くるまの娘

著者 :
  • 河出書房新社
3.44
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本棚登録 : 2627
感想 : 257
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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309030357

感想・レビュー・書評

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  • 『にいが、車中泊がいいんじゃないかだって。前はよくやってただろって』。

    世界を突如襲ったコロナ禍、その影響もあって旅先で『車中泊』を選ぶ人が増えているようです。『字のごとく車の中で寝泊まりする』という『車中泊』は、『それができる種類の車』を選ぶことから始まります。『二列目と三列目の座席を倒して段差をなくすためのマットを敷き、窓に覆いをし、寝袋や毛布にくるまって眠る』、そんな『車中泊』は一方で、狭い空間に『家族』が同じ時を共にする、『家族』の繋がりをより強く感じる時間とも言えます。

    もちろん、価値観は人それぞれです。せっかくの旅先だからこそ旅館やホテルの雰囲気を味わって眠る、そこに価値を見出す方もいらっしゃると思います。その時間を大切に思う人からすれば『車中泊』などあり得ない選択肢と言えるかもしれません。旅先における宿泊のあり方の選択、こんなところにも、『家族』というものへの考え方が垣間見えるようにも思います。

    さて、ここに、ある五人家族の今を描いた作品があります。17歳の主人公の家庭は、兄が出て行き、弟も『家族』と離れて暮らすという一方で、父親と母親の元に留まる主人公という図式があります。そんな『家族』が、祖母の告別式で再開するその先に、かつて『車中泊』をした楽しい時代を思い出す主人公が描かれるこの作品。そんな主人公が『車』という可能性をもった存在を意識するその先に、幸せだった『車中泊』の過去を重ねあわせるこの作品。そしてそれは、そんな『車中泊』を共にした『家族』がそれぞれの今を思うその先に、『家族』のあり方を読者に問いかける物語です。

    『校舎の建て増し工事の音が』『急激に大きくなった』のに気付き『はっきりと目を覚ました』のは主人公のかんこ(秋野かなこ)。周囲が『知らない顔ばかり』の中、『またやったのだと』思う かんこに『お目覚めですかねえ』と『物理の女性教師が表情のない声で言』いました。『この教室は五限は物理で、文系選択者は小教室に移動しなければならなかった』という結果論の中、急いで教室から廊下に出た かんこは『小教室を目指』します。そんな かんこは『一年半ほど前から』『突然ただの物になって、変化を受けつけなくなる。動けなくなるか、何かを反復し続けるか、どちらかになる』という症状の中にありました。『母は脳梗塞の後遺症でなやみ、父は学校へ行かないと怒鳴ります。兄は、嫌気がさしたらしく家を出ていき』、『弟は、母の実家近くの高校を受験し、来年から祖父母の家に行くことが決まってい』ると自らの家庭の内情を思う かんこ。友人はいないものの『いじめは受けて』いない一方で、『部活に居場所は』なく、『担任とは仲が悪い』、そして『掃除も勉強もでき』ず、『授業にも行けてい』ないという今の状況を、『カウンセラーに、また医者に』話すも『どれも原因のようだが、どう言っても違う』とも思う かんこ。そんな時、『放送で呼び出された』かんこは『お母さんが迎えに来るから教員用の駐車場で待つよう』担任に言われました。そして、迎えに来た母の車に乗った かんこは『何が起こったのだろう』、『良い知らせではないことはわかる』と母親の態度を見て思います。そんな母親は『おばあちゃん危篤だって』と、これから片品村に向かうことを告げました。『にいが先に行ってる。父さんは、さっき会社で知らされて新幹線に乗ったって』と続ける母親。そんな祖母危篤の知らせに片品村へと向かう『家族』は、久しぶりに五人が揃う場ともなります。そして、『にいが、車中泊がいいんじゃないかだって。前はよくやってただろって』という提案の先に、それぞれに問題を抱えながら今を生きる家族五人がそんな再開の場で過去を振り返りつつそれぞれの今を見つめあう物語が描かれていきます。

    芥川賞を受賞した前作「推し、燃ゆ」の鮮烈な印象冷めやらぬ中に刊行された宇佐見りんさんの三作目となるこの作品。「くるまの娘」という一見意味不明な書名と、メリーゴーランドの中に顔が見えない姿で一人立つ少女の姿がどこか不穏な空気を漂わせてもいます。そんなイメージ通り、物語は冒頭から沈鬱感漂うストーリーが展開していきますが、その注目すべき本文の冒頭は

    『かんこは光を背負っている。背中をまるめた自分の突き出た背骨に、光と熱が集まるのを感じている』。

    と印象的な書き出しから始まります。ここで注目すべきは『背骨』です。宇佐見さんは「推し、燃ゆ」の芥川賞受賞インタビューにおいて、”私にとって小説が背骨である”と語られている通り、この言葉には宇佐見さんの特別な想いを感じます。ここでは、物理的な『背骨』を一見指してはいますが、『光を背負』うという意味ありげな表現に続く『光と熱が集まる』先として『背骨』という言葉を登場させる宇佐見さん。そんな宇佐見さんの言葉を選んでいく思いが冒頭から伝わってきました。

    では、物語の内容に触れる前に、まずは宇佐見さんの美しい文章表現について触れておきたいと思います。宇佐見さんはデビュー作の「かか」で方言や”かか語”と呼ばれる独特な表現によって物語に不思議な魅力を纏わせることに挑戦されました。インパクトはあるものの人によっては途中でギブアップする方も出てしまう、なかなかに攻めた姿勢が印象に残っていますが、一方でこの作品では芥川賞を受賞された作家さんが見せる美しい表現の数々が光ります。そんな中から日常の風景を切り取った場面をご紹介しましょう。『体育館の裏を抜け、駐車場に出て百葉箱から伸びる影の上に立つ』かんこは、『ホイッスルの音が小さく聞こえ』るのを耳にします。『雲があかるい日光をはらんだままだった』という中、『天気雨かと思』う かんこは『池の水面を見るとアメンボが五、六匹泳いでいる』のを目にします。『アメンボのつくる波紋がひろがり、重なりあい、一瞬雨が降ったかと錯覚させるのだと』気づいた かんこ…というこの場面。特別な表現を使うわけではない中に、とてもさりげない平和な日常の小さな風景を静かに落とし込んで雰囲気感を作っていくこの場面。冒頭から かんこの抱える苦悩と、この先に続く沈鬱な展開の物語に束の間、小休止の如く描かれるこの場面は物語が沈鬱一本調子になるのを避けると共に、物語としての印象をより深くしているように感じました。

    さて、そんな物語は、”家族小説の新たなる金字塔”という宣伝文句で紹介されている通り、『家族』が一つのテーマになっています。小説において『家族』を取り上げる作品は名作揃いです。”父さんは今日で父さんを辞めようと思う”というまさかの父親の一言の先に『家族』とは何かを思う瀬尾まいこさん「幸福な食卓」、”変な家族の話を書きました”と作者が語る通りの不思議な『家族』が登場する江國香織さん「流しのしたの骨」、そして、”ママがね、ボケちゃったみたいなんだよ”という言葉の先に、認知症になった『家族』のありかたを描く桜木紫乃さん「家族じまい」など小説というものに『家族』は親和性が高いテーマなのだと思います。しかし一方で、同じ『家族』をテーマにしたと言っても切り口の違いで見えてくる『家族』の姿は大きく異なってきます。

    そんな『家族』というある意味でハードルの高いテーマに取り組まれた宇佐見さんが、この作品で取り上げるのは、今にも壊れそう、人によっては壊れているとしか思えない、そんな家族の痛々しいまでの姿に光を当てるものでした。そんな家族の面々は以下の五人です。

    ・かんこ(秋野かなこ): 主人公。17歳。一年ほど前から『突然ただの物になって、変化を受けつけなくなる。動けなくなるか、何かを反復し続けるか、どちらかになる』という症状にある高校生。

    ・母親: 『脳梗塞の後遺症』で、『病気になって以降の記憶』に問題があり『新しいことが覚えづら』い。『パニックに陥っては過呼吸を起こ』す。『ささいなことをきっかけに苦しむ』。

    ・父親: 『見た目には』『普通の人』。『ひとたび火がつくと、人が変わったように残酷になる』。体力の衰えにより『最近では、実際に手が出ることは減っている』。

    ・兄: 『独断で大学をやめて』家を出て、『職場の同僚と結婚して栃木の家に住』んでいる。かんこは兄が『家を捨てた』と考えている。

    ・弟: 『中学でいじめられ』たことで、『母の実家近くの高校を受験し、来年から祖父母の家に行くことが決まってい』る。

    等位に並べると印象が薄まりますが、この作品で宇佐見さんが最も注力されるのは父親との関係だと思います。デビュー作「かか」で”かかをにく”んでいる一方で、”かかを誰より愛している”という母親への思いを描かれた宇佐見さんは、この作品で『見た目には』『普通の人』という父親の存在に重きを置かれます。『すぐかっとなる父』は、かんこを、そして家族を追い詰めていきます。その半狂乱とも言える様、『突然の発作にも似たその感じが父の体をのっとるたび、体が縮こまり息があがる』とかんこを追い詰めていきます。そのすざまじい様子はこんな強烈な表現をもって読者に強く印象付けられます。

    『性的なことをされたわけでもない胸元や体を隠すようにして眠っていることに気づいた。殴られることは恥だと思い、それが一番堪えた』。

    しかし、そんな父親の違う一面も描く宇佐見さん。それが、母親が語る『あんたら、勉強となると急に仲良くなる』という場に見られる『親子というより、教える教わるという師弟のような関係』によって結ばれる父と娘の姿でした。この落差がある意味で かんこをさらに追い詰めてもいきます。一方で時の流れは否が応でも『家族』の中の力関係の変化を生んでいきます。子供たちの成長の一方で父親に迫る”老い”です。それは『父が絶対だった時代』から『兄の時代』へと移り変わっていく『家族』の中の力関係の変化です。これは、決して かんこの家庭だけに見られることではないはずです。この世のどんな家庭にも見られるものだと思います。そんな中で

    『なんで生きてきちゃったんだろうな』。

    そんな風に呟く父親が見せる老いゆく者の孤独。表出される激しさの一方で秘められた優しさを併せ持つ父親だからこその深さを感じるこの一言。この作品の父親への想いは、母親に対する想いを感じさせる「かか」のように書名に表されるわけではありません。しかし、そこには同じように親を想う主人公の姿が存在します。これから読まれる方には、”とと”の描かれ方、そして主人公・かんこの”とと”への想いにも是非注目していただきたいと思います。

    かつて一つ屋根の下に暮らしていた『家族』。そんな『家族』が、父親の暴力と、母親の『脳梗塞の後遺症』をきっかけに壊れていく中での『家族』の有り様が描かれるこの作品。そんな中で父親とぶつかり家を出て行った兄、中学でのいじめが理由とはいえ、やはり家を出て行った弟、それに対して、主人公の かんこは父親と母親という『家族』の元に留まります。そんな中で『わたしはこの頃怠慢になりました。掃除も勉強もできません。授業にも行けていません』という日々を送る かんこ。この かんこの状況を宇佐見さんはこんな風に表現します。

    『ウツ、とは体が水風船になることだとかんこは思う。毎日が水風船をアスファルトの上で引きずっているように苦しく、ささいなことで傷がついて破裂する』。

    心の苦しみによって体が思うように動かない現実をまさかの『水風船』に例える宇佐見さん。それを『アスファルトの上で引きず』るという表現は痛々しさがダイレクトに伝わってくる極めてリアルな表現です。そんな物語は、宇佐見さんの他の作品同様に現実の中に過去の振り返りがはっきりとした線引きなく行ったり来たりしながら描かれていきます。そんな中で一つの象徴的な場面が登場します。それが、『かんこたちが家族旅行をするときにはいつもそうだった』という『車中泊』の場面です。『字のごとく車の中で寝泊まり』して旅をするという『車中泊』。そんな『車中泊』のことを、祖母の告別式に赴いた片品村において、兄の『車中泊がいいんじゃないか』という提案をきっかけに記憶を呼び戻す『家族』の面々。『いいね、たのしいね。温泉はいって、車のなかでおつまみたべて』と楽しげに語り出す母親。そんな『車中泊』に、『家族』が幸せだった時代の記憶が重なるのは『車中泊』という狭い空間の中にお互いを強く感じる、そんな雰囲気感もあってのことだと思います。かんこの記憶の中に、そんなインパクトのある風景が、『家族』の語らいの場面が、そして『家族』が『家族』であった時代がくっきりと浮かび上がるのは自然なことなのだと思います。だからこそ、かんこは思います。

    『帰りたい。あの頃に帰りたい、と思う』。

    そんな言葉の先に、物語は書名にもなっている『くるま』=自動車をさまざまな描写をもって描いていきます。それが、『行きたいもん、せっかくここまできたんだもん』という先に進んでいく『くるま』に乗る『家族』の姿であり、アクセルを踏むその先に起こっていたかもしれないまさかの未来であり、そして『車中泊』の思い出の先に見る かんこが前に進むための一歩を見る物語でもありました。この辺り、ネタバレ直結になるためはっきりとしたことを書くわけにはいきませんが、宇佐見さんが「くるまの娘」という不思議な書名に込められた思い、そして一見不気味な表紙に隠された意味がふっと浮かび上がる結末に、父親と母親という『家族』の元に留まることを敢えて選択する主人公・かんこの『家族』に対する優しさを強く感じる物語がふっと浮かび上がるのを感じました。

    『この車に乗って、どこまでも駆け抜けていきたかった』という主人公の かんこ。そんな かんこは壊れかけている『家族』の中にそれでも留まるという決意の元に毎日を過ごしていました。そんな かんこたち『家族』が、苦しみ、もがきながらも一歩前に踏み出す未来を感じさせるこの作品。『家族』のそれぞれの想いをリアルに描き出していくこの作品。”この先も折に触れ思い出すであろう作品になりました”とおっしゃる22歳の宇佐見さんだからこそ見えてくる『家族』の一つの姿を描き切ったこの作品。

    極めて読みやすい文章の中に、物語の場面が目の前にふっと浮かび上がるような印象的な描写の数々と共に、『家族』をテーマにした小説群の中に新たな名作が誕生したのを感じた、そんな素晴らしい作品でした。

    • みたらし娘さん
      さてさてさん✩
      こんにちは!ちょうど今【くるまの娘】を読み終えたみたらしです!
      いやー…さてさてさんがおっしゃる通り、陰鬱でした…笑
      自分な...
      さてさてさん✩
      こんにちは!ちょうど今【くるまの娘】を読み終えたみたらしです!
      いやー…さてさてさんがおっしゃる通り、陰鬱でした…笑
      自分なりにレビューを書いてみたものの、まだ頭がぼんやりしていて上手く言葉が出てきません↓

      しかし宇佐美りんさん、文章の表現が本当に素晴らしいですね。
      確かに独特ではありますが、読みにくいということもなく、すっと本に入ることができまきた!

      また素晴らしい1冊に出会わせてくださってありがとうございました(*´ω`*)
      これからもレビュー楽しみにしています♪
      2022/05/23
    • さてさてさん
      みたらし娘さん、こんにちは!
      すぐにお読みになられたのですね。はい、陰鬱ですよね。表紙の雰囲気感そのまんまという感じです。
      上手く言葉が...
      みたらし娘さん、こんにちは!
      すぐにお読みになられたのですね。はい、陰鬱ですよね。表紙の雰囲気感そのまんまという感じです。
      上手く言葉が出てこないという感覚よくわかります。この作品11日の発売で14日のレビューを想定していたので12日に読了して結構焦りました。私の場合レビューの前に作家さんのインタビュー等に一通り目を通すのですが、それも叶わずで何をどう捉えるのか考え込みました。ヒントはやはり書名の『くるま』だと結論した次第です。私の読書クールの兼ね合いで宇佐見さんの三冊をまとめて読んだのですが、凄い作家さんだと思いました。いずれも違う試みがされていて、特に今回は『家族』にこんなにも深く切り込むところも凄いと思いました。
      レビューのアップ楽しみにしています。
      2022/05/23
    • みたらし娘さん
      宇佐美りんさん、すごいですね…
      他の2作品も決意固まったらチャレンジしてみようと思います(ง •̀_•́)ง
      宇佐美りんさん、すごいですね…
      他の2作品も決意固まったらチャレンジしてみようと思います(ง •̀_•́)ง
      2022/05/24
  • 声にならない叫びが聞こえてくるような一冊でした。
    兄も弟も家を出て行った。  
    でも“かんこ“は出て行かない選択をした。
    父の横暴さに壊れた母。壊れた母を責める父。
    そんな家から出ることを決めた兄と弟。
    でも、かんこは出て行かない。出て行くことで被害者のようにふるまうのが違うと思ったから。みんなが傷付いていてみんなが被害者なんだ、誰かを加害者にはしたくないと思ったから。自分だけ助けられるなんておかしい、助けるなら全員を助けてくれと思うかんこ。それが依存し合っていると思われたとしても。
    かんこには、父がどうしてそうなってしまったのか背景が見えるんですね。だから父も被害者なんだと。殴られても髪を掴まれてもそう思えるんですね。
    それは強さなのか優しさなのか、難しすぎて私には分かりません。ただ作中かんこが言っていたように、親に向けての思いよりも子どもに対する愛情に近いような気がします。
    家族ってどうしてこうなんだろう?
    何一つ飾らない自分を出せる場所からであるからこそ、見せてはいけない姿も見せてしまいます。
    とても苦しい家族の物語でした。
    苦しくても、明日からもずっと家族なんだな、という一冊でした。

  • おそらく、『推し、燃ゆ』が何十万部売れようと、この人には関係ないんだろうなというのが、まず、読み終えた第一印象であり、23歳という若さに似合わぬ、その堂々とした佇まいから放たれる、大胆にして理知的でありながらも、平和そうに見える現実の奥底に深く沈み込んでいる絶望的な闇を、その客観的視点で見つけ出し、なんとかしようと孤軍奮闘している。そんな印象を私に与えてくれた本書は、間違いなく衝撃作だと思う。

    本書で扱っている問題は、いわゆる家庭内暴力が当然のように繰り返される、どうしようもない家族の在り方であり、普段は人が好くても、時折子供のようにカッとなる父親と、脳梗塞の後遺症を引き摺る、不安定な母親と共に暮らすのは、常に淡々と振る舞う、兄の「にい」と、妹の「かんこ」と、辛いことがある度に、へらへらと笑うようになった、弟の「ぽん」の三人であったが、にいは家を出て行き、ぽんは遠くの高校へ行く口実で祖父母の家に行ってしまい、ただ一人残ったかんこも高校生活に馴染めず、時折訪れる、精神的衝動の爆発に悩まされており、そこに家庭が影響しているのは、おそらく間違いないと思われる中での、そんなある日、父方の祖母が亡くなった事によって、祖母の家に車で向かう事をきっかけに、以後、その車内でのやり取りを中心として、物語は動いていく。

    車の中に家族全員が存在する場の空気というのは、改めて考えてみると、家の中以上に息苦しいものがあり、しかも家の中と違い、止まらない限り、決して逃げることの出来ない、その檻のような場所で、気まずい会話も時には起こるかもしれないが、かんこの場合、背もたれを蹴り飛ばす事も平気でする。これは、原因を一切考慮に入れる必要の無い非常識な行いなのだろうか?

    兄や弟が出て行ったのは、主に、父親の暴力が原因である事に加え、母親の不安定さも重なったのが大きいのだが、そんな中、かんこは暴力を振るわれた、その瞬間は辛くやり切れない思いに囚われるが、時が経つと、何となく曖昧に受け入れてしまい、心の底では何とかしたい気持ちもありながら、今日までそれを繰り返してきた。しかもそんな曖昧さが、この家族全員に共通しているところに、かんこ言うところの『地獄』があり、それは、『曖昧に繰り返される、柔らかくぬるく、ありふれた地獄』で、最も恐ろしいのは完結しない事だという思いには、私も同情を隠しきれない。

    そもそも、父親の言動は子供だけでなく、母親に対しても同等である事に、私は嫌悪感を覚え、それは、過去に脳梗塞にかかった事のある人間に対する接し方では無いと、私自身の価値観に照らし合わせて、そう述べているのだが、本書の凄いところは、おそらくそうした部分は関係ないのだと、言っているかのようなところにある。

    いや、それはおかしいだろうと言う方も、きっといらっしゃるのだと思う。そんなの、別の大人達に相談して、即刻父親から離れさせるべきだという意見もあると思うが、実は、そういったことに対して、拒否反応を示しているのは、かんこ自身で、そこから窺い知れるのは、彼女が子供と大人を対等な眼差しで認識していることだった。

    『誰かを加害者に決めつけるなら、誰かがその役割を押し付けられるのなら、そんなものは助けでもなんでもない』

    『助けるなら全員を救ってくれ、丸ごと、救ってくれ』

    これらの叫びに渦巻く、かんこの思いには、父親が家族に対して行使した力も、『別の被害意識に基づいた正当な抵抗』ではないかと考え、更には被害者であったはずの、かんこ自身、もしかしたら加害者でもあるのではないかと自省しており、それは、彼女一人だけが地獄を抜け出しても、ちっとも嬉しくないし、家族にとって何の解決にもならない事を、彼女自身が理解している事の証でもある。

    『まだ、みんな、助けを求めている。相手が大人かどうかは関係がなかった。本来なら、大人は、甘えることなく自分の面倒を見なくてはならないということくらい、とうにわかっていた』

    『だが、愛されなかった人間、傷ついた人間の、そばにいたかった。背負って、ともに地獄を抜け出したかった。そうしたいから、もがいている。そうできないから、泣いているのに』

    これまでの家庭内問題を扱った作品では、比較的、被害者側の視点に寄り添った内容が多いと思われる中、本書の場合は、加害者側にも同等の温かい眼差しを向けているのが、私にはとても印象深く、しかも、それを血筋といった、目には見えない感覚的な事で分からせようとするのではなく、宇佐見さんなりの方法で、真摯に向き合い、誠意を込めて、誰にでも理解しやすい言葉で伝えてくれていて、そこには、外側からだけでは決して分からない、それぞれの胸に抱かれた必死な思いも見え隠れしている。

    『もつれ合いながら脱しようともがくさまを、「依存」の一語で切り捨ててしまえる大人たちが数多自立しているこの世をこそ、かんこは捨てたかった』

    そして、最終的にかんこが家族を思い、とった行動には、逆転の発想を思わせるものがあったが、それ以上に私が感じ取れたのは、人間を超越した天にあるものから降り注ぐような、本書でも度々登場した光の熱に対する身を切るような痛みに対する抵抗であり、かんこの行いをきっと見ているであろうに、何もしてくれないものに対する抵抗でもありながら、その曖昧さの漂う空間に於いて、そこから逃げることなく全てを受け入れる事にした、かんこだけが持つ、家族に対する真っ新な愛情表現なのであった。

  • 「くるまの娘」って変なタイトルよね。
    全く何も心に訴えかけてこない。「くるま」と「娘」って単語が並んでいるだけで、なんなんだろう?
    あまり関心はなかったが、オーディブルで見かけたので、芥川賞の宇佐見さんだし読んでみるかな、と。

    テーマは「家族と自立」。
    前半はやや退屈に感じた。
    しかし、後半、祖母の葬儀からの帰りの車中、家族ならではの剥き出しの感情のぶつかり合いから俄然物語は盛り上がってくる。
    そして、美し過ぎるラスト。

    さすが芥川賞作家さん、読んでいる者全てを黙らせるほどの圧倒的にパワフルな筆致力だ。

    生を選択し続け、死を拒み続けた積み重ねが今日の命。ただそれだけ。
    ああ、そうなんだな、と。
    だからこそ、重いんだな。

  • 家族の中の関係性は千差万別、本当のところは外からはわからないですよね。家族の問題で世間から見れば負と思われる側面は、みな積極的に他人には話したがらないから。

    主人公のかんこは高校を休みがち、身体が動かないこともある。父、母…世間から見れば特殊な家庭環境。そんな状況に嫌気がさし兄は家を出、弟も祖父母宅へ逃れた。でも、かんこは物理的にも精神的にも逃げない、そこにいる。父の態度の奥にある過去を思い、母の背中をさすり、親であると同時に「子ども」でもある父母に寄り添っていく。

    宇佐見りんさん、改めてすごい書き手さんだなぁ。
    『かか』の時も衝撃を受けたけど本作もズンときました。かんこが目にする風景は…強い日差し、黒い山、深い霧、赤い夕陽、そして光る電線、転びそうな砂利道、涸れた蔦…どれもが暗く拒んでいた。
    幾つかの出来事を経て、ラスト、次第に日の光が柔らかくなり胸に温かさを残し山は蒼く淡い影を写していく。「道は光を受け、春だった。」

  • 宇佐美さんを3冊読んだ方から「読んで」と渡された本。皆さんの感想を見ると賛否両論ありますね。私も初めてこの作家を読んで、読むのが辛くなるような内容だった。初めての作品の「かか」も同様の内容とか。作者の実体験なのか、想像力なのか。
    暴力的で理不尽な父、病気により言動がおかしくなった上にアル中の母、それが嫌で家を出た兄と弟。主人公のかんこも精神的におかしくなる。
    父方の祖母が亡くなって、久方ぶりに四人が会うのだが、ギクシャクした雰囲気。母や父の子供返りのような言動が痛々しい。かんこも家族を繋ぎ止めようとしているが、益々おかしくなる。これが表題に繋がる。最後にちょっとだけ父親が可哀想になるのだが、祖母が悪いのか、父親が悪いのか・・
    それにしても作者はまだ若いのに、圧倒的な筆力に感心する。

  • 『かか』『推し、燃ゆ』と続いて3作目となるこの小説だが、著者独特の世界観を感じる。

    今作品は、かんこたち家族が祖母の葬儀に向かう行き帰りの車中の様子でどんな関係なのかがわかるという…少し複雑ではある。

    どうしようもなく苦しくて、辛いのは父なのか母なのか、かんこなのか…。

    家族からは、終始いいようもない仄暗さが漂ってくるのだ。
    内面の弱さも伝わってくる。
    抗っても無理だとわかってるのにまだ闘おうとする。
    無気力なくせに何故か反抗はする。

    父だって、母だって親ではあるが、子どもでもある。
    終わりが見えない。

  • 家族
    何だろう?

    この物語に描かれたすさまじい「家族」
    父・母・兄・かんこ・弟

    祖母の葬儀のため、遠い田舎に車で帰る
    その狭い空間の重苦しさ

    語られる過去

    それにしても著者の描写力はどこから生まれてくるのだろう?
    天性のもの?
    デビューの「推し、萌ゆ」も衝撃だったけれど。
    内面や自然描写、人生に対する熱い諦観のようなもの
    二十歳過ぎた人のものとは信じられない洞察と言葉の巧みさ
    それに惹かれて、読み進めてしまう
    生きていることは死ななかった結果
    ふー!すごいなあ

    ≪ 傷ついて 傷つけあって 家族とは ≫

  • 家族の物語。
    苦しかったら逃げればいい…そんな簡単な話じゃないんだ。

    母は脳梗塞の後遺症で精神的に幼くなり、家庭内暴力を振るう父と、家を出ていった兄と弟。娘のかんこは不登校。
    それでも家に残ると決めたかんこ。
    かんこも、家族も、きっと苦しかったはず。

    祖母の葬儀のため家族で向かう車中、蘇るのは家族がまだ幸せだった頃の記憶。
    傷つけ合いながらも、たしかに愛されていた。
    傍から見たら歪んでいるのかもしれない。
    それでも家族、なんだ。

    かんこの父の境遇や生活背景もみえてくる。
    もちろん暴力は絶対に許されない。
    だが、父もまた傷つけられてきたのかもしれなかった。

    何かが欠落したまま大人になりきれない父。
    病気が原因で子どものような母。
    かんこは傷つけられながらも一緒にいることを選んだ。
    愛されたいと望んだ。
    親への愛情を持ち続けた。

    とにかく圧倒された。
    心にズシンとくるものがあった。
    すべて含めて「家族」なんだ。
    家族のかたち、あり方について考えさせられた。




    ブグログの皆さん、今年もありがとうございました。
    いろんな方と出会えて、本を語り合えて、ますます本が大好きになりました。人生で一番本を読んだ一年でした。
    いつも皆さんのレビューを読むのが楽しみです♪
    良いお年をお迎えください☆彡

    • ひろさん
      楽しい読書ができたのは、まつのおかげだよ!ほんとにありがとう!!
      お手本だなんて(◍´꒳`)ただ欲張りなだけだよ(笑)
      まつの方こそ凄いよ☆...
      楽しい読書ができたのは、まつのおかげだよ!ほんとにありがとう!!
      お手本だなんて(◍´꒳`)ただ欲張りなだけだよ(笑)
      まつの方こそ凄いよ☆着物とか美術館とか釣りとか、映画や漫画も詳しくって、いつでも好奇心とチャレンジ精神に溢れていて。そしてTOEICという新たな目標を持って頑張るまつを尊敬しています。
      来年もまた一緒に楽しもうね!素敵な充実した読書ライフ♪
      来年もどうぞよろしくお願いします(*´˘`*)
      2022/12/30
    • 土瓶さん
      よいお年を〜(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)
      よいお年を〜(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)
      2022/12/30
    • ひろさん
      今年一年たくさんの笑いと感動をありがとうございました!
      どんちゃんも良いお年を~(๑>ᴗ<๑)
      今年一年たくさんの笑いと感動をありがとうございました!
      どんちゃんも良いお年を~(๑>ᴗ<๑)
      2022/12/31
  • 今にも壊れそうな、家族の関係をここまでリアルに
    描写していて、あらためて宇佐見りんの凄さを実感しました。ここまで、「かか」「推し、燃ゆ」と順番に読んでみて、本作「くるまの娘」が一番僕は好きです。何にか心に染みるものを感じて、共感と似たような、感情が湧きました。新時代の純文学の
    新たな原石を見つけたような気がします。 
    何をもって自立したと言えるのか、人それぞれの
    価値観で、自立の境界線が変わって難しいが、私
    の個人的な想いとしては、自分が自分らしさを確立したら自立できたと私は思います。

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著者プロフィール

1999年生まれ。2019年、『かか』で文藝賞を受賞しデビュー。同作は史上最年少で三島由紀夫賞受賞。第二作『推し、燃ゆ』は21年1月、芥川賞を受賞。同作は現在、世界14か国/地域で翻訳が決定している。

宇佐見りんの作品

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