- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167902599
作品紹介・あらすじ
村上春樹は司馬遼太郎の後継者であるなぜ村上春樹作品には、ご飯を作ったり掃除をしたりするシーンが多出するのか? 独自の視点で村上文学の世界性を浮き彫りにする。
感想・レビュー・書評
-
どうしても
どうしても村上春樹に対して好感が持てなかった。
けれど、支持されるにはそれだけの意味がることもわかっていた。
内田樹さんの言葉でなら、
納得できるかもしれないと、
勇気を出して手に取った。
読んでよかったと思う。
少し壁が低くなった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
内田樹17冊目
村上文学に通底するテーマは、父の不在と邪悪なものの存在であると内田さんは解説している。父=秩序をつくる者が小説には存在せず、秩序や目指すべき場所がわからぬまま、少年である僕は自分の力で歩き続ける。少年があるく先には、意味もなく邪悪なものが存在する。父無き世界で、邪悪なものの存在を認知しながら、歩き続けなければならない。それが村上文学の基本テーマだという。主人公は、同時に死者を強く思う。生きているものへの態度はローカルだが、死んだものに対する態度は普遍的であり、その態度を丁寧に書くことが出来る村上春樹は、世界でもリーダブルな作家になることができたと言う。ノルウェイの森の直子や、海辺のカフカの佐伯さんは、結果的に、死者として主人公の中に居場所を持ち続ける。ふたりとも、自分を忘れないで欲しいと言いながら、死に、主人公は彼女たちを忘れず、いきる。死者との関係性には確かに普遍性を見出せる。 -
熟読した。村上春樹にはまってしまいそうだ。読書中に、勢い余って村上氏の文庫本を何冊もネット注文してしまった。ひとりの作家に偏った読書は避けたいと考えているのだが、村上春樹にはまってしまいそうだ。
-
タイトルもう一度と付いていますから、「‥ご用心」と題した本は2度目のようですが、私が読むのは初めてでした。
これまでの内田先生の村上春樹論をまとめたものですから初めて目にする中身ばかりではないのですが、村上春樹の小説やら翻訳本を読んできた方にとっては、ひとつの道標になるような考え方が満載です。何しろ内田先生は村上春樹ファンですから、ハルキストからの称賛の嵐になっています。何故村上春樹は世界的な文学者と成り得たのか‥や村上さんが行っている翻訳をすること、走る、駄洒落本を書く、ことは共通点があるがそれは何か。またこれまで書かれた小説の成り立ちはこうですよと内田先生お得意の解釈が披露されるので、なるほどなあと思うこともしばしばです。構造論の専門である内田先生だけに、世界に「構造を与える」ことが村上文学の持つ本質という内容は多岐に渡って述べられています。小説にしばしば登場する事細かなキッチンの風景や食事の様子などは小説を読む楽しみに含まれますが、それも意味のあることだったのだとわかりました。
この世界は「邪悪なもの」に浸潤されつつあるかもしれない。不条理な事から逃れることは出来ない。しかし、それでも誰かが守ってくれています。それらのものを食い止めるべく大昔から累々と続いてきた、この社会や家族の営みがいかに大事であるか。文学でそのことを高みにまで押し上げて世界観を描く村上春樹ですから、ノーベル文学賞受賞がいつになるか、あらためて気になりました。 -
とても面白い。自分のような文学初心者からすると、この手の「解説本」はとても役に立つ。もちろん、文学作品を読んだ時の素直な感想(よくわからない、退屈だというネガティブなものも含めて)はとても大事な感覚だと思う。
でも世界的に読まれている名作にはどこか良さがあるということは言うまでもなく、理解できないとしてもそれはまだ自分に文学作品を解釈するだけの基礎力がないからで、このような本はそれを学ぶための近道として役立つ。
また村上春樹作品は読むことは、世界文学を理解するためにも繋がると思った。(村上春樹自身がフィッツジェラルド、チャンドラー、カフカ、ドストエフスキー等々を消化した上に成り立っているから)
これを読んで、村上作品の中に度々登場する食事シーンの詳細すぎる描写もセックスシーンの生々しい描写も興味深く読めるようになった。
大衆文学と純文学の違い。それは登場人物の感情を「むなしい」と書くか、「朝食のトーストは壁土の味がした」と表現するかの違い。
それを回りくどいと言うのは野暮。娯楽はわかりやすいほうがいいけど、芸術は皆まで言わないほうが粋。
---
memo:
21
(村上春樹の作品は)ほとんど古典的な「世界文学」の正系に位置づけられる
24
『羊をめぐる冒険』は直接的にはレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』の村上春樹的リメイクです。そしてその『ロング・グッドバイ』はスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』をリメイクしている。
48
村上さんが性描写に力を入れているのは、実は「作家的技術を見せている」と言う要素が多分にあると僕は見ているんです。(略)つまり、暴力もエロスもホラーもコメディも、村上春樹は全部書けるんです。
186
子供にはまず死を怖れさせる必要がある。その教育の甲斐あって、私たちはみんな死を怖れるようになる。
188
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』という作品はニューヨークで地獄巡りを経験したホールデン少年が、たぶん統合失調症を発症して精神病院に収監されて、その回復過程でなされた独白というかたちになっています。(略)「君」というのはホールデン自身です。
252
『村上文学における「朝ご飯」の物語論的機能』
277
(村上春樹の小説のテーマとは)『邪悪なものが存在する』ということだ
282
「僕」の住むこの世界で「僕」や「僕」の愛する人々は、「邪悪なもの」の介入によって繰り返し損なわれる。だが、この不条理な出来事の「ほんとうの意味」は物語の最後になってもついに明かされることがない。(略)これらの物語はすべて「この世には、意味もなく邪悪なものが存在する」ということを執拗に語っているのである。 -
あちこち投稿した記事を寄せ集めた感はあるが、卓越した村上春樹論である。特に彼の作品の中では異質な鬼っ子である「ノルウェイの森」の解釈、どうしてこの作品が必要であったかの、推論が素晴らしい。成程と思った。
-
いつか来るかわからない意味がない悪意に備える準備をする。それは善を貯めること。やるべきことをコツコツとやること。
-
隠されたテーマ「父」の存在が、各作品でどのような意味を持つのか、なぜこれほどまでに社会現象になっているのか、考えるきっかけとなった。
-
「純粋な悪意」