チッソは私であった: 水俣病の思想 (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309417844

感想・レビュー・書評

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  • 私にとって大事な本のひとつになりました。
    性格もあるとは思うのですが、こうあってほしい未来というよりも、こうはなってほしくない未来の方が自分のなかには強くあります。

    そのディストピアの一つが水俣病にみられるシステム社会による構造的暴力あるいは構造的搾取ともいえる状態です。世界的な目線でみれば今もずっとどこかで起き続けているし、過去の傷跡が癒えることはないのだろうと思います。その傷を私たちは無視してはいけないと思います。

    緒方正人さん、生き抜いてくれて本当にありがとうと言いたいです。葛藤を言語化して、さらに本として世に送りだすことがどれほど大変なことか。

    「もし自分があのなかにいたら…」
    そういう想像力がとても大切なのだということを気づかされました。二項対立、二者択一、そんなに簡単なことではないのですね、人間社会というのは。

    そして、「システム社会の中の存在に本質的な意味があるんじゃなくて、・・・信をどこに置くかというところでもう一つ別な世界を創造するということが、どうしても出てくると思うとですよ。」とあるように、システム社会が悪いんだと安易に批判するのではなく、矢印を内側に向けること。自分の信をどこに置くのかをできるだけ全体を見渡しながら決めていく、そういった姿勢が大事なのだろうと思いました。

  • いのちの祈りの本。
    被害者か加害者かとか、関係者であるかないかとかの次元を超えて、私たち誰もがそれぞれに問われている。時代が生んだ名著でありながら、普遍的なことが深く深く語られている。

  • 水俣病に関する本で自分にとって一番大事な本。加害者でも被害者でもない立場から、加害者を責め被害者に同情する、それでは済まないのだと教えてくれる本。もし自分が企業や行政というシステムの中にいたとして、被害を止めるような行動ができたか?加害企業を含め当時の企業が実現した経済成長後の便利な社会で生きているのが、今の私たちではないのか?そして現代社会で、経済や効率を重視する考え方により、生物としての私たちが抑圧されたり、傷ついたりしていることはないのか?そうしたことを考えると、自分も、加害者にも被害者にもなり得た(なり得る)と思えてくる。
    もちろん一読者がそう思うことと、当事者が「チッソは私であった」と思い至ることとは重さが違う。苦しみから生まれる著者のこのような経験や思考こそ、思想であり哲学であると思う。

  • 「まとまらない言葉を生きる」荒井裕樹

  • 間違いなく私の人生を変えたと言える一冊です。
    著者の生き方に、ただ圧倒されました。
    考え方のスケールが大きいのです。

  • 公害の被害者が思考の結果、システムを要因と考え自らも加害者の要素を持っているという思考に至る点に関心を持った。
    その過程を見たかったが割とスッと書かれていた。エッセイをまとめたもので重複感もあり、かつ本人の語りべ文体でもありややダレた。

  • 私たちがその埋め立ててきた命の真実ということについて、一番根本をなすところは、私が思うには「人間の罪深さを埋め立ててきてしまったんじゃなかろうか」というところにあります。それは海や山に対する罪深さであり、侵してきたことの、埋め立ててきてしまったことの、海も山も川も汚してきてしまったことの罪深さです。それは私たちの先祖が眠っているはずのところですし、私は浄土がそこを離れてあるとは思えないわけです。
    その罪を背負いなおす。

  • 「はじめに」を読んで、あっ、これはあんまりちゃんとした文章を書く力のない人の書いたほんじゃないかな。
    読むのよすか…
    と思ったが。

    文章が粗であることを、大きく上回る思索、悩み苦しみ。胸に迫る迫力で、涙ぐんでしまった。
    考えれば考えるほど、ものごとはつながりこんがらがる。
    もっと手応えのある思考をしようとすると、結局自分に跳ね返ってくる。
    その不器用なまでの誠実さに、心打たれる。
    仕組み、組織、社会は狂う。
    例外なく。
    それらに損なわれつつも、それらから離れられない。
    そんな苦しみに真正面から向かい合う姿は、決して他人ごととは思えなかった。

  • 当事者が、加害・被害を超えて、人間の構造的な問題として捉える視座に至ることの凄み、重さ。

  • 水俣病患者と水銀を垂れ流した会社チッソの闘争を経て、患者認定申請を取り下げ、チッソの社員ひとりひとりに挨拶するようになった人の話。 ここ数年想像力の大切さを自分の近しい人には伝えていたトピックだけに興味深く読めた。もし自分が逆の加害者側にいたら、という自問から想像力の大切さに気づき、発した言葉が自分に跳ね返り、哲学領域に踏み込み、水俣病を通して自然、人間、システム社会を見て チッソは私であった という心に至る。世界をウォッチする際に魔境に至らないために想像力と自問は常に携えておきたいと思わせてくれた一冊。田口ランディさんの 水俣 天地への祈り と併せて読んで欲しいです。

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著者プロフィール

1953年熊本県芦北町女島生まれ、漁師。川本輝夫らと水俣病患者認定運動を患者として牽引したが、85年に認定申請を取り下げる。94年より石牟礼道子らと「本願の会」を結成。著書に『常世の舟を漕ぎて』など。

「2020年 『チッソは私であった 水俣病の思想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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