新装版 なんとなく、クリスタル (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
3.52
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  • (7)
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本棚登録 : 728
感想 : 54
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309412597

作品紹介・あらすじ

これほど深く、徹底的に、資本主義社会と対峙した小説を、ぼくは知らない――高橋源一郎

感想・レビュー・書評

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  • とにかく「注」が多く、ページ数の半分を占める。
    その注がまったく意味をなさない。だけど、それが
    時代を表していて、バブル前の社会を思い出させる。
    「なんとなくクリスタル」何十年ぶりに読み直しても、
    薄っぺらだけど心に残る不思議な作品。

  • ビッグボスのオススメにて読了。タイトルだけは知っていたし、著者のことは長野県知事の印象の方が強いですが、なるほどこういう本だったんだ!という驚きが。
    予備知識ナシで読んだので、左側ページを丸々注釈に充てる本著の特殊な建て付けや注釈自体の特殊性に少々気圧されつつ、なるほどストーリー自体にはあまり意味は無いんだろうなと読んでいたらあっけなく2時間ほどで読了。

    1980年当時の時代の空気をここまで濃厚に残したコト自体がまず凄いですが、読了して感じたのは、2つのサステナビリティの欠如です。
    1つは、主人公たちの享楽的な暮らしや関係性。モデルやミュージシャンという職業を続けて高収入を保ちつつ、「これから十年経った時にも」関係性を保っていくことはおそらく相当難しい話です。その難しさがわかっていたからこそ、著者は主人公たちをこういう設定にしたのではと思ってしまいます。
    もう1つは、国や民族としての継続性。末尾に意味深についている出生率と老年人口比率。本著のような暮らしは自然と晩婚化や子どもを持たないライフスタイルに行きつく訳で。そして恐ろしいコトに、本著記載の出生率は「1975年:1.91人、1979年:1.77人」でしたが、2024年の出生率予測は1.20人程度と、順調に消滅への道を進んでいっています。(少なくとも国際的なプレゼンスは低下し続けてますね…)
    https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=107273

    1980年に本作品が発表されて、描かれているような暮らしに当時はみんな憧れたんでしょうか。。
    2014年に続編も出ているようで、そちらも読んでみようかなと思います。

  • 最初は注釈の多さに読みづらさを感じて物語に入り込めなかったけどだんだん慣れてきた。
    知らない80年代の雰囲気を味わえた。今流行りのタワマン文学〜昭和版〜のようだった。

    #ほんタメ!

  • 発表当時(1980年)の東京を舞台に、女子大学生の極度に洗練された生活を描いた小説。
    小説内で氾濫する当時の風俗を伝える語彙に対する膨大な注釈が特徴で、全文で442項目を数える。単に事実を伝えるための注釈とは限らず主観的な感想も多く含み、本来は注釈が必要ないような言葉も取り上げている。本書の構成としても本文は右ページのみに掲載され、左ページは注釈と挿絵で統一されている。

    モデルでもある主人公・由利は今で言うならバリバリの「リア充」。若者らしい葛藤や悩みは皆無で、由利がバブル期の東京での消費生活をひたすら謳歌する様を描くことに終始する。スノッブな世界観、意味や教訓などを見下しているとも感じさせる内容から、発表時に賛否両論あったことも理解できる。前述の膨大な注釈や筋らしい筋もないことなどを特徴としているだけに、二度同じ手を使いにくいであろう作品ではある。部分的には同時代に登場していた村上龍(1976年)、村上春樹(1979年)とも重なった。解説の高橋源一郎氏は、本作は文学批判であり、荒涼たる未来を幻視したと高く評価している。

  • 当時のリア充たちの記録的な青春小説

    ページの左側に占領する脚注が斬新で、どう読めばよいのか最初は戸惑う。右側の本文と交互に読むことで、脚注が語り手の役目をしているのがわかる。当時のなんとなくな空気感が味わえる。

  • 80年代初頭の若者文化を描いた作品。
    左頁に連なる膨大な注釈が、記号的消費に耽る当時の若者に対する皮肉の様で面白かった!
    ただ、主人公の恋愛美学はともかく、生活観や消費行動には少し共感してしまう。

  • 連休を利用して祖母宅に遊びに行った際に、今年で還暦を迎える叔父の本棚から引っ張り出して読んだ。新装版ではなく河出文庫版の第三版(1983年)、やや黄ばんだ裏表紙にはバーコードは無く、刻印された価格は実に320円であった。

    『なんとなく、クリスタル』は、1980年当時の「感覚で生きる世代」の生活を独自の視点と文体で描いた小説である。小説とは言っても、大半が地名やブランド名といった固有名詞とそれを説明する註釈で埋め尽くされたこの文章には、意外な展開や起承転結はこれといって用意されていない。描かれるのは当時の日本にもたらされていた暴力的なまでの物質的豊かさと、それを安穏と享受する裕福な若者たちの心情に尽きる。学歴、親の職業、最寄駅、住居のタイプ、飲みに行く街、お気に入りのレストランの名前、身につけるブランド、日用品や食糧を買う店。こうした記号を何よりも重要視する人々を中心に、東京に染みついた資本主義を淡々と(薄っぺらく)書き出した作品である。

    特筆すべきは、これらのきわめて資本主義的な考え方や生活が冷笑的もしくは批判的に描かれているのではなく、著者・田中康夫が「そちら側」であることが、本文や註釈の行間からありありと伝わってくることである。田中康夫は東京・武蔵野に生まれ、一浪の末に(本文風に言えば)「中央線の西端付近に位置する国立(こくりつ)の文系大学」に進学、四年生時に日本興業銀行の内定を得るも留年し、その暇を利用して『なんとなく、クリスタル』を書いた。バブルを目前に控えた1980年という時代背景、成功と挫折・プライドとコンプレックスが織り混ざる経歴を鑑みると、彼の文章から滲み出る資本主義的価値観や俗物感は何ら違和感のないものと言えよう。彼は堅物な文筆家ではなく、単なる中上流家庭出身のエリート就活生に過ぎないのだから。言うなれば、本書は昭和版の「タワマン文学」と言ったところだろうか。

    もっとたくさんのお金が、もっと良い肩書が、もっと高級なブランド品が、もっと好立地で広くて綺麗なマンションが、もっとイケてる恋人が欲しい。もっと周りからすごいと、かっこいいと、羨ましいと思われたい。日本が相対的に特段豊かな国ではなくなり、今後も衰退の一途を辿ることが目に見えている現代においては、こうしたギラギラした価値観を顕にする人々はもはや港区周辺でしか見られなくなった。一方で、資本主義的な物欲が人々の間から無くなったわけではない。給料は上がらず、税金と社会保障費が上がり、不動産価格を中心に物価が高騰し、ほとんどの人が「物質的に豊かである」と感じられなくなった現代だからこそ、資本主義の「勝者」に対するルサンチマンは1980年当時と比べても肥大化しているとも言える。『なんとなく、クリスタル』を読んだ感想は、当時の若者と今の若者の間でどう違うのだろうか。「このような生活がしたい、羨ましい」と思う人が多いのか、「くだらない価値観だ、空虚だ」と感じる人が多いのか。はたまた、「そうだそうだ、良いモノやイケてる人に囲まれてないと生きてる意味ない」と同意する人が多いのか。おそらく読んでことのない人の方が多い同世代に是非読んで欲しい一冊。

  • 『なんとなく、クリスタル』は大衆消費社会の勃興と、バブル経済前の日本、そして日本に忍び寄る衰退の影を描いたポストモダン小説だ。作者は長野県知事を務めたこともある田中康夫だ。
    この『なんとなく、クリスタル』の特徴は、時代を象徴する固有名詞の多用と、それに対する膨大な量の注釈だ。文学作品では普遍性を持たせるために固有名詞を多用することを避けたりするのだが、『なんとなく、クリスタル』は女子大生兼ファッションモデルの由利の生活を中心に若者にしか理解できない様なブランドや固有名詞が散りばめられている。そして、それぞれの固有名詞に田中の視点を基にした442個の注釈と分析が加えられている。
    ブランド名と言った固有名詞を多用していることで、大衆が増えたことにより知識人というものには意味がないという知識人を批判している様にも思える。


  • (2017年2月のブログから2020年11月に転記)

    まず、この本を手に取ったのは、「膨大な注があることで有名(*1)」だったから。
    要するに物珍しさというか、歴史の1ページというか、そういうのを知っておきたかったから。

    で、読み始めたところ、注のほとんどは、作中で紹介されているブランド品の説明とか、お店、楽曲、洋楽シンガーの説明(*2)とか固有名詞のための注。だから思いました。

    注のための注(*3)なんだな、と。

    でも、読み進めていくと、不意に本質的なことにたどり着く。

    何のために生きているのだろうか。

    しかし、この年代の主人公は現代の私たちとは違って楽観的。

    「クリスタルな生き方」

    文脈から察するに、自分のフィーリング(*4)、肌感覚で、自分がいいと思ったものを身に着け、パートナーを選び、刹那的な男女の関係を結び、まさに、自分のために生きる、という感覚。

    それは、私が目指したい感覚。

    乱暴に結び付ければ、夏目漱石の「個人主義」の感覚かも。「自分の酒を人に飲んで貰って、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまう人真似」してしまわないような、そんな生き方。

    で、肝心のクリスタルの注はcrystalとただつづってあるだけ。

    本文を読めば、「クール」の対義語として「クリスタル」とある。

    「クール」というのは、ここでは自分のまわりの人たちが作り上げた「かっこいいものの幻想」ということなんでしょうか。「こうすれば、かっこいい」って決めあげられたことがら。
    それの対概念が「クリスタル」な生き方なんでしょう。

    と、いろいろ考えると、膨大な量の注もじつは、意味のある、作者が大学生時代に見つけた、みんなに知らせたいけど隠したい、クリスタルの輝きを、包んでおくためのベールなのでは?と深読み(*5)。

    クリスタルな生き方、皆さんはどう思いますか?

    (*1) 「クイズマジックアカデミー」などのクイズゲームで、よく出題されています。
    (*2) 世代なのか文化なのか、わたしには、ほとんどわかりません。
    (*3) 世の中政治家も「反論のための反論」なんかをしていて、嫌になります。
    (*4) feeling
    (*5) この記事についている注は、特に意味のない、ただ、本文の雰囲気を感じてもらうために似せて作ったものです。

  • お正月の読書その2。 その存在は知っていても読んだことのない本、を今読もう。
    この小説の世界は、1980年のリアル?読後の予想外の爽やかさ! 右ページで進行する物語の主人公の視点と、左ページで進行する物語の注釈=筆者の視点、パラレル進行が面白い。 こういう社会批判のやりかたもあるんだな。

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著者プロフィール

1956年東京生まれ。一橋大学在学中の1980年に『なんとなく、クリスタル』で文藝賞受賞。長野県知事、衆参国会議員を歴任。著書『昔みたい』『33年後のなんとなく、クリスタル』他、著書多数。

「2019年 『ムーンウォーク』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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