- Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309228563
感想・レビュー・書評
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2023年11-12月期展示本です。
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著名な英国人歴史家による東インド会社の興亡史。インドにおけるムガル帝国と東インド会社との争いを、双方の資料を参照して分析、纏めている。記述は詳細であるが、登場人物が多く、あまりに細かいために全体像を掴みにくい。個人的には惹かれるものがなく、残念ながら興味がわかなかった。
「インドは営利会社(東インド会社)のもとで植民地化されたのであり、この会社は出資者の利益を増やすことが大事な目的だった」p27
「過去の歴史家が書き残した記録とは異なり、18世紀はインドにとって「暗黒時代」ではなかったことが、いまでは見解として確立されている。ムガル帝国の衰退はむしろ、インド亜大陸のほかの地域の経済再生につながったという」p35
「イギリスが「東インド諸島で手がける交易」を15年間は独占することが認められた。この場所の定義は曖昧だったが、ほどなく喜望峰とマゼラン海峡のあいだのすべての貿易と交通が対象に含まれることになった。さらに、領土を支配するだけでなく、軍隊を持つ半主権的な特権まで与えられる。そして特許状の文言はきわめて曖昧だったため、のちの世代のイギリス東インド会社の職員はそれを都合よく解釈した。その結果、アジアですべてのイギリス臣民に対する管轄権を主張し、貨幣を鋳造し、要塞を築き、法律を制定し、戦争を行い、独自の外交政策を実行し、法廷を開き、イギリス臣民を投獄し、イギリス入植地を建設したのである」p54
「(1600年頃)アムステルダムの会計士たちが出資金をすべて合計してみると、VOCが調達した資本金は、EICのほぼ10倍にも達することが判明し、投資家に3600%もの配当金を発足直後から支払う余裕があった」p56
「1737年のデリーは、およそ200万の人口を擁した。ロンドンとパリを合わせたより大きく、オスマン帝国のイスタンブールと日本の江戸のあいだでは未だに最も栄華をきわめた都市だった」p88 -
感想は下巻のほうにて。