- Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309019215
作品紹介・あらすじ
時空を超えて躍動する作品世界の全貌と、33年で燃え尽きた"狼疾の人"の生涯を描ききる決定版評伝。
感想・レビュー・書評
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中島敦がどうして「山月記」を書いたのか知りたくて読んでみた。
その答えがはっきり書かれていたわけではないけれど、山月記はひとつの、彼の決意のようなものだったんじゃないだろうか。
虎になってしまった自分から、始めるんだっていう決意。
虎にならずに済む人もいる。
たぶん、悟空や八戒のような人は、中島敦にとっては虎になることなんてない人なんだろう。
でも、虎になってしまう「狼疾」を患っている自分。
それを一回受け入れた、そんなタイミングで書かれた物語だったんではないだろうか。
悪いのか、狼疾で。
人は結局自分以外のものにはなれぬ。
虎から始まったって、いいじゃないか。
そんな気持ちだったんじゃないか。
そうだ、虎から始まったって、いいじゃないか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
夭折の作家中島敦の足跡とその文学作品を対比させながら、彼の作品の背景にあるものを分析する。
中島敦は、学生時代、国語の教科書で山月記を読み、その面白さに惹きこまれ、他の作品はないかと、文庫本を買い求めた。
あまりに作品数が少ないため、中島敦が何たるかは、謎のままだった。
今回、この伝記のような本に巡り合い、謎の一部は解明した。
次は、この夭折の小説家がもっと生きていたら、どんな作品を残していたか、そちらの方に想像は拡がっていく。 -
作家・中島敦を描いた「王道」の一冊。作品論としても、評伝としても、彼の人となりや作品の魅力を十分に伝えてくれる。
たいていの高校生と同じく、僕も「山月記」によって中島敦を知った。そこに描かれた「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を告白する李徴の姿は、僕にはとても強烈に響いた(自分ははるかにスケールの小さなプチ李徴だったから)。それから読んだ彼の「虎狩」「狼疾記」「プウルの傍で」といった自伝的小説。そして「何者か我に命じぬ割り切れぬ数を無限に割り続けよと」などの短歌群。どれも僕には、深い問いをつきつけられるようで、また自分のコンプレックス(優越感と劣等感)の嫌らしさをえぐられるようで、とても特別な読書体験をもたらしてくれた作品たちだ。
この評伝(作品論?)で描かれるのも、文字(文学)に取り憑かれ、存在の「根拠のなさ」という不安に怯え、そして劣等感に苛まれる<狼疾の人>としての中島敦の姿である。著者自身が「あまり芸のないこと」と述懐しているように、とりたてて奇をてらった作家・作品像が出てくるわけではないと思う。しかし、ファンとしては「そうそう、これが中島敦だよね」「よく書いてくれました」という嬉しさや安心感が優る。
もちろんそれだけでなく、当時のサブカルチャーとの関連、異父弟の存在、ヘリゲルの「日本の弓術」の影響など、初めて知った面白い話題もあった。でも、やっぱり中島敦は<狼疾の人>なんだよね。決して狼疾たりえない凡人としては、そういう中島敦に憧れと共感を抱くなあ。
この評伝を読むと、あらためて中島敦の作品を全て読み返したくなる。だって、たったの3巻なのだから。その少なさも、僕にとっては彼の大きな魅力なのだ。 -
中島敦の文学的よりどころ。
091227朝日新聞書評