風車祭 (文春文庫 い 39-2)

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 50
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  • Amazon.co.jp ・本 (771ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167615024

感想・レビュー・書評

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  • ずっと前から持ってる本だけど、ものすごく分厚いため読み返したことがあまりない。
    たぶんまだ3.4回、、、
    完全に文庫の容量超えてる。
    初め読んだときは、武士がいささかダメな男にしか見えなかったけど、今読むとなんか分からなくもない。
    叶わぬ恋ならよく知ってる。
    池上節たる妖怪的キャラも、物語のキャパに見合うくらいいっぱい出てくる。
    フジはもちろん、ギーギーも残飯オバァもチーチーマチーチューたちも、たぶんホールザーマイもね。
    色々強烈すぎて、ストーリーの跳び具合を超えてキャラクターが毒々しいくらい派手。
    そーゆーところがだいすき。
    哀しくても悲惨でも、滑稽で凹んでいる暇さえない。
    あの太陽のしたでは全てがそうなるのかな。
    池上さんの話は元気が出る。

  • のーんびりとした沖縄の話を想像していたのですが、良い意味で想像していたものとは違っていました。

    まず、登場人物の個性がまぁ強い!
    おばぁは最強です。

    日本であって、日本でない土地。
    お祭りや唄の種類の多さに驚きました。
    当たり前の様に何百年も昔に起きた話が現在にも伝わっており、
    昔と現在が同時に進行しているかのような不思議な感覚になりました。

    分厚い本なのですが、それを気にさせないくらい次へ次へとページを捲る手が止まりませんでした。

    最後にもう一度。
    おばぁは最強です!

  • あんまりに当たり前のように書かれていると、豚の中足がドリルになっても受け入れてしまうのだなあと、読み終えてみてから、モノゴトを判断する物差しがだいぶ狂わされていたことに気づかされる。ということは、すっかり物語に引込まれていたのかもしれない。

    いや、物語に引込まれていたというよりは、現実のほんとうの力に気づかされた、というような気もする。
    つまり、人間が都合のいいように考えたいわゆるファンタジーを越えすぎて、逆にありえそう。
    「もしもありえないことが現実に起こるとすればこのくらい想像の外側をついてくるんだろうなあ」と言えばいいのか。
    そしてこの感じ、どこかで味わったことがあるなあと思ったら、「神話」なのである。

    カミサマってさぞかし立派なんだろうなあと思って読み始めると、欲望まるだしだったり自尊心が強かったりで唖然としちゃう感じ。
    このお話も、登場人物がみんな人間らしくてどこかグロくてかわいげがある。
    キャラが活きすぎてて、これはなんの伏線だろう?と思ったら、ただのキャラ描写なのか!なんてことが結構あったりして。
    これはもう、ストーリーの外側、「世界」そのものを描いているみたいだ。

    それでもって、なによりテーマに共感する。
    「自然への畏怖」が失われた世界で、人はたぶん長く生きることが出来ないような気がする。そうであってほしい。

  •  沖縄の話。
     沖縄といっても八重山諸島、島歌にジジイババアのいっぱいいる世界。
     若い子もいるが、あえて主人公は御年96のフジだと言ってしまおう。フジの下に3代の娘(みんな出戻り)がいて、みんなそれぞれにパワフルだ。ああ、パワフルだ、というのはわれわれが東京で見るババアよりよっぽど達者に生きている。そういう本である。

     このフジおばあの孫の孫の少年が一応のヒーローとなっている。まあ一応、小説というものの体面上若い男が主人公っぽくないといけないよね、というくらいのもので、この少年が肉体を失った自分の先祖(美少女)に淡い恋を抱いたり、少年にディープラブをかける妖怪豚(乳房が発達して6本足になっている)に熱いアタックをかけられたり。少年の内なる世界を青春の嵐が駆け巡り、島というこの外の『世界』にも嵐が吹き荒れる(沖縄だからね)。

     このふたつの嵐を作品の軸に、実に緻密にひとつの物語を作り上げていて読みごたえのある小説にしあがっている。
     この小説を読んで「あたしも沖縄に住みたくなりました」とは言わない。あまりにもにおいにあふれていて、熱っぽくて、潔くないエネルギーむき出しの世界。

     漫画化もされているが、ぜひ小説で読んでもらいたいもんです。あの濃厚な空気は、小説を読む醍醐味といえるでしょう。
     夏の課題図書に。

  • 池上さんの勢いのすべてが詰まっている。
    オバァのなんでもあり感がものすごい。勝てる気がしない。

  • 解説:与那原恵

  • 石垣島を舞台にしたマブイをめぐる話。主人公の周りには人の不幸が生き甲斐みたいなオバァ、二百年前からさまよっているマブイ、豚の妖怪など、話の内容としては若者向けドタバタ劇だが、沖縄の文化、風習が濃く味付けされており、沖縄の事を知るには面白い。現在では失われつつある、沖縄独自の文化が寂しく思いもする。

  • かつての普遍性がそのまま残っているという特殊性が裏打ちした世界のなんと魅力的で豊穣なことか。登場人物以上にその小説空間が重要な役割を担っている。その場所でしか見ることのできない夢、味わえない現実を通して、小説空間を体験できる本。

  • 個人的な名作ベスト10に入る.
    まどマギにも通じる(?)ファンタジー.
    以下,当時ブログに書いたエントリから.
    http://redchant.exblog.jp/3494444

    一年中夏の四季の無い島。
    生命力あふれる植物に対して、島人(しまんちゅ)はものごとに対しての熱さがない。
    時間の経過は祭礼である。
    祭礼に対しては島人は熱心である。
    いまだ根付いている信仰。
    しかし意味を無くし形骸化されつつある。
    海を埋め立て山を削ることは、風水的に地脈を壊されたこと。
    すべて神の怒りを買うことにつながる、つまり自然災害。
    島人のマブイ(≒魂、精神、アイデンティティ。≠肉体、幽霊)の物語。

    個性的なキャラクター達、
    200年超マブイとして生き続けている娘、
    マブイを失い命を削ってでも恋する少年、
    長生きが第一の生きがいであるオバァ、
    人間に恋する六本足の妖怪豚(雌)、
    信仰(祭礼)の形骸化に気付く巫女たち、
    信仰により神の加護を受ける元海人(うみんちゅ)の異人兄弟、

    彼らには災害が降りかかる。
    彼らはなぜ災害が起きるのか知らない。

    マブイだ、妖怪だ、神だ、なんていうけど、この物語を決して「フィクションだ」なんて言うことはできない。

    その中で彼らから教えられることは、「マブイ」が大切なものであること。
    マブイを失わないためにはどうすればいいのか?

    この物語の楽しみは、どのようにマブイを解釈するかだろう
    沖縄・石垣島の人には、マブイがどのように認識されてるのだろうか?
    日常会話で使われるような一般的な言葉なのだろうか?
    現地でもめったに使われないような言葉なのだろうか?
    もしかしたら「だからよー」(*1)で説明されてしまう言葉なのかな(笑)

    とにかく、元気になれる物語です。☆☆☆☆☆
    ちなみに、言うまでも無く、おれのマブイはレッズを含んでいる。


    *1:物語中で使われるなんにでも便利な言葉。
    だからよー

    意味 :
    ごもっとも、そうらしいね

    重要語。人の発言に対して同意をするときに使う。うちなーんちゅには欠かせない大事な相づち。

    1. 「今日はいい天気だねぇ。」
    2. 「だからよー」

    1. 「お前会社辞めれば?」
    2. 「だからよー」

    1. 「今年のサミット沖縄でってよぉ。」
    2. 「だからよー、しかますなぁ。」

    1. 「○○君就職決まったってよ。」
    2. 「だからよー。」

    1. 「お前のせいで○○行けなくなっただろぉ!」
    2. 「だからよー、ごめんなぁ。」

    1. 「お前だからよだからよってうるさい!」
    2. 「だからよー。」

  • 文庫裏表紙の粗筋からは全く内容が想像できないまま読み始めた。まさか六本足の妖怪豚に泣かされるとは…
    この作品を楽しめるかどうかは、マブイと妖怪、そして人外の存在よりもアクの強いオバァなどの登場人物、また沖縄方言の入り交じる会話文に馴染めるかにかかっている、かも?いっそ金髪碧眼のエルフやトロルのファンタジーの方がお馴染みかと。

    出身が八重山なので、方言を挟んだ会話やマブイやニライカナイなどの「世界観」は問題なく理解でき、逆に誇張されたメチャクチャ感が前半のうちはたまらなく面白かった。後半においては誇張とも感じず入り込んでいて、喫茶店で読んでいる最中ふと目に入った女性の顔が(島のオバァでなく)ナイチャーであることに一瞬驚いてしまうほど、生まれ島に帰っている感覚だった。
    神話と民話、歴史と現代、空想と(あの島における)現実がごちゃ混ぜに作り出す渦が強烈すぎて、あの土地で生まれ育っていない人からするとどう感じられるのか、想像できない。

    ストーリーや人物紹介は他の人にお任せします。現地人のわたしにとってこの作品は、フィクション小説というより民話だった。八重山が現代においても民話を生み出し得る空間で在り続けているという「特異性」の再確認と感謝だった。
    島を出て直に十年、わたしのマブイはもうヤマトに根を張っているのか?まだあの島に在るのか?第三番目の灰色の領域が懐かしい気持ちもあり、それではいけないと叱咤する気持ちもあり…。
    ヤマトンチュからするとマブイの概念はユニークかもしれないが、自己の基盤や帰属意識とすれば、「落とした」つまり自己の内部に欠けた状態が続けば「生きて」いくのが苦しくなることは感覚的に理解しやすいかと思う。

    兄弟の作った美しい覇龍船が海を漂う様を、五十嵐大介さんの挿し絵で見てみたい。

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著者プロフィール

池上永一
一九七〇年沖縄県那覇市生まれ、のち石垣島へ。九四年、早稲田大学在学中に『バガージマヌパナス』で第六回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。九七年刊の『風車祭』が直木賞候補に。二〇〇八年刊の『テンペスト』はベストセラーとなり、一一年の舞台化をはじめ、連続テレビドラマ、映画にもなった。一七年『ヒストリア』で第八回山田風太郎賞を受賞。他の著書に『シャングリ・ラ』『レキオス』『ぼくのキャノン』『統ばる島』『トロイメライ』『黙示録』などがある。

「2023年 『海神の島』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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