- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309206707
感想・レビュー・書評
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カーニバルの真っ最中タマリンドの木の下で、語り部ソリボは「言葉に喉を掻き切られて死んだ」。その場に居合わせた14人の目撃者(ほぼ無職)、彼らを重要参考人として尋問する警察。果たして犯人はー。安いオーデコロンの匂いとタフィア酒に酔い痴れながら、飛び交う罵詈雑言と繰り出されるパンチを物ともせずに、太鼓の音に合わせて踊りたくなるような、五感の全てを動員して堪能する文学作品だった。需要が減りつつある炭を売る仕事と同様に、ソリボの口上はこの世界から求められる事は減り、退場を余儀なくされている。そんな口承文学の「素晴らしい転落」の末の最期の時を、バトンを渡された記述文学を持ってして、華々しく壮大な餞の言葉で送ってあげる事が、残された人間の務めなのだろう。
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クレオール文学は初めて読むが、南の島の土着の文化、自然、人々の息遣い、においまで伝わってくるような生き生きとした文章だ。失われて行く口承文化がテーマだが、作家は見事に文章として書き表しているように見える。
それを伝える翻訳が名訳。最後のソリボの口上はもちろんだが、それ以前の地の文に含まれる擬態語擬音語(ナガムシはしりしりと近づき…そんなふうに、かりちゃかりちゃと書くのをもう止めて…)が巧みで、リズムと味わいに満ちている。ストーリーはソリボの死に始まりソリボを愛する人たちを巡る悲劇だが、リズミカルな文章に乗ってユーモアたっぷりに語られる。 -
パワフルすぎる中年女性のドゥードゥー=メナールめっちゃすき。
強さ議論できるくらいバトルアクションシーンが多い。 -
これは音読して読みたくなる本。人間ドラマもありつつ、文章の芸術性も高いと感じた。
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すごいのはわかる。翻訳としてもすばらしい力業離れ業なのはわかる。でも正直、ソリボに興味が持てず飽きちゃった。
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どうしてもあまり馴染みのない文化が背景にある小説って読むのに慣れなくて、ほとんど読めなかった・・・。「言葉に喉を掻き裂かれて死んだ」なんてフレーズはインパクトあるものだと思うのだけど。翻訳の関口亮子さんのあとがきが面白かった。
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なかなか不思議な1作である。好き嫌いが分かれる、というよりも、わかる・わからないが分かれる、あるいは意味を求める人を振るい落とす作品と言ってもよいだろう。
著者はフランスの海外県、マルティニークに生まれている。地理的にはカリブ海の西インド諸島に属する土地だが、ヨーロッパ人の移入に伴い、元々住んでいたカリブ人はほぼ全滅。その後は、フランス人が入り込み、イギリスとの綱引きもあったが、最終的にはフランスが征し、現在、フランス人や彼らに連れてこられた黒人・クレオール人が人口の大半を占めている。加えて、華人・インド人・アラブ人が少々という構成である。フランス語が公用語、多くの人はクレオール語も解すが、仏語より下位のものとみなされているらしい。
著者は、クレオール文学の旗手ということになるようだ。クレオール語、クレオール文化とは何か、というと、門外漢にはいささか難しい問題になるのだが、ごくごく大雑把には、植民地で言葉のわからないもの同士が意思疎通をするために発展した簡易の共通語であり、マルティニークの場合にはフランス語を上位語として成立してきたものであると考えればよいだろう。
ごちゃごちゃと書いてきたけれど、ここで大切なことは、クレオールが「口承的」であるという点だ。文字で伝えるのではなく、語りのグルーヴで伝える言葉である。
語りの持つ力とは何か。
それが本書の大きなテーマであり、あるいは唯一の主題であるといってもよいのかもしれない。
主人公ソリボは貧しい炭売りである。社会の最下層におり、実のところ「ソリボ」とは退廃や転落を意味する。しかし彼は、「ソリボ・マニフィーク」という呼び名も持つ。「マニフィーク」とは素晴らしいを意味する。なぜそのような相反する名を持つかといえば、彼が突出した語り手であるからだ。昼は貧しい物売りなれど、夜になれば聴衆をわんさと集め、熱のこもった口上で皆を酔わせてみせるのだ。「みすてぃくりぃ?」「みすてぃくらぁ!」(「ノッてるか?」「ノッてるぜ!」)と合いの手を入れながら。
そのソリボが口上の最中で突然、変死を遂げる。果たして彼は殺されたのか。殺されたのなら犯人は誰だ?
警察が出動し、検視が行われる。13人の証人が現れるが、取調べの最中にも血なまぐさい悲劇が起こる。
そう書くとミステリのようだが、ことは単純な謎解きではない。ある意味、誰が殺したのか、途中でそんなことはどうでもよくなってくるような、先のわからない展開が続く。
証人それぞれが、それぞれの思いを語り、視点はあちらこちらに飛び、話は行きつ戻りつする。
稀代の語り部、ソリボの死因は窒息死だった。彼の喉を詰まらせたものはいったいなんだったのだろうか。
最後まで読んでも狐につままれたような部分が残るが、解説には、ある意味、整合性の取れた答えが提供される。
ああ、そうか、と納得する。それも1つの味わい方だろう。だが、実は本編を貫く「訳わからなさ」自体を味わうのも1つの読み方であるように思われる。
先にも書いたが、クレオールは口承に重きを置く。だが、小説にするということは、すでに語りを文字に置き換えるということだ。それは果たして可能なのか?
さらには、それを邦訳で読むということは、翻訳というもう1つのフィルターを掛けることになる。解説には、訳出にあたっての苦労や裏話も記載され、このあたりも興味深い。
この物語を単体で読んで果たして理解できたのか、といわれると少々心許ないが、翻訳も解説もまた作品の一部だとするならば、よしとせねばならないのかもしれない。
何はともあれ、語りのリズム・うねりというものは、確かに存在するように感じられる。
一筋縄ではいかないが、万華鏡のようでもあり、多層性がある物語である。
語りの力というものが霞んだ向こうに少しずつ見えてくるようでもある。 -
大作『カリブ海偽典』が語り手の提示する身振りを書き手が記述する形式だったように、このマルティニーク出身の作家の主要テーマは「いかにして語り得ぬものを記述していくか」にある。原住民がヨーロッパによる占領で絶滅、その後アフリカから黒人奴隷が連れてこられたマルティニーク(現在はフランスの海外県)ではフランス語とクレオール語が使用されている。抑圧された悲劇的な歴史の中で生まれたクレオール語。標準語ではいかに語ろうとしても語り得ないものをクレオール語を通し新たな言語を創り出し表現しようという試みだ。それは不可能に近い行為でもあるが、希望への取り組みでもある。シャモワゾーの初期作である本書もそのテーマに主眼が置かれている。フランス語をベースとしたクレオール語の複雑な語りをさらに日本語にしていくという翻訳作業はそれ自体さらに絶望的な試みとも受け取れるが、幾多の障壁を乗り越えて本書は存在している。
もちろんその事実だけではなく、豊かで楽しいリズミカルな日本語となっているのが何よりも重要だ。本書で使われる言葉は日々の匂い手触りといった五感を伝えてくれるもので、本から個性的な登場人物たちひょいと出てきそうな親近感がある。訳者、出版に関わった人々に感謝をしたい。 -
リズミカルな文章ですらすらと読め、日本語訳だけど言葉の響きを楽しめた。カリブはいろんな歴史と文化が混ざり合っているんだなあ・・・。話の筋はいたって単純だが、物語の行方というより、消えゆく口承文学のリズム、哀愁を楽しむ小説だった。