ジュリアン・バトラーの真実の生涯

著者 :
  • 河出書房新社
4.10
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309029832

感想・レビュー・書評

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  • ナボコフの『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』から借りた表題からも分かるように、世に知られた著名人の人生をよく知る語り手が、本当の姿を暴露するというのが主題だ。それでは、ジュリアン・バトラーというのは誰か。アメリカの文学界で、男性の同性愛について初めて書いたのは、ゴア・ヴィダルの『都市と柱』とされているが、ジュリアン・バトラーの『二つの愛』はそれに続く同性愛文学のはしり、とされている。

    一九五〇年代のアメリカでは、同性愛について大っぴらに触れることはタブー視されていた。ジュリアン・バトラーのデビュー作も、二十に及ぶアメリカの出版社に拒否され、結局はナボコフの『ロリータ』を出版した、ある種いかがわしい作品を得意にしていたフランスのオリンピア・プレスから出ることになった。アメリカに逆輸入された作品は、批評家たちにポルノグラフィー扱いされ、囂囂たる非難の的となる。

    しかし、続いて発表された『空が錯乱する』は、ローマ史に基づいた歴史もので、相変わらず同性愛を扱っているものの、繊細な叙述と実際の見聞によるイタリアの遺跡の描写を評価する向きもあった。ところが、三作目の『ネオサテュリコン』は、ペトロニウスの『サテュリコン』を現代のニューヨークに置き換えて、二人の同性愛者のご乱行を露骨に描いたことで、またもや顰蹙を買うことになった。

    その第一章を、裏技を使って雑誌「エスクァイア」に載せたのは、ジュリアンの友人のジョンだったが、それがもとで彼は解雇され、友人の薦めでパリ・レヴュ―誌に引き抜かれ、ジュリアンとともに渡仏する。『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』は、そのジョンが、晩年になって過去を回顧して自分とジュリアンの創作と生活について、世間に知られていない秘密を余すことなく書き綴ったものである。

    作品によって作風が異なるのも当たり前のことで、実はジュリアン・バトラーというのは、名前こそジュリアンの名になっているが、その内実は、エラリー・クイーンや藤子不二雄と同じ、合作者のペン・ネームだったのだ。二人は、アメリカの上流階級の子弟が進むことで有名なボーディング・スクール(全寮制寄宿学校)、フィリップス・エクセター・アカデミーの同窓生で、寮の部屋をともにしていた仲だ。

    演劇祭でジュリアンがサロメ、ジョンが預言者ヨカナーンとして共演したことがきっかけで、交際が始まり、結局ジョンは生涯ジュリアン以外とベッドを共にすることがなかった。デビュー作はジュリアンが書いたものにジョンが手を入れた。ジュリアンは発想や会話は抜群だったが文章力は皆無。一方、内向的な性格のジョンは、部屋にこもって文章を読んだり書いたりするのが好きだった。派手好みのジュリアンは湯水のように金を使う。一緒に暮らし始めた二人は、不本意ながら合作に舵を切る。もっとも、書くのはジョン一人だった。

    どこへでも女装で出かけてゆくジュリアンは、華奢だったため、まず男と見破られることはなかったが、アメリカでは変装は罪で、逮捕される危険もあり、二人は渡欧。最後はイタリアのアマルフィ近くのラヴェッロに居を構え、ジョンは日がな執筆を、ジュリアンはカフェで酒を飲んでは興に乗って歌を披露するという暮らしを続ける。トルーマン・カポーティ―やゴア・ヴィダルといった友人がヴィラを訪れては、飲めや歌えの大騒ぎを繰り返す、この時期は二人にとっての酒とバラの日々だった。

    十代後半から八十歳代に至るまでの回顧録で、当時のアメリカの作家やアーティストが繰り広げる乱痴気騒ぎを、楽屋話よろしく本編に織り交ぜて語られるので、文学好きにはたまらない。人気者としてちやほやされ皆に愛されるのが大好きなジュリアンは本のことなどそっちのけでひたすら飲んでいるばかり。一方、締め切りに追われるジョンの方は書くことに夢中。相手に対する葛藤もあるが、ヨーロッパ各地を巡っては、料理や酒に舌鼓を打ち、名所旧跡を訪れては、感慨に耽る。この膝栗毛は読んでいて愉しい。

    まるで、外国文学の翻訳のような体裁なので、ついうかうかとその気で読んでしまうが、実は根っからのフィクション。ジュリアン・バトラーという作家は存在しない。ジュリアンとジョンの二人は、イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』のチャールスとセヴァスチャンがモデル。二人が楡の木陰で蟠桃を口に含んで白ワインを飲むところに仄めかされている。『ブライヅヘッドふたたび』では、それが栗の花と苺だった。また、ジョンとジュリアンの略歴は作中にも何度も登場するゴア・ヴィダルのそれから採られているようだ。政治家の父を持ち、晩年はラヴェッロでパートナーと暮らすところまで。

    しかけはその他にも用意されている。実作者と思わせる日本人がジョンにインタビューしにくるのだが、そのインタビュアーである川本直による「ジュリアン・バトラーを求めて――あとがきに代えて」という文章が末尾に付されていたり、『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』を書いたアンソニー・アンダーソンが、自分で小説を書くのをやめたジョンの変名で、いわば、ひとり芝居だったという詐欺まがいの行為まで含めて、この小説の作品世界は成り立っている。

    これが初の小説だというが、実に達者なものだ。引かれ合いながらも全く異なる資質を持つ二人の男が、長い人生を共に暮らす。なにかと窮屈なアメリカを離れ、祖父の資産と小説の印税や、映画化による契約金で、潤沢な生活を送る二人。放蕩生活を楽しむジュリアンが酒に溺れ身を持ち崩してゆくのに比べ、他人との接触を避け、執筆一筋できたジョンが、ジュリアンの死を契機として、人と生きることに目覚めてゆくところなど、翻訳小説風であるからこそ読めるところで、日本の小説だったら嘘臭くなるにちがいない。次はどんな世界を見せてくれるのか楽しみな作家の登場である。

  • 川本直さん「ジュリアン・バトラーの真実の生涯」インタビュー 知られざる異色作家とは|好書好日
    https://book.asahi.com/article/14481740

    今週の本棚:若島正・評 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』=川本直・著 | 毎日新聞(有料記事)
    https://mainichi.jp/articles/20211009/ddm/015/070/010000c

    AZUSA TANAKA(@azaza0727) • Instagram写真と動画
    https://www.instagram.com/azaza0727/

    ジュリアン・バトラーの真実の生涯 :川本 直|河出書房新社
    https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309029832/

  • 本書の主人公はジュリアン・バトラーという女装の小説家である。
    本書は、1950年代の保守的なアメリカで同性愛を赤裸々に描写した小説を発表し話題をふりまいた彼を、同じ作家として才能に嫉妬しながらも愛し見守り続けた学生時代の同窓生、ジョージ・ジョンが回想録としてまとめた本、という体裁を取っている。
    「体裁を取っている」とあえて言うのは、本書は日本人作家による完全なフィクションだからである。

    本書は作者として日本人の名前しかなく、かつ読売文学賞を受賞していることから、これがフィクションであることは周知の事実であるといえる。
    しかし、巧みな構成とちょっとぎこちないような翻訳的な文章、さらにあとがきとして、本書の作者である川本直によるジュリアン・バトラーやジョージ・ジョン改めアンソニー・アンダーソンへの懐古談が付け加えられているという念の入れようだから、読んでいるといつの間にかフィクションだということをすっかり忘れ、ジュリアンとジョージ、彼らを取り巻く様々な面々にすっかり感情移入してしまう。

    とはいっても、本書は完全なフィクションというわけではなく、実在の作家や文化人のエピソードを織り交ぜながら物語が造り上げられている。私は当時の文学に詳しくないためあまりピンとこなかったのだが、詳しい人なら、ああ、あの人のあのエピソードか、という答え合わせの面白さもあってよりいっそう楽しめるのではないだろうか。

    もちろん、私のようにそのあたりの情報に精通しない人でも、ジュリアンのコケティッシュで退廃的な魅力に魅了され、彼に翻弄されるジョージに少なからず共感を持つ人は多いはずだ。

    当時のアメリカやヨーロッパの文学界の事情を描きつつ、ジュリアンとジョージのいびつな純愛物語に心揺さぶられる、虚実入り乱れた不思議な小説である。

    • たなか・まさん
      この小説、良かった。諸国の風景の美しさ、トルーマン・カポーティのキャラクター。そして歳をとる、年月が過ぎて行くことの悲しさ。
      この小説、良かった。諸国の風景の美しさ、トルーマン・カポーティのキャラクター。そして歳をとる、年月が過ぎて行くことの悲しさ。
      2023/03/11
  • 文章というか字面が美しく、史実に忠実な部分は大変忠実で、かつストーリーテリングに富み(表現、変かな)、キャラクターの造形が素晴らしい、希有なフィクション。長さもまったく苦にならなかった。

    主人公のジュリアン・バトラーは、美しく破天で、江口寿史のひばりくん以来の、魅力的な男性の女装キャラ。一方、語り部のジョージ・ジョンは名前の通り、凡庸で(と本人は思っている)、真面目、それでいて偏屈で嫉妬深い、とても人間的な人物で、その対称性が物語を転がしていく。
    出てくる諸国の風景もとても美しい。
    トルーマン・カポーティのオカマキャラぶりが痛快。
    しかし、すべての人々が、平等に老いて醜くなり、この世から姿を消していく。 
    おかしみと哀しみのバランスが絶妙だった。
    私的、今年ナンバーワン候補の小説。

    • b-matatabiさん
      「すべての人々が、平等に老いて醜くなり、この世から姿を消していく。」
      確かにそうですね。でも、私は読んでいるとき、その部分をあまり意識しま...
      「すべての人々が、平等に老いて醜くなり、この世から姿を消していく。」
      確かにそうですね。でも、私は読んでいるとき、その部分をあまり意識しませんでした。
      2023/03/12
  •  なんだか、スゴイ評価のレビューがたくさん書かれていて、勢い込んで読みましたが、当てが外れました。
     アメリカ現代文学(?)が大好きな、いわゆる「オタク」の方の手による、エンターテインメントでした。まあ、読み手が素人なので、そう思う面もあるのかもしれませんが、戦後アメリカ文学に対する影響をうんぬんするような作品だとはとても思えませんでした。
     むしろ、こうしたフェイク文学に、「読売文学賞」とかが与えられ、意味ありげに取り上げられる現代に、なんだか意味のわからなさを感じてしまったのですが、まあ、ぼくとは関係ない世界という感想でした。
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202207280000/

  • 米国の作家ジュリアン・バトラーの評伝の翻訳という体裁の長編小説。
    トルーマン・カポーティやゴア・ヴィダルをモデルに、そしてその二人もバトラーのライバルとして友人として登場しバトラーと会話したり彼の作品を評したり、形式的にも日本語序文から長い長い「あとがきに代えて」・参考文献に至るまで、実在の作家についてのノンフィクションであるかのような作りが徹底している。それだけでも労作だと思う。

    しかし著者のインタビューなどでも明かされているとおり、これは完全なフィクションであり、バトラーと彼のゴーストライターで公私に渡るパートナーだったジョージ・ジョン、二人の共通の友人で人気作家のジーン・メディロスは架空の人物。そして何の予備知識もなく読んで、最後の「本書はフィクションです。」に驚いてみたかったな、という気持ちにならないではないが、本書の魅力や意味は、その体裁やフィクションだと知ったときの驚きに限定されるものではない。
    最初からフィクションと知って読んでも、とても面白い。

    同性愛が異端で異常で犯罪ですらあった時代、それを隠すことなく女装で人の面前に現れ、奔放に自由に生きたジュリアン。しかし彼にはまともな小説を書き切るほどの文章力も教養も文学そのものへの情熱もなく、口述で描いた物語をリライトし小説として成立させた共作者はジョージだった。
    ジュリアンとは対照的に同性愛を公表する勇気も意志もなく、メディアから距離を置き、小説家に憧れながらもジュリアンの共作者であることを隠し学者として批評家として生きる内向的なジョージ。
    本作はジョージから見たジュリアンの姿と彼への愛憎を描きながら、本当の主人公ジョージの生き方を浮かび上がらせる。

    カポーティが好きな人はまず絶対好き、そうでない人には興味が持てない、好みの分かれる作品だと思うが、小説とは結局そういうもの。「あとがきに代えて」も含めるとちょっと長過ぎるかもしれないが、この分量を一息に読ませる通俗的な面白さと、文学への愛を両立させた力作。

  • 今年の2月に読売文学賞を受賞されて以来、絶対面白そうだしとりあえず読んでみようと図書館の予約かごに入れてようやく順番が回ってきた。今年もあまり量は読めなかったにしてもまあまあ充実した読書年間だったかな……と思っていたところでまさかの大逆転の面白さ。「日本語版序文」から「編集部注」、本編を通して「訳者あとがき」からの「主要参考文献」、とどめの397ページ目の一文。最高すぎる。知識と教養と文章力とソウゾウ力と何より愛を持て余した評論家の巧みな文芸遊戯。執筆期間10年と聞いて納得。それくらいの労力が行間から感じられて、でもそれはいやらしさとかしんどさではなく、何度も検証されて考え直されて推敲されたに違いない人間らしい工夫が垣間見えて僕には好印象だった。おそらくいろんなオマージュやインテリジョークが散りばめられていて(分かる人には分かるのだろうけど)全くわからないのがもどかしい。それが鼻についちゃう人はたぶんアレルギー的に読めないだろうなというのも理解できる。決して読みやすい本ではない。加えて冒頭から引用されるバトラーの『ネオ・サテュリコン』は題材的にいきなり読者を選ぶ感じがあり誰にでもおすすめできる本ではないかもしれない。でも10年前と比べてマイノリティに対する視線が明らかに変わっている現代だからこそ、いくつかの「愛の形」として多くの人に読まれるべき本だと思った。……とこう書いてLGBTQとか(生物的)男性の女装とか短絡的な主題に捉えられてしまう気がするのも違う気がして、レビュー下手さに猛省が止まらない。あとがきの最後の文、「触媒」としての作者の立ち位置の表明のように、たとえすべて自作自演だったとしても見え隠れする真実の声を集めるためにもう一度読みたい。そう思える圧倒的な名作。


    「いい? 恋愛の多くは失敗に終わりがちで、それもすぐに終わるけど、友情はそんなに簡単に終わらない。夫婦だって恋愛感情は冷めていって、友情で仲間同士みたいに暮らしてる。友情はうまくいけばどちらかが死ぬまで続く。私はあなたとジュリアンとはそれができると思ってる……(中略)……私は女の子が好きな女の子だけど、だからって自分を卑下したりしない。私は女の子が好き。それはそれだけのこと。女の子が好きなことが自分の中で重要だとは思わない。それは単に性的な問題。私は私。やりたいことをするだけ。あなたもそうでしょう?」
    (p.139)

  • 2022年10月
    川本直による、架空の作家の評伝のかたちをとった、小説である。
    …と、わかっていても、ジュリアン・バトラーの小説の引用やそれに対する当時の書評、この評伝を書いたジョージ・ジョンの小説のことなどが随所に差し込まれていて、自ずとジュリアン・バトラーが存在した世界に引き込まれてしまう。
    そしてきわめつけは"訳者あとがき代えて"収録されている川本直のジョージ・ジョンの取材記録。
    素晴らしい自作自演。(そもそも小説というのは自作自演といえるかもしれないけれど。)
    面白かった。

  • 怪作。
    本編よりも、あとがきで、その怪作ぶりが際立つ。
    こんな書き手が存在することが、なんか嬉しい。

  • 星5個じゃ足りなくて50個くらいつけたい。今年の1冊は決定した(まだ2月だけど)あまりの面白さに、読みながら何度か本をぶん投げたくなった。人は酷い本を読んだ時だけじゃなく信じられないほど面白い時にも本を叩きつけたくなるんだな。ジュリアンとの出会いの場面が魅力的で(「じゃあ花屋が来るから」)その2ページを何度も読んだ。会話も含めてとっても映像的。実は中身について何も知らずに読み始めて(また!)河出という出版社のイメージも相まって混乱しまくって最後まで読んだ。登場人物も個々のエピソードも混ぜ具合が最高度に凝ってる。最後の参考資料(資料ったって!)の羅列までしっかり読ませた後に印字された、ラスト1ページの小さな文字列よ。。。知的な大人が嬉々として遊ぶとこうなるんだなあ。いいなあ。

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著者プロフィール

1980年生まれ。文芸評論家。『新潮』『文學界』『文藝』などに寄稿。著書に『「男の娘」たち』(河出書房新社、二〇一四)がある。現在、フィルムアート社のWebマガジン「かみのたね」で『日記百景』連載中。

「2019年 『吉田健一ふたたび』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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