- Amazon.co.jp ・本 (473ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167906207
作品紹介・あらすじ
若者たちはなぜテロに向かったのか――昭和七年に起きた要人連続殺人事件。煩悶青年たちはなぜカリスマ宗教家に心酔したか。戦後をどう生きたのか。気鋭の研究者の代表作。
感想・レビュー・書評
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人殺しを正当化するなんて、絶対にあってはいけない。
と、テロリストや犯罪者を断罪するのは、誰でもできます。
しかし、彼らの言い分に耳を傾けるのは、この世界に「絶対的な見方」など、
存在しないことを知る上で、非常に大切なことだ思います。
なぜなら、人殺しさえも、正当化する状況は、今でも十分にあるからです。
この思想性の強い事件を起こした者たち、
宗教家、貧しい農村グループ、実存的不安を抱えた大学生、
腐った指導者に憤りを感じていた海軍・陸軍の将校など
この若者達を取り巻く当時の「現実」は、
今の日本の世相とも類似しています。
もちろん著者は、この事件の捉え方が、
閉塞感漂い、(経済・心理的)格差が拡大する
今の日本を複眼的に理解する上で、
首謀者たちの動機と目的、
当時の社会状況を知ることが、非常に有益だと考えています。
当時の絶望的な農村部の貧困と都市における労働問題、
資本家と底辺労働者の経済格差は、
その時代性を色濃く映しだしていて、
単純に今と比較することは困難です。
しかし一人のカリスマ性を持った宗教家の下に集まった若者達の
「社会への怒りと自分の無力感」は、普遍性の強い、
共通性を持っていると思います。
ただ、現在は互いに助け合うことも、繋がることも、難しく、
ただただ、絶望的な状況かもしれません。
少なくとも、この本を読む限りでは井上日照(血盟団の思想的指導者・宗教家)は、
私利私欲のために、若者を利用するような現在の「それ」ではなく、
むしろ無私的に、悩める者たちに、人生の意義と社会における役割を、
独自の思想により「一緒に考え、若者たちに寄り添った同志」のような気がします。
結果的に、要人の暗殺を自分の信者に実行させましたが、
手段が暗殺ではなく、また異なる時代に登場したならば、
いい意味で歴史に名を残していたかもしれません。
それほど、私には魅力的な人物に写りました。
ただ、暗殺、殺し、テロを正当する気は、甚だありませんが、
この事件が現代に投げかけるモノは、生きることの目的や動機を、
何も見いだせず、かといって、何も行動しない(もしくは構造的にできない)、
少なくない今の日本人に訴えかける何かを含んでいると感じます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
構成は見事。冒頭ののインタビューがて効いていて、今の時代にもつながっているのが感じられる。
しかし、その後、彼らの思想に全く共鳴できない自分には、読むのが辛かった。なんとか読み終えたが、わずかにオウムとの関連などを少し考えただけである。
作者はなぜにこの事件を今、描いたのだろうか。わたしにはわからないままだった。 -
多分に漏れず、学生時代の日本史講義では、現代史はかなり端折られた部分なんだけど、”血盟団”とか”井上日召”とか、固有名詞のインパクトの強烈さから、やたら記憶には残っている。でもその詳細とか背景、人物像なんかはほとんど知らず、一度しっかり触れてみたいとは思っていたもの。同事件を、信頼度の高い本著者が書いているということも相俟って、それはもう高い期待値とともに入手・読了。確かに分かりやすく、理解も進んだ気にはなったけど、やっぱり長い。ノンフが当たり前に長いというのは、もはや必然なのでしょうか。
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中島岳志
血盟団事件 宗教団体 血盟団よるテロ事件を記録したノンフィクション
この本を読むかぎり、血盟団事件は 破壊により国家再生を目指す宗教団体のテロであり、五一五事件、二二六事件など 軍事クーデターの呼び水となった事件
反国家によるテロでなく、国家主義者によるテロ。国家の再生は国家を破壊することにより可能になるという宗教的神話(ノアの箱舟の大洪水など)に基づいている
事件の怖さ
*宗教的な思想(大乗思想=自己犠牲による世界救済やユートピア実現を目指す)が 自分の社会的役割や貧困に苦悩する人々に光を与えて、テロと結びついた
*昭和恐慌により農家は貧困化し、政府や富裕層への不満が増大。一部兵士も同調し、軍事クーデター化
大乗思想とテロを結びつけてしまった思想的背景
1.ユートピアは 宇宙の本質に追随して生きていれば、自然と実現してるはずなのに=昭和恐慌により貧困に苦しむはずないのに
2.ユートピアが実現していないのは 社会に問題がある=貧しさの原因は 政治家と財閥にある
3.社会を変えなければならない=政治家と財閥を殺害し、国家を破壊しなければ 国家は再生しない
4.それが革命であり、自らの使命である=自分が犠牲になって犯罪者となることが自分の使命である
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格差、貧困、政治の無策、先行きの不透明感…著者の語るとおり昭和初期の日本と現代は重なり合うところが多いのだが、本書で描かれる青年達と秋葉原ややまゆり園の容疑者達の心の有り様は全く異なるように映る。今の青年の抱える孤独はより一層深く何も信じられるものが無いのか…
井上や彼を信奉する若者達に共通する熱さ。その熱が人から人へ伝播する様がつぶさに伝わる。狂信にはこれほどの熱量を必要とするのか。SNSが席巻する世界よりも90年前の日本の方が人の繋がりは濃く密だったのは間違いない。 -
一人一殺などと物騒なテロ集団と思っていたが、当時の時代背景を読んで知ってみると、彼らの想いもわからないではない。
知らないより、知っている方がいい。 -
一章はあまりにつまらなく感じて前半で断念し、三章以降まで飛ばして事件に直結する話を読んだ上で、二章を補足的に読んだ。あくまで事件とその時代の空気に関心があるのであって、首謀者井上日召の少年時代とか個人的背景については関心が持てなかった。
当時大なり小なり国家主義的な傾向を持っていた人々でも、有名な北や大川による国家社会主義だけでなく、アジア主義、農本的自治主義等々と千差万別だったのは、この時代が右傾化という言葉以上に複雑であることを想起させる。併せて「右」と「左」も鏡写し的に対立するとは限らないことも見逃せない。
そういう政治的作為を念頭に持つ改造主義者たちと並べると、天皇と国民の一体化により無為自然に社会が理想に近づくとする井上一派が持つのは、なるほど政治的信念ではなく宗教的信仰に違いない。 -
昭和初期の日本を震撼させたテロ事件。その主な関係者の出自や心情、そして当時の世相まで深く掘り下げた重厚なルポルタージュ。サスペンス映画を観ているかのような臨場感にあふれるが、そこから聞こえてくるのは現代のテロ行為とその背景となる不安定な社会情勢への警鐘である。
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“血盟団事件”?これは「昭和の初め頃の不穏な情勢」を語る文脈で登場する事件の呼称だ。「大蔵大臣を務めた井上準之助と、三井財閥の団琢磨が、青年達によって暗殺されてしまった」という事件である。この事件に関しては、全くこの「2人の要人が殺害されてしまった」という事実と、それが“血盟団事件”と呼ばれているという事実が挙げられているばかりで、「どういう人達が事件を起こしてしまったのか?」、「彼らは何を思っていたのか?」、「何故、そういうようなことを考えるに至ったのか?」ということが、然程詳しく知られているのでもないと思う…
本書はその「どういう人達が事件を起こしてしまったのか?」、「彼らは何を思っていたのか?」、「何故、そういうようなことを考えるに至ったのか?」ということに着目し、“血盟団事件”関係者達の「歩み」を丁寧に追っていて、そして事件に関連した彼らの動きを丁寧に再現しているノンフィクションだ。「時代の世相と無名な若者達」というような群像ドラマ的な雰囲気、「“思想”を練り上げる人々」というような様相、「重大な事件を巡る謎解き」という感が随所に滲み出て、何か引き込まれてしまう。 -
たいへん読み応えがあった.昭和初期に起きたテロについてのノンフィクションであり,悲しい物語でもある.
さて幸せな世界ってなどうしたら訪れるんでしょうかね.