私は「いま」を生きれているのか?
悩みごとを考えている時は心が「今」ではなく、
「過去」か「未来」に飛んでしまっている。
人は「今」を生きることしかできない。
「今」という「点」をただひたすら打ち続けていく。
それがのちに、
「人生」という道になる。
「今を生きる」という考え方は、私の心がふわふわしているのを「今」に戻してくれる。
「…とは言っても、今を一生懸命生きるしかないか」と思わせてくれる。
そして、自分の日頃の行い、つまり所作をもう一度見直そうと思った。
一言で「丁寧に生きる」と言っても、
それをできているのかと自分に問うと、苦笑いしてしまう(笑)
一つ一つの行動を丁寧に、
人に対しても、物に対しても、丁寧に、
そういう心構えでいると結果的に自分の自信にも繋がるんだろうなと思った。
日々行っている当たり前の行動にも、
心をこめる。
いい食材だから張り切って調理するわけでもなく、
高価なものだから丁寧に扱うのでもなく、
全てのことを丁寧に、全てのものに敬意を払っていきたい。
「心をこめる」どんな時も。
意識しなければ過ぎ去っていってしまうような日常。
そこにも意識を向けることができるかできないかで、
心の豊かさは変わってくる。
「雑な自分」で生きていると、どこかで感覚が鈍っていき、幸せに生きることから離れてしまうなと思った。
「丁寧な自分」で生きていると、
行動が丁寧だと、自分を大切にしていることにも繋がる。
その心の「在り方」自体が、幸せなことなんだと思った。
幸せはなるのではなく、幸せな状態でいること。
丁寧に生きることが幸せにつながっている。
「行動」と「心」は繋がっているんだなと思った。
「怒り」への対処法も色々と学びになった。
ただ、私が思うに、「怒り」を感じた時に、
時間をかけて怒りが引いていくのを待つことも一つなのはとても納得なんだけれども、
そもそもなぜそのポイントで自分は「怒り」があるのか?
なぜそこにアンテナが立つのか?
そこを掘り下げていって、自分を見つめ直すこと、
根本的に怒りにつながる思考パターンを掘り下げていくことも方法としてはとても大切なのではないかなと思った。
もちろん、心を落ち着かせて、怒りを鎮めることができるのは素晴らしいことだ。
ただ、全ての「怒り」に対して同じようにできないこともある。
「怒り」を悪いものとして捉えるのではなく、
「そのエネルギーをどこに向けるのか?」を考えなおしたり、
「怒りを感じるポイントは自己理解のチャンス」と怒りへの捉え方を変えることも一つだなと思った。
「今を一生懸命に生きる」「所作を丁寧に」「心と向き合う」「心を磨く」
私も禅の心を少しでも取り入れて、
心穏やかに、心豊かに生きていきたいなと思った。