レストラン「ドイツ亭」

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309208169

感想・レビュー・書評

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  • 誰にでも話したくない過去がある。
    しかし中には、話さなければならない過去も存在する。

    主人公エーファは検察の事務所に勤務する、ごく普通の”フロイライン”(ドイツ語で「若いお嬢さん」)。父親が営むレストラン「ドイツ亭」の手伝いに御曹司ユルゲンとの交際と、平和で充実した日々を過ごしていた。そんな中彼女は突然、アウシュヴィッツ裁判の通訳を依頼される。
    解説曰くアウシュヴィッツ裁判とは、ドイツの司法がドイツ人を裁いた法廷のこと。300人を超える証人が召喚され、かの収容所での出来事が白日の元に晒された。

    「あんたは、あの残酷物語を世の中に広める手助けをしたいの?」
    「過ぎたことは過ぎたことにしておいてちょうだい、エーファ。それが一番なのよ」

    ヒトラー・ゲッベルスの元秘書らが「自身の職務を全うしていただけで、ユダヤ人の迫害や収容所の出来事については何も知らなかった」と以前読んだ本で語っていた。
    その他ドイツ国民の発言も同様で、戦後何十年が経っても知らぬ存ぜぬの一点張り。みんな薄々でも勘づいていただろうに…。

    エーファや彼女と同時代を生きる若者も、両親から(恐らく学校からも)何も聞かされていなかった。新聞に書いてある犠牲者数を刷り間違いだと勘違いするほどに無知だった。真実が明るみになっていくのを目の当たりにした時の恐怖と言ったら如何ほどのものか。
    それでも彼女が通訳を引き受けたのは、過去の過ちを知るのが新時代を生きる者の務めだという気概の他に、裁判の話題を避けたがる家族やユルゲンの態度に不審感を覚えてのことだろうと見ている。

    被告人は全て収容所の元職員。戦後咎められることなく、のうのうと社会に溶け込んでいた。裁判ではこれまた「知らなかった」としらをきり通し、態度も呆れるくらいにふてぶてしかった。
    ドイツでは1949年に死刑制度が廃止されているため何名かは最高刑である終身刑の判決を受けていたが、死刑になっても彼らは死の直前まで悔い改めなかっただろう。多くの国民が裁判を機にそれぞれの過去と向き合ったのとは相反して。

    「彼らはわれわれに慰めてもらいたがっているんだ」

    「知らなかった」発言以外にも、過去の本で拾い読みした現象を思い出した。
    ドイツの歴史の授業で被害側の話を聞いた生徒達は、加害側の自分達ではなく被害側の気持ちになってよく涙を流すのだと。それは過ちを繰り返しかねない行為なのだとも。
    これは半ばエーファにも通じるものだと思う。(彼女がそうしたように)加害側の責任を思い知るのは大事だが、被害側の苦難を自ら味わいに行くのは結局何も理解していないに等しい。

    真実を知ることで日常にネガティブな変化が訪れたとしても、やはり知らなければ、話さなければならない。本当に悔い改めたいのなら、下手な言い訳はせずにちゃんと自分達側から懺悔すること。
    他人事とは到底思えない。果たして我々はどこまで出来ている?

  • 重みを感じる一冊。

    アウシュビッツ裁判を軸に描かれる物語。

    主人公エーファと共にあの時代あの地での迫害を改めて知り、そして改めて衝撃が心に残る。

    エーファの悩み葛藤する心情、姿が強く伝わるのが印象的。
    そうしなければ生きていけなかったという思いを吐露する、彼女にとって大切な人達がまた彼女を苦しめていたことも心に響いた。

    知ることで新しく自分を見つめることができる人もいる。
    抱えていた苦しみを放つことで過ちを噛み締め次へ繋げることができる人もいる。

    そして何より後世へと残さなければいけない負の歴史の大切さ、重みを感じる。

  • 『レストラン「ドイツ亭」』書評 アウシュビッツと向き合う重み|好書好日
    https://book.asahi.com/article/14331993

    弁護士会の読書:レストラン「ドイツ亭」
    https://www.fben.jp/bookcolumn/2021/05/post_6481.php

    週末に読みたいこの1冊
    「レストラン『ドイツ亭』」アネッテ・ヘス著 森内薫訳|日刊ゲンダイDIGITAL
    https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/286378

    レストラン「ドイツ亭」 :アネッテ・ヘス,森内 薫|河出書房新社
    https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309208169/

  • 「でもあれは、僕の弱さであり、僕の復讐心であり、僕の憎悪だったのです。僕以外の何ものでもない。あれは僕だった」

    私が認識した時には既に、アウシュヴィッツで起こったことは世界中が知っていて当然で、ドイツは戦後教育をしっかりしている国だという話だった。
    戦後20年も経ったアウシュヴィッツ裁判で、ドイツ国民は収容所で実際に何があったのかを「知った」ということを、本書で初めて知った。
    誰も全く何も気づかなかったことはないだろう、連れて行かれた人たちはほとんどが戻って来なかったのだから。
    でも、消えたものはいなかったものとして考えないようにして、戦後もそのままでいたのだろうと思う。
    今作はフィクションなのだけど、実際の裁判をしっかりとした土台にした上で、街にいそうな血の通った人物たちを丁寧に描いたことで、重みのある作品となっている。
    戦後世代といって良い(戦中は幼い子どもだった)主人公は、自分は関与していない上の世代の大きな罪を自分のものとして悩み、深く反省する。
    しかし、その苦しみから二次加害と呼んでもよいことをしてしまう。
    やはり戦後世代として戦争責任を考える身には、その場面が一際印象に残った。
    許され、慰められたがってはだめだよね…。
    アウシュヴィッツ裁判についてのノンフィクションも読みたい。

  • フィクションでありながらも、アウシュビッツを書いた小説のなかではこれまで読んだ中でも最高傑作である。残虐さを抑えた表現で書きながらも、過去に向き合う主人公の葛藤が上手く書かれている。
    久しぶりに傑作を読んだ。

  • 人間は誰しも弱く利己的な部分を持っていると思う。平常時には普通の、他人にも思いやりを持てる人達が、戦争のような異常な状況下では、我が身を守るために卑怯な行為をしたり、弱さから大局に抵抗できずに流されてしまったりする。そういう異常な状況に置かれたとき、私自身はどこまで普通を保てるだろうか。または、自分の両親がこの小説の主人公エーファの両親のようなことをしたと知ってしまったとき、私は何を考えてどう行動するだろうか。エーファと同じようにするのだろうか。エーファは両親を許せる日が来るのだろうか。アネグレットの行為はトラウマからきているのだろうか。弱く、流されてしまった人達はどこまで責められるべきなんだろうか。あとから償うことはできるのだろうか。【被害】と【加害】の境界はどこなんだろうか。この小説から受ける問いかけはとても難しく、重い。
    はっきり加害者と言えるような、ひどい残虐行為をした人達が平気で噓をつき、なんとか逃れようとおそろしいほど厚顔無恥な態度を取る一方で、「知らなかった」り「何もできなかった」人達が後々まで罪悪感に苦しむ姿、家族を殺されたり自身が拷問を受けたりした人達がその記憶に苛まれ続ける姿も印象に残った。

  • ドイツ人自身によるナチスの戦争犯罪を裁いた「フランクフルト・アウシュビッツ裁判(1963年12月-65.8月)」を主題に、古傷には触れたくない忌わしい記憶をもつ人々、何も知らなかったとの贖罪の意識から遠ざかる人々の凄まじい葛藤を描き、過去の過ちと真摯に向き合い克服することの大切さを謳った、ドイツ人女性作家による長編小説です。アウシュビッツから生還した証言者のポーランド語通訳を務める主人公エーファをとおして、婚約者や家族を巻き込む息詰まる非難の応酬の裏に、戦争の計り知れない罪の深さを思い知らされます。



  • ドイツ国内で公にされることのなかったアウシュビッツでのホロコーストの事実を知り、加害者であるドイツ人の沈黙に怒り、裁判で被害者のポーランド人の通訳をするエーファ。

  • 4.06/281
    『ベストセラー『朗読者』を彷彿とさせるノンフィクション小説。1960年代の「アウシュヴィッツ裁判」で裁かれたナチス戦犯の中に父母を発見した女性主人公。崩壊する絶望の家庭と希望。』(「河出書房新社」サイトより)

    『フランクフルトを舞台に、1963年のアウシュヴィッツ裁判が開廷する直前から判決後までの流れを追いながら、主人公の家庭とさまざまな人間模様を交錯させて描いた小説。
    アウシュヴィッツ裁判は、ドイツの司法がドイツ人を裁いた法廷であり、ドイツ人を初めてアウシュヴィッツに向き合わせた裁判ともいわれる。300人を越える証人が召喚され、ガス室による大量虐殺や親衛隊員による拷問や虐待を詳細に語ったことで、ドイツの人々は初めて、強制収容所で何が行われていたかを知った。
    一方、「ドイツ亭」とは、主人公の女性の父親が自宅兼用で営む小さなレストラン。この平和な家庭が徐々に裁判に引き込まれ、恐ろしい運命へと大きく変わることになる。』(本書表紙より)


    冒頭
    『夜中にまた火事があった。コートも羽織らずに通りに出たとたん、エーファはすぐそれに気づいた。日曜の静かな通りは薄く雪に覆われている。今度の火事は、うちからすぐ近くだったようだ。いつもと同じ冬の靄の中に、鼻をつく臭いが漂っている。』


    原書名:『Deutsches Haus』(英語版『The German House』)
    著者:アネッテ・ヘス (Annette Hess)
    訳者:森内薫
    出版社 ‏: ‎河出書房新社
    単行本 ‏: ‎384ページ
    ISBN : ‎9784309208169


    メモ
    ー抜粋ー
    「…映画『顔のないヒトラーたち』…一九六三年の通称アウシュヴィッツ裁判開廷までを扱ったこの映画には、六〇年代初頭のドイツの若者がアウシュヴィッツという名も、そこで行われた虐殺行為も知らなかったことが描かれている。こうした過去の忘却を阻止し、ドイツの歴史認識の転換点となったアウシュヴィッツ裁判の開廷直前から判決後までを主軸に、さまざまな人間模様をフィクションとして描いたのが本書『レストラン「ドイツ亭」』である。」(「訳者あとがき」より)373p

  • 3月に入って「アイヒマンを追え」をアマプラで見た頃に地上波で流れていた「顔のないヒトラーたち」を見る事が出来たのは偶然とはいえ、厳然たる事実を踏まえ、当時の、今の、これからの人間が考えるべき宿題を出された気持ちがした。

    正直、最高傑作という気持ちはなかったが、秀作であることは否めない。
    個人的力量の限界からか、多様な人間を描いているその奥を読み取れなかった。
    例えば姉のアネグレットと勤務先のキャスナー医師との不倫、乳児への処置、それを無い物として先に歩を進める彼らの人間性‥でそれがどう関わってくるか、行くか?

    「不思議の国のアリス」をモチーフにした比喩が多用されていて 白ウサギへの蔑称とも感じる呼び名が何を意味するのかついに掴めず終い。同じく、城ブロンドという呼称が持つニュアンスも、意が掴めず。

    ダーヴィッド~カナダ系ユダヤ人の懊悩が一番分かり易かったかな・・自分を消し去ることによって贖罪とすることの是非の良しあしは別として。

    対するユルゲンの父の立ち位置も、これまた分かり易い。元共産党で、戦時中拷問を受けた彼の今の心境・・「人間であることは辛いものだ」が一番すっと入って来た。

    今のウクライナの現況を見ると「スラブ民族が流してきた血の洗礼、粛清の歴史」それを「彼らは慣れている」と安易に行っていいとは思えない・・彼らは「辛いけれど、歩いて行くしかない」という厳然たる思いが心の底に在るのだと思う。

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著者プロフィール

ドイツのハノーファー生まれ。ベルリン芸術大学で絵画、インテリアデザインを学ぶ。フリージャーナリスト、AD、脚本家を経て、1998年からテレビと映画に専念、グリメ賞やドイツテレビ賞など数々の賞を受賞。

「2021年 『レストラン「ドイツ亭」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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