七十五度目の長崎行き

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309019277

作品紹介・あらすじ

取材魔・吉村昭は、またおのずから旅の人でもあった。街角のほんのそこまでの旅から、数々の名作の舞台となった土地の記録まで。「歴史の証言者」が文字通り全国津々浦々をめぐる、最後の紀行文集。単行本未収録エッセイ集。

感想・レビュー・書評

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  • 星への旅、海の奇跡、幕府軍艦回天始末などの作品によって田野畑村の名誉村民となった
    日本で最も雄大な断崖の連なるその地は深い沢に寸断されているので、谷をくだり、谷を登ることを強いられ、村内の交通は想像絶した至難なものであった

  • 吉村昭さんの小説の愛読者である私にとって、この本は、再び、様々な小説を読んで覚えた感動を再現してくれるものであった。特に、長崎の「戦艦武蔵」や北海道の月形町の「赤い人」など改めて深い味わいを与えてくれる本となった。

  •  この一冊を手に長崎を旅した。だが旅の目的は何なのか、自分でもわかっていなかった。
     目当ての長崎の前に、平戸に立ち寄ったのだが、そこでの偶然が私に旅の目的をはっきりと自覚させてくれた。平戸島から崎戸島へ向かう道中、「鄭成功の誕生石」なる史跡の前を通りがかり足を止めた。鄭成功と言えば、日本人の母をもち、オランダを駆逐して一時台湾を支配した人物というのが、どんな教科書にも載っている世界史の常識だ。説明の立て札には「母親が潮干狩りの最中に産気づいてここで生んだ」とある。
     ひとつの歴史がココでソノ瞬間に始まったのだという事を極めてわかりやすく指し示されているワケだ、しかもピンポイントで。その海岸の黒い岩の一点をじっと見つめながら、私には腑に落ちる閃きがあった。
     そうか、私がこの地まで探し求めてきたものは、吉村文学の「誕生石」だったのだ。
     吉村先生は詩情あふれる作風の純文学作品で四度も芥川賞候補となった。仮にこの初期の頃を前史とすることが許されるならば、吉村文学は、記録文学の金字塔と評される『戦艦武蔵』から始まると言っていい。
     明確な目的を胸に私は長崎の街に入った。
     県立図書館に行ってみた。七十五度どころか百回以上も取材のために長崎を訪ねられた先生が必ず立ち寄られた場所である。だが、悲しいことに、吉村先生の足跡を示すものは何ひとつなかった。「福壽」の皿うどんも食べてみた。勿論旨かった。「ここの皿うどんが長崎で一番旨いと、一昨年亡くなられた・・・」とまで私が言うと、「吉村先生ですね。先生は・・・」と女主人は饒舌だった。だがここにも私が探しているものはない。
     ひとつのインタビュー記事を思い出した。長崎のミニコミ誌にだけ載ったものであったが、随筆選集『ひとり旅』に収められたことで一般の吉村文学ファンの目にも初めて触れたものだ。
     こよなく愛した長崎から訪ねてきた記者が聞き手であったからだろうか、先生は他では見せた事のない、一歩踏み込んだ饒舌さで真情を語られていた。
     初めての長崎取材のときの事を問われて、
     「三十八(歳)のときでね。芥川賞候補に四回なっただけで、受賞できない無名作家です(笑)。もう女房は芥川賞受賞していましたがね。ぼくは会社を辞めて退職金もあったんで、長崎にいったんです」
     また、『戦艦武蔵』の取材の様子を問われて、
     「造船所の対岸の浪の平というところがありますよね。そこの海岸で深夜遅く、造船所をジッと見ていました。そうすると、夜間まだ就業しているわけですよ。時間を忘れて見ていると、近くの天主堂の鐘が鳴り始めましてね、朝の」
     「早起きしていったということですか」
     「いいえ、夜通し見ていたんですよ。戦艦武蔵なんて、こちらは素人ですから、書く自信なんてありませんよ。だけどなんとかしようと思ってね」
     浪の平。そこかも知れない。そう思った私は寝静まったホテルを抜け出した。長崎港と出島にほど近いホテルからそこは歩いても15分ほどであった。
     対岸の造船所の灯は、残念ながら消えていた。終夜操業も当たり前の花形産業の姿は、平成不況の現在、もう無いのは当然だ。私は強く力を込めて瞼を閉じた。43年前ならば見えたはずのものを見たかった。

     青白い火花が滝のように流れた、溶接の火花だ。鋲打ちの音も聞こえる。
     純文学との決別への躊躇い。はたして自分に書けるのだろうかとの不安。だが書かねばならぬという追い詰められた思い。今「武蔵」を書き得るのはわれ一人ではないかとの自負。

     先生の思いが考え続ける私の中に次々に浮かんだ瞬間、冗談のような偶然であるが、「ガァーン、ゴォーン」と頭の後ろで大浦天主堂の朝の鐘が鳴った。

     ここだ。私はおもわず呟いた。

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著者プロフィール

一九二七(昭和二)年、東京・日暮里生まれ。学習院大学中退。五八年、短篇集『青い骨』を自費出版。六六年、『星への旅』で太宰治賞を受賞、本格的な作家活動に入る。七三年『戦艦武蔵』『関東大震災』で菊池寛賞、七九年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞、八四年『破獄』で読売文学賞を受賞。二〇〇六(平成一八)年没。そのほかの作品に『高熱隧道』『桜田門外ノ変』『黒船』『私の文学漂流』などがある。

「2021年 『花火 吉村昭後期短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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