ぼくが13人の人生を生きるには身体がたりない。: 解離性同一性障害の非日常な日常
- 河出書房新社 (2020年5月26日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309249636
感想・レビュー・書評
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この本も、人として大切なことを教えてくれる。
著者のharuさんは、解離性同一性人格障害(DID)であり、性同一性障害であり、ADHD。生きづらさをたくさん背負っている。
haruさんの中には8歳〜25歳の13人の人格がいて、haruさん自身は、他の交代人格に言わせるととてもポジティブだが「生粋の自殺志願者」なのだそうだ。
それを、周りの交代人格が必死になって生かそうとしてる。2人目の主治医だった医師が「交代人格はきみを守るために生まれてきた」と言ったというがそのとおりだと思う。
解離性障害は、強いストレスから逃れるために出現するという。
今まで生きていく過程でいろいろ辛いことがあったに違いないが、交代人格に守られつつ強く生きている姿に、人間の心の奥深さを感じてなんだか心強くなる。
交代人格のひとり、洋祐は、haruが何もできなかった日であっても「生きているだけで仕事をしたことになる」と言う。
今日を頑張って生きた。どんな時も自分を褒めてあげられるといいよね。
圭一が作ったしんどい時の原因分析のフローチャートが最終的に「寝ろ」に全て行きつくのが笑った。確かに、睡眠は大事。目覚めれば大抵のことは解決している。
なお、圭一は元々文系のharuさんが高専を目指すことにした時、理系超得意男子として生まれている。
結衣は嵐の二宮和也の大ファンの女の子。心は男子のトランスジェンダー、haruさんにも、しっかりとした女の子の人格がいることが面白いと思った。
ちなみに、この本は、ほぼこの3人が書いている。
他にも、算数と飛行機と虫が好きな春斗、植物好きの悟、「労働は悪」という信条を持つ灯真、ロボット作りが趣味の航介、深夜徘徊する付、危険な時身を守ってくれる圭吾、性別が中性の悠、音に敏感な駿、ジャンプとブリッジをよくする颯、と交代人格は個性豊かだ。
生粋の自殺志願者のharuだが、この世界には中性性があり、つい生きてしまう。「そろそろ死のうかな」
と思った日に限って、なにかいいことが起きてしまう。神様に騙されながら生きている、と感じるのだそうだ。確かに、よくわかる気がする。
また、多数派の同調圧力は、少数派を生きづらくさせるけど、本当に多数派なんているのか?元は少数派なのに同調圧力によって多数派の顔を持たされているだけなんじゃないのか?って問いかけは胸に突き刺さった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
普通に小説家と思った。でも違った作者のharuさんが解離性同一性障害の方で、自分を入れて交代人格が13人いるのだ。
haruさんは最後に登場してくる。
主に洋祐、圭一、結衣が話を進めていく。
もちろん3人ともharuさん交代人格。
洋祐さんがみんなをまとめてるようで、自分勝手で他者に危害を加えるという事もなく、はたから見たらharuさんは普通に過ごせているみたい。
だけども違う交代人格が出てる時の記憶は無いらしい。
これは本当に読んでいて不思議な話ではあるけれど、現実で凄く貴重な資料みたいな感じです。 -
解離性同一障害(DID)・発達障害(ADHD)・性同一障害の当事者の方の手記。
普段から見守り役+話すのが得意な人格の2人が主に書いているので、とても読みやすくわかりやすい。
DID自体が個人差の大きいものだと思うけど、普段の生活の分担や薬、自分たちで行っている対策やルール、それぞれ主人格や他の人格に対してどう考えているか、
親に対して主人格のフリをして交替人格であることを隠していたということや、具合の悪い時用のフローチャートがあること(最終的には「寝ろ」に行き着く)など、色々なことが書かれていて参考になった。
少数派が生きにくい世界で、支え合いながら生き抜いてきたんだろうな。
haruさんたちが幸せになってほしいと思うとともに、DIDを始め、いろいろな人がいて当たり前で、みんながそのまま受け入れられて生きていける社会になって欲しいと強く思う。
(解説がtokinさんの本と同じ岡野憲一郎氏だった。最近DIDの本も出されたんですね。もっと研究が進めばいいな。) -
タイトルにある通り、著者であるharuさんは解離性同一性障害、いわゆる多重人格障害で、主人格であるharuさんを含めて13人の人格を持っています。この本が出た時、haruさんは23歳。他の人格は6〜25歳の男性10人、女性1人、中性1人。そもそもharuさん自身、生まれた時の性別は女性でしたが、現在は男性として生活されているそうで、さらに発達障害のADHDの診断も受けているそうです。
最初のこれらの情報だけでも、もうすでにharuさんの生きづらさが伺えます。
この本は主に交代人格の洋祐(23歳)と結衣(16歳)が、後半に圭一(25歳)と悟(13歳)とharuさん自身も執筆されています。
人間誰しも仕事の時や友人たちと過ごす時、家族や自分一人の時と、多少なりとも人格を使い分けしてますよね。その極端な例が、それぞれの人格の時の記憶がないために日常生活に支障が出てしまい、解離性同一性障害という「障害」となってしまうのではないか、とのことでした。
私が驚いたのは、主人格のharuさんは他の人格の時の記憶がないのに、他人格は、特に洋祐は他の人格の時の記憶もほとんどすべてあるとのこと。他人格同士で話し合いをすることもあるそうです。
それぞれの人格には本当にそれぞれ個性があって、得意なこと興味のあること、やりたいこともそれぞれで、そりゃぁ身体が足りないよね…と思います。圭一の作った「体調管理フローチャート」が最終的にはすべて「寝ろ」になるのがよかった。
解離性同一性障害は辛い現実から逃れるため、自分を、自分の心を守るために新しい人格を作り出す。その辛かった現実についてはあまり言及されていませんが、haruさんの他人格はharuさんを守るために生まれたので、haruさんにとても優しいし、みんながharuさんに「生きてほしい」と願っています。
人間ってすごいなぁ。そしてなんて興味深いのでしょうか。まさに「事実は小説よりも奇なり」ですよね。
蛇足になりますが…多重人格障害といえば、私の中では学生時代に読んだダニエル・キイス著『24人のビリー・ミリガン』てした。この本もノンフィクションなんですが、かなりの衝撃作でした。 -
いくつかの人格を持つのは、ある意味では一つの特殊な能力。
生きてるだけで花マル。
「今日いいことが起きたら、明日もいいことが起きるかも」
それで生き続けて、いつか死ぬその日まで、花マルでいい。 -
解離性同一性障害の著者、交代人格の人々が交互に語る。現実にそういった状態の人に会ったことが無いので不思議としか言えない。
自我というのは身体の属性に影響を受けているものだと思っていたが、様々な自我の住処になっているということは、身体は器にすぎないという事になる。そうなると、私とは何なのだろう?やはり意識そのものなのか?
それにしても別の意識が頭の中に入って来て、知らないうちに自分の身体を勝手に動かしてたりすると不安だろうなと思う。まあ、寂しくはないかもしれないが。交代人格に悪そうなのがいなくて良かった。 -
解離性同一性障害の方が、生活の今までと日常を書いた本。とても興味深い内容だった。落ち着いて、整理できる環境や居場所、出会いって大切だなとぼんやり考えた。
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多重人格のドラマ等を観たり、かなり昔「ビリー・ミリガン」を読んで多重人格の方の生きづらさや解明できてない部分に興味を引かれていた。こちらもharuさん自身が、何人かの人格で語ってくれたので少しは理解できた気がする。誰もが様々な面を持っているのは当然で、それを意識してたり記憶しているか、全く記憶していないかの違い等。多重人格の方は幼少期に相当苦しい体験がある事例がほとんどの気がして、haruさんをはじめて知ったけれど、その部分は少し(一部)しか触れていないが胸が痛くなる。
「干渉しない」事も優しさ。多重人格の方だけでなく様々な生きづらさを抱える人達を知る、「どうしてだろう」「こういうふうなんだ。」と理解するだけでも大切な事なんだろうと思う。 -
読み物として、興味深く読みましたが、この病気?症状?になる家庭環境を考えると、自分を守ってどんどん増える自分達が、せつない。