戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309204864

作品紹介・あらすじ

12歳から15歳まで激しい内戦を闘った少年兵士が、立ち直るまでの衝撃の体験を世界で初めてつづった感動の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 詳細な記憶力とリアルな表現力で凄惨極まる戦争体験を語る。どんなフィクションも霞んでしまうだろう。戦争にロマンは存在せず、とはまさにその通り。残虐非道以外の何ものでもない現実は古今東西共通していると思うと、現在も同じ境遇がウクライナや中東、アフリカで人々を苦しめているかと思うと非常に心が苦しく、また暴力への怒りを感じる。遠い異国の地といえど、子供たちの日常や家族を思う気持ちは全く同じに感じたので、そういった日々が破壊されていく暴力は耐え難いものがあり、読んでいて非常に辛いが社会の在り方を考える上でも他人事にしないことが大事だと思った。子供時代の古き良き日の思い出に浸るにも、戦争の記憶が間に入って邪魔するなど、ずっと心を苦しめ続けている苦悩を想像するとゾッとする。

  • 少年は、12歳の時に内戦に巻き込まれ、友人と悲惨な戦場を逃げまどい、ようやく家族に会えると思った矢先に村を焼かれ家族を失う。民間人を襲うあまりの残虐さに言葉が出ない。生きるためには戦うしかなく、少年は政府軍の少年兵になる。銃を持つことを怯えていた少年が、薬漬けにされ、喜んで捕虜を殺すようになっていくのが悲しかった。リハビリセンターに送り込まれた少年たちが、そこでも殺し合いを始めたこともショックだった。それでも、彼らが社会復帰できると信じて諦めなかったセンターの職員のことは本当に尊敬する。読んで良かった。

  • 私はシエラレオネという国がどこにあるのか知らなかった。
    ウィキペディアによると、在留日本人は2015年現在で15人、在日シエラレオネ人は2014年現在で36人。おそらく私は、シエラレオネ人と出会うことなく一生を終えるのだろう。そんな平和ボケの日本人がシエラレオネの内情の一端を知り得たというだけでも、この本の意義は大きい。

    ラップミュージックを愛するごく普通の少年たちが、戦禍に巻き込まれ親兄弟と離れ離れになる。食糧と寝ぐらを求める長くて辛い旅路の果てに、少年たちは戦争を主導する大人たちに捕らえられ、強制的に少年兵に仕立て上げられる。与えられた麻薬で恐怖と罪悪感は麻痺し、彼らは残虐行為を重ねてゆく。

    主人公である筆者は幸い、ユニセフによって助け出され、多くの知己を得てアメリカに渡ることができた(もちろんただの幸運ではなく、彼の聡明さや本質の善良さによるものが大きいのだが)が、少し年長であっただけで救いの手から漏れてしまった子や、助け出されても親族から受け入れを拒否され戦場に戻る子、地域から冷たい視線を浴びる子などがこの問題の根の深さを物語る。少年兵であった3年間の記述が少ないのは、本人も思い出したくないのと、あと、少年兵が戦場を離脱した後、刑事罰に問われるケースもあるからかな?と少し勘ぐってしまったり。

    真実のもつ力でグイグイ読ませるが、物語の構成はやや稚拙な印象。場面の転換や回想シーンの挿入が唐突で少し戸惑った。あと、主人公を家族として暖かく迎え入れてくれた叔母一家を、仕方がないとはいえ戦火の中に置き去りにして逃げ出し、その後何も言及しないのはちょっと後味が悪かった。

  • 戦争は悲惨なものだけど,このような子供が殺され兵士にされて殺したりする現実を,その子供の視点で語ったもの.その生々しさに戦慄する.イシメール・ベア君,よく生きていたと,そしてこのような事実を世界に向けて発信してくれる奇跡に感謝です.

  • シエラレオネ内戦において、戦争に巻き込まれ少年兵にされたイシメール・ベア氏の著作。

  • 2016年にバングラデシュの首都ダッカで起きたテロ事件。日本人も7名が犠牲となった。
    この事件でテロリストたちは笑いながら人を殺したという。戦争となれば殺し合いになり、その狂気の世界で受けた心の傷は想像できないほど深いだろうけれど、この少年が残酷無比な処刑を笑いながらしている描写はショックだった。

  • 12や13歳で、翌日には帰るつもりで親にも言わずに、友人たちと村から出かけて、数十キロ離れた祖母の家に遊びに行き。
    少年は、自分の住んでいた村が反乱軍に襲われたことを知る。
    それまで、自分の村を通過する避難民たちを見ても、少年には戦争というものが理解出来なかった。
    避難民に「この村に泊まっていけば」と村人が申し出ても、避難民は「すぐにここも襲われるから」と、足を止めなかった。
    そんなものいつ来るのかと思っていたものが、現実になった。
    家へ帰ろうとして帰れず、友人や弟もなくし。金があっても食料を売ってもらえず。飢えて物を盗み。逃げた先では、他の村を襲いに来た暴徒だと思われて殺されかけ……
    戦争は、人々の心から、「誰かを信用する」心を奪った。
    少年はやがて逃げようもなくなって、少年兵として組み入れられる。その先は、反乱軍ではなく、政府軍だ。

    政府軍も反乱軍も、やっていることが変わらない。
    子供に武器を持たせて、人殺しをさせる。
    あれはおまえの家族を殺した奴らだ。殺せ。と言われ。
    麻薬を与えられ。
    武器を与えられ。
    少年は、すぐに、人を殺すことをなんとも思わなくなる。

    世界でもっとも多くの人を殺している武器は、核兵器やミサイルではなく、小銃だと聞いたことがある。
    (小銃とは、大雑把に言うと、大砲ではない銃)
    このシエラレオネに、誰がこんなに大量の武器を流し込んでいるのだろう?
    少年兵たちは、マシンガンや手榴弾やロケット弾を使っている。

    少年は、ユニセフによって、戦場から連れだされる。
    しかし彼は、自分が戦うものだと信じ込んでいるので、治療施設のような厚生施設に入れられたことを怒る。
    職員を殴る。蹴る。

    職員たちは怪我をしても、笑顔で言う。
    「君たちがこんなことをしたくてしているんじゃないってことは、わかっているんだ」
    この言葉が、何度も出てくる。
    実際、子供たちは洗脳されている。ランボーの映画を見て。ドラッグを使って。ランボーの真似をして、かっこいいと互いに思っていて。
    その子供たちから暴力を受けても、その態度を崩さない職員の献身と信念には言葉もなくすごいと思うばかり。
    そして、ドラッグが抜けていく際の苦しみを耐えた子供たちが、親戚などに引き取られて……
    引き取られても、家族とやっていけず、戦場に帰ってしまう子供がいるという事実。
    少年は、伯父の家に引き取られる。
    国連の職員から推薦され面接を受ける。子供たちが、平和な世界を築くためのスピーチをする会議。
    確か、このとき彼は15歳だった。

    p292
    「会議の最終日には、国連経済社会理事会(ECOSOC)の議場で、それぞれの国を代表する子どもが自国について、また自分が経験したことについて短いスピーチをした。…略…
    …略…
    フリータウンで書いてもらった原稿があったけれど、それを使わずに、自分の心の底から話すことにした。ぼくは、自分の経験と、戦争は終わるだろうという期待――大人が子どもの徴兵をやめる唯一の方法――について簡単に語った。まず始めに、こう言った。「ぼくはシエラレオネから来ました。ぼくら子どもたちに影響を与えている問題は、戦争です。そのせいでぼくらは家から逃げ出すしかなくなり、家族をうしない、あてどもなく森をさまようことになります。その結果、ぼくらは兵士や荷物の運び屋として、またそのほか多くのつらい仕事で、戦争に巻きこまれてしまう。これはすべて、飢えや、家族の喪失、そしてほかのすべてが崩壊したときに、安心できるどこかに帰りたいと思う気持ちのためです。ぼくが軍隊に入ったのは、たしかに家族の喪失と飢えからでした。ぼくは家族の死に復讐したかった。それに、生き延びるための食べ物を手に入れなければならず、その唯一の手段が、軍隊に入ることだったのです。兵士でいるのは容易なことではありませんが、そうするしかなかった。いまは社会復帰していますから、ぼくを怖がらないでください。ぼくはもう兵士じゃありません。一人の子どもなんです。ぼくらはみんな、兄弟姉妹です。ぼくが自分の経験から学んだのは、報復は良くないということ。ぼくは家族の死の報復をするため、生き延びるために軍隊に入りました。でも、もしぼくが報復しようとしたら、それをなしとげるまでにまた人を一人殺すことになり、その人の家族は報復したがるだろう、ということがわかるようになったのです。こうして報復が報復を呼び、いつまでも終わりは来ない……」

    彼が経験したことは、これだけの言葉で語れるわけがない、ひどいものだったのに、それをこんなに短く、的確に、自分の感情を抑えて訴えていることに、驚くばかりだった。
    上橋菜穂子の『狐笛のかなた』で
    「憎しみあいの原因がわかっているうちに、この争いをやめましょう」
    というような言葉があった。
    連鎖を断ち切れる人が、つよい。


    その後、少年が引き取られた家でも、そんな内戦なんて気配のなかった地域にまでも、内戦が及ぶ。
    少年はたったひとり、隣国へ、危険を犯して逃亡し、ニューヨークで発表をしたときに世話になった女性の元へ逃げる。


    人は、まさか自分にそんなことが起こるとは思えないし、その変化が目前に迫っても信じられないし、逃げられない。
    慣れる。
    そうして恐怖や何やを抑えておかないと、生きられないから、そういう仕組みになっている。
    その仕組みがありがたくも、現状を考えると、怖い。
    けれど、少年に父が言ったように、動けば、希望がないことは、ない。

    p75
    「…略…父さんからよくこんなことを聞かされた。『生きていれば、もっといい時が来ていいことが起こる望みはある。人の運命に何もいいことが残っていないなら、その人は死ぬのだろう』。歩きながら、この言葉について考えた。おかげで、自分がどこに向かっているのかわからないときでさえ、前に進みつづけることができた。この言葉が原動力となって、ぼくの精神を駆りたて、いつまでも生かしつづけてくれたのだ。」

  • 90年代hiphopが流行っていた頃の話。
    途中から主人公を可哀相と全く思わなくなりました。
    一番偉いのはUNICEFや国連機関の職員。

    遠い国の、嘘のようなホントの話。

  • 少年兵を扱ったノンフィクションや映像作品と比べ、同じように残酷な問題を扱った内容とはいえ正直言えば相対的にはやや構成と表現の力に欠けているのかなという印象を持ちました
    もちろん類書を読んだことのない方は是非とも読むべき内容です

  • 今までわたしはなにを知っていたのだろう。

    元子ども兵士であった少年の手記はおそらく他にない。
    安易に元子ども兵士社会復帰支援などと言っていたが彼ら自身の苦しみ、リハビリセンターの職員の苦しみ、なにもしらない。

    明日もしわたしの隣街で戦争が起こっても
    わたしは信じないだろう。
    近いのに遠い遠い物語のように。

    彼もまた最初は戦争を信じられなかった。
    しかし戦争に巻き込まれ家族 友人と離れ、
    彼らを失い戦うことを余儀なくされ
    薬と精神的ダメージのせいで平常心を失っていく…

    リハビリセンターに移ってからも
    少年兵たちの心は戦場に残されたままで、
    溢れ出る憎しみ悲しみをひとや物にあてつづけた。
    殴られても刺されても職員は言う
    『戦争は君たちのせいじゃない。これも君たちのせいじゃないんだよ』

    悲しみから立ち上がっても
    シオラレオネではまた戦いが始まり新たな悲しみが始まった

    それでも彼は諦めなかった。生きるために。

    たとえ今彼が笑っていたとしても
    彼の笑顔には悲しみや苦しみがいまだ残されている。
    生きていること
    いま笑っていられること
    当たり前が当たり前になったこと
    そんな状況が日常じゃないひとが
    まだ世界にいることを忘れてはいけない。

    本に出会えてよかった。
    彼が生きていてくれてよかった。
    この世界には綺麗事じゃない世界がたくさんある。

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著者プロフィール

1980年、アフリカ西部シエラレオネ生まれ。12歳で内戦に巻き込まれ、政府軍の少年兵士として前線の激しい戦闘に参加。1996年にユニセフに救助、国連国際子ども会議で演説。現在、ユニセフ親善大使。

「2018年 『戦場から生きのびて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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