美しき愚かものたちのタブロー (文春文庫 は 40-6)

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  • 文藝春秋
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  • / ISBN・EAN: 9784167918873

感想・レビュー・書評

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  • 美術館へ行きたくなった。絵画や彫刻など芸術作品を見ることは好きだったが、この作品を読んだので、作品の見方が変わるかもしれない。作家が作品を描いた場所やその時の状況について、想像を膨らませ、その作品から感じることを受け止められるといいな。作品を見るのではなく、作品そのものを感じる。そのような作品に出会えることが楽しみになった。原田マハさんの作品は初めてだったが、初めての感覚がたくさんあって、読んでいて楽しかった。別の作品も読んでみたい。

    • ハネモノさん
      ヤンジュさん、私の拙い感想にいいねを沢山くださって、ありがとうございます。
      私も同じだけ、ヤンジュさんの優しくて前向きな感想を読み参考にさせ...
      ヤンジュさん、私の拙い感想にいいねを沢山くださって、ありがとうございます。
      私も同じだけ、ヤンジュさんの優しくて前向きな感想を読み参考にさせていただいていますが、いつの間にか全部いいねしてしまっていたようなのでコメントに返させていただきます。
      私も原田マハさんの描く世界に入るのが好きなので、『美しき愚かものたちのタブロー』も手持ちの本を読み終わったら、読みたいです。
      2023/09/15
  • 我慢出来なくて、この作品を読み終わらないうちに、上野の国立西洋美術館に行った!(笑)
    タブローの横の解説の所に『松方コレクション』と書いてあるともちろん嬉しくなった

    「ほんものを見たことがない日本の若者たちのために、ほんものの絵が見られる美術館を創りたい」
    「素晴らしい美術館を持つ国は品格がある。戦争でなく平和を」
    絵を一心に買い集めた男、松方幸次郎の思い
    それに協力した男達の情熱
    国立西洋美術館のいしずえ、松方コレクション誕生秘話である

    小説で楽しみ、美術館で楽しみ、二度美味しいとても有意義な時間が過ごせた

    原田マハさん、ありがとう!


    • yyさん
      ハッピーアワーさん

      こんばんは。
      この作品、私も だぁい好きです。

      国立西洋美術館にすぐ行けるところにいらっしゃるのね。
      い...
      ハッピーアワーさん

      こんばんは。
      この作品、私も だぁい好きです。

      国立西洋美術館にすぐ行けるところにいらっしゃるのね。
      いいなぁ☆彡
      いつか行かなければと思いつつ、まだ行けてません。

      マハさん読んで、実物を観て…。
      最高の贅沢ですね。
      ある意味、お名前の通りですね。素敵!
      2023/04/04
    • ハッピーアワーをキメたK村さん
      yyさん

      こんばんは
      コメントありがとうございます

      はい、おっしゃる通りハッピーアワーでした(^O^)
      そして、読書の楽しみ方を考えるき...
      yyさん

      こんばんは
      コメントありがとうございます

      はい、おっしゃる通りハッピーアワーでした(^O^)
      そして、読書の楽しみ方を考えるきっかけになりました

      美術の知識が薄いもので、原田マハさんの作品を読む前は、理解出来るのか少々不安になります
      そして、yyさんのレビューも参考にさせてもらっています
      読後は、知らない世界を覗けた感動と最後まで読めたという達成感あるので、また読みたいと思ってしまう。。。そんな繰り返しです
      2023/04/05
  • どうしてゴッホの作品が表紙になっているのか?と考えながらページをめくりました。(もちろん読んでいた中でしっかりと納得)

    ゴッホやモネそしてその作品の素晴らしさについては、すでにマハさんの作品からかなり吸収できていたつもりでした。しかし、いやいやまだまだ。様々な角度でマハさんは楽しませてくれます。

    本作品の主人公たち。松方幸次郎、田代雄一(矢代幸雄)、日置釭三郎という実在した人々を中心にしてストーリーを展開しています。日清戦争、日露戦争、第一次大戦を経てきた、まさしく江戸時代から現代へと向かう日本文化の成長の礎となる歴史の動きを感じることができました。

    富国強兵を掲げながらも、絵画を初めとした文化が一般大衆に根付かなければならないということにこだわった当時の上流階級の選ばれし人々。まあ、作品に登場する人々は超上流階級の人々であり、市井の人ではない。少し眩しい憧れのようなものを感じてしまいました。

    本作は「松方コレクション」が日本文化に与えている重みを感じさせてくれる作品でした。

    国立西洋美術館の完成は第二次大戦後となったのだけれど、その前に絵画を中心とした様々な文化、当時の先進国の一般大衆の文化が日本にも入っていたとしたら、果たして第二次大戦に踏み込んだのだろうか?ふと、そんなことを考えてしまいました。

    マハさんのおかげで、いろんなことを考えされられました。政治、経済、文化、戦争、人々の営み、、、さらに今では地政学ですかね?微妙なバランスは今も昔も変わらないですね。

    • まいけるさん
      まいけるです。こんにちは。マハさんは世界史、美術、そして日本の歴史や政治にまで通じているんですね。
      私は『楽園のカンヴァス』を手に取り、ルソ...
      まいけるです。こんにちは。マハさんは世界史、美術、そして日本の歴史や政治にまで通じているんですね。
      私は『楽園のカンヴァス』を手に取り、ルソー作品に向き合ってます。
      2024/04/18
  • 原田マハさんのアート系小説。松方幸次郎とその絵画コレクション、国立西洋美術館設立まで、時代にして1860年代〜1960年頃の話。これまで「松方幸次郎」という名前を知っている程度だったが、その人の歩んできた道、人となり、そしてどのような経緯で絵画を集めるようになったかが良く分かった。小説なのでもちろんフィクションの部分はあると思うが、現に西洋美術館が存在すること、松方の収集した絵画があることから、松方という人の熱い思いは実在していたと分かる。第2次世界大戦下にフランスで絵画コレクションを守り抜いた日本人、その後、松方の資産で購入した絵画を「没収」しようと試みた仏政府との交渉、さまざまな人の思いや力が西洋美術館や松方コレクションとなって現在につながっていることに感動せずにはいられない。松方がパリで絵画収集にあたっていた1920年頃の明るい雰囲気、その後、世界が2度目の大戦へと突き進み激動の時代になっていた様子が描かれており、手に汗握る場面もあった。現在もウクライナ侵攻で世界が混乱しているが、戦争さえなければ、松方コレクションは完全な形で日本にあったのだろうな、と有り得ない妄想をしてしまう。戦争がいかに負の影響ばかり与えるものかを改めて実感した。膨大な参考文献を用いて執筆された壮大で濃厚な一冊。

  • おもしろい!けど長くて読むのにすごく時間がかかってしまった。
    自分的には1番気になっていた、「どうやってコレクションを寄贈返還にもちこんだか」がハイライト的な書き方になっていたのが残念だったので星3で。
    他の部分はしつこいくらいじっくり書いてあるのに、最後はサクッと終わる。

    史実を元にしているのは本当にすごい。時代背景などを踏まえると、どれだけ彼らのしたことが情熱に溢れ、タブローに翻弄されてきたかがわかる。
    国立西洋美術館には企画展しか行ったことがなかったけど、常設展も近いうちに行かなきゃなぁ。

  • この小説を読むと、誰もが国立西洋美術館に行ってみたくなるようだ。松方コレクションを観るために。
    松方コレクションの数奇な運命を、それに携わった人物たちとともに史実にフィクションを織り交ぜ、描いた壮大なアート小説である。
    主人公は、実在の人物を仮名にした美術史家の田代雄一。
    彼を中心に、松方幸次郎、文部省役員雨宮辰之助、総理の吉田茂、黒田清輝、田代の東京帝大時代の同級生成瀬正一、戦時中松方コレクションを守り抜いた日置釭三郎と彼の妻ジェルメンヌ、フランス関係では国立美術館総裁で返還交渉相手となるジョルジュ・サル、そしてコロード・モネ。錚々たるメンバーが登場する。
    構成は、戦後の1953年6月、田代と雨宮が松方コレクションの返還交渉に赴いた場面から始まる。
    その後、年代は戦前の1921年、1919年、さらに1866年まで遡り、再び1921年、1931年、1953年と来て、最後は1959年の上野公園国立西洋美術館と、めまぐるしい展開。一大叙事詩の感。
    1919年の項では、翌年に松方幸次郎が海軍の福田中将からドイツが誇るUボートの最新型の設計図を密かに入手して欲しいとのスパイもどきの依頼を受ける挿話もある。
    日本に美術館を作ろうと、絵画購入のため次々と画廊を訪ね歩く松方と田代。
    人を介し、クロード・モネの邸宅への訪れ。
    彼ら多彩な登場人物たちが様々な役割を演じ、繰り広げた物語は、彼らとともに読者も、遙かな旅をしてきたと思わせる読後感。
    大磯吉田邸での項では、松方コレクションも絡む戦後の講和条約締結時の秘話も綴られる。フランス外相から返還の肯定的な返事を引き出した吉田の説得力と交渉術の巧みさは、現代の政治家に参照してもらいたいと思うが・・・
    題名の「愚かものたち」は、もともと印象派の画家たちを批評した言葉だったとは。

  • 「戦闘機でなく、絵画(タブロー)を。」今、本当に必要な言葉です。松方コレクションについては関連本も読みましたし、この脇役で出てくる田代は〇〇先生だったのかぁ!と解説を読んでビックリしました。うちの父が西洋美術館のために募金した、と言っていて「良いなぁ~そういうことやってみたかった」と時代が違うとは云え、羨ましく思いました。国立西洋美術館へまた行ってみたくなる作品です。

  • 原田マハさんには「Bon travail!(いい仕事でした)」と言いたい。

    松方幸次郎が、日本に美術館を作るべく、様々な「傑作」を買い付けて行った。
    その〝松方コレクション〟は、戦後、個人の財産でありながら、日本が敗戦国となったことも影響し、フランス政府に接収されることとなる。

    そこで〝松方コレクション〟を日本に持ち帰ろうと赴くのが、かつて松方と共に絵画を見て回った田代雄一であった。
    現在の、「国立西洋美術館」が出来るまでのお話である。

    これは、絵にまつわる物語というよりは、絵に魅入られた人々の物語と言える。

    「戦闘機ではなく、絵画(タブロー)を。戦争ではなく、平和を。」

    この台詞で、私は読もうと思った。

    作中には、船や飛行機から戦艦や戦闘機といった、文明が戦争に利用される様子が描かれている。
    松方の仕事は、そうした戦乱をうまくビジネスにする側面もある。
    けれど、そこには感動や、声が出なくなるような衝撃は起こらなかった。

    戦うことにおいては、実際的な役に立たない絵画を、人々は守り、広め、学ぼうとする。
    人が人を感動させ、次なる作品を創造する。
    壊すことよりも、遺すことに、価値があるのだということが伝わってきた。

    今だからこそ、考える所のある作品だと思う。
    同時にフィクションながらも、現存する場所に命を与えられたような気がして、国立西洋美術館行きたい!となった(笑)

  • 原田マハさんのアート歴史小説(2019年5月単行本、2022年6月文庫本)。今までに読んだマハさんのアート歴史小説の上に歴史上の登場人物や背景が当然積み重なっているので、過去の小説を読んでからの方がより興味深く読めると思う。
    クロード・モネに松方幸次郎と田代雄一が会いに行く場所はモネが最後に暮らしたジヴェルニーの家。小説「ジヴェルニーの食卓」と「モネのあしあと」を思い出した。

    松方幸次郎、田代雄一、日置釭三郎、この三人と三人に関わる大勢の人物(友人、家族、政治家、役人、大使、軍人、財界人、画商、画家、美術館長、画廊店主、外国の要人、美術品収集家、建築家等)が松方コレクションの収集に影響を与えながら、経済危機や戦争を乗り越えて、遂に1959年日本に初めての西洋美術館が開館するまでを1921年と1953年のエピソードを中心に描かれる。

    登場人物は
    ①松方幸次郎(1866年生まれ)、絵画コレクター。30歳で川崎造船所社長(1896年)、日露戦争(1904年〜1905年)で戦争特需、視察渡欧2回(1902年、1907年)、技術提携や特許権取得で3回目の渡欧(1911年)、神戸商工会議所会頭、九州電気軌道社長、神戸瓦斯社長、等の複数の会社の社長を兼任し経済界の重要な一角に君臨し、更に衆議院議員にトップ当選(1912年)して政界・財界両方に力を持つようになる。
    第一次世界大戦(1914年〜1918年)の中、(1916年)ストックボードの商談でロンドンへの出張が運命を変えるきっかけとなる。街中に溢れているポスターの絵を見て「絵の力」に気づき、その絵を描いた画家に会いたくなり探していると、ある画廊で見た気になる絵の作者と同じ画家だと言われる。画家の名前はフランク・ブラングィン、この画家の絵を出来るだけ多く買おうと松方がタブローに衝き動かされた瞬間だった。
    そしてブラングィンが松方のロンドンでのアドバイザーとなり、パリではリュクサンブル美術館とロダン美術館の館長をしているレオンス・ベネディットがアドバイザーとなって、美術館創設のため1,300点もの絵画を買い付け、日本人宝石商から買った8,000点の浮世絵共に一部は日本へ送り、(1918年)帰国する。
    ところが海軍造船中将の福田馬之助が松方の元へやって来て、もう一度欧州へ行ってくれと頼まれる。松方の欧州での人脈でドイツのUボートの最新型の設計図を密かに入手してほしいというのだ。
    こうして松方は(1921年)再度欧州へ出向き、若き日本人美術史家の田代雄一と知り合い、田代をアドバイザーとして主に印象派の画家達の絵画を買い集める傍ら、誰にも知られることなくスパイ活動をすることになる。スパイ活動のことは描かれていないので結果はわからないが…。松方が田代と出会い、一緒にタブロー(絵画)の収集に関わる重要な年(1921年)に松方のスパイ活動はどう考えても無理だと思う。この時から日置もタブロー収集にか関わることを松方は指示している。
    (1922年)帰国するが(1927年)の金融恐慌で川崎造船所は経営不振に陥り、日本に送られた一部の美術品は処分、パリとロンドンに預けられた大部分の美術品は輸送に100%の関税がかけられることが判明し、日本に持ち込むことができなくなっていた。
    (1928年)社長を辞任、美術館の開設を見ることなく(1950年)84 歳で生涯を終える。

    ②田代雄一(1890年生まれ)、東京帝国大学英文科で西洋美術史を学ぶ。日本を代表する美術史家。
    (1921年〜1925年)欧州留学で心酔するフィレンツェに住むアメリカ人美術史家バーナード・ベレンソンの元へ行く。
    (1921年)フィレンツェに留学する前に立ち寄ったロンドンで松方幸次郎に出会い、30歳で絵画コレクターとしての松方55歳のアドバイザーになる。実はその時松方と一緒にいた日置釭三郎という人物と初めての出会いがあるのだが、それは32年後の再会が歴史を動かす重要な再会になるのだ。
    ブラングィンやベネディットとは違う視点で松方の絶大な信頼を得、松方が帰国する(1922年)まで絵画の収集に関わる。
    (1953年)松方の死後3年、内閣総理大臣吉田茂の命を受け、松方コレクションの返還交渉にパリへ向かう。戦勝国フランスと敗戦国日本という立場の弱い難しい交渉ながら、パリで松方コレクションを戦時中も一人で守ってきた松方の部下で元海軍中尉の日置釭三郎に出会い、その献身的な壮絶な話を聞いて、今度は自分の番だと新たな決意の下、大部分の作品の返還(名目は寄贈返還)を勝ち取ったのだった。
    (1959年)上野に松方コレクションを所蔵した「国立西洋美術館」が開館する。その開館式典に田代が向かうところで物語は終わる。松方は9年前に既に他界しており、日置も5年前に肺病の悪化で他界し、日本に西洋美術館を創設するという二人の夢は吉田茂と田代雄一が確かに受け継いで成就したのだった。

    ③日置釭三郎(1883年生まれ)、(1906年)海軍機関学校を卒業し、すぐに在フランス日本大使館付き武官としてパリへ赴き、飛行機の研究に明け暮れる。飛行機を作る技術と共に試験飛行で操縦の技術も習得していった。フランス語もすっかり上達し、フランス人の友も増えた。そしてジェルメンヌという女性と恋に落ち、ずっと一緒にフランスに住み続けたいと思っていた矢先に(1912年)帰国命令が出て二人は涙ぐみながらにも別れざるを得なくなる。
    (1912年)帰国した日置は横浜沖観艦式で海軍飛行機隊として初めての飛行披露を行い、(1916年)神戸での飛行披露が運命を変える。来賓席の一人の紳士が日置に声をかけた。その紳士こそが川崎造船所社長、松方幸次郎だった。
    飛行機製造のために日置は一番ほしい人材であり、海軍も民間の飛行機開発を奨励していたため、海軍は即座に松方の申し入れを受け入れた。
    こうして日置は川崎造船所の嘱託技師となり、即(1916年)第一次世界大戦の真っ最中にパリ行きが決まった。日置は諦めていたジェルメンヌにまた会えることへの淡い期待があった。再会したジェルメンヌもまた日置を待っていた。危険な飛行機乗りとの結婚はジェルメンヌの両親が許さなかったが、二人は決してもう離れないと誓い合っていた。日置は松方に感謝し、今後何があってもこの恩義は忘れないと胸に深く刻む。日置のこれからの人生が決まった瞬間だ。
    しかし5年後の(1921年)事態は急変する。パリへ到着した松方から飛行機製造は諦めると告げられ、日本に美術館を創る構想を聞くことになる。飛行機製造の道を邁進してきた日置は、いきなり梯子を外され戸惑うが、「どんどん絵を買ってパリに留め置くからその美術品の面倒を見てくれ、美術館が出来るその日までパリに住み続けてほしい」と言われたのだ。
    日置はパリに留まれることに逆に感謝して『飛行機を造るのをやめて、タブローを守る』と心に決める。ジェルメンヌもうれしさで感激の言葉が『戦闘機ではなく、タブローを』『戦争ではなく、平和を』と『なんて美しいの』だった。
    美術品の管理の他の仕事として「パリの画廊からの出物の情報」「パリの日本人会との交信の手伝い」「ヨーロッパ各国の政局の情報収集」これらを松方に打電するのも重要な任務だった。
    そして松方から”ドイツの最新型Uボートの設計図を手に入れる秘密の任務“のことを日置に打ち明け、死ぬまで口外無用だと命じるのだった。実はこの時、松方を介して田代雄一と初めての出会いがあるが、田代は日置のことは何も知らされていない。
    (1931年)ロダン美術館に預けている松方コレクションの将来の保管に為にパリ郊外のアボンダンの農家の母屋を買う(日置48歳、ジェルメンヌ40歳)。3年前には川崎造船所は経営危機に直面し、松方幸次郎は社長を辞任していた。ロダン美術館への保管料も支払えなくなると保管の委託は困難になる。コレクションをアボンダンの農家の2階に移すことを決心する。
    (1939年)フランスとイギリスはドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が始まる。
    (1940年)松方の指示で日置は彫刻以外の400点近い絵画タブローをロダン美術館からアボンダンの母屋の2階に全て疎開させた(日置57歳、ジェルメンヌ49歳)。ドイツ軍がパリを占領し、日置は 村人の中でドイツ軍のスパイではないかという噂が流れ、ジェルメンヌも床に臥せりがちになってしまった。医者を呼ぼうとする日置をジェルメンヌは止める。他人が家に入ればこの家の秘密が知られてしまう。タブローのことが。
    そして(1942 年)ジェルメンヌは他界し、2年半後(1944年)ドイツ軍の敗北が濃厚になって来ると日置は400点近いタブローをドイツ系のー画商アンドレ・シェーラーに預けてコレクションを守ってくれるよう託すが、結果的にフランス政府に差し押さえられてしまう。
    (1953年) 今までの松方コレクションの状況を全て知っている唯一の人物である日置は、パリにフランス政府と松方コレクションの返還交渉に来た田代に会いに行き、フランス政府に差し押さえられるまでのその保管、所在の変遷の『タブローを巡る物語』を田代に全て話すのだ。そして田代は日置に『今度は私の番です』とその返還交渉の決意を語る。そして松方幸次郎が3年前(1950年)に84歳で他界したことを田代から初めて聞き、放心する。
    (1954年)肺病の悪化で他界、71歳。国立西洋美術館の開館に間に合わなかった。

  • 国立西洋美術館の礎である〝松方コレクション〟を取り戻す、歴史を描いた長篇。

    原田マハさんはノンフィクションとフィクションの間を描くのかとても上手だと思う。史実に基づいて描かれている部分も多いのだろうけれど、人物の関係性や交わされる言葉…まるでその場を見て来たかのように錯覚してしまう。不思議な感覚が癖になる。

    日本の美術館の歴史はここから始まったのだなぁ、と感慨深く読み終えた。

    時間を戻すことは出来ないから、コロナ禍で、そして戦争で現存する芸術が失われないようにと同時に願った。

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著者プロフィール

1962年東京都生まれ。関西学院大学文学部、早稲田大学第二文学部卒業。森美術館設立準備室勤務、MoMAへの派遣を経て独立。フリーのキュレーター、カルチャーライターとして活躍する。2005年『カフーを待ちわびて』で、「日本ラブストーリー大賞」を受賞し、小説家デビュー。12年『楽園のカンヴァス』で、「山本周五郎賞」を受賞。17年『リーチ先生』で、「新田次郎文学賞」を受賞する。その他著書に、『本日は、お日柄もよく』『キネマの神様』『常設展示室』『リボルバー』『黒い絵』等がある。

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