あかんやつら 東映京都撮影所血風録 (文春文庫 か 71-1)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (530ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167906412

作品紹介・あらすじ

ヤクザとチャンバラ。熱き映画馬鹿たちの群像型破りな錦之介の時代劇から、警察もヤクザも巻き込んだ「仁義なき戦い」撮影まで。東映の伝説秘話を徹底取材したノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 胸が痺れて、震えて、泣いた。最高に熱い話。決して、お涙頂戴ものではなくて、ただ感傷に浸ってノスタルジックになるわけでもなく、最後は未来への道を拓こうとする姿勢を見せてくれた。

  • 一大群像劇を読ませていただきました。
    沢島忠と錦之介、岡田社長あたりの人間関係が切なくなりましたねぇ。

  • メチャクチャ面白かった。たぶん今年のベスト1だと思う。

    東映の黎明期から時代劇、任侠、実録路線までを膨大な量のインタビューと資料を駆使して活写している。

    東映映画ファンでない人はどうなんだろう。少し割引いて考えなくてはならないのだろうけど、それでも楽しめると思う。固定的な映画館を持たなかった東映は普通の映画会社の倍の映画をものすごい熱気で作り続ける。東映撮影所では皆走っていると言われていたとか。

    できあがった作品より現場が面白い。東映は今まで何本の映画をつくってきたか知らないが、この本を映画化できたらそれが一番面白いものになるだろうと思う。見る人は限られるかもしれないが。

    『例えば、侍が殿に伺候するシーンを描くとする。これを所作通りの段取りで進めれば、次のような流れになる。まず侍が襖を開け、おじぎをする。これに対し殿が「近う」と声をかける。それで侍は中に入り、襖を閉めてから前に進み、殿の近くに座り、刀を置き、それから両者の会話が始まる。これが従来の多くの時代劇で採られた手法だった。
    ただ、物語の展開と直接は関係ない段取りを丁寧に積み重ねていては、テンポがまどろっこしくなり、観客に飽きられてしまう。そこを東映時代劇の場合は、たとえば前日に侍と友人の間で「明日、殿に言上しにいく」「そうか」と会話をさせたら、次のカットでは殿と侍が対面している場面による。その結果、物語上で大して必要のない所作事に時間を割かれることなく、前へ前へテンポ良く物語を進ませることになり、観客は飽きさせない構成になったのだ。』

    『「遠山の金さん」では、主人公が町人《遊び人の金さん》として町へ出る時、ほっかむりをするだけの変装しかしていない。それでも悪党は奉行所のお白州で対面しても、目の前にいる奉行の正体が「金さん」だということに桜吹雪の刺青をその見るまでは気づかない。
    「あれ、どう見たって知恵蔵じゃないですか。気づかないのはおかしいですよ」
    そう疑問を呈する平山。松田は動じない。
    「これは意識的にやってるんだ。客は気づいているのに悪役は気づいていない。だからお客さんは優越感を感じることができるんだ。時代劇の悪役といえばヤクザとか権力者とか、普段から偉そうな奴らだろ。そういうのを鼻で笑うことでできるんだから、お客さんにとって、これほど痛快なことはないんだよ」』

    『大映と東映両社では、使われる証明器具も異なる。大映では光量の強い、大きな器具を一台使ってスポット的な一発を当てる。それによって、照明の当たっている所とそうでない所がハッキリと分かれ、陰影の濃淡の強い映像になる。勝新太郎は座頭市を演じている時、目をつぶったままでも正確な位置への移転ができてと言われているが、それは照明の当たっている所とそうでない所の温度差が大きかったために、肌で感じる光の強さで自ら立ち位置を把握することができたからだ。
    一方の東映では、小さな照明器具を何台も使う。まず、一台のメイン照明はスターの顔と同じ高さに配置し、正面から明るく綺麗に照らす。その上で、周囲に小さな照明器具を使って、顔から一つ一つ、細かい影を消していく。ただ、それだけでは顔だけが浮かび上がることになって、かえってブサイクな映りになる。そこで、背景も同様に明るくするため、スタジオの二階に組まれた足場の三百六十度に張り巡らされた照明を使ってセット全体を明るく照らし出すのだ。』

    『上野はここで、「息の詰め方」を徹底的に研究した。真っ暗闇の中には近衛が一人だけ映る。闇の中から敵はいつ出てくるのか・・・観客は黙って息を詰めて待つしかない。そのしてギリギリまで緊張を盛り上げたところで突然現れ、静寂の中に近衛の悲鳴が響くことで観客を「ドキッ」とさせる。それが上野の狙いだった。
    この息を詰めさせる時間が短いと緊張を盛り上がらないし、長いと観客が息を吐いてしまって緊張が途切れる。どうカッティングを積み重ねれば最もいいタイミングでの悲鳴になるのか、上野は尺数や画面サイズなど、計算に計算を重ねた。』

  • 面白い。当時の映画産業全体が時代と合わなくなった。その結果、時代に合わせられる人々により映画が作られ、映画自体も当然時代に合う映画のみがでてくるようになったと解釈している。よって当時のような面白さを持った映画はもう作られない。

  • 春日太一の本は何を読んでも下らない。批判的精神に欠けることは驚くばかりで、本当に映像学修士の称号の持ち主かと疑わざるを得ないが、これは多分「売らんかな」根性で乱筆しているうちに読者受け(というより編集者受け)するような文章を書く習慣が身についてしまい、そこから脱却できなくなったためであろうと思われる。
    東映京都撮影所を取り上げた本書もマキノ満男を名所長としてヨイショするなど読むに耐えぬ内容ではあるが、取材だけは相当丁寧にやったと見えて、随所に重要な情報を見出すことができる。ブクログのレビューでは自由に加筆が可能でなので、今後随時それらをここに書き記しておくことにする。

    まずはライティングのこと。勝新太郎は座頭市を演じていたとき、目を閉じていても撮影の立ち位置が分かったという伝説があるが、それにはこういう背景があったものらしい。そもそも大映の時代劇は座頭市にせよ眠狂四郎にせよ、情感を視覚化するために陰影の明瞭な映像を好んだため、ライティングでも大型のライトを単独で用いスポットライト的な光の当て方をする技法が発達した。勝新が暝目しても正確に立ち位置へと移動できたのは、強烈なライトが当たっているため照明の有無で温度差が生じており、それを肌で感ずることができたからだ。

    対して東映ではスターの全身を美しく写すことに腐心し、小型のライトを何機も使用するのが常だった。まずメインの照明はスターの顔と同じ高さに置き、正面から明るく照らす。そして他の小型ライトであちこちから光を当て、顔から影を消してゆく。ただそのままだと顔だけが浮き出た違和感ある映像になるので、背景を明るくするためにスタジオ2階の足場に360度カバーできるように組んだライトを使ってセット全体を明るく照らし出していた。ラッシュで影が入ってるのが見つかると、監督やプロデューサーはライトマンを叱責したという。右太衛門の旗本退屈男のキンキラキンの衣裳は、そうした細かな配慮によって生み出されたものだったのである。

  • 東映京都撮影所…オモテの世界と裏の世界の境界線で生きる映画人たちを時代劇研究家の春日太一氏が圧倒的な取材量と熱い筆致で描く。

    内容は戦前から現代までの歴史を網羅的に描いているが、僕が重要だと思った時代区分は次のとおり。

    (1)中村錦之介らスター中心の時代。いかにスターを美しく撮るかが重要。スターが刀を振れば殺陣が勝手に倒れてくれる様式美の時代。
    (2)高倉健、鶴田浩二ら任侠道の時代。主人公も汗をかき血を流す。労働者や学生運動家に支えられた不良感性の時代。
    (3)深作欣二「仁義なきシリーズ」の実録ヤクザ時代。リアルな残酷描写が、大衆の覗き見願望に訴えた。
    (4)「鬼龍院花子の生涯」から始まる女性受けを狙った美しいパッケージの時代

    撮影の裏で繰り広げられる、エピソードの数々が尋常ではない。とある大物歌手(作品中では実名)は映画出演に際し、クレジットの先頭に名前をのせるようヤクザを使って 脅しをかけるが、後に2代目社長となる岡田茂は毅然と断りヤクザからも一目置かれる存在となる。

    「鬼龍院〜」は元々、梶芽衣子の持ち込み企画だったが脚本の都合で梶は外された。主人公を演じたのは五社英雄監督の自宅に直談判に来た夏目雅子。彼女は自分が白血病であることを知りつつそれを隠してこの役を手に入れた。

    などなど、ネタバレだけどネタバレじゃない。まだまだ熱いエピソードが山ほどある。春日氏の東映京都への普通じゃない愛情が伝わってくる。

  •  古くは娯楽時代劇の雄として、その後はヤクザ映画の牙城として、日本映画史にその名を刻む東映京都撮影所。60余年にわたるその歴史(前身の東横映画時代を含めて)を、映画史・時代劇研究家の著者が徹底取材で明かしたノンフィクション大作である。

     痛快・豪快・仰天エピソードの連打で、400ページ超の大著を一気に読ませる。日本映画好きなら間違いなく楽しめる本だ。

     著者の春日太一って、書いているものの印象から50代後半くらいかと思っていたのだが、まだ30代の若手(1977年生まれ)なのだね。

     萬屋錦之介などのスター俳優、深作欣二などのスター監督が続々と登場するのだが、彼ら表舞台の主役たちと、映画を支える裏方たちとの間に、著者は一切の差別をもうけていない。
     裏方にも等量の光を当て、映画作りという「祭り」に集った群像を、熱い筆致で活写しているのだ。

     古きよき時代の東映の映画作りは、よい意味でいいかげんで破天荒。次々と襲い来る困難に、荒くれ男たちは心意気で立ち向かい、乗り越えていく。そのさまが痛快だ。

  • 同著者の『時代劇は死なず!』は主にTV時代劇の歩みを追った書だったが、こちらは映画、それも「東映京都撮影所」に絞ったものである。530頁もボリュームだが、読む手はまったく止まらず、一気に読み切ってしまった。映画に全てをかけて魂を燃やし尽くした、フィルムに写っていない作り手たちの熱すぎるドラマに、泣き笑いが止まらない……

  • 週刊文春を毎週読む目的のひとつが、春日太一の「木曜邦画劇場」を読むことだ。若いのに(僕より)昔の日本映画のことをたくさん教えてくれるのです。

  • 数多のヒット作を世に送り出した東映京都撮影所。その栄枯盛衰を俳優、プロデューサー、そして監督、脚本家から現場のスタッフにいたる多くの人々の視点から辿る。綺羅、星のごとく居並ぶ大スターはもちろん、殺陣師などの職人さんたちの言葉は雄弁であり、華やかな銀幕の裏側がいかに凄まじいものであったかを物語る。

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著者プロフィール

映画史・時代劇研究家。1977年東京都生まれ。日本大学大学院博士後期課程修了。映画界を彩った俳優とスタッフたちのインタビューをライフワークにしている。著書に『時代劇聖地巡礼』(ミシマ社)、『天才 勝新太郎』(文春新書)、『ドラマ「鬼平犯科帳」ができるまで』(文春文庫)、『すべての道は役者に通ず』(小学館)、『時代劇は死なず! 完全版』(河出文庫)、『大河ドラマの黄金時代』(NHK出版新書)、『忠臣蔵入門 映像で読み解く物語の魅力』(角川新書)など多数。

「2023年 『時代劇聖地巡礼 関西ディープ編』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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