史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫 や 33-2)
- 河出書房新社 (2016年10月5日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (444ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309414812
感想・レビュー・書評
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【読もうと思ったキッカケ】
元々哲学に興味はあったが、何から手を出せばよいか、かなり迷っていた。よく行く本屋さんで本書が何度も目に入って記憶しており、WEBで検索した際、哲学入門書として良書と多数のレビューがあったので、西洋編(タイトルには西洋編とは記載なし)・東洋編を2冊同時購入。
【読後の感想】
入門書としては、かなり良書だと思う。なぜなら、インド哲学としての釈迦や龍樹(ナーガールジュナ)、中国哲学として老子・荘子、日本の哲学≒仏教としての親鸞(唯円)の『歎異抄』など、読みたくなった本が本書をキッカケにかなり増殖したからだ。
最近まで仏教というものを、宗教としてしか認識していなかったが、仏教はキリスト教やイスラム教とは違い、そもそも神というものが存在しない。なので仏教は純粋に哲学的な割合がかなり高いと学んだ。
【特に腑に落ちた箇所】
1.「知識と知っているだけの人」と「体験的に本当に分かった人(悟った人)」は、本質的にはまったく違うにもかかわらず、言葉の上ではまったく同じことを話す。(P.87)
そう、まさに実生活でもよく感じることで、本から得た知識を誰かに伝えようとしても、なかなかスラスラと相手に伝えられることは稀だ。いわゆる、分かったつもりになっただけの事だと後から結構落ち込むことなど日常茶飯事である。
これとある種同じで、いかに理論として「悟り」を理解しても、悟れることは絶対にない。本気で悟る為には、体感するしかないという箇所は非常に納得感が高く、腑に落ちた。
2.「無分別智」とは、その名のとおり、分別する(世界から何かを切り分ける=言語化する)ことをしないで、物事を直感的に理解することであるが、実は、釈迦が悟った「真理」とはこの「無分別智(智慧)」でしか理解することができないものであった。ゆえに、仏教徒たちは「無分別智」の境地に到達することを目的とし、仏教はそこへ到達する方法論(修行法)を提示するのである。(P.159)
なるほどなぁ、「悟り」を言語化することが絶対にできないことだからこそ、修行僧の方が「悟る」為に、生涯を捧げるんだと理解できた。
また20年ほど前に読んだ京極夏彦氏の「鉄鼠の檻」も、確か悟りをテーマに書いていた本だったので、20年ぶりに読むとまた違った「気づき」があるだろうと思い、また近々読んでみようと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東洋哲学の本はは初めて読んだ。
難しいかなって思ったけど、読み進めていくと面白い!やはり寺や仏など身近なものだからなのかもしれない。
東洋哲学は全て体験、経験、自分が初めて悟りをして完成する。
言葉では言い表せない。
西洋哲学とは真逆だが、似たような内容を説いている部分もある。
西洋哲学と東洋哲学、どちらも歴史に残す立派な学問。
私も考えることをやめない人間でありたい。
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前作に続き本作の「東洋の哲人たち」もめちゃくちゃハマりました!!
難しい哲学を、こんなに分かりやすく、面白く書ける飲茶さんはスゴイです。
ぜひぜひ読んでみてください -
東洋哲学の発展をまとめた本。
東洋哲学はインド哲学の発生から、中国の老荘思想との融合、そして日本に渡って禅哲学の完成という変遷を辿ってきた。この流れがコンパクトに、かつユニークな文体ゆえに非常にわかりやすく書かれている。
特筆すべきは東洋哲学と西洋哲学との違いだろう。、西洋哲学は論理や知識に価値があるとして、これを組み上げることで「真理」に辿り着こうとする。これが西洋哲学者にとってのゴールである。
一方、東洋哲学はいきなり、このゴールから始まる。あるとき「真理」に辿り着いた人が突然現れて、これは釈迦だったり老子だったりするが、その方法を広めていくのが東洋哲学の目的である。東洋哲学者は知識や理論にそこまで重きをおかず、「わかった」という体験を重んじる。
この違いが中々わかりずらく、東洋哲学が誤解されやすい所以かと思う。特に、西洋的な知識や理論を教え込むことに特化した教育を行なっている、日本をはじめとした殆どの先進国では東洋哲学がいまいち活用されない。
自分もこれまで西洋哲学ばかりを勉強していたため、この違いがとっつきにくかった。
しかしその哲学から学ぶことは大いにある。東洋哲学は人類の叡智の片輪であることは間違いない。
またプロセスはまったく違えど、西洋哲学と似た結論に落ち着く部分もあり、このシンクロニシティも興味深いところだろう。
東洋哲学をここまでシンプルにまとめた本はなかなかなく、最適な入門書だと思う。 -
一作目の西洋哲学編が面白かったため、こちらも購入。東洋は、哲学者の数も知名度も西洋に劣っているイメージがあり、本作には内容も面白さもあまり期待していなかったが、まさか前作を上回るとは…
【第一章 インド哲学 悟りの真理】
・ヤージュニャヴァルキヤ…梵我一如
・釈迦…無我(私は存在しない)
・龍樹…すべては空(実体がない)である
*般若心経の日本語訳
*東洋哲学とはただの耳である
【第二章 中国哲学 道(タオ)の真理】
*堯・舜・禹の物語
・孔子…『仁』と『礼』に込めた熱い思い
・墨子…自身を愛するように他人を愛しなさい
・孟子…性善説(『仁』の継承者)
・荀子…性悪説(『礼』の継承者)
・韓非子…形名参同(成果主義)
・老子…道(タオ)、無為自然
・荘子…言葉によって境界が生まれる
*東洋哲学とはウソ(方便)である
【第三章 日本哲学 禅の真理】
*聖徳太子…世間虚仮、唯仏是真
・親鸞…念仏による「他力」の境地へ
*達磨…釈迦哲学を伝えに来たインド人(禅の開祖)
*慧可…達磨の弟子、禅の継承者(二代目)
*慧能…元々五代目の雑用係、禅の継承者(六代目)
・栄西…公案(ナゾナゾ)により悟りへ導く
・道元…只管打坐(ひたすら座禅)により悟りへ導く
*十牛図…廓庵による九と十の追加について
偉人たちの胸が熱くなるエピソードや、現代人向けのユニークな例え話など、かなり完成度の高い作品に仕上がっていると思う。般若心経の日本語訳、耳に興奮する人の話、全てをガンダムで例える人の話はかなり印象に残った。
全ては『無』だとか、物事は思い込みだとか言われても、実際に楽しい時のあの感情は、思い込みだとしても良いものだと思うし、悟りに目覚めて傍観者の様に生きていくよりは、馬鹿になって一喜一憂しながら生きていく方が幸せなのでは?と思った。
考え出すとキリがないが、またこの世の真理について考えたり無我になったりしてみたいと思う。 -
これは面白い、哲学というテーマを誰にでもわかるように時に真面目に、時に面白おかしく表現してくれています。インドから始まる東洋哲学の歴史的流れや背景が良くわかりました、東へ東へ。
知識を持っていることと本当の意味で知っているは違う。自ら体験し、実践していくことで自分のものにしていくことが大事なんだなと。
世の中は言葉や解釈で形を作っているに過ぎない。あると思っているものも人が意味をつけているに過ぎない。
外的なものは外のものと割り切り、起きていることに身を任せ、日々を自分のものにし、人生を真っ直ぐに生きていくこと。
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読みやすい。わかりやすい。面白い!
一気に読んでしまった。 -
真に悟りの境地に達した者は、もはや一般の人と見分けがつかない。