「仕事ができる」とはどういうことか? (宝島社新書)

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  • 宝島社
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784299018595

作品紹介・あらすじ

『ストーリーとしての競争戦略』で知られる一橋ビジネススクール教授の楠木建氏と、2017年に出版し17万部を超えるヒットとなった『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の著者、山口周氏による初の対談本。なぜ日本では「スキル」が偏重され、「センス」が見向きされないのか。「仕事ができる」をテーマに、世界に遅れをとる日本のビジネスの現状と、仕事において本当に必要なことを語り尽くす。2019年発売の同名単行本の新書化。

感想・レビュー・書評

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  • 当たり前の話だけど、仕事はできないよりできた方がいい。じゃあ「仕事ができる」人とはどんな人を指すのか?私たちが普段会話で何気なく「~さんて仕事できるから」とか「~さんは仕事できないけど人柄は抜群にいい!」とか評価するときの「仕事ができる/できない」の基準はどこにあるのか?

    私は頭が悪いので抽象度の高い問題に対して上手く言語化できずにモヤッとしていたが、本書でようやくモヤッとしたものが晴れた気がします。

    つまり、「仕事ができる人」とは…

    「この人じゃないとダメだ」と思わせる人のこと

    もう一歩具体性に近づけると、「スキルと同時にセンスのある人」のことを指す。ではセンスとはなんだ?センスとは意味のあるコト/モノを見抜き生み出せる感覚、といえばいいのか。隠れて見えない問題の本質を見抜き、取り出して、解決の仕組み化ができる人が「センスがある」と言って良さそうだ。

    私はセンスのない人に分類されるので、センスのある人がうらやましいかと聞かれれば「うらやましいです」と答えるしかない。答えるしかないんだけど、センスは鍛えれば磨かれるはずなので、土と埃にまみれて汚れたままのセンスの玉を今からでもせっせと磨いていこうと思ってます。

  • 最近ハマっている楠木さんと山口さんの対話峰ということで読んでみた。

    「明日からこうしよう!」というTIPS本ではないが、そこが良い。

    この本は、著者の2人の立ち位置・基本的主張を抽象的に、総体的にざっくり掴むことで、日常生活における思考に新たな視点をもたらすための種を蒔く本だと感じた。
    表現が適切かは分からないが、心の肥料というかそういう感じ。
    手元に置いといて、あまりゴツい本が読めない時にパラパラ読むのが良さそう。

  • 普段仕事をしていて納得感があるものばかりだった。が、それ故にそりゃそうだよなという話も多かった。答え合わせをできている気はして、それは良かったと思う。
    本書でも触れられているが、『センス』と表現すると先天的なものに聞こえるが決してそういうことではなく、後天的に育てられるものである。誤解を与えかねないが、一方で表現が難しいなと思った。
    例えばアタリの良い仮説を立てられること等がセンスに含まれることであり、この例で言えば『センス=経験に裏付けられたカン』みたいなもので、これは後天的に日々修行して得るものだなと思う。

    一番頭に残っている話は、仕事をする上ではタスクの羅列ではなくタスク間に意味のある順列を持たせること(ストーリーのある戦略があること)が大事であり、そこにセンスが表れる、という話は経験上腹落ちしたし、頭に残りやすい整理だと思った。

    また、全体の目的は何かを視座を上げて把握することで全体最適な仕事ができるよね、という話もまあそうだよなと思った。

    センスは汎用的かつ総合的な力であり、スキルは特殊的で局所的なものである、というのも整理としては納得感がある。
    IT業界に従事する者としては、普段ビジネススキルと開発スキルみたいな分類をしてるのと少し似ている気はした。

    全体として、センスには、論理的思考力みたいな話が含まれてるかなという印象を受けた。

    最後に、帯に記載されているセンス>スキルという表現は完全にミスリードを生むので良くないと思う。
    本書内でそんなことは言っておらず、どちらも必要なものであると述べられている。センスは目に見えず測れないし、名前をつけられなかったものだから軽視されてきたけれど、実は仕事をする上で大事だよねということを言っているに過ぎない。

  • 「仕事ができる人」と言われる人たちが持っている素養とは何か?
    それは、センスがあること。

    巷では、仕事力向上のためにスキルを身につけよう。と言う書籍が多々存在する。このスキルがあることは、仕事をする上で役に立つものだが、ある特定のスキルを持つことで必ずしも「仕事ができる人」とはならない。スキル以上にセンスが無いと「仕事ができる人」と呼ばれない。

    よしわかった。ではセンスを身につけよう!と思ったところで、どうやって身につけられるのだろう?スキルは身に付けやすいが、センスは?
    そんな命題について、楠木さんと山口さんが語り合っている。

    私なりの解釈では、少々短絡的ではあるがこんな感じ。
    仕事とは何か?
    ・相手の期待に応えること。
      このあたりはスキル習得でなんとかなるかも
    ・相手の期待を超えたものを提供すること
      このレベルは、センスが無いと到達できない領域だ

    「知恵を出す」「考える」にも方向性や発想の起点が大きな影響を及ぼす。このあたりのモヤモヤのこともセンスの一つ。本書はお二人の経験に裏付けされた対話で、センスを言語として浮き彫りにしようと試みたもの。
    刺激を得た。

  • 特に腹落ちした内容。少し経ってまた読みたい1冊。
    ・この人じゃないとダメだと思わせる。
    ・スキルでなくセンス。
    ・思考様式がストーリー
    ・具体と抽象の往復運動。これの振り幅の大きさと頻度とスピード
    ・意志が先に来る。

    これらは、正解が過剰で問題が希少な社会なりつつある現代だからより求められること。

  • 痛快。
    ■サイエンス VS. アート
    ■スキル VS. センス
    ■その人じゃないと困る
    ■余人をもって代えがたい
    ■SWOTTER
    ■(センスの有無)×(意欲の有無)

    楠木建は面白い。
    センスのない人が上にいる組織には居たくないものだ。

  • スキルとセンスに関する本。
    男のマウント方法は、基本3つ。「家柄」「偏差値」「スキル」 これに最近具体的な「仕事ができるマウンティング」「会社のブランドマウンティング」が増えている。(爆笑)
    正解が多い世の中、ハウツーものがやはり権威を振るい、センスという測りにくものに対する風は冷たい。みんなAIにとって代われてしまうかもしれないのに。。。

  • 対話形式で読みやすい本で、「どうすれば仕事ができるのか」ではなく、タイトルの通り「仕事ができる」とはどういうことかについての考察。
    この本では仕事ができる人は「センス」が良い。センスとはアートに近いもので、スキルの反対にある。明確な具体的指標で測れるものではない。
    事後性が高く、ある種の修行の様に経験を積み重ねることで到達する。
    スキル人間にならないように注意したいと思った。

  • 『感想』
    〇楠木建氏と山口周氏による対談記録だが、7割くらい楠木氏の話。

    〇自分の中でセンス≒教養≒読書の公式がある。自分の経験だけでなく多くの人の経験を読書で得ていくことが仕事ができること、ひいては楽しく生きることにつながるのでは。

    〇この本ではセンスとまとめられているけれど、仕事の範囲に限定するとそれは”判断力”と”現実把握力”につながっていくのではないか。それは直感による運試しではなく、言葉にできない要素を加味したうえでの成功率を高める行動なのだと思う。

    〇仕事でセンスを強く生かしていくためには、その前提として若いうちにスキルを蓄え実績をつくっておかなければならない。とはいっても認められてからセンスを蓄えていては結果が出るまでに時間がかかりすぎる。要は早いうちからセンスのヒントにたくさん触れることだ。まあスキルの前提としてセンスを使っていることが多いのだけれど。

    〇教養は人間をわかるためにあるのか。確かにそうだな。だから仕事に生かすためだけにとセンスを磨こうとすると高みに行けないのだろう。仕事にも応用できるだけで、もっと大きなものなのだな。

    〇楠木氏がある考え方をする人に対してあだ名をつけるのだけれど、それはちょっと気分がよいものではなかった。高い次元で考えればその考察は間違っていなくても、当人たちは一生懸命生きてきたうえでの結果なのである。その人たちを馬鹿にするように感じられた。

    〇このレベルの話を会話として成り立たせる2人はとてもすごい。知っているだけでなく、知識を人に説明する段階までいっているわけで、それを幅広い範囲でこなせている。

    『フレーズ』
    ・よく論理と直感を対立させて考える人がいます。両社はそれぞれに異なった性質をもっているのですが、実際に頭をつかって仕事をする人からすれば、”論理は常に直感を必要とする”というのが本当のところだと思います。(略)順番の問題としてまず直感がなければ論理というものもあり得ない。【楠木】(p.36)

    ・分析にいちばん必要なのはセンスなんですね。なぜセンスが必要かというと、悪さの原因を直感的につかんでいるからこそ、「意味のある分け方」ができるようになるからです。【山口】(p.38)

    ・あらかじめ決まったパーツへと自動的に分けられるようにできている問題は現実にはあまりない。どんな分け方をしても必ず無理や無駄が生じることになる。そこで、もっとも意味のある分け方にするというところにその人の頭の真価が問われる。独自の問題解決ができる人というのは、この局面でユニークな分け方をする人です。【楠木】(p.39)

    ・リベラルアーツというのは、要するに「自分の価値基準を、自分の言葉で、自分以外の誰かに説明できる」ことですよね。自分自身で形成された価値基準があるということ、それに自覚的であるということ、これがすなわち「教養がある」ということだと思います。どんなに多くのことを知っていても、世の中に流通している出来合いの価値基準に乗っかるだけでは教養とは言えない。教養形成の本質はアートでありセンスにあります。【楠木】(p.49)

    ・始めのうちは迷ったらとにかくやってみる。ところが、いつまでたってもそのやり方を続けている人というのは、たぶんセンスがない。「これは自分の領分ではない」と思うことには手を出さないという「土俵感」。「これが自分の土俵だ」という感覚がだんだんはっきりとしてくる。これもまた仕事ができる人の特徴だと思います。断るのも能力のうち、ということです。【楠木】(p.125)

    ・競争優位を左右する要因としては人、モノ、カネのなかでも、やっぱり人なんです。それも人の能力やスキルよりもモチベーションが大事になる。アウトサイド・インではなくてインサイド・アウトのベクトルの熱量の強さ、それがアムンセンとスコットとの大きな違いだったと思うんです。【山口】(p.212)

    ・リベラルアーツが大事なのは「人間をわかる」ためであって、(略)という境地に至ったんでしょうね。【山口】(p.235)

    ・ディープラーニングを通じて得た知識や経験を具体のままでストックしておくと他の状況に適用できないので、これだと単なる「もの知り」でしかないわけですけど、得られた経験や知識を抽象化してパターンとして蓄積しているから個別具体の状況にそれを適用できるということですよね。【山口】(p.252)

  • ●仕事ができる人とは「この人じゃないとだめだ」と思わせる。仕事ができるとスキルがあるとは似て非なるものです。
    ●あれができる・これができると言うスキルを超えた仕事の能力を「センス」と呼ぶ。「人間力」と言ってしまうと話があまりに茫漠としてくる。
    ●スキルはエビデンスとして言語化・数値化して示すことができる。一方でセンスのエビデンスはこれが難しい。
    ●起点はセンスにある。まずは何を知りたいかを知らなければならない。ここに科学者の生命線があるのだけど、それは体系的に教科書で勉強しても出てこない。
    ●「コレクトネス」が求められる時代。教養がない人は、様々な局面で外在的な正しさをやたらに気にする。発言するにしても、まともな対話や議論が成立しない。「ださっ」とかそういう返しになる。そこにはロジックも何もない。
    ●本来は「好き嫌い」であるはずのセンス的な部分を無理矢理「良し悪し」で斬ろうとしがちだと言うこと。これが不毛な喧嘩をもたらす。
    ●スマートフォンは最強の暇つぶしツール。本来なら好き嫌いの問題を、自分自身で作った価値基準のない人が「どっちが正しい」と反応する。そしてお前は間違っていると言う。
    ●センスなんて好き嫌いでいいのに序列をつけたがる。センスに序列をつけると、これはもうスキルであり、サイエンスになってしまいます。

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著者プロフィール

経営学者。一橋ビジネススクール特任教授。専攻は競争戦略。主な著書に『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(東洋経済新報社)、『絶対悲観主義』(講談社)などがある。

「2023年 『すらすら読める新訳 フランクリン自伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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