生きるための哲学 (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309414881

感想・レビュー・書評

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  • たくさんの先哲や市井の人々の極限とも言える状況を目の当たりにしてきた筆者が紡ぎだす生きた哲学の本です。
    人間は極限状態では嘘はつけません。そこからどのように人生を選びとっていくのか、それがどういう結末に繋がるのか、まさに人間というものを掘り下げて示してくれています。
    たくさんの事例の中に、自分の中の心の琴線に触れるものがきっとあると思います。自分の心が「とらわれ」ているものにも気づけるはずです。
    私の場合は「べき思考」でしょうか。努力すれば結果が出る。結果がでないのは努力が足りないからだと、自分のコントロールできる範囲外まで考えてしまうことです。そもそも思いどおりになることの方が稀なこと。「果たしてそれを考えることが自分に役立つか」と言えば役立ちません。常に問いかけたい言葉です。誠実にというのも危険です。自分の守備範囲を越えて問題に立ち向かう中で消耗することは避けられないでしょう。
    でも、そうやって生きてきたから、同じ事を繰り返してしまうんですよね。
    自分について掘り下げてよく知ることが大切。だから、読書って大切だと思いました。
    また、生きるための根本的な力を損なうものに、自分らしく、自分の人生を生きられないということがあります。そうした意味で、学生時代に郷里を離れ、自分の選びとった場所と人たちと生きていくことは価値がありました。自分で選びとったことなら失敗しても後悔しない。むしろ人の用意してくれた一見安全だけど押し付けのような道は健全な精神を損なう原因にも繋がります。時には道を外れることや非行に走ることにも意味があると本書は言います。因みに私は非行に走ったことはありませんからね(笑)大学の時、これまでの坊主からどうやって髪を伸ばせば良いかわからなかったんです(^-^;間違えてアイロンパーマをかけたら、髪が伸びるにつれよりによって桜木花道みたいな髪型になってしまいました。変な大学デビューみたいになって、「レッドヤンキー」と不本意きわまりないあだ名をつけられました。繰り返しますが私はグレたことはありません(爆)
    話がそれました。
    結局いつも同じような失敗を繰り返すのも人間の性(さが)本書で言うように、折れない失敗しない強さよりも、挫折から這い上がることの方が価値があるということは真実かなと思います。
    この本でかなり自分について知り掘り下げることが出来ました。精神医学の成果とも言うべき本書は、ある意味とても分析的、科学的で読みごたえがありました。

  • 著名人の例を挙げてくれることで、岡田先生の本はいつも読みやすいし、分かりやすい。だからこそ、さらっと読めてしまうという面もあるので、じっくり読むことを心がけている。この本もじっくり読んだ。
    本を読んで感銘を受けただけでは、私の人生は変わらない。変わるためには、何かしらの行動が必要だ。悪あがきでもいいのだと自分に言い聞かせ、年齢は関係ないのだと言い聞かせ、今やれること、やるべきことを一つずつやっていこうと改めて思った。

  • 何事も不満に思ってしまうか、むしろ良いチャンスと、ありがたく受け止めるかで、同じ境涯であっても幸福にも不幸にもなってしまうものである。
    という部分には共感した。
    以前の私は不満ばかり感じていた。だが、ある時、考えが変わった。
    不満を感じているなら、現状を変えればいいんだけど、変化への恐怖で結局何もせず、また不満の繰り返し。堂々巡り。そして、体調を崩す。
    体調を崩してから気づく。
    不満を言いながら一日を過ごすよりも楽しく過ごしたい。
    それから、意識が変わり、なんか以前より幸せを感じられ、感謝の気持ちを持てるようになった。

  • 生き抜くために必要なのは、学問としての哲学ではなく現実の苦難を生き抜くための哲学であり、それは生々しい一人の人間の叫びや、言葉にはならない生きざまの中にある
    本書はいくつかの例を提示していく中で、自身の哲学を感じ取るうえで手がかりを与えてくれる

    東大の哲学科に在籍していただけあって他の著書でも哲学を根底においた考え方は垣間見えているが、この本では一貫して哲学を語っているのが特徴的だった

    哲学と言われるとなんだか固いもののように捉えてしまうが、誰の心の中にも哲学はある
    ただ多くの人はそれに気づけていないのではないか

    著者も言うように生きるための哲学など必要ない人は幸福である。
    しかし、自分自身の中に哲学を見出し、生きる術を自身の力で掴み取った人もまた、幸福であると思う。

    ✏科学的アプローチや科学としての医学だけでは、人は救われない。

    ✏お互いが安全基地となるうえで心すべきことはなんだろうか。(中略)それは、人に関わるスタンスが、所有なのか共感なのかという点である。

    ✏親に対して優しい感情を取り戻し、身に受けたことを許せる人は幸福だろう。もっと幸福な和解という形をとることができれば、幸福であろう。
    この小さな人間が、一人の人間を育てるのに、どれだけの困難と苦労を味わっただろうと愛おしさを感じ、自分が身に受けた悲しみや困難も、やむを得なかったことなのだと受け入れ、恕すことができれば、さらに心は楽になり、こだわりなく前へと進んでいけるだろう。

    ✏心が弱ったとき、人は幼児のような心理状態にさえ戻ってしまう。我が子を顧みる余裕がないどころか、我が子に傷を負わせるために、自殺しようとする人さえいる。愛する者に永久の痛みを与えることで、せめて自分の存在を、そこに刻みつけようとするのだ。

    ✏関係が行き詰まれば、安全装置が作動して、切り離しが行なわれる。(中略)束の間にしろ愛した存在の価値を否定することで、自分を守ろうとする。人によっては、相手を嫌悪し、「最低なやつだ」と憎悪をむき出しにするところまで行き着く場合もある。
    そう思うことで、自分が短い間でも、その存在に安全基地を期待するという"過ち"を犯したことが、自分のせいではないと思えるのである。自分の期待に応えてくれない存在を否定し、貶めることは、姑息な自己防衛だとはいえ、それもまた生き延びるための防御反応だと言えるだろう。

    ✏結局、ほしかったのは、変わらない愛情なのである。ひねくれて、いじけた、愛情不足の心さえも有無を言わせずに包み込んでくれる、限りない不動の愛なのである。
    それをしっかりと確かめることができさえすれば、大きな安心感が次第に蘇り、もう自分や相手を傷つけたり、試す必要もなくなっていく。

  • 面白かった。
    精神科医の著者が、幼少期に親の愛情に恵まれなかった人間がどう生き抜いているかをまとめた本。
    様々な困難に直面した時に人間がどのように人格形成していくのか。科学的な目線で人間学をまなべる。

    歴史上の小説家などの生い立ちや、自身が対応した患者の具体例をあげて、ある程度類型化して紹介。

    有名な作家や哲学者が、実は不幸な生い立ちだったことを知って驚きや発見が多かった。

  • 精神科医として臨床現場に立つ著者が、精神的危機に陥った患者たちとの交流や古典の著者の人生を紐解いて、現代を生きる我々の日々の羅針盤となる「生きるための哲学」を探る本書。

    所謂、哲学者が難解なものを更に難解にして言葉遊びに興ずるようにも見える非日常な学問としてでなく、古典ギリシャ哲学のように、今どのように生きるべきか?どう世界を捉えるべきかを真剣に探っているので、読みごたえがある。

    実際に臨床の現場に立っていただけあり、患者の壮絶な半生とそこから得られるヒントは重みがある。
    また、そういう経験をした著者だからこそ、悲壮な半生や特異な人生を経験した古典の著者の人生を見て本質的に重要な点を汲み取れたのだろう。

    本書ほど古典的名著の著者の人生から現代に活かせるヒントを抽出出来ている本は中々ないのではないか。

    悩みがある人はもちろん、無い人にも非常にオススメの本でした。

  • 「言葉だけの哲学に用はない。」その言葉を体現するような、濃密な本。自分のことしか考えられなくなってると、頭を殴られるような衝撃がある。文豪の人間的苦悩が、市井の人々の話と同列に生々しく語られる。「おわりに」だけでも、迫ってくるものがある。

  • 自分用メモ
     自分が何者か分からず、生きることに常に迷いや違和感を抱え、本当はどうすればいいのか、どうしたいのかと揺らぎ続けている。
     正解のない問いを問うこと、それこそが哲学するという営みである。
     人はパンや水を求めるのと同じように、誰であれ活きるための哲学を必要とする。
     生きる意味とは何か?そこに合理的な正解や科学的な答えなど無い。
     死にたいと言っている人間に、生きなさいと合理的な理由を挙げて説得することなどできない。
     「人生の問題は語ることが不可能な問題であり、言葉を並べることは論理的には無意味なのである。」
     ニヒリズムのように、生きることには何の意味もないと悟ることで、むしろ自分を開放し、自由な力を取り戻すことも、活きるための哲学である。
     ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン「私の親愛なる父は昨日の午後死にました。それは、私が想像しうる最も美しい死でした。私は彼が息を引き取るまでの数時間の間、一時も悲しみを感ぜず、むしろ、最高に喜びを感じました。」
     祈りとは、生きることの意味について思うことである。
     現実から距離をとることと、現実から事実を超えた意味を汲み取ること、それはどちらも、活きるための哲学として、精神の破綻から身を守るためのものである。
     時間の中ではなく、現在の中で生きる人のみが幸福である。
     自分を超えたものとつながる。

  • ようやく自分が探していた答えに辿り着いた。

  • 後世に名を残した文豪や哲学者の人生、または一般の人の「生きづらさ」のケースを紐解きながら、生きる意味はどういうことか、絶望からどのように立ち上がったのかを綴った「生きるための哲学書」。読んでいて思わず泣いてしまいました。私も振り返れば親との関係では色々と困難なことがあるけれど、でもそれを補うような人間関係に恵まれてるように感じました。「生きるということは、すでに個人的な行為ではないのかもしれない。人が生きるとき、そこには、必然的に、何人もの人間がからまり合っている。一人が抜け出すことは、手を結び合っているものの手を、ふりほどくということだ。手をふりほどくとき、そこには、ふりほどかれた者が生まれる。自分の悲しみではなく、手をふりほどかれる者の痛みに思いが及んだとき、人は自分が一人ではないのだと悟り、死を思いとどまれるのかもしれない」この文章は自戒を込めて覚えておきたいし、既に「手をふりほどかれた側」としても、辛くても生きていかなくちゃなあと思います。

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著者プロフィール

岡田尊司(おかだ・たかし)
1960年香川県生まれ。精神科医、作家。東京大学文学部哲学科中退。京都大学医学部卒業。同大学院医学研究科修了。医学博士。京都医療少年院勤務などを経て、2013年より岡田クリニック(大阪府枚方市)院長。日本心理教育センター顧問。パーソナリティ障害、発達障害、愛着障害を専門とし、治療とケアの最前線で現代人の心の問題に向き合う。著書『悲しみの子どもたち』(集英社新書)、『愛着障害』『愛着障害の克服』(いずれも光文社新書)、『愛着アプローチ』(角川選書)、『母という病』(ポプラ新書)、『母親を失うということ』(光文社)など多数。

「2022年 『病める母親とその子どもたち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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