21世紀の戦争論 昭和史から考える ((文春新書))

著者 :
制作 : 佐藤 優 
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166610723

作品紹介・あらすじ

戦後七十年が経った今、昭和史の「逆襲」が始まった蘇る七三一部隊、あり得たかもしれない占領政策。八月十五日では終わらないあの戦争を昭和史とインテリジェンスの第一人者が語る。

感想・レビュー・書評

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  • 風船爆弾でペスト菌をアメリカにばら撒くと言う計画があったのは初めて知った。731部隊の存在は重い。日本の軍人は官僚化していた、それに対して米国のミニッツ提督はビジネスマンの如く機敏に動いたと言う指摘も印象的。

  • 昭和史に精通する2人の知識人が太平洋戦争について対談。主として半藤一利が日本軍を総括し、佐藤優が日本外交について語り、敗戦が今の日本にどう影響をもたらしたのかを論議する。

    さすがに2人のトークは当時の国家同士の陰謀、策略を簡潔にまとめてくれて、読み応えがある。2人が互いの知識を認め合い、楽しそうに語っている姿が見えてくる。一般人が下ネタや上司の悪口で盛り上がるのと同じ感覚なんだろう。

    で、昭和の日本軍に欠けていたものは失敗の経験だった。人間や組織は失敗を経て、学び、次につなげるのだが、日本軍は日露戦争の勝敗をあいまいにし、近代兵器による戦争を知らないままだった。そして、ノモンハン事件での敗走、ソ連に和平仲介を依頼、アメリカを敵に回すなどのお粗末な結果だ。

    失敗に目を向けなければ、見えるものは成功だけ。そんな組織は今も昔も長続きしないと、2人の知識人は語る。

  • 昭和史の大家と現代インテリジェンスの怪人の対談。
    印象的な言葉がおおい。
    巻末の「昭和史を武器に変える十四冊」が参考になります。

  •  佐藤優氏と半藤一利氏による対談。「過去の過ちを繰り返」さないために、「過去の出来事を、そのプロセスを含め、虚心坦懐に知る」ためのもの。他の佐藤氏の本の読後感を思うとやや物足りなかったし、歴史認識も自分と異なる部分が多かった。

    印象的な内容
    「ソ連によるリトアニア併合がうまくいったのは、・・・リトアニアの民族主義者の一部がソ連加盟に賛成したからです。なぜ賛成したかといえば、ヴィルニュスをくれたからです。ソ連という国は、そういう戦略的観点から領土を手放すことがあるのです。」p145

  • 2020年11月22日記述

    21世紀の戦争論 昭和史から考える
    2016年(平成28年)5月20日第1刷発行
    半藤一利氏と佐藤優氏による対談をまとめた本。
    初出
    週刊文春 2015年5月7日14日合併号「今こそ読むべき14冊」
    文藝春秋SPECIAL 2016年冬号「失敗の昭和史」
    文藝春秋 2016年3月号「新しい戦争と日本軍の教訓」

    はじめにで佐藤優氏が、あの戦争(第二次大戦)で活躍したエリートが戦後も日本の政治に表と裏の双方で影響を与え続けた。
    そのために、日本に破滅をもたらした因子が、温存されることになってしまった。
    という指摘をしている。
    その通りだと思う。
    しかし、全てをA級戦犯とし全員を死刑にしていくこともまた難しい。
    ドイツも全ての罪人が死刑になったわけでは無い。
    国家の再建に人材がいなくなっても困るという問題もある。

    とは言え、構造的な問題を変えていく事で過去の過ちを繰り返さない為に過去の出来事を、そのプロセスも含め、虚心坦懐に知る事が重要なのだと
    いう佐藤優氏の指摘は全く同意だ。

    つくづく昭和史を日本人は知らないと思う。
    大河ドラマ等も含めついつい戦国時代と幕末明治維新あたりばかりを取り上げるという問題もあると思う。

    印象に残った点を取り上げていくと

    旧ソ連諸国の特徴として、得体の知れない誰かが研究しているときはだいたい秘密警察がやっていると考えていい。
    ベラルーシにそれだけの文献があるわけではないし、組織的な背景が無ければ、こうした論文は書けません。それがクオリティの高い雑誌に載るということは、何かに使うための材料だと考えられます。(佐藤)

    殺戮用細菌は使用してはならない。国際的信義は大切にしたいという昭和天皇の判断

    戦闘の目的は自分たちの主張するところを武力によって押し通すことにあります。
    相手を納得させることです。
    が、自分たちの言い分が通らなかったのですから、ノモンハン戦は残念ながら負け戦であったというほかはない。(半藤)

    兵隊さんたちはみな、辻(政信)を褒めるんです。
    あのぐらい立派な参謀はいなかったと、口々に言う。
    戦場では、他の参謀はみんな後ろに下がっていて、最前線へ出てきません。(中略)ところが、辻は出ていく。
    ノモンハンでも、のちに参謀を務めたガダルカナルでも、インパールでも最前線に立っている。
    だから、特にノモンハンの生き残りの兵隊さんはみな、あのぐらい立派な人はいない、と褒めるのです。(半藤)

    まるで暴走族の頭のようじゃないですか(笑)。
    そうやって現場を踏んで帰ってきて、今度はデスクにいる参謀たちにお前達は戦場を知らないと、恫喝したのでしょう。
    つまり辻はインテリ向きではなく、大衆を引きつける魅力があった。
    その意味では、彼がクーデターの方向にいかなくてよかったですよ。(佐藤)

    確かに自分で率先してやることはやる。ただし、ガダルカナルにしても出ては行くけれども、上から見るだけなんです。
    このジャングルがどのぐらい深くて、突破するのにどのぐらい時間がかかるかというところまでは見通せない(半藤)

    日露戦争以来、34年間も日本陸軍は近代戦を戦ったことがない軍隊だった。
    (中略)
    その34年間、日本軍に何が起きていたかといえば、官僚化だったと思うのです。
    実戦がない軍隊で出世するのは、事務能力の高い人間です。(佐藤)

    そこでノモンハンでの戦いのもうひとつの重要な教訓として浮上してくるのが、ロシア人の国境に対する考え方です。私は究極的には日本とソ連の国境線の
    違いこそノモンハン事件の原因だと思うのです。
    実は、ロシア人の国境概念はわれわれとはちょっと違うんです。
    国境線があっても、その外側に緩衝地帯がないと安心できない。
    その地帯は自分たちの領土でなくていいんです。
    しかし、いつでも自由に動ける地域でなくてはいけない。
    つまり、線ではなく、幅のある「面」の国境をつくりたがる。
    例えば第二次大戦後、ソ連は東欧諸国をソ連邦に加盟させてもよかったはずです。
    ところが、それではロシア人は落ち着かないのです。
    だから東欧全体を人民民主主義国にし、緩衝地帯とした。
    複数政党制で、教会政策も締め付けを緩くした。
    ソ連国内では民間企業をつくれなかったけれど、東欧諸国では従業員5、6人の企業であればつくれました。また、たとえばモスクワでは喫茶店もすべて国営でしたが東欧諸国や、ソ連領でもバルト諸国では家族経営が認められていました。
    そういうふうにして、本国より少し規制が緩いけれど、ソ連圏として自由に行き来できる領域が周りにないと安心できない。
    ですから当時、モンゴルも併合することができたはずですが、
    そうせずに緩衝地帯として独立させました。(佐藤)

    結局、各国が毒ガスを持っていたのに、第二次世界大戦ではどの国も使いませんでした。
    一神教の世界の人々は、毒ガスを使えば皆殺しの報復にあうと、お互いに皮膚感覚でわかっているからです。(佐藤)

    日本陸軍の弱点は、米を食べないと腹に力がこもらず戦えないことでした。
    米を食べるためには、炊かなきゃならない。炊くためには火を起こさないとならない。
    そうすると、火と煙が上空の飛行機から見えてしまう。
    情けないくらいにそうなんです。ガダルカナルなどで日本軍が密林にいながら徹底的にやられてしまうのは、みんな飯を炊いているからです。
    煙が上空から見えてしまう。(半藤)

    そうそう、もうひとつ重要な例がありますよ。
    日本が対米英蘭開戦を決意した「ハル・ノート」にあった「Chinaから撤兵せよ」という条件です。
    日米関係の緊張が最高潮に達していた昭和16年の11月26日(日本時間27日)アメリカのハル国務長官から突きつけられた条件の中のひとつです。
    この「China」がどの範囲を指すのか、日本政府も軍部も当然、満州が含まれると思っていた。
    ところが、戦後になってアメリカから
    「満州は含まれていなかった」という説が伝わってきたのです。
    それを聞いた開戦時の国務大臣・企画院総裁の鈴木貞一中将が
    「そんなバカな!もしそうであったなら戦争に踏み切る必要はなかった」と天を仰いで言ったのを私ははっきり覚えています。
    アメリカは満州国を承認していなかった。
    それで当然のことに満州国は
    含まれていると、そう東條内閣は判断したというのです。
    言葉というものが、外交的に正しく判断できるかどうか、恐ろしい話ですね。(半藤)

    組織の中で個人的な名誉欲とか出世欲を、国益と混同しているようなタイプですね(半藤)

    外務省にはいるんです、このタイプが(笑)。
    「私の利益は外務省の省益で、すなわちそれが国益で、世界平和のためになる」
    という理屈です。こういう人たちとの付き合い方は、非常に難しい。

    自分の中で完結していますから「それは違うんじゃないか」と外側からいくら言っても、聞く耳を持たない。
    勝海舟の言葉に「忠義の士というものがあって、
    国をつぶすのだ」というのがあります。困ったことに、われわれは忠義とか国益という言葉に非常に弱い。(半藤)

    勝の言葉は、全く正しいですね。こうした人間には2種類あって、
    本気でそう思っている人間と、確信犯的にやっている人がいるということです。
    前者は、ウソをついているという自覚すらなく、自分の利益=組織の利益=国家という物語をつくって、それを信じ込んでいる。
    だから、息を吸ったり吐いたりするようにウソをつくことができるんです。
    厄介なのは、この手の人間には歴史を動かす力があることです。
    自分ほど無私な人間はいないと思っていますから、少々のことではへこたれない。
    強いんですよ。
    さらに厄介なのは、彼らが往々にしてチャーミングであることです。
    ノモンハンのところで名前が挙がった参謀・辻政信など、まさにこのタイプではありませんか。
    昭和陸軍には外務省同様、他にもこのタイプがいそうです。(佐藤)

    (佐藤賢了を1963年(昭和38年)にインタビューした際に)
    戦後15年以上経っていましたが、自分がやったことは完璧に正しいと信じていましたよ。
    そもそも、「閣下」と呼ばないことには、
    答えてくれなかったんですから(半藤)

    幼年学校の卒業生は語学がよくできるという神話がありましたが、あれは間違いだと思うんです。
    昔、外務省に幼年学校からロシア語を
    勉強している大使がいたのですが、あんなにロシア語ができない人はいませんでしたよ(笑)。
    先程も話に出た戦時下のベルリンの大使館にいた
    吉野文六さんにそのことを話したら、「大島浩大使(幼年学校出身、陸軍中将)も、ドイツ語は何を話しているかわからなかった」と言っておられました。(佐藤)

    エッ、大島は東京地方幼年学校出身の、チャキチャキの陸軍軍人なのにね。
    そのドイツびいきで、白鳥敏夫イタリア大使と一緒に三国同盟を推進した大島が、ドイツ語ができなかったというんですか(半藤)

    ええ。細かいコミュニケーションはほとんどできなかったようです。
    その伝統は今も続いていますよ。
    私の経験でも、防衛省から在外公館に出向している防衛駐在官で、英語以外をまともに使える人を見たことがありません。
    新聞記事ひとつ訳すのに2日はかかるから、意見交換なんてまず無理。
    最近、テロ対策で防衛駐在官を中東諸国に増やすといわれていますが、彼らのアラビア語、ペルシア語の力では情報を取るのは難しいと思います(佐藤)

    現実的な対応力では、やはりアメリカは優秀です。
    修正する思い切りの良さ、方針転換したときのスピードが違う。(佐藤)

    先程アメリカによって日本の輸送船がさんざんに叩かれたという話がありましたが、これも真珠湾でアメリカの主力戦艦が使えなくなってもっぱら潜水艦などを使った通商破壊に転じたという面があります。
    航空母艦重視にせよ、ロジスティクスの見直しにしても、結果として確かにアメリカは「失敗」によく学んでいるのです。
    こうして振り返ってみますと、昭和の陸海軍がどうして参謀重視という形になったかがおわかりいただけたと思います。
    その参謀には、とにかく当面の戦闘に勝つことだけを考えて、大きな戦力構想を持つところまでは至らなかった。
    「war」に勝つのではなく「Battle」に勝つことしか考えていませんでした。(半藤)

    戦闘の勝利の蓄積の上に、戦争の勝利があるという思想ですね。
    しかしそこでは「合成の誤謬」が起きてしまう。
    ひとり一人が正しい行動をとっても、全体で見ると思わぬ悪い結果を生んでしまうのです。
    そして、硬直した組織では、外側の変化に対応できないということがよくわかります。陸軍が情報を握りつぶしたことといい、
    海軍の海戦要務令といい、変化のシグナルは出ていたはずなのに、また、それに気づいていたはずなのに、自らを変えられなかった。
    これはなかなか根が深そうな問題です。(佐藤)

    「日本のいちん長い日」は私が35歳の時に書いたものです。
    当時私は文藝春秋に勤めていたんですが、編集者仲間と太平洋戦争を勉強する会をつくっていたんですね。変な話ですが、昭和30年代の初め頃は
    文藝春秋もいわゆる「平和論」に染まっていて、戦争のことにはできるだけ触れないような風潮があった。私など、半藤をもじって「反動」などと呼ばれていたくらいです。
    それなら自分たちで勉強しようじゃないかというので、旧軍人や官僚といったさまざまな立場で
    あの戦争の当事者だった人たちを呼んでは話を聞いていた。
    すると、知らないことばかり出てくるし、当事者でも案外、自分が直接関係していない部分は知らなかったりする。
    ならば、いろいろな人に聞いて、いったいあの日、何が起こったのかを再構成してみようと思ったのです。(半藤)

  • 「戦争論」、「半藤一利」、「佐藤優」ってきたら、読まざるをえない。
    そして期待を裏切らない。
    本当に、本当に、面白かった…!
    2人とも実体験に裏打ちされてるから、リアルさが重い…。
    私たちは話されたもの、書かれたものを読むでしょ。
    でもこのお二人は直接会話をするわけで、その時の表情、しぐさとかを全力で見てるんだよね。
    こういうのはとっても貴重。

  • 2冊内1さつえたむかか

  • ★★★2019年3月レビュー★★★


    ロシア・ソ連の歴史に造詣の深い佐藤氏と、昭和史の第一人者半藤氏の対談。昭和史、主にノモンハン事件~太平洋戦争について語り合う。


    佐藤氏がソ連に詳しいので、日ソ関係日ロ関係の話題が豊富。特に感銘を受けたのは、ロシア人と日本人の国境線に対する概念の違い。日本人は、国境を「線」として考えるが、ロシア人は違う。国境は「面」である。他国との間に緩衝地帯がないと落ち着かないのだ。そのような国境観の違いが1939年のノモンハン事件につながったといえる。


    さらに刺激的だったのが、ソ連の侵攻がもう少し早ければ北海道東部はソ連に占領されていたかもしれないという事。日本が分割されていれば、北海道東部は北朝鮮のような国家になっていたことになる。考えるだけで恐ろしいことだ。


    組織の利益を第一に考える、官僚主義は現在の日本にも根付いていると警鐘を鳴らして対談は終わる。


    対談者2人も述べているように、昭和史から学ぶことは多いと思う。やはりそのためには本を読まねば。対談で紹介された本を読んでみようかな。

  • 巻末のおすすめ本が1番の見どころ。

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著者プロフィール

半藤 一利(はんどう・かずとし):1930年生まれ。作家。東京大学文学部卒業後、文藝春秋社入社。「文藝春秋」「週刊文春」の編集長を経て専務取締役。同社を退社後、昭和史を中心とした歴史関係、夏目漱石関連の著書を多数出版。主な著書に『昭和史』(平凡社 毎日出版文化賞特別賞受賞)、『漱石先生ぞな、もし』(文春文庫新田次郎文学賞受賞)、『聖断』(PHP文庫)、『決定版 日本のいちばん長い日』(文春文庫)、『幕末史』(新潮文庫)、『それからの海舟』(ちくま文庫)等がある。2015年、菊池寛賞受賞。2021年没。

「2024年 『安吾さんの太平洋戦争』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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