なにかが首のまわりに (河出文庫 ア 10-1)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309464985

感想・レビュー・書評

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  • 3月初めに小さな旅をしている途中、小川洋子の読書ラジオ番組を聴いていた。初めて聴く番組で、初めて知る作家の小説だった。アナウンサーの朗読と共に小川洋子さんが一冊の本を解説する番組だった。

    1時間で、アルジェリアからアメリカに渡った女性の青春をすっかり知った気になり、私の知らない世界を垣間見た気になった。ちょっと気になって本を取り寄せたのだが、まさかあんな豊潤な世界が、こんな18ページほどの短編だったとは思いもしなかった。私は少なくとも、中編のよく練られた黒人女性のアメリカ留学の1年間を見せられたのだと思っていた。しかも、フィクションはあるかもしれないが、これは作家の経験したことだと確信していた。それほどまでに、ひとつひとつの「言葉」が立っていて、しかも無駄な「言葉」はひとつもなく、詩のように語られていた。

    チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

    この舌を噛むような作家は、12の短編全てで、12の人生を切り取り、そして鮮やかに表現している。ホントに自分の経験を書いていないのか?と思ったが書いてないのだ。読んでいくと、現在のアメリカ黒人差別運動の現場に居合わせている気分になるような描写もある。

    表題作に戻ると、朗読では気がつかなかったことに、3つ気がついた。ひとつ、会話には「」は使われていない。よって、まるで詩を読んでいる気分になる。ひとつ、ずっと(主人公の女性のことを)「きみは‥‥と思った」と過去形で語られている。朗読では女性の恋人になる白人男性からの呟きだと勘違いしていたが、白人男性は「彼」と語られていた。だからもう一つのことも、私は確信を持った。主人公女性はアルジェリアから留学して親戚のおじさん家に間借りするが、レイプを強要されそうになり、家を出てレストランで働き出す。そこでまるきり違う「アメリカという人間の世界」で生きることになる。その時「何かが首のまわりに絡みついている」のを感じるのである(この「なにか」は精霊なのかもしれない)。自分を理解してくれそうな白人男性と付き合うことで、その感触は薄れるのではあるが、父親の急死を聞いて彼女はいっとき故郷に帰ることになる。白人男性は「帰ってくるよな」と聞くが黙って彼女は別れるのである。

    果たして彼女は帰ってくるのか?

    小川洋子さんは「帰ってこない」派だった。実はこの文体そのものが、彼女と白人男性はうまくいかないことを証明していた。ということが読んでみてはっきりわかった。

    こんな波乱万丈の物語を短編で見せて、なお、余白を感じさせるストーリーテラー。すごいと思うが、一編読むのに物凄く疲れて、この一冊でもういいや、という気になった。黒人文化に興味ある人には、必読文学だと思う。

    アディーチェの文学が文庫化されたのは、これが初めてらしい。ただし高い。300ページちょっとで、1150円(税別)である。もちろん、内容の濃さはそれ以上だ。

  • アフリカ関係の本は、滝田明日香さん以来。(そうえいばキリマンジャロ登山の本とバッタの本は読んだ!)
    滝田さんが繰り広げるエピソードは、私の知らない世界であり、わくわくしながら読んだことを覚えている。

    本書の、チママンダさんは、世界的に活動されている。
    本の評価が高いことは知っていたけれど、活動拠点はアフリカではなくアメリカ。来日もしていて、松たか子さんが朗読???
    なんとも驚くものがある。

    アフリカに私は行ったことなく、はっきり言って知らない世界である。
    それをいいことにアフリカのイメージが作られてきた感がある。
    それを証明するものが、FACTFULNESSのチンパンジーアンケートである。
    にしても知らないことが多すぎる。
    この本は、マスコミにつくられたものではなく、アフリカの暮しから出てきたもの。アメリカへの移住、査証取得に伴う面接に関する切実な対応・対策については、確かに驚いた。特別な心構えが必要なのである。
    出張で同行していた人が(アフリカではありません)、イミグレーションで賄賂を要求されて払っていたけれど、まだまだどこもかしこも腐敗しているのかな。

    今回滝田さん、チママンダさんに共通して感じたことは、治安の悪さと、腐敗した警察、根底にある宗教である。バッタの本にも(あまりにも有名な本なので、これだけでわかるひとはわかるとおもう)、信頼していたドライバーに盗まれた話がでてくる。
    はやり怖いイメージはあるけれど、どうなんだろう。

    ーーー
    317頁

    『闇の奥』的なイメージのアフリカは、アフリカを反人間としての「他者」と見なすことが可能な場です。つまり、西側諸国の人々がその人間らしさを試す場ということです。

  •  かく言う自分ももう20年以上生きているわけで、多少なりとも世界のことも分かったつもりでいました。しかしこの小説を読んで、自分はいかに何も分かっていなかったのか、と思い知らされた気がしました。

     この本の著者はチママンダ・ンゴズィアディーチェという、ナイジェリア出身の女性。そんな彼女の感性で描かれた短編が、12編収録されています。

     彼女の短編は目に見えない暴力をすくい取り、自分の中にある偏見や思い込みに静かに訴えかけます。まず一つは先進国の人間が持つ、アフリカへのステレオタイプな偏見。

     二週間ほど前、書店の店頭で、アフリカはもう援助の対象ではなく、投資の対象である、と帯に書かれている本を見ました。そのときは「なるほどな」と思ったのですが、この中に書かれている小説を読んで、自分は心の底では、そんなことは全く考えていないことに気づきました。

     表題作「何かが首のまわりに」でアメリカの大学に通うことになった、ナイジェリア出身の主人公に対し、他の学生は興味津々で、
    「アフリカにはちゃんとした家があるの?」だとか「アメリカに来るまでに車を見たことはあった?」
    といった質問をします。

     そうした質問に対し、主人公は怒ることもなく微笑みます。なぜならそういう質問がくることは、すでに予想済みだったからです。

     自分自身、そこまで無知でもないし、失礼なことを言うこともないとは思いますが、本質的にはこの学生たちと一緒なのだと思いました。

     バラエティーの海外ロケで見るような、先住民のようなイメージのアフリカ観は、どうしても簡単には抜けません。だから、そうしたステレオタイプな見方を受ける、アフリカの人々の心情をというものを、これまで考えたこともありませんでした。

     しかしこの作品集はそうしたステレオタイプに対し、怒りをほとんど見せません。透明感ある繊細な描写で、そうしたステレオタイプがあるという事実を。
    そしてそうした偏見に対しての違和を、ただ丁寧に切り取ります。

     それがより、社会に埋め込まれた偏見の残酷さを浮かび上がらせているような気がします。
    おそらくステレオタイプな見方が当たり前になりすぎている現状に対して、怒りの感情を文章に織り込むことすら、著者はバカらしく感じたのではないか、と自分は思いました。

     だからこそ著者は怒りで反抗するのではなく、染み入るような語り口で、事実を積み上げることで、読者の理解を誘うような作品にしたのではないでしょうか。

     そして著者は次にジェンダーや家族観についても切り込みます。最近でこそ男女平等という言葉が叫ばれ始めましたが、現実的なところ日本はまだまだだと言われています。

     しかし、アフリカの女性を取り巻く環境も厳しいです。生活のため、恋愛感情でもなく、養ってくれる男性と結婚する女性たち。でもそれは一方で、男性の庇護下に完全に置かれるということでもあり。

     他にも一夫多妻的な考え方であったり、女性は養われるもので働くべきではないという考え方、長男がなによりも優先される環境、さらには性的な搾取……

     そうしたものに対しても、作中の主人公たちはほとんど怒りを露わにすることは、無かったように思います。
    これも先ほどのアフリカへのステレオタイプと同じように、丁寧にただそうした思考があるという事実と、それに対する違和を丁寧に繊細に切り取ります。

     自分は男であるため、女性側から見たジェンダーの問題には、どうしてもうとくなりがちですし、おそらく気づいていないことも多々あるのでしょう。

     この中にあるような露骨なジェンダー感は、減りつつあると思いますが、でも未だに日本にも残るステレオタイプな見方と、それに縛られる女性の存在というのも、考えさせられました。

     そして三つ目が価値観の押しつけ。特に印象深い短編は「結婚の世話人」と「がんこな歴史家」

    「結婚の世話人」では、アメリカ人の元に嫁ぐことになったナイジェリア女性が主人公。
    これまでの食文化や言語に対し、いちいち矯正されるばかりか、名前すらアメリカ人には言いづらいから、という理由でそのうち慣れると言われ、変えさせられます。

    その裏には、アフリカ文化への侮りと、自分たちの文化への絶対感、そして「”アフリカの女”を養ってやっている」という傲慢さが透けて見えるような気がします。

    「がんこな歴史家」は今後のため息子に英語を話させようと、教会に母子が訪れる場面があるのですが、それを機に息子が西洋的な考え方になり、母親と距離が生まれていくのが、印象的でした。

     価値観の押しつけがある一方で、自分たちはアフリカの現状をニュースなどで”知ったつもり”になっているという”無理解”にも、この短編集で気づかされます。

     暴動に巻き込まれ、姉とはぐれた女性を描く「ひそかな経験」では、暴動に巻き込まれた現在の状況と、カットバックで無事家にたどり着いてからの、女性のその後のことが描かれます。

     そのカットバックのところだったと思うのですが、ラジオニュースで暴動で死傷者がでましたと流れます。
    でもその死傷者は、ニュースになる頃には数字でしかないわけで、
    デモが起こった事実と、死傷者の数字に対しどういう悲劇や物語があったのか、ということはそぎ落とされています。
    しかしこの小説では、その数字と事実の物語と悲劇を描き、この二つの事実の乖離を浮かび上がらせます。

     その場におらずニュースを聞いて”わかったつもり”になっていた自分にとっては、これもまた衝撃を受けた短編です。

     そして無理解ということにおいては「アメリカ大使館」が最も衝撃を受けたかも知れません。
    夫がジャーナリストのため、政府軍の兵士から襲撃を受け息子を亡くした女性が、国外へ逃れるためビザを発行してくれるアメリカ大使館に行くのですが……

     大使館の中の冷房の効いた部屋で、その人物が嘘をついていないかだけに注意を払う外交官たち。
    一方で政情不安な国から脱出するため、熱い中、日陰も無いところで数時間。
    ビザが発行されるどころか、そもそも外交官と会える保障もないのに、並び続ける人々。

     さらに主人公の女性は自分の話をするとき、決して泣き過ぎないようにと釘を刺されます。なぜなら泣き過ぎると、嘘くさく見えてビザが発行されないかもしれないからです。

     残酷なまでに埋めようのない大使館と、人々の距離を、そうした描写で伝えることもすごいのですが、彼女の最後の選択を読んだときも、また衝撃的でした。
    ”悲劇があるという事実を知っている”だけで、”事実の意味を深く考えたことのない”自分がそこにはいました。

     自分の中にあった凝り固まった価値観や無理解。それに対しこの小説は静かに丁寧に、見えない暴力や思考を掬い上げ示すことで、解きほぐそうとします。

     それは、汚れていることにすら気づかずにいた泉が、ゆっくりと浄化されていくような。
    そして浄化されることで「この泉ってこんなに汚れていたのか」と今更気づくような。そんな感覚を自分は覚えました。

     数年前にどこかで「アフリカ文学が今熱い!」的なことを聞いたような気がします。
    (アフリカ文学やアフリカ文化と一括りにするのも、この本を読んだ後ではためらわれるのですが、とりあえず便宜上……)

     そしてようやく読むことができたわけですが、今までの自分の価値観では、決して気づけなかったことを、この一冊でたくさん感じることができたような気がします。

     事実やノンフィクションはもちろん重要です。でも、小説や文学の力、そしてフィクションも想像力もそれに決して劣るものではないと思います。
    こうした小説が、より広い世界に羽ばたくことをただただ祈ります。

  • これぞ読書の醍醐味、という体験。わたしにはまだまだ知らない世界がたくさんあるという気づき、読み進めるごとに心に出来る引っ掻き傷。

  • 舞台はアフリカだったりアメリカだったり、登場人物たちも様々な人種ですが、あっこの感覚は味わったことがある…と思うことしきりでした。
    生きづらさはどこにでもある、でもそんな中でも強く生きる女性たちが眩しい。
    「ひそかな経験」「なにかが首のまわりに」「明日は遠すぎて」が特に印象的でした。ひそかな経験、はここにいたらなかなか出くわさないけど緊張感が凄かったです。
    これまで接する機会のなかった地域の文学…色々と読みたくなりました。まずは知るの大事。

  • ひとを愛するということは自分が知らない人生を知ることだ、と私が敬愛する灰谷健次郎さんは言ったが、この本を読むまでは私には知るべくもなかった、全く風土の異なる遠い異国の地の価値観や生き方を、匂いや温度をもった風のように感じられたことは私にとって得がたい喜びであり、それは作者の瑞々しい感性によって解き放たれた文章のおかげである。
    個人的には『震え』がたまらなく良いと思う。全編にわたり訳者の力量の高さも感じる。
    視点の幅が狭くなりがちなこの島国日本に生きる私たちにとって、固定化されかけたものの見方を、爽やかに一蹴するようなこの本の持つ意味は大きい。

  • ナイジェリアの女性作家の短編集。アフリカ文学はアチェベの『崩れゆく絆』や、『やし酒飲み』のチュツオーラは読んだけれど、近代の女性作家(アディーチェは1977年生まれ)を読むのは初めて。作品の舞台はほぼ彼女自身の経歴である留学先のアメリカとはいえ、ナイジェリアの近代史を知っていたほうがわかりやすい話もいくつかあった(私は読後に調べたので知らなくても読めなくはない)。とはいえ人間の心の動きには世界共通の普遍的なものがあり、どれも容易に感情移入できたし、鋭い!と思う表現が沢山あってとても読み応えがありました。

    すべての短編において、読んでいていいなと思った共通点は、人種差別やフェミニズム的なエピソードを扱っていても、被害者側の絶対の正義のようなものを振りかざさないところ。正しさはこれ、あれは間違い、という断定をしないところがとてもいいと思った。登場人物の内面を多方向から観察してあって、不満や怒りの裏側には自分自身の弱さや卑怯さが隠れていることがとても巧く表現されていると思う。

    とくに好きだったのは、失恋したばかりの女性とわけあり男性の友情を描いた「震え」読後にやさしい気持ちになる。アフリカ各国の文学者が集まったワークショップでの人間模様「ジャンピング・モンキー・ヒル」はシニカルで面白い上に、多くの問題が提起されていて考えさせられる。裕福な家庭で甘やかされて育った問題児の兄を妹視点で描く「セル・ワン」も、複雑な心理の変遷があって、なんともいえない後味。「明日は遠すぎて」は祖母に溺愛されている兄を疎ましく思う妹の心理にサスペンス風味があり。「がんこな歴史家」は収録作の中ではいちばん土着的な印象を受けた。

    ※収録
    セル・ワン/イミテーション/ひそかな経験/ゴースト/先週の月曜日に/ジャンピング・モンキー・ヒル/なにかが首のまわりに/アメリカ大使館/震え/結婚の世話人/明日は遠すぎて/がんこな歴史家

  • 文章を通して全く異なる文化に触れられたことが切実に嬉しい。
    しかし内容はかなり胸が痛い。
    女性はこうも運命を選択できないものなのか。

    宗教や国などの違いから生じる摩擦がナチュラルに描かれている。
    日本にはここまでのすれ違いはないし、ある程度女性も社会的に活躍できている気がするけど、だからと言って日本に生まれて良かったとは思わなかった。
    所々にあるマンゴーや、美味しそうな食べ物の描写の影響だろうか。
    また、あまり信仰がない私にとって、宗教が日常に根付いていることが少し羨ましかった。

    アフリカに馴染みがなくても、誰が読んでも既存の価値観や、固定概念について考えさせられる作品だと思う。

    普段馴染みがない文化、問題についてもっと知りたいと思った。

  • アフリカナイジェリアに出自を持つ著者が描く、性差、文化、世代間の違いによる摩擦。

    それらは違う舞台でありながらも、
    私たちが日常で出会うモヤモヤとしたズレとそう変わりはない。

    自分の中のステレオタイプなアフリカへの偏見に気付かされるとともに、この世界の“今”に私たちは共感する。

  • アメリカーナが面白かったので、こちらも読んでみた。
    一つ一つがとても短い話なのに、一話終わるたびに感じる余韻がすごい。本書で描かれている、ナイジェリアとアメリカの空気、それぞれの女性たちの感受性や生きる力などに触れ、視界が開けるように感じた。世界は広い。

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著者プロフィール

1977年ナイジェリア生まれ。2007年『半分のぼった黄色い太陽』でオレンジ賞受賞。13年『アメリカーナ』で全米批評家協会賞受賞。エッセイに『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』など。

「2022年 『パープル・ハイビスカス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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