琉球王国の近世(1609~1879)を紹介する。
「按司」…グスクを築き地域を治めたリーダーのこと。
「三山時代」…北山(今帰仁グスク)・中山(浦添グスク)・南山(大里グスク・南山グスク)
「琉球王国」…1429に中山王・尚巴志が統一。※元々は佐敷という小さな地域の按司だった。
「近世琉球」…薩摩藩侵攻1609→滅亡1879
首都は首里だった。
那覇のルーツは港町。
琉球のグスクの石垣の美しい曲線。
首里城の正殿…百浦添御殿(たくさんの浦々を支配する御殿)←中国・紫禁城、韓国・景福宮、ヴェトナム・フエの王宮などアジアのスタンダードな城と同じ造り。日本の建築様式・唐破風もある。日中のミックス。
中国の使者を迎える北殿、薩摩の使者を迎える南殿。
御庭はストライプ。
世界遺産に登録されているのは、首里城趾。
王宮の女性は王妃も含め、糸紡ぎをしていた。芭蕉布や絹、木綿、苧麻を製作。織物製作工房。
「御嶽」…信仰の場。聖域。像も何も無い。自然そのままの形。男子禁制。
「ノロ」…神官(女性)。最高職の神官→聞得大君。王族女性がつく。
「首里王府」…琉球政府。国家公務員。
「間切」…地方自治体。一般人。百姓(庶民。たくさんの姓)
琉球時間…日影台+漏刻
近世琉球時代も半ばは薩摩と仲良くお隣付き合い。自治権も、しっかりあった。琉球人に詐欺にあった薩摩人も。
薩摩藩に属してることはひみつだったので、中国の使者が来ると薩摩の人は隠された。
琉球アイドルグループ「楽童子」、江戸へ行く。
欧米諸国との交流もあった。
←日中との関係から、消極的ではあった。
←ペリーを煙に巻いた外交戦術。ダミー王府を作って対応。スゴすぎる。
士族の一人は英語で対応。
いくつもの王統の交代劇。
第二尚氏王統の第七代・尚寧王の時代に薩摩島津軍の侵攻を受けた。秀吉の脅迫が事前にあった。
第十三代・尚敬王と、その教師・蔡温の改革。
→歴史書の改訂、農業・林業の刷新、羽地大川の改修、儒教道徳、組踊の誕生。
←今日の沖縄の骨子を作った。
第十八代・尚育王
内憂外患。苦労の人。
冊封のための予算が無い中、寄付を募り、予想以上に集まれば、民に還元した。
ベッテルハイムさんの布教活動には困って、清朝とイギリスに引き取ってほしいとお願いしていた。
第十九代・尚康王
ラストキング。6歳で戴冠。
「命どぅ宝」
国王の一日、国王のメニュー、お妃さまは士族の女性からオーディション。
琉球士族の名前 3つのパーツに別れる
「和名」…“家名”領地が変わると変更する
“位階の称号”階級
“名乗”ファーストネーム
「唐名」…中国風な名前
「童名」…子ども時代の呼び名
琉球の神様と文化と風俗
〇最近、沖縄、琉球の本を読み始めて、琉球王国という日本とは別の国があったのだなと、感じられる様になった。
〇働かざる者と酒飲みは流刑。結構、キビシイ。
〇沖縄の人が記した琉球史というのがよい。女性の学者さんも書いてくださると、また違う面が見られるかも。信仰や風俗は女性が主体なので。
〇沖縄の物語を読むときは、本書を片手に読みたい。