わたしが明日殺されたら

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  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784198631802

作品紹介・あらすじ

父には7人の妻がいた。わたしは23人の子供の19番目。「女の子じゃしょうがない」と、生まれてすぐ灼熱の地に放っておかれた。それは1975年のこと。まだ残虐なタリバンに国が支配される前だった-。血なまぐさい内戦で殺される父や兄たち。女性は迫害され、夫は無実の罪で投獄される。何度も死地をくぐりぬけながら、希望を捨てず教育を受け、やがてわたしの胸にひとつの決意が生まれる-。アフガニスタン次期大統領候補といわれる女性の壮絶な半生記。

感想・レビュー・書評

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  • 新聞の書評で興味を持って読んでみた。

    アフガニスタンの女性政治家となった作者が、自分の娘たちに向けて、半生やもし自分が死んだらどのように生きていって欲しいかを語っている。

    うすうすは知っていたけれど、あまりにも世界が違いすぎて、驚いた。
    また、メディアから伝わってきていた暴力的で狂信的なイスラムというのは、ある一部のことでしかない、ということもわかった。

    私と大して年齢の変わらない女性がこのような境遇で生き延びてきたこと、また、彼女は恵まれている方で、たくさんの女性が引き続き教育も受けられず、望まぬ妊娠をし、暴力の被害にあっていることについても考えさせられた。

    教育を受けるために、爆弾やレイプや暴力におびえながら、帰宅もないブルカ(イスラムの衣装)を着て、通学した彼女の勇気には驚かされた。
    そこまでして、教育を受けたい人がいる一方で、日本は。。。と思ってしまう。

    望んで努力すればできることはたくさんあるはずなのに、初めから諦める人があまりにも多いのはいったいなぜなのだろう。

    どうすればいいのか、簡単に答えの出ない問題ばかりだが、とりあえず、彼女のような政治家にがんばって欲しい。

    また、何か私にできることはないのか。についても、考えてみる。

  • 4.39/73
    『アフガニスタンの次期大統領と目される女性が、自らの壮絶な半生を綴った手記。父親に妻は7人いた。23人きょうだいの19番目に生まれ、女だからという理由で生まれてすぐ灼熱の大地に放り出された。火ぶくれになりながらも生き延び、母の庇護のもと教育をうける。民主的な国を求めて議員として活動し、タリバンに常に命を狙われている。仕事に出かけるときは娘たちへ遺言のつもりで手紙を書く。濃密な家族愛と激動の半生が胸を打つ。』

    原書名:『Letters to my Daughters』
    著者:フォージア・クーフィ (Fawzia Koofi)
    訳者:福田 素子
    出版社 ‏: ‎徳間書店
    単行本 ‏: ‎348ページ

  • 次期アフガニスタン大統領と目される女性政治家の半生を綴った自伝。壮絶且つ別世界過ぎて圧倒される。
    自分は宗教や政治とはほぼ縁がない(と思っている)人生なので、正直なところ想像が追いつかないのだが、それでもタリバン支配や911テロ、アルカイダなんてのはニュースにより耳慣れているので、全く未知の世界というわけでもない。生まれや人の縁に恵まれているとはいえ、生後すぐに炎天下に放置されたのを始め、事件や不運は絶えない。だがそこで挫けず、決して甘えず、強い誇りと意志を持つ彼女が国を動かすのは自明であり間近なのだろう。遠すぎて見習える気にすらなれないが、取り敢えず私も私に出来ることをやろう。

  • まさしくタイトルどおり、生まれてからほぼずっと「明日殺されるかもしれない」状態でありながら、決して諦めることなく、人々の幸せのために前に進もうと努力している著者の姿勢にひたすら感じ入る。

    「女があきらめたらおわり」なのだと書かれているが、母からそして娘さんたちに、諦めずに進み続ける志がつながっているのがわかる本です。

    2012年1月はアルジェリアのイスラム武装勢力による人質事件が起きました。
    「イスラムの武装勢力」の存在は、知っているようで、よくわからない存在でしたが、たまたまこの本を読んでいたため、それらがでどんなことをしている、どういう人たちなのか、よりイメージできてしまった。

    またこの本の前に読んでいた本は「カトリック」という宗教がクローズアップされていた。今回はイスラム。あらためて宗教てなんだろうか、と考えてしまう。

    戦争、宗教、貧困、人種、これらの問題が入り乱れて、多くの人々が殺されていく。
    世界中で、過去から少しも変っていない状態なのだということも思い知る。

  • イラン圏に生きる女性の、この人はたまたま強い位置にいる人。
    ほとんどは皆、口には出せないような思いをしているんですよ。
    産まれた国が其処で、しかも女だというだけで。

    今、生きていられることを根底から感謝したくなた本です。

    合間合間の娘達への思いがこもった手紙に深い愛が感じられます。

    此の地域に住む女性一人ひとりに幸あれと祈ります。

  • アフガニスタンの真実を知るに良い一冊。
    他書に比べ、本書は、著者の壮絶な半生が心まで響く。
    そして、本の所々で出てくる娘達への手紙は、より身にしみる。
    わが身を振り返り、家族を守ること、生きる意味を問いただすきっかけにもなった。

  • アフガニスタンの次期大統領候補と目される女性の半生です。
    自分の国を自分の言葉で語ること、そのために自分は何が出来るのかを考えさせられます。

  • 私より10歳年下の著者は、アフガニスタンの国会議員で、次期大統領候補と紹介されている。男尊女卑の社会に生まれ、しかもソ連侵攻、反ソ連のゲリラ戦、ゲリラ同士の争いの中でのタリバン勢力の台頭など、不安定な政情の中で過酷な運命をたどる。同時多発テロ後の米軍によるタリバン勢力の駆逐により、彼女に政治への道が開かれるが、公然とタリバンを否定する著者は絶えず命を狙われており、それが本の題名になっている。アフガニスタンの歴史や人々の思想や生き方を知ることもでき、興味深い話が多い。

  • 余りにも社会状況が違い過ぎ、私では想像できかねる。当時の女性には珍しく学校に通わせてもらい、愛する夫もいた。確かに生活環境は恵まれているが、信念を持たないと政治家にはなれないと思う。イスラム教のイメージが変わり、アラブ地域が少し近くに感じた本である。

  • (2011.08.18読了)(2011.08.07借入)
    アフガニスタンの女性国会議員の半生記です。アフガニスタンに女性の国会議員がいることを知りませんでした。表紙の著者の名前のところには、アフガニスタン次期大統領候補と書いてあります。まだ、大統領に立候補するのは、やめた方がいいでしょう。それこそ本の題名にある通り、殺されてしまいます。イスラムの国で、女性が指導者になることの抵抗は、かなりあるのですから。女性に教育の機会を与え、生活の改善のための施策を推進し、政治を経済を安定させることが優先課題でしょう。
    原題は、Letters to My Daughters です。「我が娘たちへの手紙」です。
    自分が、どのように生きてきたのかを娘たちに伝えるために書いたのでしょう。

    著者のフォージア・クーフィが生まれたのは、1975年です。父親は地元の有力者で議員、代々の地方政治家の家系でした。父の総勢23人の子供たちの19番目で、母の8番目の子どもです。母は父の二番目の妻でした。父は、7人の妻を持ちました。
    著者の生まれたバダフシャン州は、アフガニスタンの北東部にあり、パキスタンとタジキスタンに挟まれているところです。父のアブドゥル・ラーマンは、バダフシャン州選出の議員でした。著者も現在、同じ州から選出された議員を務めています。
    1978年、父は、反政府勢力のムジャヒディンによって殺された。(54頁)
    父亡き後、家族をとりしきったのは、母だった。(59頁)
    著者は、母の配慮で教育を受けることができた。
    部族対立、内戦、ソ連の占領、等の中で、何度も命の危険にさらされ、身内の何人かは殺害されている。
    1979年、ソ連軍による軍事介入開始
    1989年、ソ連軍撤退完了
    1993年11月、母が亡くなった。病死なのでしょうが、死因は不明です。
    1996年、タリバン政権
    1997年、ハミドと結婚した。
    1998年7月8日、シャハルザード (女児)を出産した。
    翌年?、二人目の娘シューラを出産した。
    2000年1月、とある援助機関の医学調査に参加依頼があったので、夫の許しを得て参加した。
    国連の国連児童基金の事務所が開設され、児童保護担当職員として採用された。
    2003年7月、夫のハミドは死亡した。
    2005年、国会議員選挙に出馬し当選した。

    ●アフガニスタンの位置(27頁)
    アフガニスタンには一つの言い習わしがある。わが国の位置と地理――ヨーロッパの諸大国、中国、イラン、ロシアに囲まれている――はアフガニスタンには不都合だが世界には好都合、というのだ。
    ●母の愛(29頁)
    「男が妻を殴らないのは、妻を愛していないからよ」と母は私に説明した。「あの人は私に期待をかけているの。それで失望させられると私を殴るだけなのよ」今の人には奇妙に聞こえるかもしれない。だが母は心からそう信じていた。
    ●離婚すると(44頁)
    アフガニスタンでは、ほとんどのイスラム文化圏と同じく、離婚ののち子供たちは母親ではなく父親のもとにとどまるのが普通だ。
    ●女性の服装(75頁)
    スカーフで髪をおおい、腕と胸と腰を包むゆったりとしたチュニックを着る。神の前で慎み深くあれというイスラムの決まりを満たすには、それで十分である。真のイスラムであるためには女性は顔全体を隠さなければならない、と言う人は正しくない。顔まで覆うブルカは決してイスラムの要求ではなく、普通は文化的あるいは社会的要求なのだ。(社会的要求とイスラム教の教えは同じではない。)
    ●教育を受ける(104頁)
    母は、私が学校に行くためであれば、機関銃の砲火の前にも喜んで身を投げ出していただろう。母は読み書きができなかったが、極めて知的な人間だった。私が教育を受けるのを見ることにより、何らかの形で自分も学んでいたのである。授業について私と話すときは心底うれしそうで、私への肩入れは終始揺らぐことがなかった。
    ●タリバンの文化破壊(139頁)
    タリバンは博物館を略奪し、わが国の歴史を反映する多くの遺物を破壊した。古代仏教の小像、クンダンの装飾品、アレクサンドロス大王時代の食器、初期のイスラム諸王の時代の遺品などである。野蛮人たちは、神の名において我が国の歴史を破壊したのだ。
    続いてタリバンは我々の精神の破壊に乗り出した。学校や大学を焼き、書物を燃やし、文学作品を発禁にした。
    ●女性は医療を受けられない(200頁)
    タリバンは女性に働くことを禁じた。そして次に、男性医師が女性患者を診ることを禁じたのである。女性医師は働くことが許されず、男性医師は女性を診ることを許されない。その結果、タリバンの時代には、死ななくてもいい何百人もの女性が、インフルエンザ、バクテリアの感染の放置、敗血症、発熱、骨折、あるいは妊娠などで命を落とした。
    ●母乳禁止(248頁)
    バダフシャンの伝統では、誕生後の三日目までは授乳を始めない。最初の何日間かの母乳には何か悪いものが含まれていると信じられているのだ。
    ●山岳地帯の生活(258頁)
    村人たちは貧困の中に生きていた。しばしば見たのは、一部屋に家族全員が暮らす家だ。一つの隅に家畜がいて、別の隅が便所になっている。そして便所といっても桶一つあるわけではない。単にうずたかく糞便が積み上げられている部屋の片隅にすぎないのだ。そして赤ん坊は部屋中を這いずりまわっている。
    ●平均的政治家(330頁)
    平均的なアフガン人政治家の態度はこうだ、ひとたび権力を握ると、その仕事場や権威を自分の私物と考え、重要な役職を、それにまったくふさわしくない友人や親せきに与えてしまう。そして、収賄やあからさまな窃盗によって一財産作ることにいそしむのである。自分が代表する人々の福祉や幸福などは、頭の隅のも浮かんでこない。
    (2011年8月21日・記)

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