理性の起源: 賢すぎる、愚かすぎる、それが人間だ (河出ブックス 101)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309625010

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  • 理性とは何か。

    「俺の理性が残っているうちに、とっとと消えるんだ」「理性的になりなさい」とか、「理性を失いそう」など、茫然自失、暴力や性的、時にスーパーサイヤ人に変身するタイミングで使われる〝理性“という言葉。冷静さを失い、衝動的な精神状態に変化する境目を表す言葉である。

    本著では、それを合理性と非合理性として区別して説明する。理性的だからといって客観的な最適行動が取れる訳ではないのだから、理性=合理的にはなり得ず、単に感情が落ち着いている状態に過ぎないと思うのだが、このツッコミは一旦置いておく。

    理性の起源について、思弁的、哲学的な答えを除けば進化論的アプローチだという。それを二重過程説、つまり、「ヒューリスティックに真偽を判断する情報処理プロセス」と「論理的に判断するプロセス」が人間には併存しているという事、換言すると、「直観的理性と熟慮的理性」に区別する。頭が良いかは別として、落ち着いて考えるかどうか、だ。直観的に最適解を出す、熟慮したが不正解みたいな現象は、想定しない。

    という事で、思考スタンスの違いが人間にはあるが、それは進化する上で必要な違いだったという話。思考した結果については、直観的かつ正解のパターンは天才とか、熟慮の誤りは愚鈍とか、当然散布図の中にはそうした存在もある。

    リンダ問題や4枚カード問題、ストリップバーでのチップ額による研究論文など、有名な話も多く紹介されるので二重過程説も含めて、焼き直し感、既視感の高い読書。副産物として、客観的な合理性とは何かを改めて考えさせられた。

  • 《ヒトの子供には「過剰模倣」(overimitation)という現象があることだ。これは大人がある対象に対して一連の動作を行なうのを子どもが見たときに、子供はそこに因果的にまったく無意味に見える動作が含まれていても、それを含めて大人の一連の動作全体を模倣するという現象だ。例えばある実験では、大人がある箱のフタを空けて中に入っていたものを取り出すのを子供が見る。大人がする一連の動作の中には「フタを棒でたたく」などの「ものを取り出す」という目的には因果的に無関係な動作が含まれている。しかし自分の番になったときに、子供はそうした無意味な動作を行なってから箱のフタを開けることが知られている。おもしろいことにこの過剰模倣はチンパンジーには見られない。ある動作が目的達成に明らかに無関係な場合、チンパンジーは躊躇なくその動作を飛ばして関係ある動作のみを行なうのである。
     こうした過剰模倣の傾向が儀礼の世代間伝達に強力に働くのは容易に理解できる。したがってヒトには儀礼を行なうための心理的傾向性が早くから備わっているように見えるのである。》(p.194-195)

  • 進化と理性は両方とも興味ある分野でこれまでも何冊か読んでおり、中にはその2つがはっきりとクロスオーバーした形で論じられているものも既にあったが、今回は帯の「戸田山和久氏推薦‼︎」のアオリに惹かれて思わず購入。本書は人間が「合理的」であることの意義を探り、「1)そのような性質がどうして我々に備わるに至ったのか」「2)時として過剰な合理性を呈してしまうのは何故か」の2点について、認知心理学、科学哲学、進化生物学等の諸分野を横断しながら考察したもの。

    ダニエル・カーネマン "Thinking fast & slow" 以来、二重過程論についての一般向け書籍が多数出版されてきたが、本書ではそれら諸学説が簡潔にまとめられていて、これまで得た知識を再整理するのには役に立った。しかし逆に言えば既存の説を教科書的に紹介するのみで、著者なりの知見や新しい解釈の提示はあまり多くない。例えばジョシュア・グリーン「モラル・トライブス」と重なる記述が多く感じられたのも個人的にはマイナス。各章間に挟まれる「ボックス」にはもっと掘り下げて貰えると面白そうなテーマが提示されているのに、ちょっと残念。ただ文章は読み易いのでこの手の本を初めて手に取る向きにはうってつけかも。なお、表紙に人間の子供の写真が使われている理由は終章まで読むと明らかになる。

  • 図書館2017.5.10 返却5/23

  • 哲学の授業で紹介された文献の中で一番興味を持ったため、レポートのネタにするという意味でも読んでみた。

    理性の起源が進化論的に検討される。
    自分にとってほとんど既知・部分的に既知な素材が、哲学的に再構成され、新たな見方が提示されていくような感覚だった。
    『進化と人間行動』などで知った進化生物学の話、ずっと昔に読んだ論理の本や『教養の書』などで知った推論や論理パズルの話、『やばいマーケティング』などで知った認知バイアスやヒューリスティックスの話、進化生態学の授業で知った進化のゲーム理論的分析の話、『ファスト&スロー』(全部は読んでないが)で知った心の二重過程説(システム1・システム2)の話、各種脳神経科学本で知ったワーキングメモリの話などが登場した。
    最後に述べられる人間の核心には「想像力」があるという話は、他でも聞いたことがあるように思う。行動で知性を測るのではなく、脳内の想像力で知性を測るべきであるというような主張をするTEDトークを見た気もする。

    既知内容が多かったのであまり「学んだ!」感はなかった。とはいえ、既知内容が多かったからこそ深い理解ができたとも言えよう。
    全くの未知内容についての簡単めな本、既知内容を発展させていく難しめな本、どちらも読んでいきたい。今回は既知内容を発展させていく本だったが、簡単めでもあった。

    未知内容としては、〈テイク・ザ・ベスト〉ヒューリスティックスと重回帰分析の正答率比較実験が面白かった。過剰適合について深く納得。

  • 人間が理性的な判断ができる固有の認知モデルについて、筆者の仮説や論点提示から丁寧な思考過程を辿りながら学べる。

    心的リハーサルという認知能力がキーになっている。時や空間を超えて、認知、想像する力を人間はもっているから、見えないもの、心的距離の隔たってた対象にも判断ができるし、自分を超えて、集団としての判断をくだせる。

    未来を考えられるからこそ絶望もする人間だが、希望を持てるのも人間ならでは、という視点は的を得ている。

  • サイエンス

  • 「少しの理性は進化的に有利だった」とは言えるかもしれないが、だからといって「理性的であればあるほど進化的に有利だ」とは言えそうになのである。(p.48)

    「自分が知っている選択肢をそうでないものよりも選ぶ」という戦略を「認識ヒューリスティックス」と呼ぶ。その言葉でギゲレンツァは、自分が知っている選択肢を選ぶということは、コストのかからない簡単な問題解決の方法として優れていることを示唆しているわけである。(p.114)

     本書のメッセージの一つは、人間らしい認知能力の背後には仮定的思考あるいは真てきリハーサルがあるということである。心的リハーサルについては第4章で詳しく説明したが、これは平たく言えば「想像力」と呼ばれるものに対応する。(p.214)

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著者プロフィール

網谷 祐一(あみたに ゆういち) 
1972年生まれ。2007年3月京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。哲学博士(Ph.D.) ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ)より取得。米ピッツバーグ大学(ポスト・ドクトラル・フェロー)、京都大学文学研究科(研究員)、東京農業大学生物産業学部准教授を経て、2019年4月より会津大学コンピュータ理工学部上級准教授。主な著作に、『理性の起源――賢すぎる、愚かすぎる、それが人間だ』(単著、河出書房新社、2017年)、『進化論はなぜ哲学の問題になるのか』(共著、松本俊吉編、勁草書房、2010年)ほか、論文多数。

「2020年 『種を語ること、定義すること』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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