清貧と復興 土光敏夫100の言葉 (文春文庫 て 10-1)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167900434

作品紹介・あらすじ

永遠に新しい、働く人すべてのバイブルです国家再建に命を懸けた「メザシの土光」の至言を今こそ聞こう! 「自分の火種は自分で火をつけよ」「個人は質素に、社会は豊かに」。

感想・レビュー・書評

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  • 今日の書評ブログは「私の履歴書 土光敏光」著です。土光さんといえば「メザシの土光」で有名な方ですが、今回なぜ土光さんが「メザシ」を食べるのか、そのことについても詳述しようと思います。

    土光さんは明治29年9月15日、岡山県生まれで、尋常小学校を卒業して関西(かんぜい)中学に入学。裕福な生まれでもない土光さんは上級学校へ進めるほどの余裕がなかったので、高等工業、その中で最も難しかった、蔵前高等工業(現東京工業大学)を受験。二度目の受験で見事合格した。秀才なのだ。

    土光さんの性格形成には、彼の祖母の影響が大きい。土光さんが小学校の時、“おばあさん”という題で一文かいた。満点に近い点を得たのだが、その作文を抜粋すると

    おばあさんの一生は
    何事もやり遂げる精神力
    頼られてそむけない弱さ
    子供と心から楽しく遊べる純真さ
    だという。

    そういうわけで工業学校を卒業した土光さんは、就職活動をした。当時は第一次世界大戦後直後の大不況期だったが、専門技術をもつ蔵前出は、引く手あまた“売り手市場”であった。

    ところが生長(級長)の土光さんは、次々に同級生の就職先を見送ったのち、就活をした。したがって、三菱、三井などの大企業は同級生に決まり、ふとみると、東京石川島製造所しかなかった。初任給は45円。当時学生に人気があったのは、満鉄と三菱。特に満鉄は初任給が200円(当時)もあった。

    石川島は骨のあるところで「月給をもらうためだけなら来るな、仕事を趣味とする奴だけ来い」というような会社だった。議論が盛んで、退社後も力学二十題などと宿題を出す先輩がうようよいた。

    そのころ、石川島ではタービンの国産での製造を目指しており、土光さんがその銘を受けることとなった。そして入社後一年半を経過したころ、スイス・チューリッヒにあるエッシャーウイス社に研究の為留学を拝命した。

    帰国後発電機用タービンは、GEをはじめ外国製のものばかりであった。秩父セメントが大型発電用タービンの導入を計画していると聞いて、各社は激しい受注競争を繰り広げた。石川島も参加したが「国産だからダメ」と言われて憤慨したそう。

    土光さんは、秩父セメントに乗り込んでいってこう言った「技術には絶対の自信がある、国産技術奨励のためにも。ぜひ当社のタービンを」と熱心に口説いた。しかし向こうもそれはビジネス。「それほど自信たっぷりなら、欠陥が発生したらタービンを引き取ってくれるかね」と言われ「ええ、結構です。引き取りましょう」といって契約は成立した。

    ところが、あとで石川島の車内は大騒ぎになった、若造の一主任技師がとんでもない約束をした。結局「とにかく、土光にやらせてみよう」ということになった。

    土光さんは、それから数か月、現場に泊まり込んだりして納得いくまで、作業をした。結果として、この契約は成功裏に終わった。

    秩父セメントの成功で、その後各社から続々注文が来た。記録的な大型機も次々に製作した。

    タービンの発注の急増で、石川島と芝浦製作所の間で新会社設立の構想が打ち出された。昭和11年、両者の共同出資で「石川島芝浦タービン」が設立された。土光さんは当初は技術部長、後に社長を仰せつかるのである。

    石川島芝浦タービンは土光さんの力量もあってか、素晴らしい業績を残すのである。ところが昭和25年の夏、石川島重工業の笠原社長が、石川島芝浦タービンの本社に来た。何でも、本社が1億円の赤字を出したのでその再建に土光さんに救ってほしいというのである。

    タービンの方では「土光は絶対渡さない」と当初言っていたが、さすがに本社の社長が頭を下げたので渋々土光さんを本社の社長として送り出すことにした。

    土光さんが、石川島重工に就任してすぐにしたことが「社内報を作る」ことだった。タイトルはずばり「石川島」とした。主な内容は「経費の削減」である。

    土光さんは友人からこのような質問を受けたそうである。
    「土光さんは、ごまかし書類を見破る達人と聞いているが、そのコツは?」土光さん曰く、設計を長くやっているので、合理的な積み重ねの重要さが分かる。だから書類を一見してつじつまの合わない部分をすばやく見つけ出すのだそう。

    この能力によって、石川島再建に大いに役立った。提出される稟議書や計画書は、3、4回押し戻される。そうすると、経費は最初の3分の1くらいになる。財界年鑑に“日本一のケチ会社”に挙げられたそうだ。

    その後、土光さんは昭和40年、東芝の社長に請われてなるのだが、就任から毎日7時半には出社した。ところが初出社の日、まさか社長がそんな早く出てくると思わないものだから、受付嬢が「どなたでしょうか」「こんど御社の社長に就きました土光というものです。よろしく」といって付近をびっくりさせた。

    ほかにも面白い逸話が。ある取引先で課長がなかなかつかまらない。そこで土光さん相手の会社に行って、課長席の横に座り、課長が返ってくるまで待ったというのだ。果たして相手はびっくりして「今度から絶対東芝さんから、製品を買いますから、社長は勘弁」という誓約をさせたそう。

    土光さんの具体的な経営理念は詳しくは本書に譲るが、東芝でも大成功を収めた土光さんは昭和47年、東芝の社長を退任する。しかし、こんな有用な人、日本がほおっておくわけがない。

    昭和49年5月、土光さんは経団連の第4代会長になった。ちょうど昭和48年石油ショックあったのだ。そこで土光さんは日本のためにと、電力会社などを中心に、できるだけ設備投資を早めてもらい、景気回復の刺激剤となるよう、頼み込んだりだりした。

    当時、副総理をして経済企画庁長官をしていた福田赳夫さんなど「この一年間、私は土光さんに怒鳴られっぱなしだった。ドコウさんでなくドゴウ(怒号)さんだ」との逸話が残っている。

    こんな土光さんだが、私生活はどのようなものか関心が出てくる。彼は毎朝五時に起床、二十分ほど読経して、テレビの「明るい農村」を見て、社長現役のころは7時半には出社していた。

    住居は、建築後五十年以上は経つ文字道理の茅屋。木造平屋建て。東芝社長時代「社長の家に東芝製品がないのは困る」とエアコンを無理やり設置した。ただし、来客以外には使わない。

    外での服装も経団連会長になってようやく立派なものを着用するようになったが、石川島社長時代はひどかった。ヨレヨレの背広一着の着たきりすずめ、当時の田口専務が見かねて、強引に四着ほど作らせた。「こんな出費は生まれて初めてだ」土光さんは憮然としいたそうだ。

    なぜ、土光さんがこんな生活をしていたかというと、彼の昭和47年から49年までの申告所得は5611万円。税金を引いた手取りは1500万円程度になり、母親が創立した橘学苑の銀行の借入金の返済分を引くと、赤字になったのだ。

    作家の城山三郎氏は「一瞬一瞬にすべてをかける、という生き方の迫力。それが80年も積もり積もると、極上の天然記念物でも見る思いがする」と土光さんを評した。

    当時は「メザシの土光」と呼ばれていたが、それには上記のような理由があるのだ。現在日本経済は有効需要不足で、デフレマインドが強いが、最近の若者も土光さんのように物欲が少ないのが原因だと私は思う。

  • 「メザシの土光さん」と呼ばれた彼は、高度経済成長の波に乗った後も質素な生活を変えずに実直な努力を続けたという。

    終わりの見えないデフレのトンネルの中で「生産性」の旗を振り続ける現代日本にも彼の生き様は広く深く響くと思う。

  • 自分の火種は自分でつけよ
    メザシの土光さん
    石川島播磨重工業社長から東芝社長、経団連会長、第二臨調会長と、根っからの技術者、質実剛健な経営者、土光イズムは常に尊敬の念を抱くもの。
    ためになる名著

  • 臨調の話に入る前までの所で、色々な考え方が示されている部分が面白かった。 ピューリタンと日蓮宗徒とは何か共通する要素があるような気がする(思想や行動の極端さ)。

  • 【永遠に新しい、働く人すべてのバイブルです】国家再建に命を懸けた「メザシの土光」の至言を今こそ聞こう! 「自分の火種は自分で火をつけよ」「個人は質素に、社会は豊かに」。

  • 2014.4.14読了

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著者プロフィール

1964年、富山県高岡市生まれ。ジャーナリスト。90年、時事通信社入社。NY特派員などを経て、2001年、テレビ朝日入社。経済部、「報道ステーション」デスクを経て、現在は「グッド! モーニング」ニュースデスク。テレビ局に勤務しながら、2011年から本格的に著作活動を開始。著書に『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』『景気を仕掛けた男「丸井」創業者・青井忠治』『日本への遺言地域再生の神様《豊重哲郎》が起こした奇跡』(いずれも幻冬舎)などがある。

「2019年 『現場発! ニッポン再興』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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