最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (396ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167903893

作品紹介・あらすじ

学びの本質をとく、感動の講演集神戸女学院大学退官のさいの「最終講義」を含む、著者初の講演集。学校という場のもつ意味、学びの真の意味が立ち上がる感動の書。

感想・レビュー・書評

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  • 2008年、2010年、2011年に行われた講演を収録したもの。
    神戸女学院大学を退官するときの講義で、ヴォーリズ建築の特徴、自らの手でドアノブを回したものに贈り物は届けられる。世界内部的に存在しないものと関わることを主務としているのは文学部だけ。
    対米従属を通じての対米自立というねじれた戦略。アメリカから見て日本は属国、衛星国、国際社会に対して発信すべき政治的メッセージを何ももっていない国。

  •  いや驚いた。
     本作はKindleセールで50%オフであったために、時間の慰み程度に購入しただけであった。しかしながら、読んでみるとこれまた自分が日頃疑問に思っていたことや考えているような内容について書かれており、非常に参考になった。

     どう生きるか、自分も子供もどう教育するか、サラリーマンとして自分のコンディションをどうやって維持するか、自分の仕事と自分の組織をどう動かしていくか、等々です。

     どう生きるかという点で響いたのは、小賢しい研究者批判をしていた箇所です。
     筆者は研究者の功利的な研究態度(評価されやすい論文の作成、就職のための得点稼ぎとしての論文)を大いに批判しています。曰く全く心を動かされないと。そんな学会は面白くもなんともないので筆者はほとんどの学会をやめてしまったそうです。

     これはあるよなあ、と思いました。自分も宙ぶらりんな大学院生活(興味があることを言語化できないまま卒業から就職へ)を送りましたが、なにもアカデミズムに限らない、あらゆる人にとって切実な問題だと思いました。つまり、どうしたいか・何をしたいか。

     私もかつてそうでした。ただ組織に居るだけ。会社に居るだけ(仕事はするけど)。年が一回り下のメンターにもかつて言われました。「で、オヤジさんはこの業務、どうしたいんですか?」・・・全く答えられませんでした。まあミスなくこなしたいとか、しょうもない当たり障りのない意見しかありませんでした。でもそれではきっと伸びないのです。想いがないから。
     今は違います。今いる拠点の収益額も収益性も伸ばしたいと思っているし、自分の業務をもっともっと効率化したいと思っている。制約沢山あるけど。そう思うと、日々の時間の使い方や計画も変わってきます。
     もちろんそんなのしょっちゅう考えるのはシンドイのですが、上の方々や経営陣がこういうマインドを持ってなければ決して物事は進まないと思います。

     まあ会社はまだそれでも組織が整っていて運営されていきますが、研究者はほぼ自営業者ですから、そうした想い・興味・好奇心は絶対条件だと思います。それをきちんと自己認知した上で生きるのならば、研究者でも社会人でもそこそこ納得のいく・そして評価される人間になれると思いました。少なくともその想いを見てくれている人や、手を差し伸べてくれる人が出てきます。だからやりたいことや好きな事・したい事を振り返ったりする作業は私は結構大事だ思います。就活の時の面接の準備の時だけ片手間で考えるのではなく、継続的に振り返っていいと思います。

     氏の、教育を自由主義的・成果主義的にとらえるべきではないという意見がありました。これは主に教育を授ける側の評価についての話です。
     教育の成果は5年や10年で分かるでしょうか? 否、時にはそれ以上時間がかかるのです。だから即時の評価はし辛いし評価に時間がとられることの方が非生産的です。

     私も高校生のときはそれはもう先生や学校のことをクソミソに批判していました。でも卒業して20年以上あって、あの場であったからこそ学べたことがあると理解できますし、感謝もしています。それを例えば顧客満足度と言わんばかりに在校生からの評価で学校方針や教員の評価をつけたらどうなるのでしょうか。つまり必ずしもマーケットが正しいわけではない分野や評価が出るのに時間がでる分野があるのでは、と私も思うのです。或いはステークスホルダーをより広くとらえなければならない場合があるということですね。

     もちろん高校であれば有名大学への進学率とか、大学ならば就職率とか短期的にとらえられる要素もあります。ただ、いい大学とかいい就職ができたのを学校のおかげだと思う人っていますかね。いないと思います。多くの人が自分の努力で成し遂げたと考えると思います。
     教育の成果とはやはり学んだ人自身が、この学校でよかった、ここで学んだおかげで自分の人生は豊かになった、等と評価することにあると思います。

     もちろん組織である以上、一定の評価体系が必要ですが、社会一般に普通に行われている評価だからと全ての業界に当てはめるのはおかしいと思いました。公共政策(年金設計、都市計画、その他もろもろの射程の長い政策)も一緒だと思います。

    ・・・

     作品中で「人はテクストを自分が読みたいように読む」という意味の話がありました。その点で言うと、きっと私も自分の問題意識に応じて読んでしまっただけかもしれません。筆者はもっと広く(あるいは私が思う事とは違う意味で)大学や教育や社会について語っていたのかもしれません。

     ほかにも沢山のためになる、そして面白い論点を含む本でした。組織の多様性の話とか、昼はレヴィナス夜は道場で稽古という生活を10年間ほど過ごした話もコンディショニング的には淡々と繰り返して成果を出すという点でためになりました。

     誰が読めばためになるかと考えましたが、40代のおっさんは夢中になって読みました笑 学生や教師の方や公務員の方には手に取って読んでみてほしいと思いました。またお子さんのいる親御さんにも子育て・挙育という観点からためになる本かと思います。社会人の方にも組織論として読むと、日常の風景も少し異なった見え方になるのではと思います。講演集なので筋を見えない時もありますが、きっと参考になる考え方がみつかると思います。

  • 内田樹 最終講義 教育、大学、組織、日本が生き延びるための処方箋を語った講義録。良書だと思う


    結論としては、共生原理による社会、直観の重要性とそれを引き出す組織づくり、ブリコラージュ(ありものの使い回しで急場をしのぐ)に生き延びる術を見出している。教育の市場原理を批判し、人文学の意味、教育者が負うリスク、子どもの成熟プロセスなどを論じている


    一番強く否定していたのは 教育投資(教育にかかった費用より、その教育により得た賃金や地位が高ければ、教育は成功とする考え方)。教育を投資と考えるのは、教育の自殺であり、使用禁止用語にすべきという主張。その通りと思うが、親がお金を、子が時間を 投入して、その見返りを子が受ける行動を投資とされると 親が子にすることの大半が投資となってしまうのでは?



    古典文学など 人文学の意味や効果(直観力〜存在しないものから何かを感じとる能力)をわかりやすく伝えた文章は素晴らしい。大学サイドの人たちも 学生や一般の人たちに文学の意味を積極的に伝えるべきだと思う


    子どもを成熟させるために、大人たちの異なる価値観をわからせ、矛盾を経験させるという考えは 学校の先生では難しい。親が中心になると思う



    組織力
    *人間は自分のためでは力がでない〜自分の成功を共に喜び、自分の失敗を共に苦しむ人たちが多いほど〜知性のパフォーマンスは向上する
    *人を見る目とは その人がその組織に置いた時、どのような働きをするか想像する力
    *組織には メンバーが標準化しないように異物(違う視点、違う基準で良否を判断する人間)が必要


    共生原理の社会
    *ずらして、かぶらないようにする
    *競争相手を押しのけて奪い取る生き方をしない


    教育者が負うリスク
    こちらが 人に教えたいと言って始めた以上〜誰かが扉を開けるまで、待っていなければならない



  • 著者が1990年から21年間勤めた神戸女学院大学における伝説の「最終講義」はじめ、7つの講演を収めたのが本書。
    私は割と熱心な内田樹ファンで著書もかなり持っていますが、調べると「ウチダ本」を読むのは実に1年2か月ぶりでした。
    しばらく追い掛けていましたが、発刊ペースが速すぎてついていけなくなったのですね笑。
    それだけ多作な方です。
    私がウチダ本を読む理由はただ一つ。
    知的に負荷をかけたいからです。
    自説を補強するような読書には興味がありません。
    どこかで聞いたような話をわざわざ本で読みたいとも思いません。
    極端なことを云うと、そこに書かれていることが正しいか正しくないかにも然したる関心はないのです。
    私は、一部の方たちがどうしてそこまで書物の内容の「正しさ」に過剰にこだわるのか、実は理解できないのです。
    読書の愉しみのそのぎりぎりの勘所を述べよと云われれば、やはり心が揺さぶられることではないでしょうか。
    せっかく読書をするのだから、こちらの先入観を見事に覆し、期待を大胆に裏切って、新たな地平へと運び去って欲しい。
    そんな欲求を満たしてくれる数少ない書き手の一人が内田先生です。
    えーと、前置きが長くなりました。
    本書の読みどころのひとつは、「教育論」でしょう。
    ご存知の通り、1984年の臨教審以降、教育改革が叫ばれて久しいわけですが、近年は特に経済界の要請が教育現場に色濃く反映されるようになりました。
    経済界の要請とは何か。
    端的に云えば、「集客力のあるクライアントに魅力ある教育プログラムを提出するのが学校の責務でしょ」ということです。
    これに対して、内田先生は明快に「否」と云います。
    「市場のニーズに追随して大学が次々と教育プログラムを変えてゆくと何が起こるか。簡単ですね。日本中の学校が全部同じになるということです」
    市場のニーズに対応する大学は一見、アクティビティ(能動性)が高く見えますが、実は「市場のニーズに対してつねに遅れている」。
    つまり、アクティビティが高いわけではなく、パッシビティ(受動性)が高いと著者は喝破します。
    教育はニーズがあって提供されるものではなく、まず教える側が旗印を高く掲げ、そこで学びたいという者を創り出すものであるべきというのですね。
    ほら、凡百の評論家とはひと味もふた味も違うでしょう?
    第5稿「教育に等価交換はいらない」は、ビジネスマインドがいかに教育分野に馴染まないかを情理を尽くして教えてくれます。
    長いですが引用します。
    「日本人が教育をビジネスのタームで考えるようになった病的な兆候の最たるものは『教育投資』という言葉ですね。(中略)では、教育が投資だとしたら、いったいその投資がもたらす利潤とは何でしょう。みなさんが、ご自分の子どもに教育投資を行う。高い教育を受けさせる。すると、子どもたちの労働市場における流通価値、付加価値が高まる。子どもたちが学校で身につけた知識や技術がやがて労働市場に評価され、高い賃金や地位や威信をもたらした。その総額が投下した教育投資総額を超えた場合に『投資は成功だった』とみなされる。要するに、教育投資の総額と子どもの生涯賃金を比較して、投資額よりも回収額の方が多ければよい、と」
    こう読むと、いかに「病的」かが分かろうというものですが、残念ながら私たちにはあまり病識がありません。
    教育の最終的なアウトカムは軽量不能であるという著者の言葉を、私たちは虚心に返って噛み締めるべきではないでしょうか。

  • 赤坂真理さんが解説でべた褒めされているが、たしかに良かった。話が多岐にわたっていて、思い出せない部分もあるのだけれど、教育や医療を市場原理に持ち込んではいけないという点は一貫している。これは一部の州だけのことかもしれないがアメリカでの現状を聞くとひどい話だなあと思える。要するに税金は払うが、自分が払った分は自分のために使ってほしいということ? それのどこがいけないの、という声も聞こえそうだけれど、持ちつ持たれつというか、世の中いろんな人がいて成り立っているのだから、まあ、人助けのために税金を使ってくれるなら良し、とすればいいのではないかな。沖縄に核兵器があるという話(実際のところどうかは別として)、これ内田先生だから公の場でこんな話ができるのだろうか。それがまた、北方領土返還と関わっているというのは、そんなこと考えたこともなかったから、実におもしろい(おもしろいなんて言える話ではないのですが)。ヴォーリズの建築、ぜひ見てみたい。体感してみたい。政治家には100年先を考えてほしい。(原発の再稼働なんてありえない)自分の利益ではなしに。

  • 内田樹だなぁって感じ。
    大学建築の話は特に印象に残った。

  • 超少子・高齢化時代を迎えた日本の進むべき道は? 学びのスイッチを入れるカギはどこに? 窮地に追いつめられた状況から生き延びる知恵とは? 今を生きるための切実な課題に答える講演録。「共生する作法」を加筆し文庫化。〔技術評論社 2011年刊の増補・加筆〕【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40229416

  • ためになる話。

  • 自分がいかに歴史的な文脈の中に生きているか、ある思想に囚われているかについて考えさせられました。
    その考えはおかしい、という主張は、それが正しいかは置いておいて、自身を客観的に見つめ直すのに有用です。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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