2084 世界の終わり

  • 河出書房新社
3.50
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309207308

感想・レビュー・書評

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  • この本を読んで進撃の巨人を思い出した。人間を内側と外側から容赦なく捕食する得体の知れない「何か」、あるいは人を疑うしか能のなくなった半狂乱の民衆はあの獰猛な巨人と重なる部分がある。訳者の言う通り、オーウェルの『1984』では現代の説明に齟齬が生じるようになってきた。20世紀まで支配していた目に見える戦争の脅威は目に見えない神聖なもので人を支配する時代に取って代わられた。それが何なのかはテレビや新聞で絶えず情報を取り入れている現代の先進国の人々にとっては明白なことであろう。壁の外にあるものが何なのか、ヨラー、アビ、グカビュルは何者なのか。その疑問は自由が故に生まれる反抗意識の前兆である。トーズは「戦争が起きる」と言った。それは自由を取り戻すための戦いである。同時に、アビに使える導師、コアの祖父がバリスから宗教を守るための聖戦に大量の死者を出したのと同じ戦いである。「正しさ」はとっくの昔に失われてしまった。もはや私たちの将来で待っているのはアビスタンのように砂漠とゴツゴツとした無機質な機械や安っぽい建物しかないのだ。あとはトーズのように昔のノスタルジーに縋るのか、はたまたさらなる争いによって終わりのない苦しみと引き換えにインスタントな自由を得ようとするのか。それは分からない。分かることは私たちの「本質」が今まさに変わろうとしていることだけだ。私たちにできることはそれを認識し続けることだけなのかもしれない。

  • 今年はミシェル・ウェルベックの『服従』が文庫化され、その不穏な衝撃が自分自身にもたらしたものは大きかった。
    なので、オビにあるウェルベックとジョージ・オーウェルの名前に、これは手に取らずにはいられない作品だな、と直感。

    『1984年』をある意味で受け継いだ作品で、偉大な神ヨラーとその代理人アビを盲目的に信仰する宗教国家アビスタンが舞台となる。

    誰もがその教義に従って、自らの徳を上げ(つまりは地位と名誉を)、他者が裏切らないかを監視し、自らの力で生きることを取り上げられた社会。
    主人公アティは、サナトリウムの中でアビスタンを外側から見つめる思考を手に入れ、信仰はある種の狂気を孕んでいることに行き着く。

    信じないという選択は悪であり、悪は辱められた死に繋がるシステムの中で、アティは志を共にするコアと、真実に触れる旅に出るのだった。

    この作品では、イングソックの三原理を踏襲し、また核戦争を大聖戦として繰り返した果ての、第二の1984年が語られている。
    ある枠組みから暴力を以て脱却し、戦いによって統治し、君臨する。
    変革は、人がそれを求める心に端を発し、その時は自由であり、自らの理念を誰かと共有することに純粋に喜びを感じるものではないのか。
    それはアティの思いにも共通する。

    けれど、一度力を集めることで、理想は拡大と永遠を求めることに変わってしまう。
    求める心を縛り付け、思考を取り上げる。
    この変容から人が守られるには、どうすれば良いのか。

    その答えの一つは、トーズの博物館なのだろう。
    結局のところ、私たちの外側にあるものを、勇気を持って見つめることでしか、知ることでしか、守られないのかもしれない。

  • ディストピア小説。ヨラー神とその代理人アビが支配する宗教国家の物語。興味深いのはジョージ・オーウェル著の『1984』に繋がる物語だということ。1984の舞台となった国が敗れ、代わりに世界を支配しているのがこの小説の舞台となる宗教国家だ。
    1984が限りなく内側に向かう小説だとしたら、この2084は外に向かう小説だ。

  • アラーの神とかなんだろうな。最初の10頁だけ拝読。後半パラ見してもほぼ同じテンションなのでやんぺ。ディストピア小説ってやつ。

  • 宗教×全体主義の話。面白い。

  • SF

  • オーウェルの1984へのアンサー作品とも言うべきディストピア小説。唯一の一神教が全ての世界を描いている。作者はアルジェリア人であり現在の体制から睨まれている。描かれている宗教はイスラームを想起されるが、この前にトッドのシャルリとは誰かを読んだせいか、いわゆる自由主義陣営に身を置く我らとて、深く考えず、分かりやすく単純な事に身を委ねる危険と隣り合わせではなかろうか。

  • 2084世界の終わり ブアレム・サンサル著 最悪の原理主義が生む悪夢
    2017/11/11付日本経済新聞 朝刊

     世の中がどこかおかしい。だが誰も何も言わない。いや、疑念や問いを発する者は無視され続ける。倦怠(けんたい)と諦念が拡がり、そのうち忘却と沈黙が大気の構成要素となってしまう……。
     高山のサナトリウムが、そのような汚れた大気から解放してくれたのか、主人公アティの意識の奥に、自分や周囲の人間の生き方に対する大きな疑念が生まれる。
     舞台は、絶対神ヨラーとその唯一の代理人アビへの服従を国是とする宗教国家アビスタンである。
     いや、国家ではない。世界そのものだ。徹底した言論統制がしかれたこの全体主義体制の正史に従えば、核兵器も使用された「大聖戦」のあと、地上にはアビスタンしか存在しないからだ。
     本当にこの世界に〈外〉はないのか? 療養を終え、首都に戻る途中に出会った考古学者ナースから、アティは思いも寄らぬことを聞く。古代の村が発掘され、そこには国家の正統性を根底から覆す秘密があるというのだ。
     アビスタンはその「執行部」が主張しているような一点の瑕疵(かし)もない真理に貫かれたユートピアではなく、その真逆の存在ではないのか。アティは親友コアとともに、深まる疑念に答えを見出(みいだ)すべく旅に出る。むろん前途には数々の試練が待ち受けているだろう……。
     ヨラーはアラーを、代理人アビは預言者ムハンマドを想起させずにはおかない。イスラム教についての啓蒙的な著作もある作者サンサルは、本書で最悪のイスラム原理主義が支配原理となったディストピアを描き出す。
     本作の背景には、ヨーロッパ社会が直面するイスラム問題という一筋縄ではいかぬ現実がある。どの社会にも想像力による応答を喚起する固有の危機がある。ちょうど東日本大震災と福島第一原発事故のあと、日本ではディストピア小説が書かれているように。
     だが、『2084』の世界は日本の我々から遠いものではない。そこでは、オーウェルの古典『一九八四年』と同様、思考を画一化する〈言語〉が人々を体制に隷従させているのだから。思考から自由を奪う言語は洋の東西を問わず日々繁茂している。その〈外〉へ出る通路をサンサルは掘ろうとする。〈文学の言葉〉だけを頼りに。
    (中村佳子訳、河出書房新社・2400円)
    ▼著者は49年アルジェリア生まれ。仏語で執筆した本書でアカデミーフランセーズ小説賞のグランプリに。
    《評》作家
    小野 正嗣

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著者プロフィール

1949年アルジェリア生まれ。民族主義の高まる中、アラビア語公用語化に反対して官僚の職を辞す。1999年小説家としてデビュー。本国では発禁処分が続くが、ヨーロッパなどで高い評価を得ている。

「2017年 『2084 世界の終わり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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