もう牛を食べても安心か (文春新書 416)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166604166

作品紹介・あらすじ

アメリカ産牛肉輸入再開に向け政府は全頭検査を緩和する方向にあるが、著者の見解は時期尚早。狂牛病は原因も対策もまだ何も分かっていないからである。本書は警告を込めて現状を解説しつつ、一歩踏み込んで問題を考察する。病原体はどうやって牛からヒトへと種の壁を越えたのか。そもそもヒトはなぜタンパク質を食べ続けなければならないのか。その問いは、生きているとはどういうことか、という問いにも繋がっていく。食と生命をめぐる出色の論考。

感想・レビュー・書評

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  • -2005.07.06記

    著者の福岡伸一は1959年生。訳書にR.ドーキンスの「虹の解体」などがある分子生物学専攻の学者で、時宜につきすぎるタイトルに比して、本格的な先端科学の知見に触れえる硬派の良書である。

    先ず著者は、狂牛病の発生及びその蔓延の背景について、
    そもそも「<スクレイピー>という羊の風土病であったものが、イギリスにおいて<BSE-狂牛病>へと変異し、世界へ拡がり、<CJD-ヤコブ病>という人間の病へと、種の壁を越えて乗り移ってきた連鎖の背景」を明らかにしていく。
    発生国イギリスの致命的な責として、「<種の壁>を越えさせた人為である-レンダリング-という名のリサイクルで作られた高濃度の病原体が残存したままの「肉骨紛」がイギリスから世界へと輸出、分散された」ことを挙げて告発する。
    「狂牛病の病原体はヒトの消化システムが不可避的に持つ<脆弱性の窓>を巧妙にかいくぐって私たちに乗り移ってきた。タンパク質、その構成要素である20種のアミノ酸に分解されるが、これはまだ身体の<外側>の出来事である。消化管は皮膚が身体の内部に折り畳まれた、いわば<内なる外>だからだ。消化管からアミノ酸が血液中に取り込まれるとき、初めて<体内>に入ったことになる。入れ替わっているのはアミノ酸より下位の分子レベルである。現在では、タンパク質、脂質だけでなく、私たちの身体を形作っているすべての臓器、すべての組織のありとあらゆる構成分子が、速度の違いこそあれ、代謝回転していることが判明している。」
    などと、狂牛病の発症システムを詳述したうえで、いわゆるシェーンハイマーの<動的平衡論>に関して解説しつつ、対処の基本姿勢をどう考えるべきか結論づけてゆく。

    「シェーンハイマーの<動的平衡論>-生命は<流れ>のなかにある。 チベット医学の生命観を記した17Cの「四部医典」によれば「身体という小宇宙と環境という大宇宙は絶えずともに手をたずさえて躍っている」とされる。食物を構成する分子のほとんどは高速度で分解されて外へ出てゆく。生体を構成している分子はすべて高速に分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。私たちの身体は分子的な実体としては数ヶ月前の自分とはまったく別物になっている。」
    さらには、「<動的平衡>のもつ意味-外界(環境)の変化に応答して、自らを変えられる、という生物の特性、つまり生物の可変性、柔軟を担保するメカニズムとなる。動的平衡は、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるが、その仕組みは万全ではない。廃物の蓄積速度が、それを汲み出す速度を上回り、蓄積されたエントロピーが生命を危険な状態に追い込む。これはタンパク質のコンフォメーション(構造)病として最近注目されている。その代表例がアルツハイマー病やプリオン病である。」
    「クールー病、ヤコブ病 CJD、狂牛病 BSE、スクレイピー。これらはいずれも同じ病気、すなわち伝達性海綿状脳症が異なる動物種で発生しているものである。動物とヒトとの界面にこれまでなかったような病気が現れる。あるいは単一ではほとんど問題とならなかったごく微量の化学物質が複合的に作用して予期せぬ問題を引き起こす。操作が新しい操作を必要とする事態を引き起こす。問題はすべて、人為的な操作に対して環境がその平衡を回復するために揺り戻しをかけている、その揺らぎそのものといってよい。ならば、第一に必要なのは、環境が人間と対峙する操作対象ではなく、むしろ環境と生命は同じ分子を共有する動的な平衡の中にあるという視点である。炭素でも酸素でも窒素でも地球上に存在する各元素の和は大まかにいって一定であり、それが流れゆくなかで作られる<緩い結び目>がそれぞれの生命体である。できるだけ人為的な組み換えや加速を最小限に留め、この平衡と流れを乱さないことが、環境を考える-我々の生命を大切にする-ことに繋がるという認識が必要である。」

    狂牛病と直接は関係しないが、シェーンハイマーの動的平衡論に基づいた論旨から臓器移植についてこんな記述もある。
    「<臓器移植>という考え方は<生命連鎖>から遠い考えであり、生物学的に非常な蛮行と云うべきものであり、究極のカン二バリズムであるといえよう。臓器に対する強い免疫学的攻撃、つまり拒否反応にさらされつづける。牛の場合、胎児期に胎盤を通じて受け渡される抗体はほとんどなく、受動免疫のほぼすべてを出生直後の初乳に依存している。出生後まもない、生命がもっとも侵襲を受けやすいパルネラブルな時期に、経済的要請に基づく安易な人為操作として肉骨粉入りスターターを母乳代わりに与えた、という二重の操作の果てに、イギリスの狂牛病は立ち上がってきたのである。」

    もう一つ、脳細胞も含めてすべての細胞が入れ替わっていくとすると、記憶というものは細胞内分子レベルの保持機能ではないことになるが、ではいかなる構造で保持されるのかについての記述が関心をそそる。
    「記憶はどのようにして保持されるのか-個体も細胞も、それらを構成する分子自体は流れに流れ、数週間から数ヶ月間にはそっくり更新されてしまうのであれば、そこに不変性や同一性を求めるのは困難になる。個体の個別性、そこから派生する自己同一性、さらには記憶の一定性やその真実性は、すべて不確かな幻想とならざるを得ない。記憶を分子レベルの物質に対応させて保存することが、動的平衡の掟からいって不可能であるならば、個々の構成要素は入れ替わっても、全体として情報を保てるような、分子よりも上位の構造が記憶を保持している、と考えざるを得ない。それは細胞のネットワークである。記憶とは、一言でいえば、ある特別な体験に際して、脳の神経細胞ネットワークの中を駆けめぐった電気信号の流路のパターンが保持されたものだということだ。絵柄全体<神経回路網のパターン>を変えることなく、常にサブレベル(下位)で代謝回転が進行している。まさに記憶は、<記憶を想起したそのときに作られている>といってもよい。」

    農水省の役人たちも本書を読めば、アメリカの外圧を跳ね返してでも、輸入再開にストップをかけたくなろうと思うのだが、そんな気配はまったくなく、あちらのお国事情に急き立てられるまま、われわれの食の安全を担保しようとしない。

      ―'05.07.06 記

  • プリオン病説への異論から、遺伝子組換え食品や臓器移植まで、、、、ちょっと論理の飛躍を感じるけれど、、、、動的平衡はこのときからでています。

  • 生命の動的平衡を明らかにしたシェーンハイマー
    (参考文献:生体の動態 納谷書店 1955)
    ☆ノーベル賞をもらったプリオン説だが、未だ、科学的には証明されていないようである。

  • 執拗で、シンプル。わかりやすく書こうとする努力はいい。しかし、繰り返しなんだよな。残念ながら。
    https://www.freeml.com/bl/12798349/1071615/

  • 幾冊目かの福岡著作だが、繰り返し本作も動的平衡による事象の思索分析となる。エントロピーとエネルギー保存の法則により、地球などマクロな視野も含めた意味での生命を構成する動的平衡に対して人為による、愚かな意図をもって行った結果の不均衡がもたらす報復として狂牛病は発現したとする。これはさらに例えば男女間における人間関係のストレスのやり取り、労働における生産効率にも十分に転嫁しうる論説だと感ずる。
     福岡著作はどれも結局同じアフォリズムに落ち着くのだが、数年ごとにこの思考法と警句を再確認できることは大変に有意義であるといえる。ありがたや。

  • 題名と内容がかなり違うような気がするが
    それにしても おなじ 意味 になっている
    不思議な本である。
    題名に残念さがあるが、内容的には確実にはばたいている。

    福岡伸一の『動的平衡』と言うものを
    テーマとして、BSE 狂牛病 を考察する。
    題材の 選び方や切り口が 優れている。
    問題意識が シャープである。

    生物が生命を維持することのダイナミズムさについては、
    目を見張るばかりだ。そのことを、とくとくと解く。
    種を超える と言うことは、すごいことだ。

    羊 牛 ニンゲン。
    それを こえていく 『なにか』
    そして プリオンと名前をきめたものが 勝った。
    プルシナーは、コピーライターの才能があった。

    しかし、どうやって 脳の中に 侵入するのか
    そのメカニズムが よくわからない。
    また 抽出し分離したプリオンが 病原性を発揮しないのが
    おおきな 問題で まだ 謎は残されている。
    この本が 書かれたあとに どう発展したのか?
    それを知りたいな と思った。

    よくわからないものに どう対応するのか?
    そのむつかしさが 伝わる。

  • 書名の印象は薄い

    動的平衡の話
    人間の(体の)細胞は入れかわっている
    脳細胞についても言えるようだ
    記憶はどのように保持されるのだろう

    臓器移植とgmoは体にとって大きなリスクとなることである
    プリオン説のいい加減さの説明

    地産地消について考える

  • 狂牛病をテーマに,食というものの人類にとっての役割を掘り下げる.僕は,最も金を掛けるべきは教育と食だという信念を持っているので,全く違和感なく納得できる.大変面白い.

  • (2013.07.13読了)(2013.06.28購入)

    【目次】
    はじめに-狂牛病が問いかけたもの
    第一章 狂牛病はなぜ広がったか―種の壁を越えさせた〝人為〟
    第二章 私たちはなぜ食べ続けるのか―「動的平衡」とシェーンハイマー
    第三章 消化するとき何が起こっているのか―臓器移植、遺伝子組み換えを危ぶむ理由
    第四章 狂牛病はいかにして消化機構をすり抜けたか―異物に開かれた「脆弱性の窓」
    第五章 動的平衡論から導かれること―記憶は実在するのだろうか
    第六章 狂牛病病原体の正体は何か―未知のウイルスか、プリオンタンパク質か
    第七章 日本における狂牛病―全頭検査緩和を批判する
    おわりに-平衡の回復
    主な参考文献

    ☆福岡伸一さんの本(既読)
    「生物と無生物のあいだ」福岡伸一著、講談社現代新書、2007.05.20
    「できそこないの男たち」福岡伸一著、光文社新書、2008.10.20
    「動的平衡-生命はなぜそこに宿るのか-」福岡伸一著、木楽舎、2009.02.25
    「世界は分けてもわからない」福岡伸一著、講談社現代新書、2009.07.20
    「ルリボシカミキリの青」福岡伸一著、文藝春秋、2010.04.25
    「フェルメール光の王国」福岡伸一著、木楽舎、2011.08.01
    (「BOOK」データベースより)amazon
    アメリカ産牛肉輸入再開に向け政府は全頭検査を緩和する方向にあるが、著者の見解は時期尚早。狂牛病は原因も対策もまだ何も分かっていないからである。本書は警告を込めて現状を解説しつつ、一歩踏み込んで問題を考察する。病原体はどうやって牛からヒトへと種の壁を越えたのか。そもそもヒトはなぜタンパク質を食べ続けなければならないのか。その問いは、生きているとはどういうことか、という問いにも繋がっていく。食と生命をめぐる出色の論考。

  • プリオン説は本当かや生物と無生物のあいだを読んでしまっているからか既読感が拭えなかった。先にこちらを読むべきであったが、逆でも同じことを思うだろう。

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著者プロフィール

福岡伸一 (ふくおか・しんいち)
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。

「2019年 『フェルメール 隠された次元』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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