと娘の部屋に行け!」ということだとみんな分かっている。貴族階級って(^_^;)
     幼なじみとの恋愛を貫いたような夕霧くんだが、当時の風習として手を付けている侍女たちはいるし、『少女(おとめ)』で五節を舞った藤尚侍(惟光の娘)とはそれ以来秘密の関係を続けている。夕霧くんは「お硬い/真面目」といわれるが、その彼がここまでちゃんと女性に手を出しているというなら、色恋というのは個人の感情を超えた、やらなければならない政治や風習や文化の一種なんだろうと思うことにした。

    『若菜 上』
     ウチの大将は「院」と呼ばれる立場になり、夕霧くんは権中納言(後に右大将)、中ちゃんは太政大臣(おおきおとど)、その嫡男の柏木くんは頭中将、鬚黒は左大将になった。
     夕霧くんと雲居雁ちゃん夫婦は、祖母(葵さんの母上)の遺した三条の御殿にお引越し。

     ウチの大将の異母兄朱雀院は出家することにする。心残りは13歳くらいの三の宮の姫。しっかりした後ろ盾としてウチの大将に妻にしてもらいたいと思っている。
     これに関しては朱雀院お側の方々がウチの大将の性質を見抜いているというか。「確かに紫の上が事実上の正室だが、光君は身分の高い妻を迎えたいという気持ちが高い」。まんまと乗せられたウチの大将(39歳くらい)。
     しかしいざ妻にするとそのくせ「幼いなあ、張り合いがないなあ」とか言っている…。
     さらに朱雀院と離れざるを得なくなった朧月夜さんのところを強引に訪ねて、ちゃっかりと焼け木杭に火をつけた!!

     紫ちゃんは「自分は身分も後ろ盾もなく、いままで光君のご好意だけでこんなに良くしていただいたのだから、別の正室が来るのは当たり前。でもいざそうなってみるとちょっときついし恥ずかしいなあ」という気持ちを持つ。
     『源氏物語』に出てくる女性って「嫌だなと思うがどうしようもない」「恥ずかしくて返事もできない」「自分なんかがと卑下する」事が多いのですが、紫の上は割とはっきりをスネたり、自分を卑下することはなかったり、それなら他の人たちとも仲良くしようとしたり、教養を重ねたり。この時代の上流貴族女性のなかではなかなかはっきりした性格なんじゃないだろうか。


     明石さんの父である入道は、自分の孫娘が帝に入内して東宮を生んだことを知り「自分の願いは全て叶った。こうとなったら山奥で修行のみに励む。もはや私が生きているか死んでいるかを気にしないで欲しい。もし死んだと知っても喪に付す必要はない」と伝えて山奥に篭もった。
     この明石入道は、頑固な変わり者で我が信念を貫き通すところが登場人物として興味深い。

     冷泉帝に入内した明石女御は「桐壺御方」となったのですが、レビューではややこしいので「明石女御」で通します。その明石女御が懐妊して里帰り。この時12歳!(女三の宮より若い!!)出産大丈夫か!?私は本気で心配しましたよ、この時代の女性ってよくその若さで妊娠出産できたな…。
     
     ウチの大将をみる紫ちゃんは「自分は身分も後ろ盾もなく、いままで光君のご好意だけでこんなに良くしていただいたのだから、別の正室が来るのは当たり前。でもいざそうなってみるとちょっときついし恥ずかしいなあ」という気持ちを持つ。
     そんな紫ちゃん(この時37歳。藤壺さんの享年と同じ年)が病に倒れる。「出家させて欲しい」と願うのだけれど「ぼくが一人になったら寂しいじゃん」と了解しないウチの大将。

     柏木くん(督の君/かんのきみ)は、女三の宮ちゃんの姿を垣間見してしまって、恋心を募らせる。

    『若菜 下』
     どうやら冷泉帝は退位して、朱雀帝の皇子が今上の帝になっている。

     柏木くんは、ついに女三の宮さんの寝室に入り込み関係する。気持ちが幼い三の宮さんは泣いたり困ったりするだけで何もできない。二人の関係はウチの大将にバレる。
     夕霧くんはクモイちゃんとの間に子供も増えて、長年の妻として馴染みすぎちゃって面白みがなくなっている。惟光の娘の藤内侍との間にも複数の子供がいる。

     紫ちゃんの病は落ち着いたり悪化したり。ウチの大将が祈祷を頼んだら六条さんの物の怪が現れた!
     ええ!六条さんの物の怪って、葵さんと夕顔さんを取り殺し、紫ちゃんを苦しめてるの?ここまでくるとむしろ天晴だわ 

    『柏木』
     女三の宮は若君を出産(薫)する。
     柏木くんは病で亡くなる。中ちゃんの嘆き。
     親友の夕霧くんは、柏木くんの遺言で、北の方である女二の宮(三の宮さんの姉。落ち葉の宮)のことを頼まれる。
     
    『横笛』
     夕霧くんは、落葉の宮の元を尋ねて「妻になってほしいなあ」と仄めかす。柏木くんの形見として横笛をもらった夜、柏木くんが夢で「その笛は自分の血を引くものに引き継いでもらいたいんだよ」と告げる。夕霧くんは三の宮さんと柏木くんのことをちょっと疑っていたのだけど、さすがに面と向かっては聞けないままウチの大将に横笛を渡す。

    『鈴虫』
     秋好中宮は、母の六条さんが物の怪になっていることを知り、供養のために出家したいと希望するが、ウチの大将が許可しない。

    『夕霧』
     夕霧くんはわりと強引に落ち葉の宮と結婚する。ちゃんと結婚したからこの時代としては良いの??クモイちゃんとは相変わらず仲良し夫婦なんだけど「夫である自分が他に女通いをしないような堅物では妻であるあなたにも不名誉だろう。たくさんいる女性の中で大事にされることこそが女性の誉れでしょう」なんて言っている。この時代ってそうなんだなあと思って、納得はしないが理解して読み進める。クモイちゃんは、夕霧くんが落ち葉宮さんからの文を読んでいるのを後ろから取り上げたりしてけっこうかわいい。
     クモイちゃんは拗ねて実家の中ちゃんのお屋敷に帰る。義父の中ちゃんもちょっと怒ってる。夕霧くんは弁明とお迎えに行く。
     このあと夕霧くんの子供たちもそれなりに繁栄していくことが書かれる。クモイちゃんともまあ仲良くやっていくんだろう。
     私は昔は「二人の妻の間を半々通うなんて偏狭的。クモイちゃんが可愛そう」とか思っていたんだが、仲の良く気心のしれた夫婦でも月のうちの半分くるよ、と分かっていたら残りの半分は自分もゆっくりできるかもしれないとか考えるようになった。

    『御法(みのり)』
     ついに紫ちゃんが亡くなる。

    『幻』
     紫ちゃんを悼むウチの大将。
     夕霧くんが結構頼りになっている。夕霧くんは、女性関係とかちょっと執念深そうなところはちょっとどうなのよと思ったが、息子として、働く人として、友達としては頼りになるな。

    『雲隠』
    巻の名前だけで内容がない。
    内容を書かないことにより、ウチの大将の死を伝える。

  • 訳者で小説家の角田光代さんは、「この中巻(玉鬘)のあたりから、紫式部は「人」を描きはじめた、という印象を強く持つ。位相が変わった、と思う理由のひとつである。感情の描きかたの複雑さとリアリティ、その比喩の巧みさに私は何度も息をのんだ」とあとがきで述べています。

    押しも押されぬ有名作家として数々の作品を産み出し続けている角田さんがなんども驚愕せずにいられなかったほど、この一千年も前に書かれた物語は、壮大で、奥が深く、そして、驚異的な緻密さを誇っているんだなあ、と感嘆せずにはいられませんでした。

    角田訳における中巻は、光君が35歳で栄華を極めて以後の第22帖「玉鬘」から、50歳余りで彼が亡くなる第41帖「雲隠」までが収められています。

    上巻のあとがきでは、訳すにあたってなによりも「読みやすさ」を優先したとおっしゃっていた角田さん。歴史に名を残す文豪たちによる訳が既に数多くにあるのに「なぜ今私に話が来たのか?を考えた」結果として。

    その初志を貫いた角田さんの丁寧な仕事により、上巻に引き続きこの中巻も「異世界を舞台にした現代小説」であるかのようにとてもフラットに読むことができます。

    そのため、上巻において、数ヶ月どころか10年、20年、はたまた50年も先の展開に向けて無数に張り巡らされていた巧妙な伏線が、ゆっくりと、しかし、確実かつ完璧に回収され、単に収束するというレベルにとどまらずに、むしろ、人生における無常と悲哀、そして終焉という一つの大きな流れとなっていく見事な構造を、言葉への無理解や複雑さに阻害されることなく、じっくりと味わうことができます。

    それから、源氏物語が持つ「群像劇としての側面」を、明快にとらえ、しっかりした形にして示したのも、角田さんの努力のもう一つの結実だと思いました。

    源氏物語は決して主人公の「光君」だけの物語ではありません。
    原文からして、俯瞰の視点で、彼以外の多くの登場人物たちの心のうちの哀しみや悩みも大なり小なり丁寧に描写されています。
    作中の彼らは他者の心は知らなくても、作者と読み手だけが知りえるそれらの事実によって、より一層の奥行きと感傷が加わった、アイロニックなドラマ性を持つ物語なのです。

    この群像劇的な側面と厚みは、過去に源氏物語を訳した文豪でも、捉え方と表現に失敗している方もいる、とても難しいところ。
    ここをきっちり抑えた角田さんの途中の苦しみや迷い、努力、使ったエネルギーはたいへんなものだっただろうと思わずにはいられませんでした。
    彼女が訳しながら「紫式部自身が、悩み苦しんでいる人間の姿こそ人間の本質と(書きながら)思ったのではないか。」と思いを馳せたことが、まさに活きたのかと思います。

    次回の下巻は光君亡き後の、宇治十帖がメインになった世界。
    「さて、光君もついにいなくなってしまった。その後の世界を、紫式部はどんな風に描くのだろう。またあらたな位相へと向かうのか。もうしばらく、おつきあい願えたらうれしいです。」
    そうあとがきを締めくくった角田さん。

    勝手な妄想ながら、訳の仕事の話を受ける前は何の思い入れもなかったと大胆告白していた源氏物語にすっかり惹きつけられているのかと思われます。
    そんな彼女が次はどんな訳をしてくれるのか、宇治十帖が少し苦手な私でも、今からとても楽しみです。

  • 角田光代訳の『源氏物語』中巻です。ちょっと時間がかかりましたが読み終わりました。
    前半は夕顔の娘である玉鬘が話の中心となり、彼女の魅力に引き寄せられた男性たちが「オレが一番彼女にふさわしいんだ」と言い寄ってきます。親代わりとして玉鬘のことを引き取った光君もちゃっかりその輪の中に入っているのですが、玉鬘はまったくなびきません。上巻に比べて光君がかっこ悪かったなあ~。いや、上巻は上巻で別にかっこいいと思いながら読んだわけではないのですが、光君を嫌がってる玉鬘の様子と、それでもしつこく関係を持とうとする姿が情けないやらみっともないやら。彼女が別の人と結ばれたあとも未練たらたらだったし。上巻の威光が嘘のよう。でもそのせいか、これまでよりも光君が、より輪郭を持った存在になった気もします。
    あと、中盤の【若菜】あたりで登場人物が自分の把握できるキャパを超え、それぞれの血の繋がりなんかもわからなくなったので(さらに呼び名も役職に合わせて変わり誰が誰だか……)、関連書籍の助けを借りながら読んでいきました。そのため上巻よりも少々時間がかかりましたが、『愛する源氏物語』からは和歌の読み解きを、『ミライの源氏物語』からは現代の価値観に照らし合わせた読み解きを、『週刊光源氏』からはキャッチ―な文章による全体像の復習をすることが出来、より立体感を持って物語を眺められるようになったかなと。
    中巻では絶大な権力を手にした光君の生活と老いについて描かれ、紫の上や柏木や夕霧など、それ以外の人物にも焦点を当て、四季を魅せ、時間の流れを感じさせることで、徐々に世代交代していく様を見せていきます。いまの言葉でいえば、「エンタメ度」においては上巻の方がよっぽどはっちゃけている場面が多いので分があると思います。けど中巻は(もう少し適切に言えば【朝顔】あたりからは)、文学的な側面が強まり、人の心の機微がより繊細に、ときに意地汚さや弱々しさをさらけ出しながら描かれていたと思います。
    この『源氏物語』という小説は、誰が翻訳したかによって少しずつ印象が変わってくるのでしょう。しかし同時に、作品の芯となる部分には、ちょっと翻訳が違う程度ではそう簡単にはブレないものがり、だからこそ、これほど長い年月愛されてきたのだと思います。今回この”角田源氏”を読むことで、その「芯」にある物語にすこしはふれられたような気がします。次巻からは光君が亡くなったあとの話が語られることとなりますが、よく考えると光君が死去しても物語が続くってすごいよなあと。主役級の人物が亡くなったあとも続く物語って、この時代他にもあったのかな。そしてそれはつまり、「光君」は『源氏物語』の中心人物ではあるけれど、彼の人生が物語の「主役」ではない事を意味しているわけで、じゃあこの物語が描こうとしたのは何だったのかと、そんな疑問が浮かび上がる。それについては下巻を読めばわかるのかな?



    さて、以上が中巻を読んでの感想です。
    ここからは前回に引き続き、読書中に思ったこと、感じたことを適当にメモした例のやつを掲載します。源氏物語好きには優しい方が多いのか、思った以上にあたたかい反応をもらえたので、調子に乗ってまたやります。なので基本的には読み飛ばし推奨。

    【玉鬘】
    ・亡き夕顔の形見である姫君登場。
    ・光君はかつてひと時でも愛した女性たちのことをなかなか忘れないよね。えらいなあと思いつつ、嫌な言い方をすれば執着心も強いんだなあと思う。
    ・おお、運命的な流れ。これまでになく物語的というか、映画的な帖。

    【初音】
    ・花散里とは夫婦というよりきょうだいみたいな間柄になったのね。
    ・華やかー。英華の極みって感じ。光君もうやりたいことやったんじゃない? 理想のハーレムを築けたわけだし。

    【胡蝶】
    ・ふと思ったんだけど、54帖を人気順で並べたらどんな順番になるんだろ。たぶん国によって結果は変わってくるだろうから国別でもどうなるの知りたい。
    ・おいおい、親として引き取ったのに玉鬘にまで手出すつもりか光君。
    ・「……まったくなんとまあ、差し出がましい親心なのでしょう(P.75)」代弁してくれてサンキュー式部。

    【蛍】
    ・玉鬘は大喜利強い気がする。
    ・物語論を展開する光君。ここかなり重要な部分っぽい気が。作者である紫式部の物語に対する考え方のようでもあるし、源氏物語そのものを揶揄している言葉のようにも聞こえるし。
    ・台詞で「異国の物語は~」と言ってるけど、この時代に輸入された外国の物語って何を指してるんだろ。
    ・だんだん草子地のツッコミが激しくなってきた。ちびまる子ちゃんのキートン山田ばりに。

    【常夏】
    ・近江の君登場。双六好きなおてんば少女といった感じ。会話の中に双六の例え入れてくるの面白すぎる。明るいし友達多そう。いまの作品ならパンとか加えて「遅刻遅刻遅刻〜〜」とか言ってそうだな、この姫君。

    【篝火】
    ・3ページくらいのいままで一番短い話。紫式部はなんでこの話をひとつの帖としたんだろう。そこまで重要なことが起こるわけでもないし。

    【野分】
    ・あー、紫の上のこと好きになっちゃったよ夕霧。父ちゃんと同じ道をたどらないか心配。
    ・玉鬘に執心してるときの光君みっともないなあ。

    【行幸】
    ・内大臣と光君が久々に歓談。で、ようやく娘である玉鬘のことを知る内大臣。良かった、のかな?
    ・近江の君にはしあわせになってほしい、なんとなく。

    【藤袴】
    ・玉鬘モテモテだなあ。変なストーカーとかつかないといいけど。あ、光君がそうか。

    【真木柱】
    「などてかくはひあひがたき紫を心に深く思ひそめけむ」←なんでメモしたのか覚えてない和歌。
    ・あー、こういう結末になるんだ……(あさきゆめみしの内容忘れてる人)
    ・オチとして登場する近江の君。

    【梅枝】
    ・『文字禍』で円城塔が「二条院」を「ニジョーイン」と訳していたのが印象に残ってる帖。ニジョーイン。・すっごい華やかな場面だらけ。香木ってつまり香水みたいなもんか?
    ・首をかしげて頭に「?」マークを浮かべた夕霧が可愛い。そしてここで終わるんだこの話。

    【藤裏葉】
    ・登場人物の役職が変わるとそれまでの呼び名から、また別の呼び名に変わるから結構混乱する。内大臣とか頭中将とか宰相とかわけわかんなくなる。
    ・夕霧くんが幸せそうでなってよかった。
    ・光君40歳に。気づけばアラフォー。そしてなんだかすごく高位の位を授与される。雅びですなあ。



    ここでいったん一休みして、山崎ナオコーラさんの書いた『ミライの源氏物語』を読んでみる。
    んで、この本を読んでいたら、なんで玉鬘に言い寄る光君が以前よりもかっこ悪く、しかもやたらといやらしく感じたかが、なんとなくわかった気がした。それは光君がしつこいからでも、娘として引き取ったという関係性のせいでもなく、玉鬘がここにしか居場所がないことを光君がわかっていて、それを利用するかたちで関係を迫ろうとする”対等ではない状態”だからなのだと思う。幼い紫の上を引き取り、初めて関係を持とうとしたときの嫌悪感もたぶんそれと同様のものだろう。玉鬘十帖はそういう人間としての光君の弱さとかかっこ悪さが露呈している話だった。その上で光君の思い通りにならないところ、主役である光君のそんな情けない姿をあえて見せる点にこそ、この物語の素晴らしさーー"強度"があるのだとも思うけど。

    【若菜 上】
    ・「前斎院(朝顔)にも、今も忘れられずにお手紙をおくっていらっしゃるとか(P.278)」振られたのにまだ諦めてめてなかったんかい朝顔のこと。
    ・光君の誕生日にサプライズパーティー。
    ・んで、ようやく女三の宮登場。・というか何故このタイミングで朧月夜に会いに行くんだ光君……。
    ・紫の上の株が上がる一方。

    【若菜 下】
    ・猫を可愛がる人たち。1000年前から猫は可愛い。
    ・帝いきなり退位した。バイトじゃあるまいしそんな簡単にやめられるもんなのか。
    ・紫の上も出家したがってる。なんでみんなそんなに出家したいん?
    ・明石の尼君追加情報:相変わらず双六に夢中な模様。てかいい目を出したくて人の名前で願掛けするの面白すぎる。
    ・登場人物すごく多いな。ハンターハンターの暗黒大陸編ばり。
    ・てかまた六条御息所出てきた。ずっと付きまとってくる。すごい。なんかだんだん好きになってきた。いやというか、もしかして私朝顔に惹かれたんじゃなくて、物の怪として出てきた六条御息所に惹かれていたのかもしれない。
    ・おーおー、光君、姫宮と督の君のことを知ってずいぶん動揺しておられる。むかし自分がしょっちゅうやってたことなんだけどね。



    【若菜】の話が長く、ちょっと起こってる内容とか人物相関図がややこしくなってきたので源氏物語の関連書籍『週刊光源氏』を読むことにする。




    【柏木】
    ・督の君……。桐壺や葵の上が無くなったとき並に皆さま嘆き悲しんでおられます。
    ・赤ん坊の「はいはい」って原文だとなんて書かれてるのかと思って調べたら「ゐざり」っていうのか。ふーん。

    【横笛】
    ・しかしよくまあ、こんな展開を思いついて実際書いたもんだなあと思う。書き始めた時点でどこまで紫式部の中には構想があって、どこまで忠実に書かれたのか、あるいは構想から変更した部分はどこなのか、それが知りたい。

    【鈴虫】
    ・無常観について色々書かれてます。
    ・つうか死霊とか物の怪とか最近よく出てくるな! 面と向かっては言いたいことも言えないそんな世の中か。

    【夕霧】
    ・陀羅尼ってなに。こわい。
    ・夕霧くん、いきなりめちゃくちゃしゃべるやん。
    ・なんか久しぶりにわちゃわちゃした帖だなここ。
    ・『愛する源氏物語』には和歌の意味が詳しく書かれているから、余計に夕霧くんがやばい奴に見えてしまう。
    ・つうかしっかり拒否られてるのに、「やや脈ありかな?」って勘ちがいするの笑う。姫宮からしたら「早よ帰れ」ってだけだろうし。
    ・「あまりにも薄情なお心をはっきりと拝見しましたので、かえって気が楽になり、ますます一途にあなたを思ってしまいそうです(P.531-532)」おいおい……。
    ・恋愛下手な夕霧くんが遅くに恋の炎を燃え上がらせ、色んな人が振り回される帖でした。どうしても光君と比べて、「下手やな〜」という目線でみてしまう。てかよくいままで抑え込んでたな、なんかキャラ変したのかと思うくらい彼のヤバさが際立ってて異様だった。
    ・なんかぶん投げていきなり終わった! もう慣れたから別にいいけど。

    【御法】・みんなすぐ出家したがる……。出家出家って、そんな俗世が嫌ならお寺の子になっちゃいなさい!
    ・あー、紫の上がついに……。
    ・紫式部自身も出家したかったのかなもしかして。

    【幻】
    ・いかに多かる
    ・ここまでゆっくり読んできたこともあって、この帖はこらえがたいものがある。

    【雲隠】




    というわけで中巻の徒然感想文でした。なんか読み返すと光君に対する文句が多い気がしますが、普通に楽しんでます。
    俵万智さんの『愛する源氏物語』を読むと、作中に出てきた和歌がより深堀りして解説されており、場面ごとの解像度があがります。
    特に六条御息所については「生霊の人」というくらいにしか捉えてなかったのだけど、和歌の意味を知ることで、彼女の深い想いもわかり、感じ方が変わりました。【朝顔】における、光君と朝顔の和歌のやり取りについても、他者の意見を参考にしつつ、独自の、そして納得感のある結論に至っていてとても良い本です。つうか柏木は女三の宮に近づくために、側近の女房と先に関係を築いてたの!? ぜんぜんわかんなかった。しかも女三の宮はそのことを承知してるようだし。びっくり。
    とりあえず次は最終巻にあたる「下巻」ですね。

    ちなみこの巻で好きな姫君は近江の君です。すごろくにはまってる姿が忘れられない。好きな、というか心に残った帖は【幻】。

    • たけうちさん
      傘籤さん、こんばんは
      なんと『源氏物語』の正編を読み終えられたのですね
      いや、すごく早い、というか関連書籍を数多く読まれてて、のめり込んで楽...
      傘籤さん、こんばんは
      なんと『源氏物語』の正編を読み終えられたのですね
      いや、すごく早い、というか関連書籍を数多く読まれてて、のめり込んで楽しく読んでいらっしゃるのが伝わります、嬉しいです!
      近江ちゃんを好きになってくれて嬉しいとか、『週刊光源氏』買ったんですか!? とか、めっちゃ気になるところいっぱいの感想でした
      またnoteの方にも感想記事上げられますか? こちらからも怪文書返しさせて欲しいです、お待ちしてます
      2024/02/20
    • 傘籤さん
      たけうちさん、おはようございます。
      や、まだ中巻までです。前回までは文庫版で読んでたのが、今出ている最新刊まで追いついてしまったので、単行...
      たけうちさん、おはようございます。
      や、まだ中巻までです。前回までは文庫版で読んでたのが、今出ている最新刊まで追いついてしまったので、単行本版に切り替えたんです。
      関連書籍はたけうちさんがご紹介していた本がとても参考になってます!感謝感謝。近江ちゃんお気に入りです~。『週刊光源氏』は図書館にあったので借りました。ラッキー。
      もうちょい整えたらこれもnoteにあげるつもりです(ブクログを下書きだと思ってる人)。怪文書返しお待ちしてますね~笑
      2024/02/21
  • 若菜(上・下)を経て、物語が大きくうごいた中巻。
    源氏のこと好きじゃなかったけど、40歳をこえて次第に老いゆく自虐的な姿、柏木に三の宮を寝取られる場面等はなんとも哀愁を誘うようで憎めなかった。
    密通の因果応報、っていうフレーズ面白いな。登場人物のほとんどみんな、世の無情を嘆いて出家したがってるの凄い。
    「現世だけのことなら、なんということはない。とりたててどうということもないのです。ただ、来世の成仏の妨げになるようなことがあれば、その罪はまことに重いのです」
    まだ幼い女三の宮にそう話す源氏の言葉が、宿世の縁に重きを置く時代そのものを改めて感じさせてくれる。

    ほかにも、幼馴染みとして純愛を育みやっと結ばれた夕霧と雲居雁のすれちがいもすごく好き。手紙をめぐっての夫婦喧嘩が痛快。結婚してから関係性が変わっていってしまうのは千年も前から同じだったんだなぁ。

  • 角田光代による現代訳・源氏物語。
    亡き夕顔の忘れ形見であった姫君を縁あって源氏が引き取り手元で育てようとする「玉鬘」から、光源氏が亡くなったと考えられる本文のない帖「雲隠」までが収録されている。

    今回、角田訳で読んで驚いたのが、玉鬘への印象が全然違って見えたこと。
    前に荻原規子の訳で読んだ時は、この玉鬘が自分も持たずに光源氏に言い寄られては嫌がって見せるけどハッキリしない、という人物像に思えていたのに、今回、角田光代の訳で読んでみると、運命のいたずらで好色なおっさんに引き取られちゃって大変な目にあっているけど他の場所で生活していく糧も術もないのでなんとかうまいことやり過ごしている知性もあってしっかりした少女、という像を結んだ。
    むしろ、いいじゃないか玉鬘。あーあ、黒髭なんかと結ばれちゃって惜しいことしたなぁ、などと思う。

    原典は同じなのにこの印象の違いはなんだろう。もちろん受け取り手である自分の年齢や環境が違うというのもあるけれど、それだけでは説明できないような手ざわりの差で、どちらがいいとか悪いではなく、現代訳の影響力の強さを思い知る。

    夕霧の情けなくもみっともない恋の顛末は呆れた気持ちで読み(未亡人の隙につけ込んでコナをかけているわけで、もうそのすじだけを追うとかなり下衆な話だ)落葉の宮のかたくなさもいっそいいぞいいぞとことん拒否してやれと応援したくなり、読んでいて、ああ本当にこの物語は女性の物語なのだな、と思う。

    角田光代の平易な言葉で語られると、余計な装飾や千年前の物語であるという古色がそぎ落とされて、はっとするほど身近な平安王朝の女性たちがそこにいることに気づく。

    他の訳者の源氏物語で読んだ浮舟は自分は大嫌いなのだけれど、案外角田訳で読んだら好きになったりするだろうか。下巻も楽しみだ。

  • なんとか2部終了!
    達成感ありますね。
    ここで好きなのは、源氏が「人ごとでも嫌なものだと聞いていた小言を自分が言うようになるとは」と言うところ。
    若くてかっこよくて、何をしても許されていた?源氏がいつの間にか中年になってる!としみじみ感じる言葉です。
    なんでこんな言葉を紫式部は書けたんだろう、人間観察が鋭いのか。
    今なら、優秀な編集さんがいてアドバイスをもらえるのに。この時代は、お仲間たちからイロイロとアドバイスくれたのかしら。
    と、想像しながら読んでおりました。

  • 220801*読了

    読む前は光源氏は完璧なまま、華々しく人生を終えると思っていました。
    上巻では若々しく、それこそ完璧な光君がいろんな女性を想いのままにしていて、想像通りだったのだけれど、中巻では、あの光君も40代、50代に。
    それでも歳を感じさせない美貌は謳われているものの、玉鬘からは疎ましく思われ、三の宮とも今までのような色恋といかず(歳の差を考えればそれはそうか)、上巻では感じられなかった衰えが見られました。
    とはいえ、准太上天皇となり、天皇と肩を並べる位までのぼりつめたのはさすが。

    私の推し、多くの人の推しであろう、紫の上の死はなんとも寂しく…。
    ただ、一度、息を引き取ったと思わせて、再び元気とは言わないまでも小康状態にまで戻ったのはすごい。紫の上の強運を感じます。

    そして、紫の上が亡くなると、光君もどんどんと弱々しくなり、ひっそりと人生の幕を閉じてしまう。
    まさか、光君の最後は一つの巻として語られず、空白の巻があるのみだなんて!
    1000年以上も前にこんな粋なことをするだなんて。紫式部さん、恐れ入ります。

    下巻からは主人公が変わるということで、どんな話になっていくのか楽しみです。

  • 20210506
    光40台。

    退位した天皇と同じ位をさずかり、沢山の女たちに囲まれて過ごすけど、心は藤壺の面影が残る紫の上一筋?

    そして、あの人の生霊がここでもまた。
    大勢が苦悩していました。華やかで忙しそう。

    GW読了。

  • 上巻はすました感じがしたが、中巻は感情が渦巻いていて読んでいてどんどん進めていけた。

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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