- Amazon.co.jp ・本 (460ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167802035
作品紹介・あらすじ
外交官としてソ連崩壊を目の当たりにした筆者は、新生ロシアのモスクワ大学で神学を講義し、若者たちに空恐ろしさを感じる-「ロシアはいずれ甦り、怪物のような帝国になる」。プーチン大統領の出現でその恐れは現実化した!今後のロシア帝国主義政策を理解するために必須の、ロシア知識人たちの実像を描き出す。
感想・レビュー・書評
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これは筆者が旧ソ連のモスクワ大学で教鞭をとっていた頃とソ連科学アカデミーに出入りしていた頃の記録です。『ソ連崩壊』を歴史、神学、思想の面から考察されていて非常に面白かったです。彼らの事を知る為の一冊。
これは、『外務省のラスプーチン』こと現在は作家の佐藤優氏が外務省入省後、旧ソ連のモスクワ大学哲学部で教鞭をとっていた頃と、ソ連科学アカデミー民俗学研究所に出入りしていた頃の記録です。『ソ連崩壊』を歴史、神学、思想の面から考察されていて、非常におもしろかったです。筆者はこれを日本の大学生に読んでほしいと書いておりますが、個人的な見解だとこの本を読みこなせる日本の大学生はいいところ5%いるかいないかではないかと思っております。その理由としてはやっぱり難しい。特に民族問題にかかわる箇所は単行本の『甦る怪物(リヴィアタン)』だったときも含めて今回で3回目になりますが、いまだに理解できないものがありますし、大学生は恋愛なども含めて楽しいものや出来事がいっぱい回りに溢れておりますから…。
それはさておき、最近、プーチン氏が大統領に再選され、原油や天然ガスの高騰を背景として定刻として復活を遂げ、不気味な存在感が増してきたロシアですが、この本に出てくるモスクワ大学の学生は現在、国家の中枢として屋台骨を支えているという現実から考えてみても、彼らのことを知るための一冊として、是非オススメしたいと思います。
今回、新装版として文庫に書き下ろしで収録されてある『文庫版あとがき』は非常に濃ゆいもので、彼がロシアの地で明日のエリートを担う学生たちと真摯に向き合ってきたことを読みながら連想してしまいました。そのときのことが筆者のの専攻であるプロテスタント神学を機軸としてモスクワ大学の彼が教えた学生たちとの対話が描かれる前半部、最初に描かれるのはアフガンからの帰還兵あるベルトとその婚約者のレーナ。彼が筆者に告白する自身のアフガンでの体験は漫画『憂国のラスプーチン』に描かれてもいるのですが、よくあれを漫画化したもんだなと読んだときは度肝を抜かれ、アルベルトが『佐藤先生、僕は救われたいんです』という言葉がいかに切実なものであるかが本当によくわかりました。
閉鎖極秘都市出身の学生であるナターシャは成績優秀な学生で、将来有望な研究者となるはずでしたが、ソ連崩壊の混乱から彼女が選んだ選択肢も、また僕の心の中に重いものを残してくれました。
さらに筆者は『ソ連科学アカデミー民俗学研究所』に『院生』として出入りすることになります。ここは旧ソ連の超エリート期間で、後半部に延々とユーラシア大陸の複雑な宗教や民族問題がつづられ、セリョージャやチシュコフ、アルチューノフなどのまさに『精鋭』とも呼ぶべき『頭脳』との対話は非常にスリリングなものでありました。
『バクー事件』では「民族問題を力で解決した」ということで、ここからソ連は崩壊への坂を転げ落ちていくことを暗示し、『主権宣言』では宗教とマルクスと民族・領土問題をハイレベルな意見交換をセリョージャと交換し、彼から筆者は『境界線上の人間』といわれ、これが筆者の今後の作家活動の『視点』につながっていくのだな、ということを感じました。
ゴルバチョフ大統領がクーデターがおき『ぎっくり腰』で政権が取れないという騒ぎになっていたころに筆者はマルクスへ立ち返ることの必要性と意味を問い直すところで単行本では終わっておりました。しかし、あとがきとして追加収録されてある『プーチン論』ではふー鎮台跳梁が2012年に大統領に再選され、『甦る怪物』として21世紀に強大な『帝国主義国家』として存在感を増しつつあるロシアとプーチンとを、彼がかつて教えていたモスクワ大学の学生や政治家のゲンナジー・ブルブリス氏との対話を基に考察されていて、そのあまりのディープな世界にのけぞりつつも、これを読み解くことが重要なことだなと思って、ここに紹介する次第です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
五歳のときに、私は父から地球儀をもらった。誕生日プレゼントではなかったはずなので、1991年のことであるのは間違えないが、何月なのかはわからない。いまでも自宅でほこりをかぶっているその地球儀には、緑色で塗られた広大な「ソビエト連邦」がある。現在のロシア連邦も広いが、カザフスタン、ウクライナといった単体でも十分大きな面積を持つ国家が集合していたソビエトは、ただただ広い。後年、母が「お父さんでもソ連が崩壊するとは思ってなかったんだから」言っていた言葉が非常に印象に残っている。 父はテレビ局で報道番組を制作しており、当然国際情勢には明るかったはずであり、また大学の卒論はマルクスと共産主義に関するものだったから情勢を注視していたはずだ。「地球儀を買ってやろう。ドイツは統一したが、さすがにソ連はまだ残るだろう」と思っていたのだろうか。
著者は1988年から1995年までモスクワの日本大使館に勤務しつつ、モスクワ大学で講師として神学の教鞭をとりながら、ソビエトの崩壊からロシア成立以後を最前線で見つめてきた。本書では著書がモスクワ大学で教鞭をとっていた際の生徒や、政府高官、民族学研究所の研究者たちなど、多彩な知識人が登場し、著書と議論を重ねながら、彼らが崩壊へ向かうソ連をどう捉えていたかについて克明に記されている。しかし、興味深いことに登場する一流のインテリゲンチュア達は、皆ソビエトの崩壊を予測できていなかった。それほどまでソビエト崩壊というのは前代未聞の事件だったのだろう。
著者は元外交官である故に当然その視線は鋭いが、本書の根幹をなしているのは著書がキリスト教の信徒であること、また神学という日本では稀有な学問的バックグランドである。もちろんキリスト教系の大学ではどこも神学を専門に扱っている学部・学科があるのだろうが、なかなか周りに「大学では神学を専攻していました」という人に出会える機会は少ないのではないだろうか。
共産主義の無神論と、正教が生活・習慣に根付いているロシアに暮らす人々、その狭間での悩みや思索はキリスト教についてはもちろん、マルクスや共産主義について全く無知な私には少々理解が難しかった。しかし知識人と呼ばれる人々が、危機的状況の国家を前にそれぞれの分野に立って故郷と家族、友人達の憂い、懸命に自らの考えをまとめ伝えようとする姿は、知識人とは如何にあるべきかを十二分に考えさせられる。
著者もあとがきで述べているが、是非大学生に読んでもらいたい。 -
佐藤優氏は多くの著書を書いているが、本作は「国家の罠」「自壊する帝国」と同レベルのおもしろさであった。
内容は「自壊する帝国」の続編というか、別ストーリーとというか、ソ連の崩壊前後での、外交官時代の回顧録であるが「自壊する帝国」と登場人物が違う。
ロシアの未来を担う若手エリートと著者の会話のレベルが高く、改めて国家にとってのエリートの重要性を認識した。 -
ソ連崩壊前後のロシア知識人層との対話談。前半はモスクワ大哲学部の学生との知的交流で、広範は民族学研究所でソ連と民族論について語る。最後のプーチン論は必読。当時はインフレで学生の生活が苦しく、著者は翻訳等の助手を頼んでいたそう。エリート層が外資の小間使いをしている様子が描かれていた。
ソ連崩壊については「最後の転落」と重なる部分が多い。遠隔地ナショナリズムは初出だったが、ソ連の周辺から崩壊していくというのは共通認識に思えた。トッドは衛星国だったが、本作は連邦内の共和国の民族問題だ。マルクスにはない(?)民族理論をスターリンが密かに導入し(回教)、普遍的な共産主義と調和するためインテルナツィオナリズム(ユダヤとツィガン以外の民族間友好主義)を推進した(民族籍の話や宗教問題はその典型?)。トッドが指摘したような理由でエトノクラチヤ(民族独裁主義・内向きの人種主義)が発展し、共産党エリート以外が立場を窺うようになった。
そんな中起きたナゴルノカラバフの紛争から、バクー事件・トビリシ事件を通じて問題がバルト三国に飛び火して主権宣言乱立を経てソ連崩壊へと繋がっていく。
結局、ソ連崩壊は民族問題だったと思う。普遍的な共産主義の全体主義体制を構築したのに、中途半端に全体主義を維持しようとしてペレストロイカを遂行した結果、ロシアならではの民族主義の復活を招いてしまったということ。でも自由化による資本主義の荒波を受けて国家機能強化が叫ばれているという。ロシアを中心とした地域経済圏を構成するユーラシア主義(ファシズム?)。ソ連も本質的にはユーラシア主義かもしれないと。共産主義という建前とユーラシア主義という本音で見ると面白いかも。共産主義というメッキが剥がれて軍事主体の帝国主義も経済主体の保護主義も同じで、外資に蹂躙されない強い国を取り戻すということだろう。著者はソ連が非共産帝国ロシアとして甦ったと表現している。ここで伏線回収!とても気持ちよかった。TPPも大東亜共栄圏と同じく地域ブロック経済圏と考えるのは当然といえば当然だが新鮮。
神学やマルクスについての話は知識が足りなかったので敬遠したが、教養が付けば再挑戦したい。外交官でなくても自国/世界の思想的素養は大事だということ
小説風だったので雑記が多かったが、エッセンスは抽出できたのではないかと思う。2021/9/20 -
この作品は「自壊する帝国」より後の時代を扱っていて、
☆人を中心に興味深いエピソードが綴られていること
☆民族問題に力点がおかれていること
などから、「自壊する帝国」よりもこちらのほうが読みやすいし、今現在ウクライナで起こっていることを理解するのに役に立ちそうな気がします。
「自壊」時代よりも、モスクワの町中は物資が豊富になっていて、お金(外貨)さえあればいくらでも手に入れられるみたいで。佐藤さんが生徒をつれていくレストランの食べ物の描写が非常においしそうです。しかしカロリーが高そうで、ロシア女性が30代以上になると激太りするのもやむをえないかも。
濃いコーヒーと生クリームのケーキを食べたいなとかモロゾフに行ってみたいなどと甘いことを考えながら読んでいると、それを吐いてしまうような残虐な描写が出てきます。飲食をしながら読むのはおすすめできません。
まあそんなことを思えるのも、今現在日本が平和であるからこそですね。
以下は個人のメモです。長いのでとばしてください。;
☆逆説的だがヴィトゲンシュタイン、ラッセル、ホワイトヘッドなどの分析哲学系については、現代数学や論理学の枠組みでそのまま紹介することができたが。ホルクハイマー、アドルノ、ハーバーマスなどのフランクフルト学派については、マルクス主義の影響があるために帰って紹介が難しかった。モスクワ大学哲学部には「現代ブルジョア哲学批判学科」という不思議な名称の学科があり、そこでフランクフルト学派や、デリダ Yahoo 光などのポストモダン系の哲学を扱っていた。 p35
☆結局マルクス主義の科学的無神論はキリスト教に敗れたのだけれど、その理由を哲学的にきちんと整理しておくことは重要だ。僕もその問題についてはラテンアメリカの’解放の神学’を手がかりに考えているところだ」p38
☆しかし、実際にレーニンの著作はいくつか読んでいるが、マルクスに関しては『共産党宣言』くらいしか読んでいないこれには二つの理由がある。
第一の理由は、ソ連では、マルクス主義の現代的に発展した形態がレーニン主義ということになっていることだ。マルクスレーニン主義という言い方もするが、レーニン主義が分かっていれば、マルクスに関する知識はなくても済むという論理構成になる。これはスターリンによって公式化されたものだ。略略
第二の理由は、第一の理由とも密接に関係するのであるが、ソ連当局が初期マルクスの影響が思想界に広まることを警戒したからだ。初期マルクスが描いた、阻害された近代社会の構造は、ソ連社会そのものである。マルクスの「経済学・哲学草稿」
私はソ連崩壊の深いところで、初期マルクスの疎外革命論が影響を与えたと考えている。ソ連崩壊のシナリオを書いた一人で、エリチン政権初期の国家政策に強い影響を与えたゲンナジーブルブリスは、ソ連時代、ウラル国立大学哲学部で弁証法的唯物論を教えていた。反スターリン主義、反ソ連共産主義を掲げ、反共主義者と目されていたが、私はブルブリスの言説を注意深く分析する過程で、そこに初期マルクスの疎外革命論があることに気づいた。それに塗るグリスは、レーニンがロシアの選択を誤らせたとは言うが、マルクスを批判したことはない。「人間の自由を全面的に回復する」というのが振るグリスの口癖だったが、その考えをブルグリスは、初期マルクスから学んだのだと私は見ている。p44
モスクワ大学哲学部には、共産党官僚や政治家を志望する学生が多かった。ソ連では、政治学はブルジョア学問であると位置づけられているので、大学に政治学科はなかった。もちろんソ連にも政治はある。それを担当するのは、モスクワ大学の場合、哲学部科学的共産主義学科であった。p44
ヴィクトルの母親は、ロシア正教の分離派、 それも規律が非常に厳格な無司祭派(ベスパポーフツィ)に属していた。
分離発信者管理や地主になれないので、商業面で頭角を現すようになる。十九世紀のロシア財閥には、 分離派出身者が多い。日本に亡命し、チョコレート菓子で有名になった「モロゾフ財閥」も分離派である 。
1920年代、「戦闘的無神論」という形で反教会政策が徹底的に行われ、その結果、「司祭派」は細々と生き残ることが出来たが、無司祭派はほぼ壊滅してしまった。
しかしリガの周辺には、無司祭派が共同生活をする修道院が、1940年にラトビアがソ連に併合された後も残っていたのである。現地当局が、この修道院に手をつけると大変な暴動や焼身自殺などの面倒が起こることを懸念し、放置し、モスクワに詳細な報告を行わなかったのではないかと私は推測している。ヴィクトルの母はこの修道院出身なのである。p84ー85
そう言ってサーシャは、ソ連体制を維持するために、レーニンやスターリンがイスラームを利用したツケがきているという見方を披露した。略
「スターリン全集には、ソ連体制の秘密を解き明かす色々なヒントがある。1919年から1920年にかけてのスターリンの論文や演説を注意深く読めば、ボリシェヴィキとムスリムの「結婚」の秘密がわかる」
私は家に帰ってから本棚の日本語版「スターリン全集」を取り出した。学生時代確か4数000円出して買った。1919年から1920年までの出来事は、第4巻に収録されている。p208
このスムガイト事件こそがソ連崩壊の序章なのである。p202
西ウクライナのガリツィア地方は、元々ロシア帝国ではなく、ハプスブルク帝国に属していた。ロシア帝国領ウクライナではウクライナ語の使用が禁止されていたのに対し、ハプスブルグ帝国はスラブ系少数民族の言語を尊重する政策を取っていた。
第二次世界大戦戦後、ガリツィア地方では、ソ連の支配を潔しとしないウクライナ民族主義者が、武装反ソ抵抗運動を組織した。この運動は1950年代半ばまで続いた。またガリツィアに住んでいたウクライナ人の一部は、国外に移住した。そしてカナダのエドモントン市とその周辺に集中して居住し,
ウクライナ語ウクライナ文化を保全している。カナダに在住するウクライナ人は53万人もいる。
p243
ガリツィア出身者の文化的特徴は宗教にある。ガリシア出身のウクライナ人の大多数は「ユニア教会」の信者である。 JR 教会の信者はイコンを崇敬し、下級司祭は妻帯し、ロシア正教に近い宗教儀式を行う。しかしローマ教皇の首位権を認め、神学的には、フィリオクエという立場をとるカトリック教会なのである。
ユニア教会の期限は1596年にさかのぼる。当時ポーランド支配下のウクライナの正教会は、ブレスト(原ベラルーシ領)でカトリック教会との合同(ユニア)を宣言した。
ソビエト政府は、ローマ教会に対して宗教的忠誠を誓うユニア教会を警戒した。そして1946年に強制的にユニア教会をロシア正教会に合流させた。ユニア教会は非合法化された。ユニア教会が合法化されるのは1990年になってからのことだ 。
ソ連で禁止されたユニア教会は、カナダで生き残った。これに遠隔地ナショナリズムが加わった。遠隔地ナショナリズムとは自らは住んだことがない民族的故郷に対して、実際に故郷に住んでいるものよりも観念的で、強い愛着を抱くという特徴を持つナショナリズムだ 。
遠隔地ナショナリズムは、人間の表彰能力を最大限に刺激し、そこか観念の政治を生み出す。しかし、観念の政治であっても、そこに資金基盤がつけば、現実の政治に影響を与え る。p249 250
「しかしウクライナが離反すれば、ソ連は解体する。それだから僕たちはウクライナ情勢分析に全力を投入している」p251
人間のアイデンティティーが大きく変化するときは、何もないところから新しい意識が引き出されてくるのではない。複合 identity のうち今までは眠っていた要素が、ある契機で引き出されてくるのである。その中で民族という要素を中心にある人間集団のアイデンティティを組み立てると、それは必ず排外主義への道を開く。排外主義から流血と民族浄化までの距離はそれほど離れていない。
p330
「沿バルト三国と共に、ガリツィアだけが独立してしまえばよいではないか」
「そのシナリオは多分ないと思う。ガリツィアの民族主義者は、ロシアによって占領されているウクライナ全域を独立させようと考えているからだ。ガリツィアの独立だけでは満足しない。ヒットラーとスターリンの取引でソ連領に編入された、沿バルト三国とモルドバについて、できるだけ早く独立の道筋を整えることだ。そしてソ連の核となるロシアウクライナベラルーシの東スラブ三兄弟を固めることだ」p331
沿バルト三国と異なりウクライナでは 、ナチスドイツの侵攻によって、大量の10人が殺害され拷問レイプ略奪の被害にあった。したがってウクライナ人の草の根レベルで、「ドイツ人よりはロシア人の方がはるかにマシである」という意識が共有されていた。
ウクライナの民族エリート達は主権カードを用いて出来るだけ多くの経済利権をウクライナに持ってくることを考えていた。p332
アルチューノフ先生は「民族問題を理解するためには、まず民族主義者が過去の歴史的断片をどのようにつなぎ合わせ、どのような神話を作っているかについて、理解することは大切である」と言う。
グルジアの民族主義者の見解によれば、歴史的にグルジアは紀元前6世紀から国家を有しており、1878年にロシアに併合されるまでは、国家を喪失したことはなかったと考える 。
グルジア出身のスターリンがソ連共産党書記長として、またグルジア西部メグレリア地方出身のベリアが秘密警察長官を務め権勢を誇ったことなど、グルジア人にとって都合がよくないことは忘れてしまう。ようはこのような歴史認識が、史実に照らして客観的に妥当であるか否かよりも、グルジア人の大多数が主観的に「これが歴史の真実だ」と思っているという事実が重要なのである。p335
トランスコーカサスでは、グルジア人だけが正教徒である。
アゼルバイジャンはイスラム教のシーア派
コーカサスの山岳民族はオセチア人を除いてイスラム教のスンニ派
オセチア人も元々スンニ派だったが、1819世紀にロシアがコーカサス地域を征服する過程でロシア正教に転宗した。
アルメニア人もキリスト教徒であるが、5世紀のカルケドン公会議で異端とされた単性論派の流れを引く教派なので、グルジア正教やロシア正教とは基本教義や儀式をことにする。
p335
「ソ連体制にマルクス主義が根付いたことは、実は一度もなかったのだと思います。
ここにあった政治体制は確かに資本主義ではなかった。しかし戦時体制型の動員経済です。ソ連国歌は、革命直後の干渉戦争や、大祖国戦争の時のナチスドイツのような外敵による脅威が迫っているときは、国民の自発性を発揮させることはできた。それ以外の状況では、ソ連人は国家や社会から収奪する事だけを考えるようになった。ソ連体制が生き延びることができたのは、1970年代にオイルショックがあって、石油価格が高騰したからです。資源を切り売りすることで、これまで何とか国民を養うことができたが、もうそれも出来なくなった。ソ連はすでに生命力を使い果たした。ソ連のハンズに生きている諸民族は、そのことに気づいているのです。このような状況でロシアがどのように復興するかがカギを握ります。いわゆる開発独裁の方向で、国民の能動性を引き出すことができれば、それが最良のシナリオです」p348
「 大ロシア人には、少数民族の複雑な感情がわからない。歴史的に差別されていた人々の感情がわからないんです。わからないから無意識のうちに時には善意でとても残酷なことをする。それから少数民族が身を守ることができるのは、故郷の土地を持つことによってです。ロシア人には少数民族の気持ちがわからないということだけは分かってもらえれば良いのです」p350
「 佐藤さんは他の日本人と比較して、ソ連の民族問題に対する洞察力や理解力が深い。率直に言いますが、それは佐藤さんに沖縄人の血が流れているからだと思います。ちょうど私にアルメニア人の血が流れているのと同じです。しかも佐藤さんの先祖は琉球王国時代の支配層に属していますね」
「私の母は久米島という離島の出身です」
「共産主義には世界革命を実現してプロレタリアートを解放するという普遍的な目標がありました。ファシズムにはそのような目標がない。ロシア人の生存だけが目的となります。
そして周辺世界と常に軋轢を作り出すことによって国民を動員する。ロシア人の生活は戦争と背中合わせになります」
マルクス主義に民族政策はなかったこと。
レーニンとスターリンの思想は民族問題を含め、連続性が高いこと。
ヨーロッパにおける社会主義革命の展望が亡くなったため、ボリシェヴィキは中央アジアとコーカサスのムスリムを味方につけ、その為にマルクス主義とイスラームの奇妙な融合が生じたこと。
2級のエリートが、支配権を握るためにナショナリズムカードをもてあそぶと言う、一般的な傾向があること。
そしてこのカードは社会経済情勢が不安定な時には大きな成果をあげること。
これらはセリョージャの研究を通じて私が理解したことである。p372
ソ連崩壊を理解するために ここのつの論点を押さえておかなくてはならないというのがセリョージャの考えだった。
1、ソ連は非常に窮屈な全体主義体制だったということだ。帝政ロシアとの連続性が高い。ソ連のような国家がロシアにできるのは歴史的必然だった。
2、ペレストロイカ直前のソ連は、様々な問題を抱えていたが、崩壊の危機に瀕していたわけではないということだ経済状態が壊滅的であったということも証明されていない。
3,ソ連国民の最大限の要求は、経済改革、イデオロギー面文化面での自由化、個人のイニシアチブがより多く発揮できるような変革だったこと。
4,ソ連社会は欧米流民主社会に転換する準備ができていなかったことだ。様々な歴史的経緯を持ち多くの文化類型に属する民族を包含するソ連帝国に、欧米民主化社会のモデルを移入すると、大きな軋轢をもたらすことは明白だった。さらにペレストロイカ機に唱えられた民主主義は抽象的概念でしかもロマン主義的だった。
5,ソ連には社会主義的連邦主義と言う名での「排外主義」が存在したことだ。
ペレストロイカによって自由化が進むと、民族復興現象があちこちで見られるようになった。
6、ゴルバチョフのペレストロイカが、ソ連の全体主義体制を維持するため部分的改革を行うと言う、誤った選択を取ったことだ。
7,ロシアでねお堀者リズムという保守主義的傾向と、連邦構成共和国の反共主義的な自民族中心主義が、ともにゴルバチョフの政策に対して不満を高め政権打倒を試みたことだ。
8,エリチンロシア大統領が果たした独自の役割だ。ロシアでの権力奪取を容易にするためにエリッツインは連邦構成共和国の自民族中心主義者や分離主義者との連携を強めた。
9,1991年12月のソ連崩壊は客観的必然性を持つものではなく。エリツイン派と連邦構成共和国の民族排外主義者との同盟によって起きたものであることだ。 p377 -
『私のマルクス』に続き、佐藤優氏の本を一気に読んだ。300ページもある本を読んだ後に続けてまた同じ作者の本を読むことはあまりないが、今回は続編を早く読んでみたくなったためだ。こちらの本についても、キリスト教神学についての箇所などはかなり難解な部分があるため、結果的に、『私のマルクス』の内容を忘れ去らないうちに読んだことは正解であった。そして、非常に示唆に富む内容だった。
その内容は、「外交官としてソ連崩壊を目の当たりにした筆者は、新生ロシアのモスクワ大学で神学を講義し、若者たちに空恐ろしさを感じる―『ロシアはいずれ甦り、怪物のような帝国になる』」(文庫版の説明文より)というものだ。確かに、現在のロシアはプーチン大統領の帝国主義政策に象徴される「怪物のような帝国」だ。そして大統領の下では、著者の教えを受けた学生を含む、多くの優秀なエリートがロシアを支えている。本書は、今後のロシア帝国主義政策を理解するために必須の、ロシア知識人の実像やロシアを取り巻く地政学を描き出す。 -
『私のマルクス』(文春文庫)に続く、著者の思想的自叙伝です。ソ連で外交官として活動する中で見聞したさまざまな事実に絡めて、ソ連が崩壊するに至った原因についての考察が展開されています。
前半は、モスクワ国立大学でプロテスタント神学の講義をおこなったことが、学生たちとの交流を含めて語られています。そこでは、社会主義から資本主義へと方向展開しつつあるソ連の若きエリートたちが直面していた困難が印象的に綴られるとともに、資本主義の内在的論理を解明したマルクスの経済学の立場と、「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」と述べたパウロの告白をみずからの問題として受け止めようとするキリスト教神学の立場をクロス・オーヴァーさせながら、学生たちに向き合ってきた著者の姿が描かれています。
後半は、ソ連科学アカデミー民俗学研究所を訪問し、副所長を務めるセルゲイ・チェシュコという人物と、ソ連の民族問題について語り合ったことが中心となっています。バルト三国の独立運動からゴルバチョフが軟禁されたクーデタを経てソ連の崩壊へ向かって進んでいく一連の動きが、民族政策の失敗という観点から明らかにされるとともに、現在のプーチン大統領によるロシアの「帝国主義」的な動きが、とくに「ユーラシア同盟」と関連づけながら予見されています。
これまで著者の本を読んでいて、文明論的な視点についていけないと感じることがあったのですが、著者がこうした視点から世界情勢を解釈するようになった理由が少し見えてきたような気がします。 -
現在のロシア情勢を知る手がかりになるかと。
つい人は理性的に知性的にものごとを判断して行動するべきだと考えがちだが、それでは割り切れない感情的心理的理由で社会が動いて行く一面もあるのだと思わせてくれる内容。
思い込みを廃して読めば、理解出来る事がたくさんある本であるな。