- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167908812
感想・レビュー・書評
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都と陵は一つ違いのきょうだい。特殊な関係の親の元に育つ。ママは言葉が鋭く、自然と人を怖がらせもする、だけど魅力的で男受けは良い。
都はママが大好き。どうして子供は、母親が好きなんだろう。どんな母親だったとしても、子供は母親の全部が好きなのだ。
陵は、偶然地下鉄サリン事件の現場に居合わせ、幸い難を逃れる。ママは空襲で実母を失う。それぞれが命の安全が脅かされるようなPTSDを抱える。
大好きなママが病気で亡くなってからもずっとママの夢を見続ける都。
若い頃は離れて暮らしていたが、30代半ば再び実家で一緒に住みはじめた都と陵。陵がサリン事件に出くわしてから。人の死は、遠いようで紙一枚隔て隣にあった。
都と陵の関係について、ありえないと言ってしまえばその一言だが、家庭環境が影響を及ぼした(のだろうか)。
「わたしは陵のようになりたかった。陵になって、ママに喜んでもらいたかった。でもできなかった。だからわたしこんなにも陵が好きなのかもしれない」と言っている。
強烈なママの自爆から逃れられない都は、外へ飛び出せなくて、結局、陵に向かった。
子供というのはいつかは親元を巣立つもの。肉親から離れてゆくのが自然だろう。都(陵も?)は言わば毒親のママから精神面で自立できなかった(のだろう)。
「いつもわたしと陵は裁かれている。わたしたちを知るすべての人々に。けれど、真にわたしたちを裁いてくれる者など、ほんとうはどこにも存在しない。」
重いなぁ。この時期キツイ。
だけど、こんなにも綺麗な言葉文章で描かれた物語は濁りもない真っ白い水のよう。雰囲気がすごい。
夏の夜の鳥で始まって鳥で終わる。一羽だけぽつんと浮いていた水鳥。
また夏が来る。鳥は、太く、短く鳴くことだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本の空気は、江國香織の書くものに似ていると思った。
家族は、一緒に暮らせば暮らすほど思い出が増えていく。
歴史のようなもの。水の流れのように、とどまることを知らない。
思い出を共有し過ぎた姉弟の、愛の物語。
優しすぎて、深すぎて、なんだか泣けてくる。 -
ただただ美しい言葉の羅列が並び、そこには静謐とした雰囲気が纏っていた。禁断の行いでありながら、それを問題視にしているわけでもなく、ごく当たり前の状況、出来事として綴られている。個人的に川上弘美さんはファンタジー要素が多い印象があったけど、今作ではそれは薄らいでいて好みだった。「真鶴」と同等か、それ以上の傑作。
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ひとの人生に触れると実感して思い出すことがある。それは思い出だったり、生き方だったり、生と死の匂いだったり。
濃密な家族と、広義な愛の物語でした。
軽々しく時を越えていろんな場面が描かれているのに、全く不自然でなく、そこに存在しなかったわたしも、主人公たちのあたかもそばにいたように思い描くことが出来る。
夏のじっとりとした空気。しかし、冬になればその暑さを忘れてしまう。でもどうしてもあの夏のあの夜に戻ってしまう。
すごく読まされた、という気持ちです。
ぐいぐいと同じ沼に引き摺り込まれた気持ちでした。
時計だらけの開かずの間が開かれる時、やっと覚悟ができた気がします。
周りのキャラクターもとても魅力的で、わずかしか出てこなかったキャラクターの人生も空想します。 -
テーマは、家族と愛。愛は近親相姦と世間で呼ぶ類のものかもしれないけれど、卑猥な感じではなく、読んでいると、愛の変形系の一種としてナチュラルにスムーズに受け入れられる。主人公の都の両親は、実の兄妹で、都も弟の陵に恋愛感情を持つ。都の母親「ママ」はさばさばしていて冷たいところがあるけれど、どこか人を惹きつける魅力を持った女性。世間から見れば、都の家族は歪んで、ねじれている。いとこの奈穂子はアメリカ帰りの帰国子女で、都から見ればいつも笑顔なように見えて、少しも笑っていない無表情にも見える女の子。(「奈穂子は笑っていた。あるいは、無表情でいた。」)都の育ての父親は、時計コレクターで、都の弟の部屋には掛け時計がたくさんあって、そして南京錠がかけられ開かずの部屋になっている。
冷静にみたら、えーそんなんある?って思うくらい風変わりな家族で風変わりな暮らしだけど、読んでいるとまあそれもありかと思う。そして自分の外への寛容度が高まって、自分自身への寛容度も高まる感じがした。
よく、話の細部まで理解できなかったように感じる。自分の心の中がさざ波が立っているからなのか、それとも人生の経験不足からなのか。またいつの日かゆっくりと読み返してみたい。 -
きれいな物語だった。川上弘美さんの小説が好きなのは、解説で江國香織さんが書かれているように、そこにゆるやかな肯定があるからかもしれない。
許さないことや否定することが流行っている中で、そのゆるやかな肯定が懐かしく温かく優しく感じられる。 -
「1986年」の章を読みながらうわー凄いな怒涛のように場面が追い込んでくる、と圧倒された。言葉なのに。
江國香織さんの解説でその章を取り上げていて、『まるで音楽のようだ』と評していて、それだ!と自分の言葉の足りなさに笑った。
ストーリーがどうのより、なんというか、「人が生きること」のいろいろな断片のきらめきを見たような気がした。 -
少し他とは違う、とある家族の物語。
読みながら、「蛇を踏む」や「なめらかで熱くて甘苦しくて」を思い出す。家族の物語であり、男女の物語でもある
きょうだい同士の恋愛、という事で構えていたが予想とは違う静謐で緩やかな空気で話は進む。異性の兄弟は居ないので分からないが、一番近い存在で、自分のものであるという所有欲?のような…都が陵に抱える感情は惹かれ合う双子か、母子のようだなとも思ったり。
都と陵の「ママ」は、女に嫌われるタイプだと語られているが、どうしようもなく魅力的に映る。特別な美人とか男好きではなく、どこか冷たくてドライなのに強く惹き付ける…好きというより憧れてしまう。ひんやりとしているのに硬く凝ってはおらず、柔らかく隙間を縫って進んでいく…。
時代を行ったり来たりしつつ家族の姿が描かれ、ラストでは暮らした家を手放し、少しづつ家族が解けていく。
それは前向きで、時の流れと共に訪れる自然な別離かもしれないが自分はまだそこにもの悲しさを感じてしまう
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水声ー水の流れる音。水は止まらずに流れるが、物語はその音を意識させず、時に内面を表し、姉弟の行為に対する一般論を遠ざけた。時計もそうか。時を刻みながら、回想で歪む時系列を象徴する。常識とは無関係に、ただそこにあり、本人たちのみが理解し得る関係性。姉弟の行為にどのような意味があるのか、彼らは考えないようにした。読み手は考えるべきだろうか。登場人物に自らを重ねても、読み手はその感情を想像し得ない。
川上弘美は、食べる事をとても美味しそうに描く作家だと思う。そんな彼女が描く非日常のドラマだから、共感できないとどんよりした気持ちになりそうだが、決して共感は出来ず、ただ眺めるだけ。 -
家族とは何なのか、何とも不思議な感覚に囚われる。川上さんの文章は美しくて、すうっと、それこそ白い広野をあちこち彷徨いながら読み進め、そして読後は何ともむず痒い。内容は正直苦手だが好きな小説だった。