- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309245416
作品紹介・あらすじ
格差は「宇宙の法則」から、消費は「蒸気機関のしくみ」から…世界の動きは、すべて科学の法則で読みとける!気鋭の数学者による、今までにない経済の見通し方。
感想・レビュー・書評
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新古典派経済学の理論の前提は市場が善であることのようである。個人は個別に最適な行動を取るとか、需要と供給は最適な点で均衡するとか。実際の事象はそうではないのに。リーマン危機で、金融業界の論理が倒錯していることがよく分かった。
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150124 中央図書館
著者は経済学者ではなく数学者であるがゆえに、どちらかといえば、複雑系経済学の立場から、新古典派が拠って立つビルトイン・スタビライザの弱い点を説明している。
結局のところ、現実経済を理論的に記述できるモデルは無い、とする立場。可能なのは、システムをなんとか安定的に制御するための仕掛けを、制御工学的に用意すること。そのためには、<span style='color:#ff0000;'>効率性と安定性のバランスを政策的に調整するための仕掛け</span>が必要になるだろう。 -
新古典派の経済学は、実体経済とかけ離れたイデオロギーだ、という結論に共感。
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『なぜ経済予測は間違えるのか?』デイヴィッド・オレル(河出書房新社)
150年もの間、常識とされていた経済学の基礎をなす理論に致命的な欠陥があったとしたら、どうだろう?
この本は、そのような仮説のもとに非線形力学、ネットワーク科学、複雑系理論、生態学、人間行動学、神経経済学など、比較的新しい科学を用いて従来の経済学にアプローチし、ほころびを指摘していく内容となっている。
主張が正しければ日本をはじめ、ほとんどの国が間違えた(ネズミ講に酷似した)システムで経済を回転させていることになる。ある意味、怖い。思い当たる節が多くて。
それにしても、翻訳本は読みづらい。経済学と自然科学は特にその傾向が強く、日本語になっていない文章が目立つ。専門分野になると和訳も限界があるのはわかるが、もう少し何とかなるまいか。 -
途中を飛ばした。
景気予測に役立つ内容ではない。 -
この手の本はいくつかあるが、経済学に身を置く以外の著者としてとても新鮮さを放っている。
そしてそれと同時に、経済学がどのようにして現在の理論体系まで発展したか、といった歴史的な考察も含めかなり正しく描写されている。
とりわけ現在の経済学の基礎が「物理学」を目指して作られた、という点は誰もが感じていて(今でも大部分の経済学者はそうしたことを念頭において「正確」な理論を作ろうとしている)が
そうしたアプローチが現実をモデルに投射するのではなく、モデルを先に作って現実を見るということをしてきたと指摘している。
全くこの点には同感で、僕は経済学が社会「科学」とは呼べないと思う理由もそこにある。
かといって、それと同時に、それを覆すような別の枠組みが出てきていないのも事実だ。
仮説(理論)はデータを集めてきたからといって棄却はされず、新たな仮説、パラダイムがでてくることによって初めて覆される。
本書はそんな新たなパラダイムの萌芽をいろいろな分野の研究をもとにフィーチャーしている。
著者は社会科学として経済をとらえると、統一的な理論ではなく、「つぎはぎだらけでもいいので」使える理論でいいのではないかと投げかける。
それは美しさがない分かっこはよくないが、社会科学としての目的を考えるとどちらであるべきか、というのは明確である。
まさにそうした新しいフェーズに移ろうという時期にさしかかっているという印象を感じた。
そしてそれをまさに進めるのが僕たちのような存在なのではないかということも同時に感じた。 -
根本的にモデルに欠陥があるし、ウォール・ストリートも超高給CEOもろくに価値生み出してないのに給料ぶんどって俺らすげぇとか馬鹿じゃねぇの、っていう、まぁ、そうすね、という程度の内容。
「ハーバード、オックスフォード、MIT、CalTechなどの一流大学の20,30%の卒業生がまっすぐに金融業界に進む」らしい。「こうした期間は、選ばれた才能ある学生が、報酬が過剰で社会的には生産性が低い分野に入る」ことをどう思っているのか、と。「世界経済はネズミ講かもしれない」との指摘も。どうなんでしょ。(まぁ、ウォール・ストリートの人間がバリューバリューいうくせ特に社会的なバリュー出してないってのは本当なんだろうけど。) -
この著者、好き。数学者であって、ライターでもある著者が、経済予測について書いてみた。ひとつの分野の中からだけの考察ではなく、より広範囲な、歴史や文化などの、深い教養があって初めて語られる内容。