承久の乱 日本史のターニングポイント (文春新書 1199)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166611997

作品紹介・あらすじ

『日本史のツボ』(文春新書)、『ヤバイ日本史』などで知られる人気歴史学者が、専門である鎌倉時代を舞台に、満を持して取り組んだ意欲作です。本郷さんは鎌倉時代の基本史料『現代語訳 吾妻鏡』の編者の一人でもあります。誰もが日本史上の重要トピックとして覚えた経験はあるが、敗れた後鳥羽上皇が隠岐島に島流しにされたこと、北条政子の演説で鎌倉武士がひとつにまとまったことくらいで、実はよく知られていない「承久の乱」。そもそも後鳥羽上皇はなぜ幕府に戦いを挑んだのか?「錦の御旗」を敵に回して勝利したリーダー、北条義時はどんな人物だったのか?それを理解するには、後鳥羽上皇が歴代天皇のなかでも指折りの文武に長けたカリスマだったこと、そして頼朝以降の鎌倉幕府で繰り広げられた、血で血を洗う「仁義なき政争」を知る必要がある、と本郷さんは説きます。さらにこの戦いは、朝廷と幕府の関係を決定的に変えました。以後、明治維新までのおよそ六百五十年間、武士が日本の政治を動かす時代となったのです。まさに承久の乱の起きた一二二一年こそ日本史の大きなターニングポイントといえます。日本史ブームの中、第一人者による決定版の登場です。主な内容・鎌倉幕府の正体は「頼朝とその仲間たち」・まったく異質だった武士の殺生観・上皇の絶大な経済力・北条氏よりも優遇された比企氏、平賀氏・なぜ源氏将軍は三代で絶えたのか?・血で血を洗う闘争に勝ち残った北条義時・武士の切り崩しに成功した後鳥羽上皇・実朝暗殺の“仕掛け人”は?・戦いの本質は「在地領主vs.朝廷支配」だった

感想・レビュー・書評

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  • 「鎌倉殿の十三人」にハマってしまい、手に取りました。すごくわかりやすいです。
    鎌倉幕府の凄惨ともいえる政争や複雑な朝廷の事情がわかります。
    また、武蔵、相模、駿河、伊豆の地方政権にすぎない鎌倉幕府が全国へとその力を広げた歴史上の画期もわかりました。
    一見地味で仁義なきこの時代を大河ドラマは実に面白くしていることがわかります。キャストの妙、人間くささやコミカルさがちりばめられて絶妙な脚本なのです。ドラマの方も気になってしまう、そんな書でした。
    それにしても「摂関政治」の藤原氏は、藤原氏出身の天皇が170年ぶりにでなかったために、荘園の権利を大きく失いその最盛期、道長の子頼通存命の時代に突如力を失ったことは意外でした。

  • 藤原氏は鎌足・不比等の活躍のあと長い歳月をかけてライバルを失脚させ権力の座を不動のものにしました。これもえげつないと思いますが、鎌倉幕府において北条氏(時政・義時)がしてきたことの方がえげつない。短期間でライバルを根絶やしにして天皇家も屈服させて、権力を奪取します。土地の完全収奪を目指す殲滅戦を生き抜いてきた北条氏が相手では、いかに文武に秀でた後鳥羽上皇とて、かなう敵ではありませんでした。ちなみに「承久の変」って習いました。今は「承久の乱」と教わるのですか?

  • 朝廷中心の世を覆し、武士が優位に立った歴史の転換となる
    承久の乱。武士とは、鎌倉幕府とは、そして承久の乱に
    至った経緯とその後について、著者の考察を交え、解説する。
    第一章 「鎌倉幕府」とはどんな政権なのか
    第二章 北条時政の“将軍殺し”
    第三章 希代のカリスマ後鳥羽上皇の登場
    第四章 義時、鎌倉の「王」となる
    第五章 後鳥羽上皇の軍拡政策  第六章 実朝暗殺事件
    第七章 乱、起こる     第八章 後鳥羽上皇の敗因
    第九章 承久の乱がもたらしたもの
    現在の都道府県と旧国名、各章初めに略年表有り。

    大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」の後、承久の乱について
    知りたくなっての読書ですが平安時代後期から鎌倉時代、
    承久の乱へ至るまでの、歴史の流れと、武士と朝廷の状況に
    ついても、分かり易く解き明かしています。
    何はともあれ、土地!
    在地領主が守りたい土地、得たい土地。
    朝廷が入手するのも土地。経済の基盤たる荘園。
    武士の、武士による、武士のための政権を目指す、
    頼朝とその仲間たち。
    だが、将軍への権力集中や朝廷との関係の危うさから、
    元首としての将軍から象徴としての将軍へ。
    それは、御家人による御家人のための政治。
    仁義なき政争を制した北条義時と、その仲間たち。
    院政は天皇家の家長である上皇による政治。
    摂関政治が最盛期から急に衰退した理由も。
    朝廷中心の秩序と理念の実現のため、多くの荘園を支配するため、
    最高権力者「治天の君」後鳥羽上皇による軍拡政策。
    実朝を手の内に収めようとしたが、彼は暗殺されてしまう。
    そして両者が真っ向から対決する承久の乱へ。
    乱後の戦後処理は、武士の論理による処断で、貴族すら追放や
    処刑、そして天皇や上皇にも及ぶものでした。
    その後の朝廷と幕府の変化にまでも言及し、
    かなり面白く読み進めることができました。
    う~む、なんか更に他の承久の乱に関する歴史書や
    「吾妻鏡」も読んでみたくなってしまったぞ。

  • 『龍馬伝』以来、久々に放送を心待ちにしている
    大河ドラマ『鎌倉殿と13人』。

    平家を滅亡せしめ、いよいよ征夷大将軍に…という段階にたどり着いたというのに、義経追討の宣旨…そこに泰平さはなく、不穏な空気が漂う。

    ただ、これはあくまでも前半の山場。今後は頼朝急死後に繰り広げられる、濡れ衣・謀殺・暗殺…血で血を洗うサバイバルトーナメントが待ち構える。

    御家人の権力闘争となると大学受験の日本史程度の知識では歯が立たないので、承久の乱までの流れをより深く理解するべく中世史が専門の本郷先生の冴え渡る解説書を手に取った。

    さて鎌倉幕府というと、朝廷政治から武家政権への転回点。以後650年間、武士が政治を司る起点となった。その先駆者である源頼朝には政権奪取後の〈平時の手本〉がなかった。有事には頼りになる強者揃いであったが、いかんせん字の読み書きができない武装集団。

    そこで、行政事務を担う人材を求め、大江広元を筆頭に下級公家を片っ端からスカウトし、文官集団を組織し、統治力の整備に腐心。無手勝流に走らざるを得ないにもかかわらず、頼朝は政治家として現実課題に対処する、極めてプラグマティストな人であった。

    著者はその鎌倉幕府を指して〈源頼朝とその仲間たち〉と表現。絶対的味方がいない中での天下取りには、御家人との良好な関係づくりが必須。

    所謂『御恩と奉公』。いつの世も、土地をめぐる係争は同じ。豪族たちに〈ここはお前の土地だと安堵をしてやる〉。誰かが奪い取ろうとすれば、頼朝が時に武力を持って撃退する。代わりに、あいつを懲らしめるからすぐに来い!と言われれば駆けつけ、奉公に励む。あまりにも有名な、『いざ鎌倉』。

    本書を読んで驚いたのは、ドラマにみる北条義時の父親である北条時政の描かれ方。NHKの番宣では愛すべき田舎侍と紹介されているが、実際は何の何のとんでもない権力闘争に明け暮れた人であった。

    頼朝亡き後の〈13人による合議制〉を企図し、北条家台頭のきっかけを作るのはまだまだ序章。ライバルの有力御家人 梶原景時・比企一族を誅殺し、自らが殺害を命じておきながら実行犯を口封じで殺害なんて…どこを指して愛すべき人なのか。二代将軍 頼家の後継者問題においても周到な準備に整えるなど機を見るに敏な権謀術数の人であった。

    息子の義時も然り。現時点では人の痛みを理解する心優しき人物として描かれるが、史実では父親を追放するなど、時政顔負けの悪漢。ドラマでは三浦義村が義時に対して『おまえ、鎌倉殿に似てきたぞ』というくだりは今後変貌していく義時を示唆しているが、はたしてその変貌たるやいかなるものか…。

    源氏の棟梁といえども所詮流浪者。頼朝を一か八か担いだことから始まる時政・義時の権力闘争への旅路。突然、田舎侍の親子が歴史の表舞台に躍り出、覇者への階段を駆け上がる。

    朝廷から武家への歴史の転換点でもありながら、北条父子にとっては自身の運命が宿命と悟った時から始まる国盗り物語とも読める。

    頼朝の鎌倉入りから承久の乱までの41年間。その間の政治は〈頼朝とその仲間たち〉から〈義時のその仲間たち〉へと移り、承久の乱後はそれまでの血生臭さは一掃され、1世紀にわたり北条政権が本格稼働し、100年余りその地位を独占する。

    本書は平易に書かれた学術書だけど、壮大な叙事詩を読み終えた感がある一冊。

  • 純粋に面白かったです。
    ただ、やはり歴史書を唄うのであれば、史料と索引は必要かな。
    あと初心者向けなら、年表をまとめて、家系図があればよかったんですが。

  • 承久の乱にいたるまでの幕府の内幕というのが、いわば薄氷の上でバランスをとっていたかのよう。権謀術数というか、だれもが権力を握ろうとするドラマのよう。

  • 表題の承久の乱に関するトピックは後半から。前半はこの時代の政治、土地、主従関係などの社会全般について書かれており、これがおもしろい。

    ・鎌倉幕府は、江戸時代のように確固とした政治システムがあったわけではなく、「頼朝とその仲間たち」くらいの集団だったという説
    ・当時の社会は弱肉強食。朝廷の支配が及んでいたのは局所的かつ間接的という説
    ・自分の土地は自分で守らねばならない。関東では在地の武士が頼朝を中心に集まっただけという説
    ・当時の関東武士は朝廷と幕府の2つの主人がいる状況が普通にあったという説
    ・後鳥羽上皇は武勇にも学問にも優れ、傑出した存在だったという説

  • この本は本当に分かりやすく、おもしろい。後鳥羽上皇の目指すところと頼朝と、その仲間たち、その後の義時とその仲間たちが護りたかったところのギャップを浮き彫りにするための背景を遡って分かりやすく説明してくれている。本郷先生曰く、乱そのものではなく、そこに至るまでが非常に重要であることも納得。さらにはこの乱の結果の歴史的な意味、そして個人的には三上皇配流の説明が分かりやすくまとまっていて、この流れを他の資料を見ていたのだけど、よく分からず困っていたので目から鱗。またそちらの資料に戻ってみよう。

  • 大河ドラマは見ていないのですが実朝死去から北条家への権力の移り方を知らないな…と思い手に取りました。
    鎌倉側の力関係や制度、朝廷側の思惑等がとても分かりやすく書かれており一気に読めました。
    承久の乱以降、朝廷の力が弱くなり武士社会となった理由がよく分かりました。

  • 2022/4/8 読了
     鎌倉幕府の政治史が読みやすく、わかりやすい表現になっている。頼朝誠治は駿河、伊豆、相模、武蔵の在地領主だけの"頼朝とその仲間たち"政権だ、朝廷は権威に頼るだけの権門主義政治だ、というわかりやすい例え。それが承久の乱の北条軍勝利で西国の荘園も義時の手に渡り、650年に及ぶ武士政権の礎になった、という話に納得。

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著者プロフィール

1960年、東京都生まれ。1983年、東京大学文学部卒業。1988年、同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。同年、東京大学史料編纂所に入所、『大日本史料』第5編の編纂にあたる。東京大学大学院情報学環准教授を経て、東京大学史料編纂所教授。専門は中世政治史。著書に『東大教授がおしえる やばい日本史』『新・中世王権論』『壬申の乱と関ヶ原の戦い』『上皇の日本史』『承久の乱』『世襲の日本史』『権力の日本史』『空白の日本史』など。

「2020年 『日本史でたどるニッポン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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