- Amazon.co.jp ・本 (485ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167900601
作品紹介・あらすじ
読売文学賞受賞の傑作ノンフィクション!先祖は江戸時代、紀州から房総半島へ渡った漁師で、屋号はコンニャク屋。ルーツを探して右往左往、時空を超えた珍道中が始まる。
感想・レビュー・書評
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千葉に白浜、勝浦の地名があって、紀州から房総へ流れてきた移住民が名付けたがゆえに、同じ地名があることは知ってはいた。しかし、漂流者がたどり着いたのかと思ってたら、そうではなかった。この本で初めて事実を知って、長年の疑問が氷解してありがたかった。。
時は17世紀ごろ、泉州、紀州、あたりは漁法先進地でかつ漁場は飽和状態で、房総へ季節出漁することが常態化していたという。中世末期から近世初めにかけて、魚肥が本格的に使用されるようになり、その原料となる鰯を追って紀州の漁師は西へ東へと出漁していたのだ。当時、一単位が網元が漁師20-40人を引き連れて、それが複数の網が一団となって移動する、という組織的なもの。 で、そのうち定住するものも出てきたのだ。
和歌山出身者としては、加太や湯浅、広川町を著者が歩いてルーツ探しをするところが興味深い。そして、著者の先祖が故郷をあとにしたのは「貧しさ」以外の理由を見つけにくいと肌感覚で腑に落ちるあたりがもの哀しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
図書館で。
これ、身内の人は面白いんだろうけど…と言う感じ。正直登場人物は多いし、どういう関係だったかこんがらがってしまって。後、身内自慢がすぎる気がする(笑)。
ロドリゴの辺りはまるでその場に居たように伯母さんは語ってますが、後の章を読むとこの著書の先祖が和歌山から来たのはロドリゴ来訪後っぽい?気がするんですが。ま、その後地元の人と交わってるからご先祖に違いはないのかもしれないけど…ちょっと違和感。
大分前ですが、初めてお会いする親戚に会った時のおばさんの話によく似てるわ~と思いながら読みました。「あーた、うちとこは島一番の畑を持っていたの」とか、「うちのお父さんはそれは男前でジャミセンの名人だった」だの、「〇×のおじさん」だの、あだ名で全部通じちゃう感じとかが。
おじいさんは自分のために記述を残したのではないかな、と思います。友人の父親で、リタイアした後、家族や祖先の由来や来し方を調べたいとか調べたいとか調べだした人、2人ぐらい知ってるし(もしかしたらもっと居るかも)。ある程度の年齢になると、自分の人生を振り返って記録に残したいって思いが強くなるのかなぁ。
ただ、身内に文筆家がいるとこうやって綺麗にまとめてもらえるのかなぁなんてちょっと思いました。
読んでいて、うちだって母方の祖父も中々面白い来歴を持っている方だし(島からアメリカに留学してホテル業を学び、帰国後政治活動を始め、東京から100㎞以内に入ってならぬと追放され温泉地に居を構えたとか)、父方の祖父も時の天皇陛下のレインコートの裁断を(目の前で?)されたとか言ってたし…なんて思いました。
昔は人間が少なかったからか、色々と面白い活躍をされている人が居たんだろうなぁと。そして語られぬだけで、人それぞれ色々な歴史があるんだろうなぁと思いました。
そして、実質的に管理もしないし手入れをしている訳でもないのに工場を残したいとか親に言い張る件を読んで、この著者は親に甘やかされているなぁ…とちょっとびっくりしました。後自分は漁師の末裔だと言い張るところとか。生きるために漁をしたり、コンニャクを売ったり、髪結いをしたり、東京に出て工場を起こしたり…とその生きるための身の切り替えの早さがコンニャク屋だと思うので、漁師に固執するのは祖母っぽい考えのような気がするんですが。そして悪口の代名詞みたいになってる祖母が可哀想だなぁ、理解者が居なくて…とちょっと思いました。(そして賭け事が出来なかったのは祖母譲りの保守性だと思う。だって、父のいう事あまり聞いてないし(笑)) -
2014-3-23
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ノンフィクション作家の星野博美氏が、亡くなった祖父の手記を頼りに一族のルーツを探るという作品。
星野氏の祖父は東京で町工場を営んでいたが、もともとは千葉県岩和田の漁師の家系で、その屋号が「コンニャク屋」だったそうだ。そして今でも岩和田の親戚の家に伝わる言い伝えでは、およそ江戸時代の頃に紀州から移り住んだという事らしい。
手がかりを求め千葉の親戚を訪ね歩いたり、墓石に刻まれた名前や古い史料をもとに、実際に和歌山を訪れたりと、チョットずつ核心に迫って行く道程は非常に興味深い。しかもコンニャク屋のメンバー一人ひとりが個性的で面白く、まるで自分の親戚であるかのような親近感が沸いてしまった。
この作品はコンニャク屋の祖先が、遠く紀州から鰯を追って漂流してきた歴史物語であるのと同時に、自身のルーツとアイデンティティを探る、著者の漂流の記録でもあるのだなと思った。 -
なぜに縁もゆかりもない星野さんの一族や祖先の話が、こんなにも楽しく血湧き肉躍る感じで読めてしまうんだろう、と。舞台は、千葉・御宿町の岩和田から和歌山へ飛び、最後は戸越銀座に戻ってきて締めくくられる。一族の中にある、漁師的な気質と農民的な気質のせめぎ合いが描かれ、同じ外房でもちょっと離れると全く違う文化が広がっていたり。人はどんな時に家族の歴史を知りたくなり、それを伝えたくなるのか、それは終わりが近づいた時、と。今までそれほど知りたくならなかったのは近づいてると思ってなかったからかと我が身を振り返り。すでに話を聞く祖父母は亡くなっているのだけれども。古文書と寺を巡って墓碑を丹念に調べることで、祖先の来歴に著者なりの結論を出して行く過程はページをめくるのももどかしくなるくらいの圧巻でした。ロドリゴの要求に狡猾な外交術を見せる家康のシーンは印象に。
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「みんな彗星を見ていた」に何度も出てきた「コンニャク屋」「ドン・ロドリゴ」のことをもっと知りたくて本書を読んでみました。著者の直感を信じて行動するフットワークの良さと、人々との出会い、会話の面白さがとても魅力的で、読んでいるうちに知らないはずの土地や時代に親しみを感じていました。私自身は今まであまりルーツ探しに興味を持ったことはありませんでしたが、もっと父母や祖父母が元気なうちに昔の話を聞いておけばよかったかな、とちょっと思いました。
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面白くはあるけど、この本でなくては、という感じはない。家系図をつけたら良かったのにな。地図も。
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評判通り、なかなか面白い本です。文章も読みやすく筆力のある著者なのだなあと思う。著者のルーツを探り、訪ね歩くという、それ自体は目新しいことではないのだが、漁師を中心とする親族とそれを取り巻く社会への興味がうまく結実している。日本の近世、近代まで広く目配りしてあり勉強になる一冊である。ルーツ探しの本なので、少々著者の思い入れが強く出すぎる所もあるのが不満ですね。