- Amazon.co.jp ・本 (140ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309248653
感想・レビュー・書評
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人間とは死ぬ存在。二十歳の若者にも、死はいつやってくるかわからない。わからないから人間は苦しんでいる。死を忘れるため、人間は空談(おしゃべり)をする。不安には対象がない。不安のもとは自分が死ぬということ。不安は良心の呼びかけ。不安から良心が生まれる。死は経験不可能。代理も不可能。死に先駆けて、死に直面して死を了解できるのか。
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哲学、心理学、その手の本は山ほど出ていて難しい言葉が多く並べられていて理解しにくいものばかりでしたが、こちらはセミナーのトークをそのまま活字にしてくれているので、講義を受けているような感覚で理解しやすかった。といっても何度もも読み返さないと本質には辿り着けないかも。
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唯野教授の最終講義として語るハイデガーの "存在と時間" ユーモアを交えたそれは空談になるのか。確実に死に向かう私たちはその空談の中にこそ世界を感じ取っているのだろう。難解な名著に触れる機会を気軽に頂こうではないか。
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とても原典を読む気にはなれない本なので、自分のような初学者には入口として良い本だと思いました。
分かりやすく具体的に噛み砕いて書かれていますが、それでもスンナリとは理解できない。(あたりまえか) -
残念ながら読みやすい文章でも、冒頭から難しく感じてしまい理解不十分で読了です。むしろ最後の解説の方が読み取りやすいと感じました。
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1ヶ月で「存在と時間」を読んだ著者による優しい解説。優しいといっても難解な部分は時々あり、筒井先生も「ここはちょっとわからないんですが」なんて言いながら話が進みます。
死を差し迫った可能性として覚悟すると不安になります。不安は自らの内に強い倫理性をもたらします。死を了解することで「いま私はそれをなすべきか」ということが切迫した倫理的選択となります。何かを選択することは別の可能性を捨てる事になるからです。
死への切迫した覚悟は倫理性の強度を極大化します。切迫性を更に強化した状況、それは死のような出来事が既に起きてしまった状況です。決定的出来事の後から過去を振り返る視線には過去の選択への反省があります。その視線を現在に持ってこれれば何を選択することが最良かという判断の根拠となります。
非本来的な生き方は、死を考えないように生きることです。一方、本来的な生き方とは、その生き方が苦悩に満ちていてもそれを引き受けていくという生き方です。強制収容所から生還したフランクルが『夜と霧』で「生きるとは」について同じようなことを言ってました。死を了解すると至る結論でしょうか。
本来的な生き方は結構な覚悟がいるよなーなんて思いつつ、死を差し迫った可能性とは実感できず油断に満ちた怠惰で快楽に溺れた生活を送ってしまいます。 -
凄く分かりやすい入門。失礼ですが、専門家でもないというのに分かりやすく注釈してます。これを見ながら存在と時間を読むといいと思う。
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原典の『存在と時間』を読み切れてないニワカですが、とにかく語り口が読みやすくて、考える時間としてすごく有意義な読書時間を過ごせた本です。
改めて別のタイミングで再読したり、(図書館に複数冊はいっているのでいつでも読めそうですが)入手したりしたいくらいの本でした。 -
カセットブックを書い損ねていたので、単行本化は干天の慈雨。タイトルに偽りなし。実に解りやすい。
解説、大澤真幸による補遺でウンベルト・エーコ『薔薇の名前』の真犯人の名と犯行動機をバレされたから星4つ(岩波新書『キリスト教と笑い』でもやらかされた)。ただし、筒井康隆の講演ではよく解らなかった「不安という感情を利用して良心が生まれる」、ここを詳説してくれたのは有難い。