- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309419466
感想・レビュー・書評
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「ファンタジーがやってきたのは春の終わりだった」
なにこれ?冒頭の一文からグイっと心にきた。
ファンタジーというのは神様。姿は(借り物らしいが)40歳くらいの日本人っぽくないオッサン。
主人公、河野勝男は敦賀の海辺に一人暮らし、仕事も結婚もせず、釣りをしたり、農園を借りて野菜を育てたりしている。宝くじで3億円当たったから、性に合わなかった会社も東京暮らしもやめ、大好きな敦賀でのんびり暮らしているのだ。家の中に砂浜の砂を入れて部屋を砂浜状態にもしていた。
河野が砂浜にいる時、突然ファンタジーが目の前に表れた。ファンタジーは神といっても
「俺は大したことないぞ。大体、神というものは何もしないのだ」
「俺様はそんな都合のいい神ではないぞ。奇跡だってあまり上手くない。せいぜいが孤独なものと渡り合うくらいだ」
「俺様のことは野次馬だと思ってくれ」
とファンタジー自身が言うように「役立たずの神」である。
河野の家で一緒にお好み焼きを食べ、風呂にも入り、河野のアロハシャツを借りて着ていた。
全く普通のオッサンみたいなのだが、それが見える人にしか見えないのだ。
ある日、河野の車でファンタジーと出かけているとき、目の前でジープが左折してきた。ファンタジーは「飛び出せ」と言った。河野は飛び出さなかったが、ファンタジーは「今、お前さんの運命の女が走ってきた。ぶつかれば縁になったのに」と言った。河野は「アホか」と言ってその場は終わったが、後日、その女の人と浜で会った。
敦賀が好きで、海が好きで、本が好きで、河野が作る料理が好きで…とても気の合う綺麗なその人の名はカリン。だけど、キャリアウーマンで会社では課長でしょっちゅう転勤している忙しい人だった。河野は大好きな敦賀を離れられないので、月に1・2度しか会えなかった。
もう一人の女の人も登場する。それは河野が会社で一番仲の良かった片桐。片桐はいつも親身になって河野の相談にのってくれるのだけれど、河野は片桐を女として見ることは出来ない。片桐は何人かの男性と付き合っているが、本当は河野のことが好きだった。河野と片桐とファンタジーで、日本海側を敦賀から新潟までドライブに行くシーンがあり、途中で泊まるところがなくてラブホテルに泊まったりするのだが、ファンタジーがいるから全く何も起こらない。けれどファンタジーは他の人には見えないから(河野と片桐には見えている)端からみたらカップルに見えるというのがなんともおかしい。片桐は河野にとって何でも打ち明けられる都合の良い親友だった。
ロマンスでもあり、三角関係のドラマでもあるのだが、ファンタジーがいるから、この小説はファンタジーなのだ。パステルカラーでマシュマロのようにフワフワしたファンタジーが間に入ってくれているから、小説そのものが「大人のファンタジー」になっている。
河野という30代の男が一人で世捨て人のように(仙人のように)敦賀の海辺でのんびり暮らしていること自体が「ファンタジー」であるが、河野にはずっと背負っている自分の過去があり、それが原因でカリンを抱けずにいた。
誰にも言えない自らの汚い過去や今の仕事の重圧などを背負って、人間は本当は孤独でいる。「ファンタジー」はあまり役には立たないけれど、そんな人間(動物のときもある)に寄り添ってくれている。(ということに最後は気づくのだ)
読んだことのない種類の美しい小説だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
福井県敦賀市を舞台に、主人公の河野と「ファンタジー」とのひと時を描く『海の仙人』と、手紙形式の短編『雉始雊』の2編を収める。
河野は宝くじで3億円を引き当てたのを機にデパート店員の仕事を辞め、敦賀の海沿いで仙人のように暮らし始める。
そんな彼の元に突然現れるおっさんの「ファンタジー」。何の説明もないので読者は面食らうが、河野を始め登場人物の大半は「ああ、ファンタジーね」という感じで、どうもなじみの存在らしい。
ファンタジーはたまに予言めいたことを言ったりするが、基本的には人畜無害である。河野は彼と生活を共にするうち、しだいにその存在に救われていく。
敦賀に住み始めてから、河野はかりんという年上の女性と知り合う。お互いに大事な存在となっていく二人だが、もう一歩距離を詰めることはできない。そんな中、河野の元に、元同僚で一番仲が良かった片桐という女性が突然会いにきて、河野はなりゆきで彼女(とファンタジー)とともに北陸へのドライブに旅立つことになる。
ファンタジーの存在といい、仙人のように暮らす河野といい、ちょっと不思議で、一見おとぎ話のような雰囲気の物語だが、登場人物たちの秘めた思いが少しずつ明らかになっていくにつれ、ビターな味わいがぐんと深まる。
物語に出てくる人たちは、みな孤独を抱えながら生きている。時には互いに寄り添い、楽しいひと時を過ごすこともあるが、基本的にはある一定の距離を保って人と対峙している。
孤独を自覚することには痛みを伴うが、彼らの言動にはそれを受け入れる覚悟が感じられる。
彼らだけではない。人間は誰しも孤独なのだ。そしてそれを自覚している人は強い。それでも時には孤独の痛みがつらいと感じることもある。そんな時、気のおけない仲間やファンタジーがそっと寄り添ってくれる。そのほどよい距離感が心地よい物語だった。
『雉始雊』は、田舎で暮らす夫婦ののんびりとした日常を微笑ましく読んでいたら、最後の一文でぐっと心をつかまれた。『海の仙人』と同様、孤独な人に寄り添う素敵な物語。 -
自分を尊重し、他者も同等に扱う。
一見冷たく見えるが、その奥には深い愛が横たわっている。
姿は見えない、でもそこに居る。ふとした時に現れる。それがファンタジー。自分の”想像”のことなのかな?いつもふんわり想像する。だけどたまに、本当に目の前の現実と置き換わってしまうような、想像が見える時がある。それがファンタジーなのかな。
わからなくても良い。曖昧さを残すことで、世界はうまく進んで行くのかもしれない。
激しくも、心地よかった。 -
大好きな絲山秋子さんの再文庫化された一冊。最初に読んだのはいつだったか忘れたけれど、んで、すっかり内容も忘れていたけれど、ゆったりと流れる時間の中にも、ぎっしりとそれぞれの人生が詰まっていた。絲山さんの小説に出てくる人物は、絲山さんに愛されているなあ、といつも思う。読んでる私たちも、彼ら全員が愛おしくなる。
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敦賀。ファンタジー。とても静かで優しく、寂しく美しい。いしいしんじさんの解説もよかった。
情けなくても、理不尽でも、生きることは美しいことなんだと思う。
絲山秋子さん、好きな作家に躍り出た! -
「海の仙人」は、爽やかな、研ぎ澄まされた言葉で語られた、ユーモラスな要素もあって味わい深い小説でした。
「雉始雊」もシンプルな物語で、自然の描写が美しく、最後の展開に驚きました。
良い本でした。 -
絲山秋子にハマって手に取った2作目。やはり良い。片桐のキャラクターがとにかく好きでずっと読んでいられる。何気ない一言で確信をついてくるような表現素敵です。少し遠い未来の自分の大人像のようなものがこの作品を読んでわかった気がします。
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伸子さんプレゼント本。
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雉の話は好みです。