セロトニン (河出文庫 タ 6-5)

  • 河出書房新社
3.31
  • (3)
  • (4)
  • (5)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 228
感想 : 9
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309467603

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  セロトニン。耳にすることが多くなってきた単語で、ということは、それほど商業的な存在になり始めたのかしら、その実態は、バナナにも日光にも、果ては、蜂の毒針の成分にも含まれているというのだから、どこか神話めいた雰囲気を醸し出し始めるのも時間の問題なのかもしれない、そんな単語をタイトルに冠した作品。

     読んでいて、はっきりとはしない微かな痛みが、ずっと胸のなかにあって、例えるなら、小学校四年生とかに感じた、あの先行き不透明感でやけに曇りの日ばかりが印象に残っている、掃除の時間のあとの、どこかかび臭い教室の匂いと、机と椅子が憎いものに変わったあの気持ち。もう遠ざかってしまったので、応援やら、取り巻きやらでわちゃわちゃとしていたスタート地点を懐かしく思うも、ゴールにはまだ遠く、人の気配も、走ってる目的もぼやけて忘れてしまうそうな、マラソンコースの途中にいるような気持ちかもしれない。

     で、このうっすらと感じる痛みの正体こそ、本作がメインテーマに添えた「セロトニン」と名する、幸福についてではないかしらと、思った次第。

     横断。ここは着目していいと思う。物語のスタートから、スペイン、フランス各地と、主人公は移動を重ねるけれど、主人公が愛に破れた過去と、ヨーロッパが辿って来た歴史が綯い交ぜに語られていいくところが、四十六歳の中年、お金持ち(雑にいいますと)に属する、一定の階層人たちの苦悩を描写していて、特に、酪農家の親友が、政策によって事実上の廃業に追い込まれ自殺する背景には、ヨーロッパ全体のダイナミクスがあるところなんかが見どころかもしれない。これらはあくまで全体のリズムを作る流れだけど、より現実的な物語を好む人にとってはここまでで既に面白く読める(だろう)し、アルゼンチンの農作物(安価で大量)の流入と、農家の悲惨極まる現状なんかを広く知るには入門書的な物語かもしれない。

     本題。個人の幸せ。特に、ここでは男に関してだけれど、これがかなり痛かった。この男たちの不幸はいったい誰のせいなんだ。と考えさせられながら読み続けて読了に至ってしまうわけだけど、先ず作中に描かれた世界、社会は、個人に対して恐ろしく無関心で、イメージとしてはクラウドとサーバー、国家→社会→会社→個人、というような仕組みのなかで、個人の位置づけは一契約者としてサービスを利用させてもらうようなお客様で、お金や労働と引き換えにサービスや商品を利用、購入できるけど、あくまで他人でお客様で、購買力とその意志のある人向けに作られたシステムになっている。
     システムがメンテナンスに入るたびに、末端のユーザー(ここでは農家・酪農家などの第一次産業の生産者たち)は容赦なく切り捨てられる。
     宗教や愛国、自国の正義とか信念といった、構成メンバー全員が参加する既存の価値観は破壊されたというよりか、それに変わる経済システムの存在で、自然消滅、あるにはあるけど、来訪者が少なくなりすぎて縮小運営する古い遊園地みたいに形骸化している。
     現行のシステムには大義名分として、個人の自由を掲げているも、自由を追及すればするほど孤独になっていくジレンマのなかで、そんな外部の巨大なシステムに頼らずに人が手に入れることのできる、最古の幸福が愛であると定義していく。
     が、これにも失敗。失敗する人が続出していて、その人たちに焦点をあてて描かれた物語なだけあって、敗北者たちを取り巻く環境は悲惨極まりない。けど、逃げ道はいつだってあった。酪農家の親友エムリックは自分で、工業化する農業に反旗を翻して、旧来の農業を行った末の末路だったけれど、それをしない選択肢もあった。少なくとも袋小路みたいな未来を選択したのは彼の自由意志であって、システムが一部の自由意志を尊重するようには出来ていないのと同じで、彼のラストか彼の選び取ったシナリオなのだから仕方ない。
     主人公はもっと普遍的なこの時代を象徴する一個人。自由に耐えることのできない大勢の人々が、この個を尊重し、その意志を尊重する世界で、壊れていって、その壊れ方も人それぞれで、それでもこのシステムのなかで、生きていくためには処方箋がいる、そんなわけで、セロトニンになるんだけど、ここでセロトニンを服用すればするほど、性欲が減退してEDになり、彼の考える愛のスタートであるセックスができなくなる。それは誰とも愛ある関係を結べなくなることで、事実上の自由の消滅でもある。だから、必然的にストレスに蝕まれて、大量のコルチゾールが分泌され、肥満体になり、その結果死にいたる病に次々に罹患することになる。
     自由と言っても、それはシステムないで定義された一商品なのかもしれない。商品棚に陳列されている、賞味期限と消費期限、それからプライスタグの垂れ下がっている。選んでいるのではなく、選ばされているのかもしれない。彼がその点を誤解していたのが、不幸の最たる原因でないかしら、そして、世界は、そんな噓を真顔で「信じるのも、信じないのもあなたの自由です」と言い放って、多くの人がそれに従ってしまう。テレビやYouTube、SNS媒体の利用者のヘビーユーザーと言われる人々がそれに該当する。参加者自体が支えているゲームに意気揚々とプレーヤーとして参戦して、そこでのルールや価値観に染まって行き、最終的にはそこから出られなくなってしまうようなイメージがある。ユーザーという言葉が嫌いだ。だれも嫌悪しないのだろうか。お客様という言葉もだ。「かも」ってことだ。そのことが自由である筈がなないでしょうと思う。それは契約関係なのだから。
     愛がそれとは違うというのは、色々な種類の愛があるのでわからないけれど。たしかに愛はお客様じゃない。全てが不確実で、支配できる類のものではない。勃起主義、男根主義が男の人をプログラミングしているとして、それができなくなった人と同じ状況には立てないために正確なことはわからない。解決策はあるんだろうか。八種類ある愛の形態の残りがあるかもしれない。ただ、この主人公は全ての愛に破れてしまった。
     そう。それまで人を生かしてきた価値観から見放された人への鎮魂歌というか、その人たちの現状をより正しく伝えようとしたのが本作なのだったのかもしれない。ここまで話してきた、ああすればいいのに、こうすればいいのにはやっぱり当事者には届かないし、物語と読者の間にはあまりにも距離が空いている。少なくともここではの距離の遠さが物語の強度になってる。
     最期の人々は誰もが徴を持っている。が印象に残った。
     それは取っ掛かりのようなものなのかもしれない。わたしたちひとりひとりが、確実に精子と卵子から生まれたように確実で、それとは逆に不可視の徴。

     書き方に関して言えば、造形の深さ、特に、主人公の人物造形は徹底してあったと思う。最後は共に心中するような両親、まさに時代によってもたらされた危機に喘ぐ友人とそのドラマに関わりを持たせる且つ、葛藤が生まれるように、親友らサイドに仇名す国家の役人サイドとしての職業生活、日本人のセックスの権化みたいなガールフレンドと女性からの裏切りと男性の尊厳の消失、男女平等を旨とするリベラルさは持ちながら、対の概念である愛による最愛の人の可能性を限定させる結婚に踏み出せなかった、人間的な幸福と社会的な概念の間で真っ二つに引き裂かれる内面。お金も時間もあるのに、心を許せる家族や友人の消失。と、この時代の犠牲者の象徴のような人物像の特徴を、ひとつひとつもとにして設定したような造形の緻密さを感じる。
     そして物語の進行する場所を自分が無意識に選び取っていた、回想のための経路という設定も、多少つぎはぎが目立つところがあったけれど、うつ病になり抗うつ薬を服用しているという設定が、異常を正常なものにしている。小説には、そんな異常を正当化する力が求められていると思う。歴史背景や情勢も加味しながらの信仰は、物語を一人称的な範囲にとどめないで、広く三人称の土台の上に成り立っている主人公という風を強めているのも参考になった、権威主義者はこういう裏付けがあるとすぐに心を開いてくれそうだし。
     アイテムとしては、リズムを出すのに運転、ベンツG350・暴力の具現としての銃、シュタイヤー・マンリヒャー、建物、雑誌、スーパー、ホテル、メニューなどの実物も、主人公の外的環境を具体化するのに適していた。
     エムリックの自殺場面では、デモ隊と保安隊の衝突を4メートルの超大型農業機械、高速道路四車線を使っての表現はインパクトがあった。

     「この矛盾のせかいをきみたちはどういきてるんだい?」

     といった問いかけが、ビッグメッセージだったように感じる。

  • どこかで面白い展開がやって来ることを期待しながら読み進めたが、結局は最後まで陰鬱な内容で退屈な感想だった。

  • 22.9.30〜11.11
    夜中にテレビを無音でつけると落ち着いて〜って描写、鬱の時から個人的な習慣化してたから、ここまで人間の行動とか心理は似るものなのかと愕然とさせられた。どうしようもなくウエルベックの作品に共鳴する部分が自分の中にあるなあと、読みながら何度も思った。

  • うーむ。
    私にはまだ良さが分からない

  • 前に読んだ闘争領域の拡大より面白かった。鬱病の男が人生と過去の女たちを振り返るという内容で、孤独の袋小路に陥っても自殺する勇気もない、というところで終わる。
    単純に浮気がバレて振られました、で終わる話を神は凡庸なシナリオライターで〜とかごちゃごちゃ言ってたりするし、男は〜女が〜とか主語がでかくて読んでていらいらする。そういう小説でそういう男ですと言われればそれまでだけど。
    主人公のセックスへの異常な執着はともかく、現代社会の個人主義のいたる孤独がこれですという話にしたいのは分かるのだが、単純に浮気バレたら誠心誠意謝って追いかければ良かったじゃん、気に入らないことがあればまず話をすればいいじゃん、ただ単にこいつが他人に対して何もしてこなかっただけじゃんと思うので、なんか共感できない。

  • 恋人ユズの人生に自分の不在を認めると全ての痕跡を消し立ち去ったフロラン。そこから昔の親友を訪ねたり恋人たちのことを振り返ったりしながら自分の居るべき場所を求め、いつしか過去に追い詰められていく。

    時代の終焉と人生がシンクロする。
    射精できなくなった主人公が射撃の練習を始めるのが暗示的。

    社会や人との繋がりが望めなくなった時、自分は存在しない、けれど抗鬱剤の作用で死なずにはいる。言うと何だけどその感覚けっこう解る。

    ただただ陰鬱で悲惨な話にもなりうるのにコミカルに感じるのはウエルベックの作風の切なくて好きなところ。

    乳牛を愛でるフロランがなんだかいじらしい。

  • 最初の数ページで挫折した

  • 孤独の最果て
    死ぬこともできない

    両親が最後まで手を繋いでいることができなかったところ
    パズルに興ずる子供を撃てないところ
    写真を選んで貼り出すところ

全9件中 1 - 9件を表示

著者プロフィール

1958年フランス生まれ。ヨーロッパを代表する作家。98年『素粒子』がベストセラー。2010年『地図と領土』でゴンクール賞。15年には『服従』が世界中で大きな話題を呼んだ。他に『ある島の可能性』など。

「2023年 『滅ぼす 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ミシェル・ウエルベックの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×