- Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309464770
感想・レビュー・書評
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大好きな雑貨屋さんが旅のお供本と紹介されていた。「泣ける本ではないけど涙が出る」「それくらい好き」と聞いて、お取り寄せ。
涙は出なかったが、現地の生きとし生けるものへの賛歌と優しさで心は溢れ、感動が胸いっぱいに吹き渡った。旅をしている時には尚更突き動かされるのかな。
現地民の描写に関して時折感心できない箇所があったものの、基本的に彼女の言葉にはハッとするような美しさが秘められていた。(絵画的に留まらず音楽的!)
作中様々な事件や死も巻き起こるが、今回の旅では筆者による自然現象の描写やそれらへの敬意の方が深く心に残った。貴重な雨季から滅多に起きないという地震にまで。
さすがにマイナス→プラスイメージには切り替わらなかったけど、こうした自然現象にまで命が宿ったみたいで周りの景色が開けた気がした。
筆者が単身(…ではなかった!実は)アフリカに渡るに至った経緯が一切なかった。時代背景やら色々気になって先にあとがきを見たらしっかり補足されており、これが何だかんだで助かったのだった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
イサク・ディネセン、本名はカレン・ブリクセン。ペンネームは男性名だが、女性デンマーク人作家である。
28歳でブリクセン男爵と結婚してケニアに移住した。夫は浮気者だった。ディネセンは夫から梅毒を移され、終生その症状に苦しんだという。ケニアでは当初、夫婦でコーヒー農場の経営にあたったが、夫には経営能力がなく、それも理由となって離婚。ディネセンは単身で奮闘することになる。20年近い努力にも関わらず、だが、結局は、農場は軌道に乗らなかった。ついにディネセンは農場をたたみ、デンマークへと帰国する。
これはその間の日々を綴ったエッセイである。
そう書くとまるで失敗者の記録のようにも思えるのだが、本作は実に力強いきらめきを放つ。
上記の著者略歴は、巻末の解説によるもので、夫や自身の病気のことは本文にはまったく登場しない。
ただ、一対の感受性豊かな目が、アフリカの土地や人々をひたと捉えて描いている。直立する一対の足がアフリカの地を闊歩し、かの地の人びとと交わり、かの地に根差そうと挑み、不運にも敗れた。親しいものの死や、もちろん農場を失う悔しさ寂しさもあるのだが、読後感はどこかすがすがしい。
原題は"Out of Africa"(アフリカを離れて)。
つまりはアフリカを去った後の回顧録ということになる。デンマーク生まれのディネセンにしてみれば、ケニアは異国の地であるにも関わらず、本作の端々から覗いているように思うのは「郷愁」である。懸命に生きた日々、親しく交わった人々、二度と帰ることのできない場所。そんな哀惜の念がそこかしこに潜むように思われるのだ。
とはいえ、全体のトーンが湿っぽいわけではない。どちらかと言えば闊達でさばさばとした男爵夫人の姿が思い浮かぶ。
文化人類学者さながらにキクユ族やマサイ族の風習を考察する一方で、実際に彼らを雇ったり、交流したりもする。農場経営者として、1つの「城」を守る矜持もある。20世紀初頭のアフリカで、欧州女性がそうして生きることはどれほどの自立心を必要としたものだろうか。
ところで、本作を原作として、メリル・ストリープ主演、ロバート・レッドフォードが恋人役の映画が撮られている。そう、ディネセンには親しい男友達がいたのだ。デニス・フィンチ=ハットン。恋人といってよいのかどうかは本作からはよくわからないが、大切な存在であったことは確かだろう。映画の方は、かなりロマンス部分に重きを置いた作りであり、原題は原作と同じ"Out of Africa"だが、邦題は『愛と哀しみの果て』といささかメロドラマ的である。
デニスは自由と孤独を愛する人物だった。時折農場を訪れる彼とともに、ディネセンは、時にライオンを狩り、時に飛行機に乗った。本書中でのこのあたりの描写は短いが非常に美しく、読ませどころである。
結局、2人の関係はデニスの事故死という衝撃的な結末で幕を閉じる。ディネセンが彼のことを大切に思っていたのは確かだろうが、レッドフォードほど「色男」であったようには思えない。ブリクセン家で働いていたマサイ族は、デニスのことを「ベダール」(ソマリ語で「はげてゆく人」)と呼んでいたというエピソードもある。興行映画としては幾分かの美化が必要であったのだろうが。
エッセイには点描のようにいくつもの小さな「事件」が描きこまれる。
生きているイグアナは宝石のように美しいが、死んでしまうと途端に灰色のコンクリートのようになってしまう話。
アフリカに来たての頃、スウェーデン人酪農業者がスワヒリ語の数の数え方を教えてくれたが、「9」の発音はスウェーデン語だと卑猥な意味があり、恥ずかしがり屋の彼はディネセンに「スワヒリ語には9はない」と言っていたという話。それでディネセンはしばらく、スワヒリ式の数え方は非常に独創的なものだと想像していたという。
農場をたたむ直前、農園仲間の女性が訪ねてきてくれ、2人で農園内を隅々まで歩いて確認しあった話。
そうした小さな挿話も、背後に物事を見通そうとする作家の「眼」を感じさせる。
失意のうちにデンマークに帰国したディネセンは、作家として歩み始める。
その生涯にわたり、おそらくはこの「アフリカの日々」が脳裏から消えることはなかっただろう。
美しい1冊である。 -
イサク=ディネセンは「バベットの晩餐会」で知った。大学生の時に「バベット〜」を読み、映像化もされていたのでTSUTAYAでレンタルしてビデオも見た覚えがある。本もビデオも面白かったと記憶している。
20数年後、ブックオフで本書が100円で(!)投げ売りされているのに出会う。「これは買うしかない」と手に取り、我が家の本棚に迎え入れた。
それから2、3年。パートの仕事を辞め時間ができた。満を持して読んだ。
アフリカの大地の美しさ、人々の生き生きとした姿が目に浮かぶような筆致。そして著者のアフリカの人々への分け隔てなさ。イサク=ディネセンは農場の女主人ではあるが、単なる植民地の搾取人ではない。目線が使用人やアフリカの人々と同じ高さなのだ。
そこには人間を人間として扱う精神的な公平さがあるように思う。そしてだからこそ本書が美しく感動する本であるような気がする。
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著者が1914年から18年間アフリカの農園で過ごした日々の記録。
アフリカの人々の生き方と壮大な大地を感じることができる一冊。そして郷愁も。
日本語訳も素晴らしく、美しい表現をゆっくり堪能することができた。
図書館でたまたま手に取った本であったのだけど、とても良かった。 -
ケニアのンゴング丘陵にある広大なコーヒー農園の主となったカレンは、借地人やハウスボーイとして働く土地の人びとや、野生の動物たちを通してアフリカという土地に深い愛着を抱くようになる。アフリカでの豊かな日々と、静かな悲しみを綴った自伝的エッセイ。
魔術的に美しい文章によって、言葉の世界に再構築された〈ディネセンのアフリカ〉。その素晴らしさを言い表すには、ひたすら文章を引用するしかなくなってしまう。
本書を閉じたあともまぶたに焼き付いて離れない宝石のようなイメージの一部を挙げるなら、空気に染められたように青く見える森と丘の景色。雑草用シャベルで卵を泡だて、見事なオムレツを作ってみせる料理の天才カマンテの手さばき。屋敷のなかで女王のようにふるまい、愛されたガゼルのルル。緑色に発光する森を背景に、影絵のようなシルエットで走り去っていくオオイノシシの親子。淡紅色のチョークを体に塗りたくって踊りの集会にやってくる若者たち。美しく着飾ってお茶会に出向き、優雅にケーキを頬張るソマリ族の少女たち。海底を車で走っているかのような錯覚を起こす夜のサファリ。デニス-フィンチ・ハットンの飛行機から見た、草を食むバッファローの群れ。二人目の若妻に毒殺された料理人。旧約聖書の時代を思わずにいられないイナゴの大群。最期まで威厳を失わなかったソマリの族長キナンジュイの死。ハットンの墓がある丘に寝そべるライオンたち。銃の暴発事故をめぐる少年たちの運命と長老会議も含め、ディネセンの手によってンゴング丘陵はひとつのユートピアのごとく描かれ、神話化されている。
ここに表されたのはディネセンが書きたかったアフリカであり、性病をうつした夫や病そのもののことは“書かなかった”。それは農園の女主人として自身を美化するためというより、さまざまな苦しみを抱えていたからこそ、アフリカでの日々を美しい思い出として残したいという切実な願いがあったためだと思う。後半になるとバークレーとデニスの死が暗い影を落とすが、前半の活き活きとした土地の人びととの関わり合いや生き物たちの姿を描いたパートが好きだ。太陽の位置を見れば正確に時間がわかる子どもたちが、鳩時計の鳩が飛び出す瞬間を見にぴったり15分前に家までやってくるエピソードなど、笑えるところもたくさんある。
第4部「手帖から」には完全にフィクションの断片も含まれていて、アフリカでフィクションを書くことと、ヨーロッパでアフリカでの日々を半ばフィクション的に〈再創造〉することの相互関係が窺えて面白かった。現実を言葉に置き換えた時点で、多かれ少なかれそれは虚構になっていく。言葉で〈理想のアフリカ〉を遺すという行為自体に、西洋から来て西洋に帰っていく人間の特権的な意識があることは十分に批判されるべきとしても、ディネセンはディネセン自身に誠実であろうとしたのだということはこの傑作を読めばわかると思う。 -
1914年から1931年まで、イギリス領ケニアにおいて農園を経営していたデンマーク人女性による、「アフリカの日々」。特に第1部の「カマンテとルル」は、アフリカの自然、人々を見事に描き出していると思う。あとがきにもあるが、著者の立場は農園主というよりも領主。それゆえ地元民との距離は遠いといえば遠いが、それゆえに憧憬にも似た眼差しを注いでいるところ、時代の限界ともいえるが、描き出された美しさは素晴らしい。
なお、文中にソマリ族の描写が出てくるが、高野秀行氏のソマリランドに関する著作で描かれるソマリ族の描写と重なり合うところが多く、100年経ってもあまり変わらないのだな、と妙に納得させられた。 -
アフリカコロニーを描いた文章は、雲をつかむようで、時に戻り、時に読み飛ばしながら進んでいく。でもそれは苦痛ではない。
そういうここではない時間がこの本の中にはあり、ここではない場所を私たちは感じるから。
ンゴマと呼ばれる踊りの集会、サバンナを駆けるキリンやゾウ、バッファローの群れ。族長の死とそして広大な大地で見る月・・・。
いつか見たい、それでいていつか見てきた、何か大きな景色がありました。 -
村上春樹の1Q84で天悟が読んでいたシーンを読んで読みたくなって購入。実にしっかりとした文章でリアルな世界が頭の中に浮かんできてとても印象的な書であった。
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文庫化により再読。
何でこう、アフリカについて書かれた文章というのは魅力的なのだろう。 -
ヘミングウェイの「移動祝祭日」にある名作。